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9品目 とある駄天使とパン詰め合わせ

 涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない


【 ドイツの詩人 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの言葉 】

 この大陸は古の頃より麦とともにあった。

 六百年の昔に聖王ベリアが魔皇帝を滅して周辺諸国を統一し、一大王国を建国する遥か以前から、大陸人は麦から糧を得て『食』の営みを続けてきた。


 特にとりわけ北方内陸部にある神都周辺地域はそれが顕著だった。

 豆と芋くらいしか特産物のない決して肥沃とはいえない土地、雨にあまり恵まれない乾いた気候、見渡す限りの岩と平地の高原地帯。

 そんな土地でも麦は成る。力強く育ち実を結ぶ。穂を揺らせば冨となる。


 聖竜神さまの庇護のもと、露の一滴、葉の一枚、果実の一つがあれば餓えも渇きも凌げる天界樹の恵みに守られた天空人たちには分かりづらいことかもしれないけど、この大陸の人々にとって麦は生命線であり、産業の象徴であり、税として扱われる財産であり、数千年に渡る食文化の要だった。


 とにかく麦の食文化は凄い。とにかく凄い。

 どれだけ凄いのかというと、単純に小麦を石臼でひいただけの粉ひとつで、粥・麺・饅頭・パスタ・パン・菓子・えとせとらえとせとらと、無数に等しい料理のバリエーションが生まれるくらい凄い。


 小麦だけでこれ。

 大麦も含めればさらにバリエーションは広がっていく。


 原材料は同じなのに地方や文化によってまったく異なる食事に化ける。

 食文化の真骨頂が麦という食材にはある。

 だから下界は面白い。

 天界樹の実を加工もせず食べている天空人には、とうてい考え付かない知恵。


 そんな麦料理の中でもわたしは特にパンが好きだ。

 人はパンのみに生きるにあらずと偉い人は言ってるけど、やっぱり毎日の主食となるとわたしは米よりもパン派だ。

 保存がきいて、手軽に持ち運べて、飽きのこないパンは長旅のおともだ。


 王都の光竜神殿に書簡を届け、光竜神の聖女に挨拶したら次の目的地へ。

 目指すは海竜神殿のある南西部の三千諸島だ。

 そこにいくためにはまず長い高原地帯を抜けないといけない。


 わたしが最初に向かうのは高地の入り口にある中継地点。 

 王都から街道沿いに徒歩で三日ほどかけた場所に宿場町ルーメがある。

 大陸の南北にを繋ぐ大街道の中継地点であるこの宿場町は、王都のある中央部と大陸南部を繋ぐ大事な大陸の要だ。


 大陸を縦断する人間なら、冒険者も旅人も商人も軍隊も分け隔てなく、必ずこの大陸の中心線を通過することになる。

 宿場町には自然と人が集まり、物資が巡り、南北の文化が交わり、様々な民族・宗教・食文化が入り混じる。


 わたしの足は早々に馬車駅に向かう。

 ここからは徒歩でなく馬車を使って、南西の大高原を抜け沿岸部の三千諸島へ向かうことになるからだ。

 乗るのは予約制の急行エコノミー馬車だから、鈍行のように乗り過ごしても次のヤツに乗ればいいやというわけにもいかない。

 もちろん時間の許す限り、馬車駅に至る道すがらで南北の郷土料理が立ち並ぶ屋台横丁で食事をするのも忘れない。


 気温が低く乾燥地帯の多い北部の屋台は大羊がメインの肉料理。

 北部に比べて気候に恵まれた南部の屋台は野牛がメインの肉料理。

 同じ大陸でも気候の異なる南北では主食となる獣肉がまったく異なり、使用する香辛料や香味野菜も全然違う。どっちも甲乙つけがたし。


「う~ん、じゅ~しぃ~っ♪」


 運河近郊に到着したら毎日が魚介料理三昧になるだろうから、ここでたっぷりを内陸の獣肉料理を楽しむことにする。

 やはり屋台の肉料理は串焼きに限る。塩でもタレでも美味しい。つうかこの大陸じゃ簡単に手に入らないの分かっていても、ドンブリ山盛りの炊き立て御飯が凄くほしい。


 ……あー、なんか早くも神都じもとの食事が恋しくなってきましたわー。

 まだ南側にきて一週間くらいなのに。早くもバッドステータス『ホームシック』状態です。


 この緊急出張の仕事が終わったら八双飛びで神都に帰るぞー!

