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【ハズレスキル】鑑定しかない俺がダンジョン配信したら、隠し部屋も罠もボスの弱点も丸見えで世界最速クリアしてしまった件  作者: ぽんぽこライフ


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暗い炎——復讐の誘惑

 病院から戻って、シャワーを浴びて、ベッドに入った。だが目が冴えて眠れない。天井の闇を見つめている。時計の針が午前三時を指している。夜明けまであと三時間。


 スマホを手に取った。画面の明かりが暗い部屋を青白く照らす。ブラウザを開いた。指が勝手に動いて——鷹取誠一郎の名前を検索していた。


 クロノス・エンタープライズ代表取締役。笑顔のプロフィール写真。スーツ姿。完璧に整えられた髪。記者会見で握手する映像。政治家とのツーショット。慈善事業への寄付を発表するプレスリリース。


 この男が——三島を傷つけた。直接手を下してはいない。だが金を出し、傭兵を雇い、人通りのないダンジョン五層で二十二歳の若者を三人がかりで襲わせた。そして今夜も——あの完璧な笑顔のまま、高級マンションのベッドで眠っているのだろう。


 拳を握った。壁を殴った傷が痛んだ。だが痛みが——怒りを呼ぶ。


 直接乗り込む。クロノスの本社に。鷹取の目の前で——鑑定眼鏡をかけて、全てを暴く。配信しながら。百万人の前で。鷹取の組織の裏側を、鑑定スキルで読み取って、世界に晒す。


 それが——一番早い。一番確実だ。


 スマホの画面に映る鷹取の笑顔を、暗い部屋の中で凝視した。薄暗がりの中で、俺の目は——たぶん、まともではなかっただろう。三島の折れた腕。包帯の下の骨折。「先輩のせいじゃないっす」という、かすれた声。あの声が——頭の中で反響し続けている。


 営業マン時代に、一度だけ——暴力に頼りたくなったことがある。取引先の部長に理不尽な値下げを強いられ、部下が過労で倒れたとき。あのときは——上司に止められた。「殴ったら終わりだ。お前のキャリアも、チームも、全部終わる」。その通りだった。感情で動いたら——負ける。


 だが今は——部下ではない。仲間だ。三島は俺の仲間だ。そしてあの二十二歳の若者は、三ヶ月のブランクという名の傷を背負って、病院のベッドで泣いていた。


 夜明けの光が、カーテンの隙間から薄く差し込み始めた。



  ◇



 凛のマンションに着いたのは午前九時だった。


 インターホンを押す前に、ドアが開いた。凛が——俺の顔を見て、一瞬だけ息を呑んだ。


「柊さん。顔色が——」


「寝てない。いいから入れてくれ」


 リビングに通された。久我山が先に来ていた。テーブルの上にコーヒーが三つ用意されている。凛が連絡を入れたのだろう。


 ソファに座った。コーヒーを一口飲んだ。熱い液体が喉を焼く。その熱さが——少しだけ、頭を冷やした。


「鷹取のところに——直接行こうと思う」


 凛と久我山が——同時に俺を見た。


 凛が最初に口を開いた。


「それは——暴力的な意味ですか」


「配信しながら乗り込む。鑑定で——」


「却下です」


 凛の声が——鋭かった。いつもの淡々とした口調ではない。刃物のような声だった。


「暴力は——鷹取の土俵です。向こうが望んでいるのは、柊さんが感情的になって、違法行為に手を出すこと。不法侵入、威力業務妨害、何でもいい。柊さんに前科がつけば——全てが終わります。署名も、世論の支持も、配信の信用も。鷹取はそれを待っている」


