全世界同時配信
カウンターが回っていた。
画面の右上。白い数字が猛烈な速度で跳ね上がっていく。100万。200万。300万。同時接続者数のカウンターが、秒針よりも速く数字を刻んでいる。
「全世界同時配信、開始しました」
凛の声がイヤピースを通じて聞こえた。冷静な声。だがその声の奥に、微かな高揚がある。俺にはわかる。半年間、隣で聞いてきた声だ。
「37言語同時字幕、全プラットフォーム配信確認。北米、欧州、アジア太平洋——全リージョン接続完了。30秒経過で同接500万人突破。過去のあらゆるライブ配信記録を更新中です」
俺はカメラの前に立っていた。配信部屋ではない。サードダンジョンのゲート前。巨大な光の渦を背景に、複数のカメラが俺を捉えている。凛が構築したシステムが映像を世界中に配信していた。
コメント欄が虹色の川になっている。日本語、英語、中国語、アラビア語、スペイン語——読めない文字が次々と流れていく。翻訳が追いつかないほどの速度で。
【マコト:ついに来た。全世界が見てる】
【ドクター:心拍数は正常範囲。いけるぞ】
【シロ:同接800万。なお加速中】
各国語のコメントの間に、見慣れたハンドルネームが混じっている。古参リスナーたちだ。世界の片隅で、いつもの場所から見守っている。
「俺の名前は柊一颯。32歳。元営業マン。スキルは鑑定——ハズレスキルと呼ばれているやつだ」
カメラに向かって話した。37言語に翻訳されて、数百万の画面に表示されている。リストラされた中年男の自己紹介が世界中に配信されている。冗談みたいだ。営業時代、何百回とやった自己紹介。「はじめまして、柊一颯です」。名刺を差し出しながらの決まり文句。今は名刺の代わりに、鑑定眼鏡のレンズを世界に向けている。
「今から、サードダンジョンの最深層に潜る。大崩壊を止めるために」
コメント欄が爆発した。文字の洪水。あらゆる言語の激励と疑問と祈りが入り混じって画面を埋め尽くした。
「詳しい説明は——たぶん、見てればわかる」
営業プレゼンなら、ここでスライドを出すところだ。だが今日のプレゼン資料は言葉じゃない。行動だ。これから俺がやることの全てが、説明になる。
振り返った。ゲートの光が俺の影を長く伸ばしている。紫色の渦が巨大な瞳のように開いて、俺を見つめていた。その前に——仲間たちが集結していた。
◇
蒼真が最前列にいた。
クロノス精鋭部隊——先鋒として選ばれた十二人の探索者が、蒼真の背後に整列している。全員がAランク以上。双剣を腰に帯びた蒼真が、ゲートの光を背に俺の方を見た。
「遅いぞ、柊」
「自己紹介が長引いた」
「全世界に向けて営業トークか。相変わらずだな」
蒼真が右拳を突き出した。ぶっきらぼうに。飾り気のない、いつものやり方で。
俺もこぶしを突き出した。
拳と拳がぶつかった。硬い。蒼真の拳は鉄みたいだった。衝撃が手首を通じて腕全体に伝わる。半年前、初めてダンジョンで組んだ時は握手だった。今は拳だ。対等な戦友の挨拶。
「40層まで道を開ける。お前はその先だ」
「ああ」
「——必ず戻ってこい」
蒼真の目が一瞬だけ、揺れた。強がりの仮面が外れた瞬間。でもすぐに戻った。Aランクの戦士の顔に。
その横に三島がいた。防護チョッキのバックルを昨夜磨いた通り、一点の曇りもなく光らせて。目が合うと、三島は小さく頷いた。言葉はなかった。昨夜、カーゴで交わした会話で十分だった。チームメイトとしての覚悟は、磨き上げたバックルの輝きが証明している。
久我山は左腕をまだ庇っていたが、革の柄を握る右手に迷いはなかった。「戻ったら飲みに行くぞ」と目だけで言っている気がした。桐生恭子が通信ヘッドセットを調整しながら、こちらにウインクを飛ばした。朝霧千歳が管理局の腕章を着けたまま、凛のシステムに端末を接続していた。
全員が——ここにいる。半年前、俺一人で始めたダンジョン配信が、これだけの人間を巻き込んだ。いや、巻き込んだのではない。一人一人が自分の意志で、ここに立っている。
「管理局特殊部隊、展開完了」
鷹取の声が無線に入った。作戦本部から指揮を執っている。画面の向こうで何十台ものモニターに囲まれた鷹取の横顔が映る。十年間の因縁を持つ男が、今は味方としてそこにいる。
「ゲート周辺防衛ラインは管理局が維持する。諸君は最深層に集中しろ」
「了解です、鷹取理事長」
千歳が敬礼した。管理局と冒険者ギルドが初めて完全に連携する作戦。十年来の確執を乗り越えた瞬間でもあった。
「千歳さん、管理局の通信網を配信システムに直結しました。ダンジョン内部でも配信は途切れません」
凛の声がイヤピースから響く。彼女は配信部屋にいる。俺の耳に直接届く声は、カメラのマイクには乗らない。二人だけの回線。
「ありがとう。凛」
「アイリスの防護装置も全員に配布済みです。50層までの環境データに対応。それ以降は——一颯さんの鑑定だけが頼りです」
