第十六話
声。声が聞こえます。どこから遠くから、様々な人の声が聞こえます。
喧騒。しかし、不快ではありません。人々の声には喜びが満ち溢れ、自然と私の気持ちも高揚としてきました。
額に当てられている温かい感触。私の頭を撫でるその動きはどこか不器用で、しかしこちらも不快ではありません。
枕が少々固いのが気になりますが、まあいいでしょう。この至福の時を堪能できるというのなら、このくらいは我慢します。
「この子、幸せそうに寝てますわね」
「疲れてるんだろ、まだ寝させておけよ」
ええ、疲れているんです。そうに決まっています。だから、私はまだ寝ていてもいいのです。こんな時くらい、ゆっくりさせてください、姫様。
そうそう、これは私しか知らないのですが、私はたまに寝相が悪いのです。だから、無意識の内に動いてしまっても仕方ありません。
少々寝にくいため、私を撫でている彼の方へと体を寄せます。密着して感じる彼のぬくもりがとても心地良いです。
「そういう貴方は疲れませんの?」
「これくらい平気さ」
彼が苦笑しているのが気配でわかります。姫様が呆れているのが気配でわかります。
少し申し訳なく思いますが、私は謝りません。少しはこういう役得があってもいいでしょう。
「あまり長い時間いても仕方がないですし、ワタクシは行きますわ。主役も遅れないように、早めに来てくださいませ」
「おう、努力するよ」
御機嫌よう、と姫様は一言残して去って行きました。しばらく姫様の足音をBGMにしていましたが、それもやがて聞こえなくなりました。
喧騒以外、何も聞こえません。彼――リョウ殿の声も、私の声も、何も聞こえません。
うっすらと目を開けて、私の状況を確認します。気づいていないのか、リョウ殿は何も言いません。ただゆっくりと手を動かして、外を眺めているだけです。
目を開けて初めて気が付きましたが、私はギルドに一番近い宿の一室で寝ていたようです。視界に映る内装には見覚えがあります。私自身、何度もこの宿に泊まった経験があるため、すぐにわかりました。
部屋の中には、私とリョウ殿の二人だけ。予想外の出来事ではありますが、私にとっては絶頂の一時です。それはまるで砂糖菓子にも似ていて、フワフワとした時間に私はとろけてしまいそうです。
しかし、幸せな時間というのは長く続かないものです。人の夢と書いて儚いと読むように、私の夢の一時は、淡い泡のように消えてしまいました。
「……なあ、いい加減起きろ」
無慈悲な宣告に、私の体は思わずビクリと跳ね上がりました。ですが、まだ大丈夫のはずです。まだリョウ殿には私が起きていることはバレていないはずです、たぶん。
「意地でもそうしてるつもりか? なら、俺にも考えがある」
見なくてもわかります。リョウ殿は、おそらく凄く悪い笑顔をしていることでしょう。
それからしばらく、リョウ殿は何も言いませんでした。無言の空間。それ自体が圧力となり、私の全身を襲います。
闘気や殺気などの重圧とは違います。恐れるようなものではないのですが、しかしどこか耐え難い。
「起きないなら俺はリリアと幸せな家庭を築く」
「待って下さい、今起きます」
気がついた時には、私は正座でリョウ殿と正対していました。S級冒険者であるリョウ殿が驚くほどの速度です。私自身も驚いています。
「お前……」
リョウ殿が呆れたように私を見てきます。見覚えのある表情です。見覚えのある視線です。
あなたは、いつもそうやって私を見てくれていました。無茶ばかりする私に呆れて、けれど見捨てることなく導いてくれました。
それは、遠い遠い過去の話。私が一介の騎士だった頃の話。私がまだまだ弱かった頃の話です。
これを語るのは後にしましょう。今はただ、この一時を彼と共有していたい。
そして、どれくらいそうしていたでしょうか。私にとっての私服の時は、彼の声で破られました。
「なぁ……」
「はい……」
静かな会話です。私とリョウ殿。喧騒に消えてしまいそうなほどの静かな会話。
やはり、不思議と居心地は悪くありません。この人と一緒にいると落ち着きます。姫様とはまた違った感覚です。そして、この感覚は、リョウ殿と一緒にいるのが当たり前だったあの時と変わりません。
私が過去を思い出していたように、リョウ殿も過去を思い出していたようです。やがて納得したような表情をすると、リョウ殿は私に尋ねてきました。