 凛が——俺の手を見た。包帯を巻いていない、壁を殴った跡が残る拳を。


「その拳で殴りに行くつもりですか」


「殴るつもりは——」


「嘘です」


 凛の目が——まっすぐ俺を見ていた。怒りではない。恐怖でもない。心配だった。この二十代前半の分析官は——俺のことを、心配していた。


 凛が立ち上がった。キッチンに行って、救急箱を持ってきた。俺の前にしゃがみ込んで、腫れ上がった拳を両手で包んだ。


 温かかった。


 凛の手は細くて、小さくて——だが確かに温かかった。消毒液を含ませたガーゼで、裂けた皮膚を丁寧に拭いていく。痛みが走るたびに——凛の眉が、わずかに寄った。他人の痛みを、自分の痛みのように感じている。


「柊さん。お願いです。冷静になってください」


 凛が包帯を巻きながら、静かに言った。


 久我山が——コーヒーカップを置いた。


「一颯。十年前の話をしてもいいか」


 十年前。久我山が相棒を失った時期。俺は顔を上げた。


「俺の相棒——工藤は、ダンジョン内の事故で死んだことになっている。だが実際は——妨害だった。装備に細工をされた。革の内側に酸性の薬品を仕込まれて、戦闘中に鎧が溶けた。モンスターの爪が直接体に入った」


 久我山の声に感情はなかった。十年前の事実を、ただ述べている。


「俺は——犯人を見つけた。装備に細工した人間を突き止めた。そいつの自宅まで行った。ドアの前に立って——」


 久我山が——首元のペンダントを握った。


「殴りに行こうとした。殺すつもりだったかもしれない。だがドアの前で——止まった。工藤の声が聞こえた気がしたんだ。『お前らしくないぞ、久我山』って」


 久我山が俺を見た。


「俺は殴らなかった。代わりに——証拠を集めた。三ヶ月かけて。そして探索者裁判所に告発した。犯人は免許剥奪と実刑になった。正規のルートで——勝った。だが三ヶ月の間、毎日殴りに行きたかった。毎晩、工藤の血まみれの顔を夢に見た」


 テーブルの上のコーヒーが冷めていた。湯気が消えている。


「暴力は——楽だ。早い。わかりやすい。だが一度手を出したら——二度と正道には戻れない。お前は今、正道の上に立っている。百万の視聴者と十万の署名がそれを証明している。その位置を——自分から捨てるな」


 俺は——黙った。


 凛の手が、包帯を巻き終えた俺の拳の上に、そっと置かれた。



  ◇



 午後になって、スマホで過去の配信アーカイブのコメント欄を開いた。配信部屋のモニターには映さず、スマホの小さな画面で——一人で読んだ。


 三島の襲撃のニュースは、まだ公にはなっていない。だが視聴者たちは——何かを感じ取っていた。昨夜から配信が止まっていることに、不安を覚えている。


 【一颯さん大丈夫ですか? いつもの時間に配信がなくて心配しています】


 【マコト:柊。無事なら何でもいい。焦るな。お前が動くべきタイミングは——お前自身が決めろ。ただし、感情的な行動だけはNG だ。それは敵の思う壺になる】


 【ドクター:心身の健康が最優先だ。必要なら休め。我々はいつでもここにいる】


 【シロ:署名は12万筆を超えました。柊さんが配信していない間も、コミュニティは動き続けています。安心してください】


 画面をスクロールした。知らない名前のコメントが続く。


 【何があったかわからないけど、応援してます】


 【署名しました。職場の同僚にも広めてます】


 【探索者の妻です。夫がいつも配信を見ています。一颯さんのおかげで、夫がダンジョンの危険について家族に話してくれるようになりました。ありがとうございます】


 画面が——滲んだ。目が熱い。


 馬鹿だ、俺は。鷹取に殴り込みに行こうとしていた。感情に溺れて、一番やってはいけないことをしようとしていた。凛が止めてくれなかったら——久我山が語ってくれなかったら——俺は全てを台無しにしていた。この人たちの信頼を、鷹取への怒り一つで破壊するところだった。


 営業マン時代の上司の言葉を思い出した。「信頼を築くのには三年かかる。壊すのは三秒だ」。配信で積み上げてきたもの。視聴者との絆。仲間との信頼。それは——拳一つで、消える。


