全員生還——英雄の条件
蒼真は立っていた。だが——立っているのが不思議なほど、ボロボロだった。
銀色の髪が埃と血で赤黒く染まっている。革のジャケットは肩から裂けて、下の鎧が露出している。二本の剣——双剣の片方は刃が半分欠けていた。それでも握りしめている。もう片方の剣で、意識を失った探索者を肩に引っ掛けるようにして支えている。二人目の探索者は蒼真の背中にしがみついていた。辛うじて意識がある。
「蒼真——30層から、一人で」
「一人じゃない。こいつらがいた。クロノスの別動隊だ。30層でノードの調査をしていた。更新が始まって——通路が崩れた。まあ、多少は苦労したが」
多少。その「多少」が——全身の傷に刻まれている。
三島が駆け寄って、意識を失った探索者を蒼真の肩から降ろした。脈を確認する。生きている。
「蒼真さん、もう一人は——」
「置いてきた、と思うか?」
蒼真が——顎で背後を示した。そこに三人目がいた。壁に寄りかかるようにして座り込んでいる。若い女性の探索者。片腕が不自然な角度に曲がっている。骨折だ。だが目は開いている。
「三人とも——生きてる」
俺の声が震えた。安堵ではない。蒼真という男の異常さに対する、純粋な驚愕だ。
コメント欄が爆発した。
【蒼真さあああああん!!】
【生きてた!!!全員生きてる!!】
【同接90万突破してる!】
【マコト:神代蒼真。Aランクの名に恥じない男だ】
【ドクター:三名とも外傷はあるが、即座に命に関わるレベルではなさそうだ。ただし早急な治療が必要だ】
【泣いてる。俺ガチ泣きしてる】
だが——喜んでいる場合ではなかった。
足元が揺れた。25層全体が——震えている。天井から落ちてくる石片のサイズが大きくなっている。拳大から、頭大に。壁のひびが音を立てて広がっている。ダンジョンが——本格的に構造を書き換え始めていた。
「凛! 24層ゲートまでの状況は!」
「ゲートは健在です。ですが——ゲートまでの通路の崩壊が加速しています。残り通過可能時間——推定六分!」
六分。今いる全員は——俺、三島、蒼真、クロノスのリーダーであるガルシア、クロノスの残留メンバー三名、独立探索者のペア、蒼真が連れてきた三名。合計十二名。うち負傷者が四名。六分で——全員を24層に出さなければならない。
営業マン時代の最悪のトラブルを思い出した。納品直前にシステム障害。クライアントのプレゼンまであと十分。あの時は——全員で走った。走って、走って、間に合わせた。今も同じだ。走るしかない。
◇
「全員走れ! 歩ける者は負傷者を支えろ! 三島、先頭で瓦礫を排除! 蒼真——」
蒼真を見た。全身に傷を負ったAランクの男は——笑った。
「俺に指示するのか、D-rank」
「お前しかできないことがある。殿だ。崩落を食い止めろ」
「……まあいい。借りにしておく」
蒼真が後方に回った。二本の剣を——いや、一本は半壊している。使えるのは実質一本。それでも——蒼真は構えた。
走った。
凛の声がナビゲーションを出し続ける。「まっすぐ二十メートル——左に曲がって——天井注意!」
三島が先頭で瓦礫を砕く。久我山の剣が火花を散らしながら、道を切り開いていく。俺は鑑定眼鏡で前方の崩壊ポイントを読み、三島に指示を出す。
「三島くん、右壁の上部——三秒後に崩落!」
「了解っす!」
三島が剣を振り上げて、崩落する前に壁の不安定な部分を叩き落とした。制御された崩壊。落ちる前に落とす。
背後で——轟音。蒼真が天井の崩落を剣で受け止めた音だ。金属が悲鳴を上げている。剣の刃が岩にめり込む音。人間が支えるべき重量ではない。数トンの岩石を——一本の剣で、受けている。
「蒼真!」
「心配するな——これくらい、十五秒は持つ」
十五秒。その十五秒が——全員を生かす。
