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04:華金の襲撃

 スナックに行った日から数日後。

 いわゆる花の金曜日の仕事帰り。


 会社から出た午後六時過ぎ。

 このまま家に帰るか、スナックに寄るかという二択の中。明らかにスナックに寄るに傾いているのだから諦めたらいいものを、なぜか自分の中だけで悩むふりをしていた。


「あ!」


 突然聞こえた声に思わず美来が視線を移すと、そこには衣織がいた。


「でた……」

「会えるかなーって思ってたんだ」


 〝でた〟なんて言葉を吐いた事を即行で反省する。 

 懐っこく、人畜無害な感じでそんな言葉を言われれば、誰だってマイナスな言葉を発した自分を責めたくなるに決まっている。


 普通にそういうだけなら可愛いな。で試合終了。

 しかし、衣織の腕には彼と同じくらいの年の女の子が絡みついていた。

 控えめな髪の色に上半身のラインを強調する服に、ふわりとしたスカート。


「……誰?」


 衣織の腕に絡みつく女は、明らかな敵意を向けながらそういう。


 彼女かもしれない相手に、そういう関係です。でも一度だけです。なんて言葉を言えるわけもなく。美来は衣織の言葉を待っていた。


「あー。俺の好きな人……? なんか違うけど、そんな感じ」


 この子の中の自分はそんな感じなんだ。と大した感情も浮かばずにそんな事を思っていた。

 そしてふと正気に戻る。


 イヤイヤ、嘘だろ。自分の腕に絡みついている女に、そんなデリカシーない言葉を言うの? 私だったら泣くんだけど。と思ったのは、どうやら女も同じだったらしい。


 女は衣織の腕から離れると、思い切り振りかぶって衣織の頬にビンタを食らわせた。

 自業自得過ぎて、慰める言葉一つ言う気になれなかった。


「まじ無理なんだけど」


 捨て台詞を吐きながら去っていく女の子は、最後にぎろりと美来を睨んで去っていく。


 流れ弾じゃん。せっかく同士だと思ったのに。と思う美来をよそに、去った女なんて見向きもせずに、衣織は自分の頬をさすった。


「いったー」


 単調な口調でそう言う衣織に、一瞬で〝女の敵〟というレッテルを貼り付ける。


「どう考えても衣織くんが悪いよ」

「正直に生きろって教わって生きてきたんだけど」

「難しいね。人間って」


 テキトーな事を言って去ろうとしたが、赤くなっている衣織の頬を見ているとなんだか可哀想になってくる。


 どこか落ち込んでいる様子の衣織を放っておいていいのか。

 ここは年上としてそれとなく諭してあげるべきでは。


 これが余計な感情だとわかっていたし、今日はスナックに行きたいんだから子どもに構っている暇はない。

 そう思って一歩踏み出そうとしたが、それより先に落ち込んだ様子の衣織が頬を撫でながら歩き出した。


 てっきり〝家に行きたい〟とか〝お腹空いた〟とか厚かましい事を言いだすのではと思っていたから、想定外。


 しょんぼりと歩くその姿はまるで捨てられた猫みたいで。


「ねえ」


 そう問いかけると、衣織は足を止めて振り返った。


「……冷やす? 痛いなら」


 精一杯。別にいいならいいけど。という感情を表に出してそういう。

 一体何やってんだ。どっちかはっきりしろよ自分。と、そんな事を思った。


 衣織の表情が段々と明るくなっていく。


「うん。冷やす。痛い」


 単語だけでそう言った後、衣織は綺麗な顔で笑って。


「ありがとう」


 と言った。

 金曜日に飲む酒はうまい。まさに命の水だ。しかしその笑顔を見て、悪くないじゃん。と思っている時点で一度しっかりと自分と向き合って話をしなければいけないと美来は思った。


 家につき、衣織が手を洗っているうちに冷凍庫の中を確認したが、ぱっと見た限り保冷剤は一つもなかった。冷凍庫の奥底を探れば一つくらいあったかもしれないが、それは早々に諦めて、袋に水と氷を突っ込んで衣織に渡した。


