初めての街歩き
城門をくぐったところでエルヴァが待っていた。付き添ってきたダグがエルヴァに頭を下げる。
「では十七時にここでお待ちします」
と言って帰っていった。
城門のすぐそばにある馬車溜まりはよく知っている。しかし、今日使うのは乗合馬車ではなく辻馬車だ。エルヴァは慣れた仕草で御者に合図をすると、行く先を告げて駄賃を前払いした。簡素な馬車に乗り込むと御者の掛け声と共に動き出す。カラコロと車輪の音が響き、石畳の振動が直に体に伝わって、ハイレーナは手すりに捕まった。
あれからエルヴァはハロルドとマーサに手紙を書き、衛兵詰所でバルゴに会い、マレシュへの返事を持たせた。
手紙を読んだハロルドは顰めっ面をしていたけれど、
「エルヴァ司書とは、あの時の女性だね?」
と、図書館に迎えに来た時のことを思い出したようだった。
「お父様、お願い。危ないことはしません。背が伸びて、洋服は新調しなければと言っていたし。お願い」
両手を祈るように握って訴えると、条件付きで許してくれた。『城門まではダグが付き添うこと』『エルヴァの側を絶対に離れないこと』
馬車は街の中を抜けて行く。
『女神の祭日』にふさわしく、至る所に女神像が置かれ、色とりどりの飾り付けがされている。あちこちに屋台が出て、人々が行き交う。
「今日は、何がしたいですか?」
「歩きたいです。あの人々の中を歩きたい。パン屋に行きたいです!」
「そうですね。菓子店もありますし、屋台も出ています。私のお気に入りは古本屋ですけれど」
笑みを含んだエルヴァの声に、窓に張り付いていたハイレーナは勢いよく振り返った。
「ああ、ぜひ!古本屋に行ってみたいです。それから屋台で買い物も!美味しいものも食べたいです」
古本屋、どんなだろう。窓の方へ向き直りながら、埃とカビの匂いのする店を想像した。
車が止まったのは、高級ブティック街の入り口だった。
エルヴァに続いてステップを降りる。大通りの両側に高級店が並んでいて、車寄せまで作られている。等間隔に植えられた木は赤く色づいていた。
それに比べて目の前の、深い緑に金文字で『ラディック』と入った店の間口は小さい。店の前に近づくと、ガラス扉がカランと音をたてて開き、マレシュが現れた。愛想の良い笑顔で、白い手袋を胸に当てて一礼した。
「我がブティックにようこそ。レディ。いらしていただけて、光栄です。どうぞ中へ」
間口は狭かったのに、奥には空間が広がっていた。サロンのような部屋へ通される。ベトランタの緑が差し色に使われた室内を興味津々で眺めた。ソファーへ導かれて、エルヴァと共に腰掛ける。紅茶と菓子が運ばれてきた。向かいに腰を落ち着けたマレシュが、エルヴァに微笑みかけた。
「改めまして、マレシュ・ラディックと申します。王立図書館で何度かお目にかかっておりますね」
「はい。司書をしております、エルヴァ・ロッシと申します。本日はお供を仰せつかりました。若いお嬢様ですから」
「もちろんです。ロッシ様がいてくださって、安心いたしました。本日はどうぞ、ロッシ様もお楽しみくださいますよう」
エルヴァとマレシュを交互に見る。マレシュも、エルヴァも、ハイレーナには向けたことのない表情をしていた。喉の渇きを覚えて、テーブルのお茶に手を伸ばす。マレシュがポンポンと手を叩いた。
「おこがましいとは思いましたが、ハイレーナ様に合いそうなものを、何着か選んでみました」
ドレスを着たトルソーが運び込まれる。テーブルの上には生地見本とカタログが並んだ。
近づいてじっくり吟味する。マレシュはエメラルドグリーンの足首丈のドレスを指し示した。
「ベトランタの緑は、ハイレーナ様の瞳に映える、と思いまして」
胸下に切り替えのある、柔らかい生地でふんわり包んだ最近流行りのデザイン。
ハイレーナを衝立の後ろへ導き、女性店員に着替えを手伝わせる。
ウエストを締め付けないドレスはとても着心地が良かった。
衝立からおずおずと出ると、腕組みをして見ていたマレシュが近づいてくる。
「失礼」
後ろへ回ると、一つに束ねていた髪のリボンを解いた。控えていた女性に声をかけ指示をする。彼女は手早くハイレーナの髪を柔らかいシニョンにまとめた。
「どうぞ」
と鏡の前へ連れていかれる。そこに映ったのは普段より甘く、それでいて少し大人びた自分だった。右へ左へ体を捻り、後ろまで映してみる。
「普段使いにもできますし、今の季節でしたら、朝、晩などケープをお召しになるとよろしいかと」
とマレシュは、若草色のケープをハイレーナの肩に着せかける。するすると後ろへ引いて、ハイレーナを上から下まで眺め、満足げに頷いた。
「よくお似合いです」
ハイレーナはエルヴァに体を向けた。ソファーから見守っていたエルヴァはハイレーナと目を合わせると頷いた。ハイレーナはにっこり笑ってマレシュに向き直った。
「大変気に入りました。家へ届けてくださる?」
「お支払いはヴァロネス様付けで?」
「ええ」
「承知いたしました」
着替えを終えて、紅茶で喉を潤しているハイレーナにマレシュが笑いかける。
「さて、これから街をご案内したいと思いますが、お疲れではありませんか?」
ハイレーナはソファーから身を起こして、満面の笑みを浮かべた。
「まさか!楽しみにしておりましたの。それに、お腹が空きました」
とお腹を押さえてみせる。
マレシュはクックと笑ってから「では、こちらへ」とブティックの裏口へ二人を案内した。
「広場に向かうには、こちらが近道なのですよ」
とマレシュがエルヴァに言う。ハイレーナにはウインクをよこした。
裏通りをすいすい抜けるように歩く。裏窓から漏れる人々の声が反射して響く。料理の匂い、かすかな異臭が混じり合ってハイレーナの鼻腔を刺激する。息を止めて足を早めた。




