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第二章:奪われる「技」

リグナ・ヴァリの街の裏路地。紫の灯火が妖しく揺れる『沈黙の百合亭』の地下には、外の世界の喧騒も、清浄な聖刻アイテの光も届かない。



そこに広がるのは、湿った石壁と、むせ返るような香油の匂い、そして剥き出しの欲望を加工するための「教室」だった。

「……いいかい。ここでは奇跡(魔法)なんて期待するんじゃないよ」



サキの前に立つ女指導員は、蛇のような鋭い目で彼女を射抜いた。

サキは用意された薄い絹布を纏わされ、冷たい床に膝をついていた。審問所からこの場所に売られて数日。彼女に与えられたのは、一人の人間としての尊厳を捨て、客という名の獣を飼い慣らすための「技術」を学ぶ時間だった。



「この世界じゃ、魔法を扱えるのは選ばれた聖職者か、あるいは血筋の良い貴族だけだ。お前のような『欠片』に、そんな力はない。お前にあるのは、その指と、その肌と、客を悦ばせるために特化させた肉体だけだ。分かったかい?」

「……はい」



サキは声を押し殺して答えた。

現代日本で事務員をしていた彼女にとって、この教育は想像を絶する苦行だった。だが、拒絶すれば食事が抜かれ、暗い独房に閉じ込められる。生きるためには、この汚濁に塗れた技術を飲み込むしかなかった。





1.指先に宿る「目」




修行は苛烈を極めた。

解剖学に基づいた男性の急所の把握。指先の動き一つ、舌の這わせ方一つ、腰のくねらせ方一つに、ミリ単位の精度が要求される。



魔法という便利な力がないこの場所では、すべては肉体の接触による泥臭い「物理的な刺激」だけが真実だった。

「愛撫とは、客の魂を指先でなぞる作業だ。力を入れすぎれば不快感を与え、弱すぎれば退屈させる。……さあ、やってごらん」

練習台として用意されたのは、感情を失った老奴隷の身体だった。



サキは、嫌悪感で指先が震えるのを必死に堪え、教えられた通りに手を動かした。

(……占いをしていた時と同じだ。……相手の呼吸を読み、求めているものを探り当てる……)



彼女は現世で、客の悩みを聞きながら、その声のトーンや表情の僅かな変化から、相手が本当に言ってほしい言葉を導き出していた。その「観察眼」を、今は男の肌へと向ける。



その時だった。

サキの視界に、不思議な現象が起きた。



魔法などではない。それは彼女の直感が視覚化したような、奇妙な「ゆらめき」だった。

練習台の男が、サキの指先の刺激に反応して微かに息を呑む。



その瞬間、男の身体の周囲に、薄い、紫がかった「もや」のようなものが立ち昇るのが見えた。

それは、客の興奮が高まるにつれて、より鮮明に、より激しく揺らめきだす。

(……なに、これ。……陽炎?)



サキが男の足の付け根、神経が密集する一点を深く、長く圧迫すると、その靄は一気に膨れ上がり、サキの指先を包み込んだ。

「――っ、あ、あぁ……」



老奴隷が、数年ぶりに声を漏らしたかのような深い喘ぎを上げる。

指導員の目が細められた。



「……ほう。初めてにしては、勘がいいね。客の『潮時』を嗅ぎ分ける鼻を持っているようだ」

サキは自分の指を見つめた。



魔法など使っていない。ただの肉体の技術だ。

しかし、あの紫のゆらめき――男の「性的オーラ」とでも呼ぶべきものが、サキにははっきりと見える。



そして、そのゆらめきが彼女の肌に触れた瞬間、サキは奇妙な感覚に襲われた。

激しい労働と精神的ストレスでスカスカになっていた自分の内側が、その「オーラ」を吸い取ることで、わずかに潤い、満たされていくような感覚。



(……この人たちの興奮が……私の、糧になる……?)

