第22話:行き過ぎた鎧と、微熱のリネン【エピローグ】
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食後の穏やかさの中。 オーク材のベンチの下で息を潜めていた毛玉生物のモカが、
「ぽわっ」
と鳴きながら姿を現した。
モカは、リーゼの胸の奥に灯った温かな『微熱の匂い』と、ハインツという過剰なノイズを追い払ったあとの安堵感を、
すぅぅぅぅっ……
と吸い込んでいく。
そして、満ち足りたようにお腹を膨らませると、喉の奥で「コロン」と澄んだ音を鳴らし、一つの結晶を吐き出した。
床に転がったのは、外側は透き通るような純白でありながら、その中心に小さなオレンジ色の炎が宿っているかのような、素朴で美しい結晶だった。テオはその結晶を拾い上げ、リーゼに向かって宣言した。
「……明日、王都で一番ふかふかのクッションを買ってきてやる」
その言葉を受けたリーゼは、やはり表情筋を大きく崩すことはなかった。
しかし、その端正な口元をほんの僅かだけ綻ばせ、小さく頷いたのだった。
「……ありがとうございます」
リーゼの行き過ぎた鎧は、こうして静かに解け始め、硝子の庭の穏やかな空間に馴染んでいった。
――しかし。 その安息の時間は、長くは続かなかった。
夜が深まり、ジンの見送りから戻ってきたテオが、いつになく真面目な顔つきで円卓についた。
薪ストーブの炎が、テオの影を壁に揺らしている。
「……今日、調印式で、東のオストヴァル公国と取引のある商人たちから嫌なニュースを聞いた」
テオの声は、ひどく低かった。
「オストヴァルで、いよいよ原因不明の奇病が広まり始めているらしい。高熱と、全身の皮膚が黒く変色する恐ろしい病だそうだ」
テオの言葉に、食後の珈琲を楽しんでいたルカの手が止まる。
「さらに不気味なのが、その病の対応にあたっているオストヴァルの医師たちの姿だ。彼らの中には、悪臭と病魔から身を守るために、『不気味な鳥の形をした漆黒のマスク』を被って街を歩いている者もいるそうだ」
不気味な鳥の形をした、漆黒のマスク。
その言葉が発せられた瞬間。 その場にいた全員の視線が、温室の棚の片隅に向かった。
そこには、かつてルカが被り、子供たちを密かに怖がらせたあの『ペストマスク』が、テオによって厳重に袋の口を閉じられた状態で放置されている。
ルカの脳裏に、あのマスクの匂いを解体した時の記憶が鮮明に蘇る。
マスクの奥に仕込まれていた、香りの階層。 それは間違いなく、かつての恩師の技術の痕跡だった。しかし、そこには植物への敬意も命のロジックも存在せず、ただひたすら人工的で、ひどく濁った匂いだけがしたのだ。
「……そうか」
ルカは銀縁の丸眼鏡の奥で、ダークブラウンの瞳を細めた。
「あのマスクに仕込まれていた香りは、仮説の『実験』ではなかった。……本物の病魔という『実戦』に投入するためのものだったんだね……」
恩師の技術。
謎の奇病。
そして、死の現場で濁った人工的な香りを纏う漆黒の鳥の面。
バラバラだった情報が、ルカの脳内で最悪の形として一つの線に繋がっていった。
薪ストーブの温かな火とは対照的に、温室の空気が静かに冷えていく。
彼らが組み上げた防壁のすぐ外側まで、これまでとは次元の違う『危機の足音』が迫っていた。
次回からは第23話がスタートします。
モカが生み出した美しく温かな結晶。
ついに完成した「硝子の庭」の防壁。
――だが、そのすぐ外側まで『最悪の危機』が迫っていた。
東の国で広がる奇病。そして、死の現場を歩く「黒き鳥の面」の正体とは……!?
物語がいよいよ核心へと迫る、次の更新もお楽しみに!
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