第21話:次の幕を上げるローションと、女王の年輪【中編】
いつもお読みいただきありがとうございます!
オーク材のテーブルに案内されたエレノアの前に、テオの淹れた温かい特製ハーブティーが静かに置かれた。カモミールと微かなリンデンの香りが、張り詰めた交感神経を解きほぐすように湯気と共に立ち昇る。しかし、エレノアは白磁のカップの持ち手に触れようとはせず、組んだ両手の上に真っ直ぐな視線を落としていた。
「単刀直入に言うわ」
エレノアの声は、劇場の最後列まで届くようなよく通るアルトだったが、その響きには隠しきれない震えが混ざっていた。
「私に、若返りの薬を……いえ、若返りの香水を作ってちょうだい。かつての全盛期の輝きと集中力を取り戻すための香りを」
彼女の言葉に、テオは困ったように小さく眉を寄せた。
老いに抗う霊薬など、錬金術師の妄想の中にしか存在しない非論理的な代物であることを、彼は商人としてよく知っている。調香室から歩み寄ってきたルカが答えた。
「……全盛期の輝きを取り戻すことは、物理的に不可能です。時間は不可逆であり、細胞の酸化と分裂の限界値は、どんな魔法でも巻き戻すことはできない」
ルカの淡々とした宣告に、エレノアの肩が微かに震える。
「だけど」
ルカはテーブルの傍らに立ち、背後の棚へと静かに手を伸ばした。
「失われた過去の数値を追うのではなく、今のあなたの乱れた自律神経を正しく調律し、次の季節へと美しく移行するための『重石』を用意することはできます」
ルカは棚から、白く上質な厚紙の束を取り出した。 そして、無駄のない洗練された所作でその紙の束から一枚の細長いムエット(試香紙)を引き抜く。 紙の繊維同士が擦れ合う、乾いた小さな音が温室の静寂にかすかに響く。
次にルカは、厳重に遮光された極小の硝子瓶を取り出した。 栓を抜き、細い硝子のスポイトで、瓶の底に眠る重い液体を、ほんの一滴だけ吸い上げる。 それは、数万枚の薔薇の花びらから、ほんのわずかしか抽出されない極めて希少な精油『ローズ・オットー』の原液だった。
ルカはスポイトの先を、純白のムエットの先端へと静かに落とす。
ぴと、という音が聞こえそうなほどの静寂の中。
純白の紙の繊維へと、黄金色に輝くローズの精油が、じんわりと、完全な円を描くように染み込んでいく。 斜めに差し込む冬の光が、ムエットに染み込む精油の油膜を透過し、そこへ複雑で美しい陰影の色彩を落としていた。ルカは、黄金に染まったそのムエットを、エレノアの鼻元へと静かに差し出した。
「嗅いでみてほしい」
エレノアが、無意識に息を吸い込む。
その瞬間。
かつてルカが強欲な地主に見舞ったような、脳の皮質を直接殴りつけるような暴力性は、そこには一切なかった。 しかし、それは抗いようのない圧倒的な引力を持って、エレノアの鼻腔から脳の最深部へと、深く、深く染み渡っていった。
ローズ・オットー。
古来より女性の身体のサイクルを整え、乱れた自律神経の不協和音を、圧倒的な女王の品格をもって鎮める『平熱の秩序』。
「あっ……」
エレノアの口から、微かな吐息が漏れた。焦燥でチリチリと焼け付き、悲鳴を上げていた彼女の自律神経が、その深く重厚な薔薇の香りによって、優しくほどかれていく。
失われゆく若さへの執着。
華やかさの裏で血の滲む努力を重ね、ここまで築き上げてきた自分ではなくなっていく恐怖。
それらの濁ったノイズが、黄金の薔薇の香りの前に、ひれ伏すようにして静かに溶けて消えていく。
圧倒的な浸透力と、調香師の提示した「自然の理」
エレノアは言葉を完全に失い、ただムエットから立ち昇る香りに身を委ね、小さく、震える息を呑むことしかできなかった。
「若返りは物理的に不可能」
――残酷な真実を告げたルカが取り出したのは、極上の『ローズ・オットー』。
焦燥で焼け付いていた大女優の自律神経を、薔薇の香りが圧倒的な品格で鎮めていく。
そして次回、彼女の心を真に救う「予想外の男」が口を開く。
後編へ続きます。
***
最後までお読みいただきありがとうございます!
もし少しでも「面白い!」「続きが気になる」「お腹が空いた」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマーク】や【☆☆☆☆☆】(星)を押して応援していただけると嬉しいです!
皆様の応援が、ルカとテオの生活費(作者の執筆の励み)に直結します。
明日も更新予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします!