 スマホを握りしめた。画面に映る百を超えるコメント。一つ一つが——俺を支えている声だ。この声を裏切るわけにはいかない。


 深呼吸した。三島の病室を思い出した。「先輩。俺、また一緒に潜れますかね」。あの問いに——俺は「全部片付ける」と答えた。片付け方が問題なのだ。暴力ではなく。正道で。


 凛のマンションに戻った。凛と久我山がまだ残っていた。待っていてくれたのだろう。


「凛さん。法的に——鷹取を追い詰める方法はあるか」


 凛の目が——光った。データ分析官の眼。感情ではなく、論理で戦う人間の眼。


「あります。三島さんの襲撃の件——管理局の緊急通報記録、ダンジョン内の環境センサーログ、五層の入退場記録。全てデジタルデータとして残っています。傭兵がどれだけ現場を掃除しても、システム上の記録は消せない。そして——桐生さんの取材力と、朝霧さんの内部情報。これらを組み合わせれば」


「証拠が揃う」


「はい。時間はかかります。でも——正しい方法で戦えます」


 久我山が頷いた。凛が頷いた。俺は——深く息を吐いた。


「わかった。正道で行く」


 その言葉を口にした瞬間——胸の奥の暗い炎が、少しだけ形を変えた。消えてはいない。だが——制御できる火になった。



  ◇



 夕方、自宅に戻った。


 窓の外が茜色に染まっている。一日が終わろうとしている。長い一日だった。眠れなかった夜から始まって、凛の説得、久我山の告白、視聴者のコメント——全てが、俺を正しい場所に引き戻してくれた。


 ソファに座って、テーブルの上の鑑定眼鏡を見つめていた。レンズは光っていない。静かな眼鏡だ。だが——あの眼鏡の向こうに、ダンジョンがある。30層の問いの書庫が。第二階梯の入口が。十年前の読み手の足跡が。


 鷹取と戦う。正道で。だがその前に——やるべきことがある。ダンジョンが俺を呼んでいる。第二階梯への道は開かれている。あの先に何があるのか、まだわからない。だが——答えはあの深部にある気がしていた。


 スマホが鳴った。


 着信画面を見て——息が止まった。


 表示されている名前。神代蒼真。


 蒼真からの着信は——初めてだった。あの男は基本的に、自分から連絡を取らない。ダンジョンで偶然会うか、向こうが姿を現すか。それだけだ。蒼真が自分から電話をかけてくる——その事実だけで、異常事態だとわかった。


 通話ボタンを押した。


「蒼真?」


 数秒の沈黙。受話器の向こうで——蒼真の呼吸が聞こえた。浅い。早い。いつもの余裕がない。Aランク探索者の、氷のような冷静さが——崩れている。


「柊——」


 蒼真の声が低かった。いつもの皮肉な響きがない。そして——不自然に早口だった。言葉を急いでいる。時間がないように。


「——会えるか。伝えたいことがある」


「何があった」


「電話では言えない。明日——いや、今夜。できるだけ早く。場所は——」


 蒼真が——言い淀んだ。Aランクの男が、言葉を選んでいる。


「サードダンジョンの入口。深夜一時。一人で来い」


 通話が切れた。


 スマホを耳から離した。画面が暗くなる。通話時間——十八秒。


 蒼真の声に——恐怖はなかった。だが焦りがあった。あのAランクの男を焦らせるもの。クロノスのエースである蒼真を——追い詰めるもの。


 窓の外の茜色が、紫に変わり始めていた。夜が来る。


 凛に連絡した。蒼真から連絡があったことだけを伝えた。凛は数秒沈黙した後、「気をつけてください」とだけ言った。


 鑑定眼鏡をポケットに入れた。レンズに指が触れた瞬間——微かな振動を感じた。ダンジョンが、また何かを伝えようとしている。


 深夜一時。あと六時間。蒼真が伝えたいこととは——何だ。クロノスのエースが、クロノスの代表である鷹取を裏切るのか。それとも——もっと深い何かがあるのか。


 暗くなっていく窓の外を、俺は立ったまま見つめていた。

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