 衣織はソファに座って頬を冷やしながら、電気ケトルでお湯を沸かす美来をまじまじと見ていた。

 当然、美来はその視線を感じたが、ツッコむ事も面倒だったので知らないふりを決め込んで、コーヒーを飲む為のお湯が沸くのを待っていた。


 でも、夜ご飯もさっさとつくらないと面倒になるな。と考えていると、ふと以前熱を出した時に数枚使ったきりの冷却シートがあることを思い出した。


 戸棚を確認して未開封の冷却シートを見つけた。


「いいのあったよ」


 そう言いながらわざわざソファーに持って行った美来の顔をギリギリまで視線で追った衣織は、それから美来の手元に視線を移した。


「冷蔵庫で冷やしてほしい」


 わがままかよ。それならせめてキッチンから出る前に言えよ。無駄足じゃん。と思いながら、美来はしぶしぶ来た道を引き返して冷蔵庫に冷却シートを突っ込んだ。


 ちょうどそのタイミングで電気ケトルのお湯が沸いて、美来はインスタントコーヒーをマグカップに入れた。


「コーヒー飲む?」

「ううん、いらない。ありがとう」


 コーヒーは嫌いなのかな。ああ見えてやっぱりお子ちゃまだな。なんて事を思いながら、美来は一人分のコーヒーを入れてキッチンから出た。


 晩御飯どうしよう。もうめんどくさいな。でもお酒は飲みたいから何か作ろうかな。

 冷凍餃子とかあったっけ。でも本当はピリッと辛いウィンナーとかそういうのがいいんだけど。

 もう出前しかないか。

 なんて考えながらソファーには座らずに、コーヒー片手に衣織の隣の床に座った。


 そういえばこの子、いつまで家にいるんだろう。さすがに晩御飯まで食べさせてあげる義理はないよね。と考えながらも、一人で食事をとるのは寂しいもので。

 だけど、誰かに気を使いながら食事するのもな。という葛藤。


 とりあえずちょっと休憩、というありきたりな事を思って、コーヒーに口をつけた。


 いつもの味。いつもの熱さ。

 何も変わらない日々。

 こうやって、人は腐っていくんだろうか。

 どこにもなじめず、誰にも本当の意味で必要とされないまま。


 なんて、柄にもない哲学的な事を考えている。


「心は冷えたから、温めてほしいな」


 そんなことを考えていたから、すぐ隣から聞こえた声にすぐ反応できなかった。


「……調子に乗らない」


 諭すような口調で、迫る衣織の頬に手を当てて距離を詰めさせない様に押し返した。


「でもさー、本当に何もされたくないんだったら」


 そう言うと衣織は美来の腕を掴んで距離を詰めた。


「男を部屋に上げたらダメなんだよ」


 今度は衣織が、意地悪に諭す様にそういう。

 う、と言葉に詰まったのは美来の方だった。


 確かにそうだよな、と完全に納得する。もしかして最初から期待してたのか。

 そんなつもりは毛頭なかったが、そういわれると確かにそんな気もする。

 それとも、寂しかったのだろうか。


「気持ちよかったよね、この前は。俺も気持ちよかったよ」


 今時の若者は、こんな恥ずかしい言葉を当たり前に吐くのか?


 一瞬そう思ったが、どう考えてもこの子が特殊なのだろうという所に収まった回答に美来はため息をついた。


 そして、まんざらでもない気持ちになる。


 結局こういうのが好きなんだよな。

 わかっている余裕じみたこの感じ。言わなくてもわかってもらえている感じが、心地いいというか。


 察してほしい気持ちを汲み取ってくれる、この感じがいいというか。


 そこまで考えて、いやいや、年下の恋愛対象外にしみじみそれ思ってどうすんだ。という結論に至って、また溜息をついた。


 せめて後五つ、いや、七つくらい年齢が上だったら、ぜひ真剣に考えたいところだったな、と無理矢理結論付けた。


 なにかしら美来の中で整理がついたことを察したのか、衣織は絶妙に強い力で抑えつけてくる。


「はなしてくれる?」

「無理だよもう」

「もうってなに?」

「もうその気になったから」

「ダメ。ご飯作らないといけないから」


 割と真剣な口調でそう言ったが、衣織は全く引こうとしない。それどころか論破できるとでも言いたげに、笑顔を張り付けていた。


「じゃあ今日は外で食べよ」

「あのさ。外食ってお金がかか、」

「この時間からめんどくさいでしょ? ちょうどよかったよ。俺がご馳走するね。この前ご飯作ってくれたからそのお礼、したかったんだ」


 何て口がうまいんだと衝撃を受けている美来を抱きしめて軽い調子で持ち上げた。


 思わず背に腕を回す美来をソファーに押し倒すと、衣織はさっさと美来の服に手をかけた。


「後にしない?」

「ダメ。どうしても今がいい」


 この子、絶対さっきぶたれたことなんてもう忘れてるな、と思った美来はため息をついた。


 そして衣織は、さっさと再開しようとまた美来の服に手をかける。


「せめて電気消して」

「うん、いいよ」


 衣織はあっさりそう言うと、ローテーブルの上にあるリモコンを手に取って部屋の電気を消した。


「忘れられなかったんだ」


 どこか間延びした声でそういう衣織の手は、美来の頬に伸びた。


「また抱きたいなーって思ってた」


 やはり彼の中で、先ほど女に殴られたことなんてなかった事になっているらしい。

 むしろこの状況にこじつける為の布石だったのではとさえ思っていた。


 そしてふと気づいた。電気が完全に消えていない。

 暗闇に慣れた目は、常夜灯のオレンジの光でしっかりと互いの顔所か部屋中が見えた。


「ちょっと……! 全部消してよ!」

「顔見たいもん」


 また顔かよ!! という言葉を言う間もなく重なった唇が、完全に全美来の士気を奪った。


 恥ずかしいけど電気なんてどうでもよくなるか、という思いは、百点満点ど真ん中に着地する事になる。


 節操のない女だな、と自分で自分を罵った。

 本当に何をしているんだろうと思うのに、でも相変わらず、抜群に気持ちがいい。


 全て終わって、外でご飯を食べる為に二人並んで外を歩きながら考えた。


 結局やる事やった衣織は至極上機嫌。


 デリバリーを頼もうという衣織の意見に断固拒否の姿勢を示して、外でカレーライスを食べた。


 家で食事までとっていたら、いつの間にか入り浸っていましたみたいな展開は嫌だし、何より二回戦を求められても戦える体力も、適う力もない。


 あの夜はやっぱりまぐれではなかったんだな、という感想。

 だとしたらこの年でどんだけ経験値を持っているんだという驚き。


 ちらりと横を見ると、冷却シートを頬に張ったままの衣織がカレーを口に運んでいた。


 綺麗な顔だ。


 きっとこの子には、年を取る女の持つ怖さなんて、微塵もわからないんだろうな。何なら男なんて30から始まるみたいな感じあるじゃん。という、ぽつりとした感想。


 食事を終えて、家の前にまで送ってもらうと、衣織はあっさりと帰っていく。


 その背中を見送って、玄関のドアを開けたところで気付いた。


 飲む酒も、つまみも、何もない。

 華の金曜日。


「……マジで何やってんだ、私」


 ぼそりと呟いた声に、絶望がにじむ。

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