「セリスは……俺がいつも鍛えてたガキなんだよな?」
少し気になる表現はありますが、概ね正解です。数年前の私は今よりもだいぶ身長が低かったものですから、よく年齢以下に見られていました。
私が頷くと、リョウ殿は私のことをまじまじと見てきました。そして、困ったように頭をかくと、深く息を吐きだしました。
「あのガキがこんな美人になるのかよ、時の流れってのは凄いぜ」
「それは……そうですね……」
私自身、感じていることです。リョウ殿に鍛えられてから数年。私は遅い成長期が来たかのように成長しました。子供のようだったあの時とは違うのです。
「弟みたいに思ってたんだけどな」
……ええ、それも私自身思っていたことです。当時の私は身長が低く、それに髪も動きやすいように短くしていました。
素直に騎士を目指していたからです。女である前に騎士として、仕えているウェストハート家に忠誠を捧げるため、一刻も早く強くなろうとしていたからです。
そのために、当時の私はあっさりと女であることを捨てていました。髪を短くし、化粧もせず、まるで少年のように振舞っていたのです。
その頃に比べれば、今の私は女性らしくなったと思います。リョウ殿が私を意識してくれたのがその証拠でしょう。
そう言えば、リョウ殿は戻ってきたら答えを聞かせてくれると言っていました。姫様は出ていき、今この部屋の中には私とリョウ殿のみ。これはつまり、そういうことではないでしょうか。
そう考えた瞬間、私の鼓動は一気に加速しました。部屋中に響きそうなほど高鳴ったその心臓は、あまりの勢いに破れてしまいそうです。
心臓の熱が体中に広がり、その熱は顔に集結します。抑えようとする意思も意味なく、今の私は耳まで真っ赤になっているでしょう。
「そうだ、あの返事のことだけどな……」
そして、リョウ殿も意地が悪い。今の私の様子がわかっているくせに、あえて、今このタイミングでこの言葉です。
「俺の柄じゃねえのはわかってるんだけどな、少し待ってくれ」
その言葉に、私の鼓動は一気に鎮まりました。
「お前があのガキだとわかって、どうもその頃のイメージが拭えないんだよ」
参ったな、と呟きながら後頭部を掻くリョウ殿。珍しく、本当に困っている様子です。
ですが、困っているのは私も一緒です。昔から抱いていたリョウ殿に対する淡い思い。まさか、当時の私に邪魔をされるとは思いませんでした。
ええ、仕方ないのかもしれません。リョウ殿からすれば、男だと思っていた人間が実は女だったということなんですから。混乱してしまうのも無理はありません。
「受けるにしろ断るにしろ、あの頃のイメージは払拭する必要がある」
その通りです。ですから、私も一生懸命リョウ殿にアタックするつもりです。
再会出来たこのチャンス。逃すわけにはいきません。
「だから、しばらくお前らと一緒に行動する」
ええ、逃すわけには……え?
「実はリリアに誘われててな。セリスのこともあるし、一緒に依頼を受けないかって」
……え?
「それでまあ、せっかくだしそれに同意したわけだ」
楽しみだと、子供のように笑いながら言ったリョウ殿の言葉が、私には一瞬理解出来ませんでした。
誘われた? 姫様に? 誰が? リョウ殿が?
つまり……私達と一緒に、リョウ殿が依頼を受ける?
何とか理解しましたが、実感がわきません。ただ、これから仲間になる最低限の礼儀として、挨拶だけはすることが出来ました。
「ええと……では、これからよろしくお願いします」
「おう、よろしく」
おずおずと差し出した私の右手を、リョウ殿が握ります。力強く握られた拳が、何と心強いことでしょう。
「じゃあ、ギルドに行こうぜ。『終焉』討伐の祝いに飲んでるんだ。騒がないと損だぜ」
ああ、なるほど。先程から聞こえていた声は、そのためでしたか。確かに、騒がないと損です。
「そうですね、行きましょう」
そうして、私とリョウ殿は手を取り合ったまま、部屋を出てギルドへと向かいました。
これから先、どんな出来事が待っているかはわかりません。ですが、私と姫様、それにリョウ殿がいれば、どんな困難も乗り越えられることでしょう。
ああ、楽しみです。どんなことが待ち受けているんでしょうか。それが今から楽しみです。
これからの日々を想像し、私は自然と微笑みを浮かべていました。