「十分だ」
◇
同時刻。管理局記者会見場。
配信画面の隅に小さなワイプが表示された。凛が同時進行のイベントを多画面で配信している。
影山総司がマイクの前に立っていた。管理局局長。五十二歳。灰色のスーツ。いつもは完璧に撫でつけた白髪が、今日は少し乱れていた。
フラッシュが焚かれた。百を超えるカメラのシャッター音が、マシンガンの連射のように会見場に響く。テレビカメラの赤いランプが無数に光っている。
「本日、管理局として公式に——発表します」
影山の声が、初めて震えた。
俺は知っている。あの男の声が震えるところを見たのは初めてだった。鷹取との密室での会話でも、大崩壊の最中でも、影山は常に抑制された声で話していた。それが今——唇が微かに歪み、マイクを握る指の関節が白くなっている。
「十年前のダンジョン出現以降、管理局は複数の重大情報を意図的に非公開としてきました。ダンジョンコアの存在。深層構造の実態。そして——大崩壊の予測可能性」
フラッシュが殺到した。記者たちがざわめく。影山は一つ一つ、ゆっくりと言葉を選びながら続けた。
「これは隠蔽でした。社会不安を避けるためという名目で——国民の知る権利を、命に関わる情報へのアクセスを、組織的に遮断してきました」
影山が深く頭を下げた。白い頭頂部がカメラに晒される。沈黙が三秒続いた。
「管理局長官として、全責任は私にあります。謝罪します」
会見場は一瞬静まり返り、次の瞬間、怒号と質問が爆発した。だが影山は顔を上げ、もう一度マイクに向かった。
「同時に申し上げます。現在、大崩壊の終結に向けた作戦が進行中です。柊一颯という探索者が——鑑定スキルを用いてダンジョン最深層のコアとの直接対話に挑みます。管理局は全面的に支援します。世界中の皆様に——彼の配信を見届けていただきたい」
配信のコメント欄が波打った。会見の映像と俺のゲート前の映像が並んで流れている。同接カウンターが1200万を超えた。まだ加速している。
◇
ゲートの前に立った。
紫色の光の渦が顔を照らしている。風が吹き出している。ダンジョンの内部から流れ出す、冷たく湿った空気。地下鉄の構内を思わせる匂い——鉄と埃と、かすかな硫黄。
「全チーム、準備完了」
蒼真の声。背後で刃が鞘から抜かれる金属音が連鎖した。十二人のクロノス精鋭が一斉に武器を構える。
「管理局通信網、接続安定。全世界配信継続中」
千歳の声。
「アイリス全システム、グリーン。ナビゲーション起動します」
凛の声。イヤピースの中で、凛の呼吸が聞こえた。わずかに速い。
「行くぞ」
一歩を踏み出した。ゲートの光の中に足を踏み入れる。
その瞬間——視界が金色に染まった。
鑑定ウィンドウが自動的に展開した。通常の青白い枠ではない。金色の光が視界全体を覆い、俺の眼前にダンジョンの全構造が立体的に映し出された。
┌──────────────────────────────────┐
│ <Reader Level 4:最終階梯> │
│ │
│ 全データアクセス許可 │
│ │
│ ようこそ、最後の読み手。 │
│ │
│ ダンジョン全構造マップ:展開 │
│ 全50層 + 循環系統 + コア領域 │
│ モンスター配置:リアルタイム表示 │
│ 環境データ:全パラメータ開放 │
│ コアまでの最短ルート:算出完了 │
│ │
│ ⚠ 最終階梯の読み手は、歴史上あなたが二人目です │
└──────────────────────────────────┘
息を呑んだ。
膝が一瞬だけ震えた。情報量が膨大すぎる。脳の処理能力を超えるデータが視神経を通じて流れ込んでくる。だが鑑定がそれを整理した。レベル4の鑑定は、俺の脳が処理できる形にデータを自動変換する。
見える。全部、見える。50層全ての構造が、黄金色の立体図として視界に展開されている。通路、部屋、階段、落とし穴、隠し通路——全てがワイヤーフレームのように浮かび上がり、リアルタイムで動くモンスターの位置が赤い点として表示されている。
そしてその最深部——50層のさらに奥。循環系統と呼ばれる有機的な通路の先に。
巨大な光が脈打っていた。
コア。ダンジョンの心臓。黄金色の立体図の中心で、太陽のように輝く光の球体。その鼓動が——俺の心拍と同期している。
「一颯さん」
凛の声。震えている。アイリスのモニターにも同じ映像が共有されているのだろう。
「コアの位置が——見えます」
「ああ。見える」
俺は金色の視界の中で笑った。
ハズレスキルの鑑定が、世界で二人目の最終階梯に到達した。もう一人は——十年前に最深層で消えた藤堂真理。
配信は続いている。同接カウンターは1500万を超えていた。全世界が見ている。リストラされた元営業マンが、金色の眼で世界の秘密を覗いている。
ダンジョンの深淵が俺を見つめていた。俺も見つめ返した。
降りるぞ——全世界の前で。