ガルシアが負傷した女性探索者を背負って走っている。独立探索者の男が、もう一人の負傷者の腕を引いて走っている。全員が——全力で。
通路が狭まった。天井が下がってきている。数センチずつ——だが確実に。頭を低くして走る。背中を岩が擦る。
「凛! あと何メートル!」
「八十メートル——ですが前方に崩落区画! 迂回を——いえ、間に合わない。三島さん、正面の瓦礫を突破してください!」
三島が跳んだ。空中で剣を振り下ろした。瓦礫の山に——一刀が叩き込まれた。岩が割れた。砕けた。道が開いた。三島の腕が震えている。限界に近い。だが——止まらない。
24層のゲートが見えた。青白い光。安全圏の印だ。
「全員通れ! 早く!」
一人、二人、三人——負傷者を先に通す。ガルシアが女性を背負ったままゲートを越えた。独立探索者のペアが通過した。クロノスのメンバーが続いた。
俺と三島がゲートの前で立ち止まった。蒼真が——まだ後方にいる。
「蒼真! 来い!」
蒼真は——天井を支えていた。通路の天井が完全に崩壊しかけている。蒼真が剣で支えなければ——通路そのものが潰れる。俺たちの退路が塞がれる。
「先に行け、柊」
「馬鹿言うな!」
「行けと言っている。俺は——」
蒼真の剣が——軋んだ。金属の悲鳴。刃に亀裂が入っている。限界が近い。
三島が動いた。
蒼真の隣に飛び込んだ。自分の剣を天井に当てて——二人で支えた。
「先輩! 今っす!」
「三島——」
「蒼真さんを引っ張って! 俺が支えてる間に!」
二十二歳の若者が——Aランクと並んで、崩壊する天井を支えている。父親の剣で。十年前に47層に到達した三島鋼一郎の剣が——息子の手の中で、天井を支えていた。
俺は蒼真の腕を掴んだ。引っ張った。蒼真が剣を抜いた瞬間——天井の重みが全て三島の剣にかかった。
「三島くん!」
「大丈夫っす——あと五秒——」
三島が歯を食いしばった。腕の筋肉が盛り上がっている。剣の柄が軋む。床に罅が入った。
俺は蒼真をゲートの向こうに押し込んだ。そして振り返って——三島に手を伸ばした。
「跳べ!」
三島が剣を引き抜いて——跳んだ。
天井が崩壊した。
数トンの岩石が通路を埋め尽くした。轟音。粉塵。視界がゼロになった。
◇
粉塵が晴れた時——全員が、24層のゲートの内側にいた。
三島が——俺の足元に転がっていた。ゲートの縁に指がかかっている。あと十センチ遅ければ——岩の下だった。
「三島くん——」
「……生きてるっす」
三島が笑った。埃まみれの顔で。
ゲートの向こう——25層は、完全に崩壊していた。通路は瓦礫で埋まり、天井は存在しない。代わりに——新しい構造が形成され始めていた。半透明の結晶質の壁。発光する天井。まったく別の空間が、旧い構造の上に生まれつつある。
全員が——生きている。十二名全員。
蒼真が壁に背をもたれて座り込んでいた。二本の剣を膝の上に置いて——目を閉じている。
「蒼真。大丈夫か」
「……死にはしない。だが——剣は駄目だな。二本とも限界だ」
Aランクの双剣が——折れかけている。蒼真がどれほどの戦闘を30層で繰り広げたか。言葉にしなくても、剣が語っていた。
コメント欄が——涙で溢れていた。配信の同接が100万人を超えていた。
【全員生還!!!!】
【泣いた。号泣してる】
【蒼真さんと三島くんと一颯さん——最高のチームだ】
【マコト:12名全員の生還を確認。これは奇跡ではない。柊一颯の鑑定と白峰凛のアイリスと三島大輝の剣と神代蒼真の力が作り出した結果だ】
【ドクター:全員のバイタルを確認したい。負傷者は速やかに地上へ】
【同接100万! 日本の配信史上最高記録更新!】
【一颯さん——ありがとう。ただ、ありがとう】
◇
地上に出たのは、朝の七時だった。
ダンジョンの入口に——人だかりができていた。
