更新開始——崩壊と救出
24層の安全区画で仮眠を取っていた俺は——地鳴りで目が覚めた。
低く重い振動。腹の底に響くような、地球そのものが唸る音。天井の照明が明滅した。壁に亀裂が入る音がどこかで聞こえた。金属が軋むような高音。石が砕ける低音。二つの音が交互に重なって、不協和音を作っている。
鑑定眼鏡を掴んだ。レンズが真っ赤に光っていた。
┌──────────────────────────────────┐
│ <緊急警報> │
│ 大規模構造更新:開始 │
│ 予定時刻より12時間前倒し │
│ 更新進行率:2.3% │
│ 影響範囲:25-35層(全構造再配置進行中) │
│ 現在の安全圏:24層以上 │
│ 25層以深の残留生体反応:8名 │
│ 27層:3名(パーティB残留メンバー) │
│ 28層:2名(所属不明) │
│ 30層以深:3名(所属不明) │
│ 残留者の生存予測:更新進行率30%到達時に │
│ 構造崩壊による致死リスク>90% │
│ 更新進行率30%到達予測:約4時間後 │
└──────────────────────────────────┘
8名がまだ中にいる。
「先輩!」
三島が飛び起きた。剣をすでに握っている。この男の反応速度は——戦闘者としての本能だ。
「更新が始まった。12時間前倒しだ。8名がまだ25層以深にいる」
「行くっすよね」
確認ではなかった。断定だった。三島の目を見れば分かる。行くか行かないかではなく——行くという前提で聞いている。
「行く」
通信を繋いだ。凛の声がすぐに聞こえた。寝ていなかったのだろう。
「柊さん。更新が始まりました。アイリスが25層以深の構造変化をリアルタイムで追跡しています。状況は——厳しいです」
「凛。俺たちが今から入って、安全に移動できるルートはあるか」
数秒の沈黙。キーボードの音。そしてモニターに映るワイヤーフレームの3Dマップが——凛のスクリーンで高速で再計算されている映像が、アイリス経由で俺の配信画面にも表示された。
「あります。ただし——構造が変化し続けているので、ルートはリアルタイムで更新する必要があります。私がナビゲーションを出します。その指示通りに動いてください。一秒の遅れが——命取りになります」
「了解」
配信を起動した。深夜二時。だが同接は——すでに40万人を超えていた。構造更新のニュースは全国に広がっていた。
【始まった——】
【12時間前倒しって聞いてたのに!】
【まだ8人中にいるんだぞ……】
【一颯さん——まさか入るのか?】
【マコト:彼は入る。それが柊一颯だ】
「皆さん。構造更新が始まりました。予定より12時間早い。25層以深にまだ8名が取り残されています。俺と三島は——今から救出に向かいます」
宣言。これは営業トークではない。配信者のパフォーマンスでもない。
ただの事実だ。
◇
25層に踏み込んだ瞬間、空気が変わった。
壁が振動している。足元の石が微かに動いている。天井から粉塵が舞い続けている。照明の結晶が不規則に明滅し、影が踊っている。温度が不安定だ。歩くたびに足裏の温度が変わる。冷たい区画と熱い区画が交互に現れる。ダンジョンの構造が——書き換えられている最中の、不安定な感覚。
「凛。ナビを」
「了解。最初の目標——27層のパーティB残留メンバー3名。最短ルートを算出中——出ました。現在地から左に150メートル、階段を降りて26層を経由。26層の構造は——まだ安定しています。急いでください」
走った。三島が先頭で瓦礫を蹴散らしながら。通路の壁に新しいひびが走る。天井から石の塊が落ちてきた。三島が剣の腹で弾いた。破片が散る。
「先輩、前方!」
通路の一部が崩落していた。天井と壁の接合部が割れて、岩塊が通路を半分塞いでいる。
「凛! 通路が——」
「見えています。迂回路を計算——右の壁、三メートル先に構造の薄い部分があります。更新で新しい通路が生成されかけている。厚さ12センチ。三島さんなら——」
「壊せるっすね」
三島が駆けた。壁に向かって——久我山の剣が閃いた。一撃。壁が砕けた。向こう側に——新しい空間が広がっていた。更新で生成されたばかりの通路。壁がまだ湿っている。石の表面に水滴が浮いている。生まれたての通路。ダンジョンが今この瞬間に作り出した空間を、俺たちは走っている。