 拠点のオンボロ長屋は生まれ育った天空城以上にわたしの故郷だもん。

 あと、本屋近いし。翻訳版南総里見八犬伝の新刊も読みたいし。


「おっとっと、いけない。早いところ沿岸部行きの馬車に乗らなくちゃ」


 この宿場町に立ち寄ったら、わたしは必ず買うことにしているものがある。


「おばちゃん。駅パンをバケットに全種類を詰め込みでお願いします」


 これだ。これなのだ。この宿場町で最も楽しみなのは、馬車に揺られながら駅パンの詰め合わせを腹いっぱい食べること。

 長い長い大草原をミルクや紅茶を片手に食べる南北それぞれのパンの美味しさったらもう、気分は北の味と南の味が我こそが美味と口の中で合戦しあう味覚の南北戦争。

 ラタン材を編みこんだカゴにめいいっぱいの南北を代表するパンを詰め込んでもらって、わたしはいそいそと沿岸部行きの馬車に乗り込んだ。


 【宿場町ルーメ馬車駅名物・南北パンのバケット詰め合わせ】


         《 大陸北部を代表するパン 》


◆黒パン──


『北部の寒冷で乾燥した厳しい環境でも育つライ麦から作られたパン』

『最も歴史の古いパンで、皮や胚芽を含むことによる黒色と酸味が特徴』


◆赤煉瓦パン──


『黒パンの亜種。赤黒い色合いと長方形の形から赤煉瓦と名づけられた』

『こんがり焼けた外側の耳を千切ってスープに浸して食べると美味』


◆修道女のパン──


『ライ麦に麦芽と薬草を混ぜたパン。黒パン独特の酸味が薄く柔らかい』

『かつては神都の修道院のみで作られていた門外不出の秘伝であった』


◆土窯パン──


『半円上の窯に生地を貼り付け、薪の熱で蒸し焼きにして作る塩パン』

『窯の壁に生地を貼り付けることで生まれる平たい円盤の形状が特徴』



         《 大陸南部を代表するパン 》


◇白パン──


『南部特産の小麦粉を使用して作られる大陸で最も有名なパン』

『バターやミルクを練りこんだものは長らく貴人だけの高級品だった』


◇五重奏のパン──


『小麦・ライ麦・燕麦を混ぜ、麦酵母とビールを入れて作られたパン』

『南部の麦畑豊穣祈願のさい、お祭りの主役として焼かれる縁起物』


◇船乗りのパン──


『竜が踏んでも壊れない。船乗りが愛したカチカチパン。長期保存可能』

『そのまま齧ると歯が欠けますので、お茶で濡らしてお食べください』


◇薬師のパン──


『薬草、オリーブ油、ニンニク、ケシなど様々な薬味を練りこんだパン』

『ふっくらと柔らかく、歯の弱いおじいちゃんでも安心して食べられます』


 パンには地方色がある。文化がある。歴史がある。

 馬車の車窓から見える高原地帯の風車群は、まさしく麦文化の集大成。


 この高原には古代から【竜の息吹】または【風神の舞】と呼ばれている強風がいつも吹き荒れている。

 効率化と合理化が大好きな下界の人間がこの自然現象に目をつけないわけがなく、王国民は五百年くらい前からこの地に風車群を建てるようになった。


 その目的は簡単。強風を使った風車による粉挽きの自動化だ。

 これにより石臼での手作業が主だった小麦粉の生産が革命的に変わり、北部でも安価に小麦粉が手に入るようになったことで麦料理のレパートリーは劇的に進化した。


 現在、この風車群は大陸の南部で生産される小麦の三割近くを輸入して小麦粉に加工し、大陸四方に輸出しているらしい。

 南部は地元でやるよりも遥かに安価で大量の小麦の粉挽きを行え、北部は加工業で潤いつつ小麦粉を貧しい北方民に支給できる。

 WINWINの関係とは、まさにこのことである。


 そういった御当地の歴史を車窓からの風景を眺めながら反芻しつつ、麦食文化の代表であるパンとお茶と一緒に口にするのは最高の気分だ。


 こうして黒パンを一齧りするだけで、なんとはなしにライ麦を食の要に、厳しい気候条件の中で試行錯誤を繰り返してきた北部の人々の苦心が伝わってくる気がする。

 都市圏の人は黒パンを貧しい北部の象徴のように言うけど、ライ麦パンにはライ麦パンならではの良さがある。


 黒パンはどうにも痩せた土地に住む貧しい民のパンというイメージが根強いけど、近年になって栄養学的に白パンよりも黒パンのほうがずっと優れていることが明確になって、その栄養食としての価値が冒険者を中心に見直されつつあったりする。


 南部のパンは小麦の文化。だからメインは白パンだ。

 過去、慎ましい生活を送っていた神都の修道者たちにとって、超のつく高級品だった南部の白パンは、本当に存在するかどうかも怪しい天空人よりもずっと憧れの存在だった……なんてジョークがあったくらいだ。


 もちろん昔の南部の人々がみんな、こんな美味しい白パンを食べられたかといえばそんなことはなくて、新鮮なバターや牛乳をふんだんに使ったものは王侯貴族か大商人のみが食べることを許された貴重品だった。 

 こうやって過去の貴人だけが食べられたモノを一介の市民が駅弁として食べられるのも、道路の整備が整い、大陸中の流通が安定し、冒険者たちが街道周辺を荒らす魔物や賊を退治してくれているおかげだ。


「ふーっ、満腹♪ 満腹♪ 次の中継駅ではなにを食べようかなー」


 こうやって観光気分でいられるのは沿岸都市に到着する道中のみ。

 沿岸部に到着したら【天空の聖女】としての仕事が待っている。


 はっきり言ってめんどくさい。

 父様も聖竜神さまもなんでこんな面倒事を押し付けるのか。


 こっちはもう自作本即売会の夏の陣が明けたばかりの身なんですよ。

 九月からはもう冬の陣の原稿の準備期間なんですよ。

 昨年の冬の陣のときは自作小説の原稿落としかけたから、今回は速いうちに原稿に着手しようと思っていたっていうのにもぅ。

 ビール片手に誰かに愚痴りたい気分だけど、さすがにムリなんですよね。


「ほんと、出張ついでに現在執筆中の【エストの食べある紀行】のネタ漁りでもやらないとやってられないっつーの」


 Q・天空神殿の経費で喰うメシは美味いか?

 A・はい、美味しいです!


 各地を巡る食の旅はまだまだこれから。

 次の目的地は海竜神さまの眷属が守護する沿岸地区四大観光名所のひとつ。

 マントゥ運河の中継駅──【水竜廟】。

 小麦料理三巨頭のひとつ、饅頭文化の聖地がわたしを待っている!

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