↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
硝子の庭の調香師 〜その大人の痛み、生態ロジックで整えます〜  作者: えもん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/96

第9話:職人たちの通常営業と、頁に忍ぶ香り【後編】

いつもお読みいただきありがとうございます!

ベンチの上に仰向けに転がされ、丸眼鏡をずらしたまま


「思考回路が……完全に焼き切れた……」


とブツブツうわ言を呟いているルカ。


その足元から、まるでつきたてのお餅のようにポヨンとモカが移動し、ベンチの下へと潜り込んできた。

モカはルカの足元でピタリと止まると、その小さな鼻をひくつかせた。


そして、今しがたルカが完成させたばかりの『革とインクと、静かなハーブの匂い』、そしてルカとテオがこの温室で費やした、緻密な仕事の熱(残香)を、


すぅぅぅ……


と、深い呼吸とともに吸い込んだ。

その瞬間、モカのもふもふとした毛並みが、一瞬だけ、仕事の集中力を思わせるような知的な灰色へと濁った。 モカは満足げに目を細めると、喉の奥で「コロン」と涼やかな音を立て、ゲップの代わりに結晶を吐き出した。


「おっ、出たな」


テオがしゃがみ込み、床に転がったその結晶を拾い上げる。


それは、普段モカが生み出す結晶の中でも、ひときわ静かな佇まいを持つものだった。


ベースカラーは、透き通るような薄いグレー。その中に、まるで古い本の頁を思わせる柔らかな白の斑点が、雪のように静かに混ざり合っている。


モカの吐き出す結晶は、温室の熱源のエネルギーとして使うことができる他、すりつぶして粉末にすると、香りをその内部に長く留めておく『保留剤』にもなる。テオは結晶を天窓の光に透かし、品質を厳しくチェックした。


「よし、純度は悪くない。これなら市場に出せそうだな」


テオは抜け目のない顔で満足そうに頷くと、結晶を革の小袋へとしまい込んだ。


「これで、昨日ルカが変な実験で無駄遣いした精油の購入費は相殺できるな。貸し借りなしだ」


ルカの燃費の悪さと奇行の尻拭いを、モカが精製する成果物で補填し、収支のバランスを保つ。それが、テオ・ランバートという男の、この温室における管理ロジックであった。


「……テオの経済観念は、いつもながら隙がないね」


ベンチの上でようやく少しだけ呼吸を整えたルカが、気怠げに笑った。


「隙を見せたら、お前は際限なく貴重な素材を実験に溶かすからな」


テオはそう言い残し、金属のレバーを力強く引いた。天井の硝子窓が真鍮の歯車の音とともに持ち上がり、外の心地よい風が温室の中へと一気に流れ込んできた。


こもっていた実験のハーブの匂いや、革の獣臭、そして極限まで高まっていた仕事の緊張感が、風に乗って外へと運ばれ、温室内の空気がリセットされていく。


テオは調香室の作業台に向かい、ルカが作ったプロトタイプの革の栞と手帳カバーを、乾燥剤を入れた小さな袋に手際よく収めた。


「よし、プロトタイプの定着と香りの仕様は完璧だ。明日は俺が王都へ出て、あの文具店で予算の上限を引き出してから、その足で爺さんのところへ交渉に向かうよ」


「うん。その辺の調整は頼むね、テオ」


ベンチから身を起こしたルカが、全幅の信頼を込めて頷いた。


陽が傾き、温室の中が柔らかな夕暮れの色に染まり始めた頃。 リビングのテーブルには、テオが手際よく用意した夕食が並べられていた。


『厚めに切って香ばしく焼き上げたバゲットと、温室の端で採れた野菜の切れ端をじっくりと煮込んだ、透明なコンソメスープ』


立ち上る湯気からは、虚飾のない生活そのものの匂いがした。


二人が席につこうとしたその時、キッチンの勝手口からジンが顔を出した。背負っていた重い革のバックパックをドスンと床に置き、愛用の木製のパイプをテーブルの端にコトリと置いた。


「相変わらず美味そうなスープの匂いだな。腹を空かせて帰ってきた甲斐があったぜ」


ジンが豪快に笑いながら椅子を引き、テオが黙って三つ目のスープ皿とスプーンをテーブルに置く。


「おかえり、ジン。今回はどこまで?」


ルカがバゲットをちぎりながら尋ねる。


「南の川辺の森だ。お前の好きそうな、厄介な香りのする果実と種をいくつか拾ってきたぜ。まあ、飯の後にでも見てくれや」


ルカ、テオ、ジンの三人、そしてルカの足元でぽよんと跳ねるモカ。 並んで静かに、熱いコンソメスープをすする。 香ばしいバゲットを噛みちぎる音と、スプーンが陶器の皿に当たる微かなカチャカチャという音だけが響く。


厄介な事件も、命を削るような陰謀もない。


ただ、自分たちの持つ技術とロジックで日々の糧を得て、気のおけない仲間と共に温かいスープを飲む。 それは、彼らが何よりも愛する、どこまでも平熱で、愛おしい、職人たちの食卓の風景だった。


___明日の雨音を待つこの静かな安息は、3人の子羊とレジェンド婆さんによって破られることになることを、この時の3人はまだ知らない。







次回からは記念すべき第10話がスタートします。

穏やかな日常を破るのは、「3人の子羊」と「レジェンド婆さん」!?

嵐の予感がする次の更新もお楽しみに!



本日もご来店ありがとうございました!

もしこのお話を楽しんでいただけましたら、下部にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、モカが飛び跳ねて喜びます(作者のモチベーションが爆上がりします)!

ブックマーク登録も、ぜひよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。