26層を通過した。天井が揺れている。照明結晶の一つが落下して、床で砕けた。青白い光が散った。
27層。
パーティBの残留メンバー——クロノスの先遣隊の三名。彼らは27層の広間で、背中合わせに立っていた。壁が崩壊する中で、瓦礫に囲まれて動けなくなっていた。
「柊一颯——!」
リーダーだ。あの厳つい顔の男。大剣を両手で構えて、崩れてくる天井を何度も切り落としていた。他の二名は——若い男が肩を負傷している。中年の女性が彼を支えている。
「撤退ルートを確保した。ついて来い」
「……ああ。お前に借りを作るのは——気に食わないが」
「後で請求書送るから安心しろ」
営業マンジョーク。場違いだが——リーダーが一瞬、笑った。極限状態のユーモアは——意外と人を救う。
三島が負傷者を背負った。二十二歳の体力で、Aランク探索者を背負って走れる。この男の体幹は——化け物だ。
凛のナビゲーションが冴え渡った。崩壊する通路を避け、新生成の通路を利用し、安定した区画を繋ぐルートをリアルタイムで算出し続ける。アイリスの3Dマップが俺の視界に重なって、青い矢印が進むべき方向を示している。
26層に戻った。パーティBの三名を安全な区画に導いた。
「残り——5名」
凛の声が固い。
「28層に2名。30層以深に3名。28層の2名は——移動を始めています。上に向かっている。合流できるかもしれません」
「30層の3名は」
「——反応が弱い。構造更新で30層のノード周辺が大きく変化しています。ルートが——」
凛が言い淀んだ。それだけで分かる。30層への道は——もう存在しない可能性がある。
26層の通路を走りながら——鑑定眼鏡に新しい情報が浮かんだ。
┌──────────────────────────────────┐
│ <更新進行率:8.7%> │
│ 27層:構造再配置70%完了 │
│ 28層:構造再配置開始 │
│ 25層:構造再配置30%完了 │
│ 残留生体反応の更新: │
│ 28層:2名(上方移動中) │
│ 30層:3名(位置変動なし) │
│ 30%到達予測:2時間47分後 │
└──────────────────────────────────┘
「急ぐぞ。三島くん」
25層に向かう途中——28層から駆け上がってくる二人の影が見えた。
独立探索者だった。男女のペア。二十代後半の二人組。女性が足を引きずっている。男性が彼女の腕を自分の肩に回して、必死に走っていた。
「大丈夫か!」
「あ——あんた、配信の——!」
男性が息を切らしながら叫んだ。汗と埃と血にまみれている。
「28層で壁が崩れて——彼女が足を——」
「三島くん」
「任せてくれっす」
三島がもう一人背負えるわけがない。だが——クロノスのリーダーが進み出た。
「俺が運ぶ」
さっきまで渋っていた男が——俺に助けられた恩を、別の誰かに返そうとしている。
女性を背負ったクロノスのリーダーと共に、25層を目指す。壁のひびが増えている。天井から小さな石が絶え間なく降り注いでいる。通路の形状が——変わり始めていた。さっき通った時と、壁の角度が違う。床の高さが微妙にずれている。ダンジョンが——書き換わっている。
「凛、25層のルートがずれてる」
「把握しています。再計算——左に20メートル、新しいルートが開いています。急いでください。24層ゲートの構造はまだ安定していますが——予測不能の変動が起きています」
走った。全員で走った。クロノスの三名。独立探索者の二名。俺と三島。計七名の集団が——崩壊するダンジョンの中を、凛の声を頼りに走り抜ける。
24層のゲートが見えた。その手前で——三島が足を止めた。
「先輩。30層の三名——」
「ああ」
俺も止まった。30層にまだ三名いる。蒼真たちかもしれない。戻れば——俺たちも巻き込まれる。だが——
その時。25層の通路の奥から——足音が聞こえた。
重い足音。二つ。そしてもう一つ——軽い足音が一つ。
崩壊する壁の向こうから——影が現れた。
銀色の髪。二本の剣。その男は——瓦礫を蹴散らしながら、30層の方向から走ってきた。両脇に——二人の探索者を抱えるようにして。
神代蒼真。
「……遅いぞ、柊」
蒼真が——笑った。血まみれだった。だが——立っている。三人とも、生きている。