報道陣。カメラのフラッシュが連続して瞬く。マイクが突き出される。テレビ局のロゴが入った中継車が三台。管理局の制服を着た職員が慌ただしく走り回っている。避難した探索者たちが——俺たちを待っていた。
外の空気が——温かかった。ダンジョンの冷たい空気に慣れた体に、三月の朝の風が染みる。太陽の光が眩しい。何時間ぶりだろう。
「柊さん! 柊さん!」
桐生恭子が走ってきた。記者の顔だが——目が赤い。泣いていたのだろう。
「全員——無事です」
それだけ言った。桐生が頷いた。メモ帳を取り出す手が震えている。
その後ろに——管理局の影山が立っていた。
記者会見用のスーツを着ている。ネクタイを締め直しながら——報道陣の前に出ようとしている。管理局の広報担当が原稿を渡している。「管理局の迅速な対応により——」という文字が見えた。
「管理局局長、一言お願いします!」
影山がマイクの前に立った。表情を作っている。政治家の顔だ。
「管理局は、構造更新の兆候を早期に検知し、速やかに避難勧告を発令しました。探索者の安全を最優先に——」
「影山局長」
桐生の声が、鋭く割り込んだ。
「管理局の避難勧告は、柊一颯さんの配信による避難呼びかけの12時間後ですよね? その12時間の間、局長は何をされていたのですか?」
影山の顔が——一瞬、凍った。カメラが一斉にそちらを向いた。フラッシュが焚かれた。
「それは——情報の精査に必要な時間であり——」
「精査の結果、構造更新は予定より12時間前倒しで開始されました。もし管理局が柊さんの警告を即座に受け入れていれば——取り残された8名が危険にさらされることはなかったのではないですか?」
影山が口を開いた。閉じた。もう一度開いた。言葉が出ない。
100万人が——見ていた。
俺はその光景を見ながら——肩に手を置かれた。
久我山だった。
武器屋の親父は、いつもの作業着ではなく——古い革ジャンを着ていた。十年前のものだろう。サイズが少しきつそうだ。
「久我山さん——」
「一颯。お前——あいつと同じだよ」
久我山の声が——低い。
「十年前に、同じことをした奴がいた。ダンジョンの異変を察知して——管理局が動かないから、自分で中に入って——全員、連れ出した」
十年前。深層調査隊。五人目の——消されたメンバー。
「あいつも——鑑定持ちだった」
久我山の目が——潤んでいた。あの頑固な武器屋の親父が。
「その人は——今、どこに」
「分からない。あの後——消えた。管理局に連れて行かれて、それきりだ」
久我山が俺の肩を強く握った。
「だから——気をつけろ。お前は目立ちすぎた。管理局の——影山は、自分の失態を隠すためなら何でもする男だ」
太陽が昇っていた。三月の朝日が、ダンジョンの入口を照らしている。報道陣のカメラが俺を追っている。100万人の配信視聴者が——俺を見ている。
蒼真が担架に乗せられながら——俺を見た。
「柊。お前のおかげで——助かった」
「お互い様だ」
「……いや。俺は認める。お前の鑑定は——本物だ」
Aランクの男が——D-rankの俺を認めた。その言葉の重みが——カメラの前で、100万人の前で、記録された。
三島が隣に立っていた。父の剣を鞘に収めて——静かに泣いていた。
「先輩。親父は——十年前に、同じことをしたんすね」
「ああ」
「だったら——俺も、同じことができてよかった」
三島大輝。二十二歳。Cランクの剣士。父の背中を——超えた日。
鑑定眼鏡のレンズが——静かに光っていた。ダンジョンの構造更新は続いている。25層以深は完全に書き換えられつつある。新しいダンジョンが——生まれようとしている。
だが今は——それを見つめている余裕はなかった。久我山の言葉が、頭の中で反響している。
十年前の鑑定持ち。消されたメンバー。管理局に連れて行かれて——消えた。
影山の目が——報道陣の向こうから、俺を見ていた。




