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硝子の庭の調香師 〜その大人の痛み、生態ロジックで整えます〜  作者: えもん


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第31話:静かな朝と、激務の残滓【後編】

いつもお読みいただきありがとうございます!

テオが珈琲を淹れて戻った時には、ルカは淡々とパンを食べ続けていた。

テオが珈琲の入ったカップと共に、一枚の分厚い書類をルカの目の前に差し出す。


「ルカ、これを見てみろ」


「なに、これ?」


「お前が夜鳴きシダを取りに行って泥まみれになってた日と、女優が来た日のモカの結晶の精算書だよ。正直、原型がわからないように擦り潰すのがもったいくらいの美しさだったが。高値になりやすいランバート商会のルートを使って、ようやく査定と換金が終わったんだ」


「へぇ、いつもの薬師ギルドじゃないんだ?」


「まぁ、ここんところの別のバイアスがかかって面倒なツッコミされるのも避けたかったからな」


確かに、隠密で薬師ギルドの過激派の動きを観察している時に、最高級品質の保留剤を持ち込んで下手に目をつけらていたら動きづらかっただろう。


ルカがその采配に感謝しつつ、テオが指差した書類の末尾の数字を見た瞬間。

ルカのダークブラウンの瞳が、少年のようにキラキラと眩しい輝きを放った。


「……っ! なんてことだ!!テオ、これ、すごい額じゃないか! 僕たちの温室の運用資金の数ヶ月分はある!」


ルカは身を乗り出し、疲労や思惑をさっぱり忘れた声でまくしたて始めた。


「ねえ、何するっ!? 次の温室の増築に使っちゃう? それとも、屋根の硝子板を一番透明度の高いやつに新調する? あっ、東の国で使われているっていう珍しい構造の蒸留器(アランビック)を注文するのもいいよね!」


独自の夢を膨らませてはしゃぐルカに、テオは呆れたように軽くチョップを落とす素振りを見せた。


「お前なぁ……何のために必死に座標を割り出したんだよ。これからその『アンディ先生の隠れ家』に行くんだろ?!これからの『旅の路銀』にするに決まってんだろ!」


「えっ、行っていいの!?さすがは僕の環境管理人、話が早い。…アランビックも捨て難いけど、まぁそれはいつでもいい」


テオの説得をしなくて済んだとルカが胸を撫で下ろす横で、リーゼが手元のバインダーに真剣な顔でペンを走らせ始めた。


「承知いたしました。路銀の予算編成を計算いたします。最優先項目として、ルカ様の瞑想における『床用特製クッション』の購入を申請ーー」


「どんだけクッションが好きなんだ!!いったんそこから離れろ」


テオの鋭いツッコミと、リーゼの真っ直ぐすぎるおせっかい。 温室の中に、弾けるような笑い声と穏やかな空気が満ちていく。


「さあ、冷める前に食うぞ。頭を使った後は飯だ」


テオがあらためて珈琲を注ぎ入れて、散らばった書類とルカの書き殴りの紙を脇へ避ける。 ルカがそのカップを両手で包み込み、『覚醒の香り』を深く吸い込むと、数時間に及ぶ書類のインクの澱みと、解読による脳の熱が、スーッとリセットされていくのが分かった。


小春日和を思わせる陽気の中で、温室の昼食が始まった。


テオが厨房から焼きたての白パンを積んだ編み籠と、鍋を運んでくる。

深皿に注がれたのは、陽光をそのまま溶かし込んだような、鮮やかな橙色のポタージュだった。


「冬を越して甘みの極まった人参をじっくり蒸して、隠し味にブラッドオレンジの果汁をひとさじ加えた。仕上げは、芽吹き始めたばかりのチャービルだ」


「……人参にオレンジの酸味?」


ルカが香りの階層を確かめる。


「ああ。柑橘の酸の成分が、オーバーヒートしたお前の脳みそを急速冷却して、人参の糖分を効率よく吸収させてくれる。……いいから、食え」


テオは滑らかな自家製バター――温室のフレッシュハーブを練り込んだ無塩バターを小さなナイフでパンへ塗り、ルカの皿へ添えた。


ポタージュの鮮やかな色と甘みが、ルカの昂った神経を鎮めていく。

白パンをちぎり、ポタージュに浸して口へ運ぶたび、頭に充満していた熱と疲労の霧が、うららかな陽光の中へ綺麗に溶けて消えていった。




食事が終わり、リビングに穏やかな満腹感が漂い始めた頃。

温室で日向ぼっこをしていたモカが、ぽよんと跳ねながら食卓の足元に寄ってきて、「ぽわぁ」と、陽差しに溶けるような柔らかい声で短く鳴いた。

モカは父ギルバートの激務の残滓と、ルカが自らの知性でこじ開けて導き出した『本当の座標』の匂いを


すぅぅぅぅぅっ


と一気に吸い込む。そして、喉の奥でコロンと澄んだ音を鳴らし、一つの結晶を吐き出した。

ルカが指先で愛おしそうに拾い上げたその結晶は、これまでの重い因縁を晴らすかのように美しかった。


ベースは、透明な朝の光のようなクリアな琥珀色。

そしてその中心には、ルカがたった今割り出した次の目的地へと真っ直ぐに伸びていく、一本の鮮やかな『新緑のライン』が引かれていた。


「……さあ、行こうか。先生のところへ」


ルカは結晶を小春日和の陽光に透かし、次なる出発へ向けて、意志を固める。


新たな目的地と旅の路銀手に入れた『硝子の庭』の主たちは、まだ見ぬ恩師の隠れ家へと続く一本の道標を、静かに見据えていた。









次回からは第32話がスタートします。

座標解明で倒れかけるルカの口に、リーゼがすかさずパンをねじ込む!(物理)

ギルドの目を避けて路銀を確保していたテオの、支配人としての手腕。

ブラッドオレンジと人参の甘いポタージュが、オーバーヒートした脳を優しく癒やす……。

モカの結晶に引かれた『新緑のライン』を道標に、三人はついに恩師の隠れ家へ!

いよいよ核心へ迫る新天地。次の更新もお楽しみに!


***


本日もご来店ありがとうございました!

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