それは、人として堕ちていくことへの恐怖と同時に、この地獄で生き残るための「武器」を見つけたという、暗い確信だった。




2.奪われる「聖なる技」




修行は続き、サキは次第にその「ゆらめき」を自在に操るようになっていった。

どの場所を、どのタイミングで、どの程度の時間刺激すれば、あの紫の靄が最も美しく、最も濃密に立ち昇るか。



サキはそれを、まるで占いのカードをめくるような正確さで把握していった。

だが、その技術が向上すればするほど、サキの心は虚無に染まっていく。



「占いで人を救いたかった私の力が……どうして、こんな卑俗なことに……」

彼女は夜、独りきりの檻の中で泣いた。



人を励まし、明日への希望を与えるために磨いた自分の感性が、今はただ、男の理性を溶かし、欲望を垂れ流させるためだけの道具になっている。



魔法という神秘さえないこの世界で、サキは自分の肉体そのものが、汚れた「装置」に成り下がっていくのを感じていた。





3.最終試験:指導員への奉仕




修行の締めくくりとして、サキには残酷な最終試験が課された。

それは、これまで彼女を痛めつけ、技術を叩き込んできた「女指導員」を、男としての技術をもって悦ばせることだった。



「私はこれまで数千の女を育て、数万の男としてきた。……小細工は通用しないよ。その指先だけで、私の身体に眠る『女』を呼び起こしてごらん」



指導員は椅子に深く腰掛け、サキに脚を開いて見せた。

サキは屈辱に唇を噛みながらも、その前に膝をついた。



魔法は使えない。

だが、今のサキには「見える」。

指導員の枯れ木のような身体の周囲に、隠しきれない長年の渇望と、サキへの試練という名の、冷たくも激しい「ゆらめき」が渦巻いているのを。



サキは、指導員の肌にそっと舌を這わせた。

舌から、自身の体温を相手の細胞へと染み込ませていく。



指導員の呼吸が、一瞬、止まった。

サキは、相手の「ゆらめき」の震動を感じ取り、それに自分の動きを完璧に同調させた。

ゆっくりと、粘り強く。



肉体の構造を知り尽くしたサキの指が、指導員の衣服の上から、最も脆い場所を正確に捉える。

「――っ!?」

指導員の口から、驚愕の混じった吐息が漏れた。

サキの技術は、もはや単なる「奉仕」の域を超えていた。



相手の「性的オーラ」の揺れを読み取り、それが最大化する瞬間を狙って、物理的な刺激を叩き込む。

指先、掌、そして自身の身体全体を使って、指導員の頑なな理性を、肉の檻の中から引きずり出していく。



「あ、ああ……! なんだい、これ……魔法じゃないのかい……!?」

「いいえ。……先生に教わった、技術です」



サキは冷徹に言い放った。

彼女の視界の中で、指導員から立ち昇る紫の靄が、部屋中を埋め尽くさんばかりに膨張していく。

そのオーラがサキの全身を包み込み、彼女の消耗した神経を強制的に活性化させていく。



サキは、そのオーラを食らっていた。

相手の快楽が深まれば深まるほど、サキの身体には力がみなぎり、より高度で執拗な愛撫を可能にさせる。



地獄の共喰い。

ついに、指導員は白目を剥き、激しい痙攣とともにその場に崩れ落ちた。

「あ、あああああああぁぁぁぁっ!!!」

絶叫に近い声。それは、技術を教えた師が、弟子によってそのプライドごと身体を粉砕された瞬間だった。





4.生存の報酬





静寂が戻った地下室。

床に這いつくばり、荒い息をつく指導員を見下ろしながら、サキは自分の指を無機質に拭った。



「……合格だ。……お前は、この沈黙の百合亭で、誰よりも長く生き残るだろうよ」

指導員は、恐怖の混じった畏敬の念を込めて、サキを見上げた。



サキは何も答えなかった。

彼女の身体には、指導員から吸い取った膨大な「ゆらめき」の残滓が満ち、不思議なほどの活力が宿っていた。



だが、その活力が強ければ強いほど、彼女の魂は自分が「怪物」に近づいているような錯覚に陥り、涙も出ないほどの虚しさに包まれた。

次は、本物の客。



彼らの欲望のオーラを喰らい、自分という「欠片」を繋ぎ止める。

その決意とともに、サキは静かに、アイテ・レガリアの長い夜へと沈んでいった。


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