93・乃木坂学院高校
小悪魔マユ・93
『乃木坂学院高校』
「ねえ、ちょっと日向ぼっこしていかない」
相談室の鍵をかけながら柚木先生が言った。
「あ、はい……」
仁科香奈の姿をしたマユが応えた。
退学の手続きにきたら、担任に設定してあった柚木先生に最後の説得をされた。
意外だった。
この仁科香奈の姿は、不可抗力で、目の前にいた大石クララと拓美に貸したアバターのマユ自身の姿を足して二で割った姿だ。
正式に地獄の小悪魔補習規定にのっとて作られたアバターでは無い。
だから、経歴も関係者の記憶もかなりいい加減な設定にしかできなかった。
乃木坂学院の生徒になったのも、それまで入り込んでいた美優が乃木坂の出身で、美優の記憶がそのまま使えるからという便宜上の理由からだけだった。
従って友だちもおらず、担任の香奈に関する記憶もそうとう粗っぽいもので、平均的で目立たない生徒という認識でしかない。
だから、退学については、ごく簡単な事務処理で済むと香奈の姿をしたマユは思っていた。
それが、退学届けを持ってくると、柚木先生に相談室に呼ばれ、一時間ちょっと説得された。
意外にも、柚木先生は、自分自身を責めていた。
――わたしは、この仁科香奈のことについて何も知らない。面談や懇談をやった記憶はある。でも、可もなく不可もない子だったので、ほとんど意識に留めることもなかった。その仁科香奈が、密かにこの乃木坂学院に見切りをつけ、こともあろうに……と、言っちゃいけないんだろうが、アイドルグル-プのオモクロのオーディションをうけるという。そんなに乃木坂学院は、いや、この柚木学級、柚木という教師には力も魅力もないのだろうか……。
マユは香奈の心で申し訳なかった。柚木先生は、いわばエキストラのようなもので、仁科香奈について細かい記憶などはインストールしていなかった。柚木先生は、それが担任としての落ち度のように感じている。
魔法というものは、白魔法にせよ黒魔法にせよ怖いものだと感じた。
「わたしね、演劇部の顧問やってるの。仁科さんに、そんな気持ちがあるんだったら、入学したときに勧誘しとくんだったなあ……」
「あ、わたしがやりたいのは、演劇じゃなくて、オモクロやAKRみたいなエンタメですから」
「そうなのよね……今の高校演劇は、あなた達みたいな子を引きつける力がないのよね」
「そんなことないです。ただ、わたしがやりたいことが違うだけで……」
「うちの演劇部は、もともと、そういうエンタメ的な力ももっていたわ。もうお辞めになったけど、貴崎マリって先生が、グイグイ引っ張ってらっしゃって、部員も三十人ほどもいてね、歌って踊ってお芝居もできるって、東京でもトップクラスの演劇部だったのよ。それが、ちょっと事故が重なって、貴崎先生はお辞めになるは、部員は三人にまで減ってしまうはで、一時は廃部寸前までいった。でも、生徒の力ってすごいのよ。そんな演劇部を復活させて、秋の予選じゃ最優秀。二年生の仲まどかって子が中心にがんばって、その奮闘ぶりが凄くって、本にまでなったのよ」
柚木先生は、一冊の本を取り出した。
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』
一見ラノベの形式だけど、半年にわたる仲まどかたち、演劇部の子たちの奮闘ぶりが書かれていた。
「それ、あげるわ。なんかの参考になったら嬉しい」
「ありがとうございます」
「それから、仁科さんと同じように中退した子だけど、坂東はるかって子が、女優になってがんばっているわ」
「え、坂東はるかって、乃木坂の中退だったんですか!?」
マユも人間界に来て半年あまり。並の女子高生としての知識はある。坂東はるかは、いま売り出し中の若手女優である。たしか、大阪で現役高校生をやりながら、新幹線で通いながら女優の仕事をこなしている。ネットで自伝的なノンフィクションを書いていた。
『はるか 真田山学院高校演劇部物語』
そんなタイトルだった。
「坂東はるかって子のことだったら、その『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』にも出てくるわ。仲まどかとは幼なじみだから」
柚木先生は、マユの心を読んだように答えた。人間は、時に悪魔か天使のように心を読んだり、勘を働かせたりする。それは、ついこないだ亡くなった吉永美優も同じだった。
マユは、少し人間界に補習に出された意味が分かってきたような気がした。
いつの間にか、理事長先生が後ろに立っていた。もう九十を超えているのに、髪の毛以外はカクシャクとしている。
「仁科さん、わたしの目を見てくれんかね」
「あ、はい……」
優しいが深みのある目をした先生だ。仁科香奈の心で、マユは、そう感じた。
「いい目をしている。できたら、うちの学校でまっとうして欲しかったが、きちんと決心したんだね」
「……はい」
理事長先生は、自分の目を見ろと言って、マユの目を観察していたのだ。
「もう、今さら、わたしから言うことはない。柚木先生といっしょに見送らせてくれんかね」
プラタナスの枯れ葉を踏みしめ、仁科香奈の姿のマユは、乃木坂を下る、背中に二人の先生の視線を感じながら。
たまらずに振り返ると、先生は二人で小さく手を振ってくださっていた……。




