月の女神の涙 2
「ぎああああああああ!?」
ツイードとチェシャが屋敷のまわりに隠れていた女王の部下たちを皆殺しにして戻ってきたとき。二階から凄まじい悲鳴が聞こえた。
あいにく手すり近くに来ていないので何が行われているかは全く見えない。しかし何が起きたのかはツイードとチェシャには予想がついている。
「お顔でも引っ掻きましたかね? 顔が嫌いだって言ってましたし」
おやおや、といった様子のツイードにチェシャは無言だ。おそらくかなりひどい状況になっているだろうとわかる。
細身でどう見てもナイフとフォーク以外の物は持てなさそうだというのに。一体どんな訓練を積んだのか知らないが、マルセルはおそらくこの国で一番腕力も握力も強い。片手で首の骨を折ることができるのだから。
「ひいいい! られか、られかあああ!」
二階からは相変わらず女の悲鳴が聞こえる。誰かが駆けつけるはずはない、何せ海賊を追えと命令したのは彼女自身だ。
「いっくよー」
マルセルの声と同時に手すりを飛び越えて飛び降りてくる。それを平然とツイードは抱き止めた。
「ナイスキャッチ」
「その汚れた手で私に触れないでくださいね。いくらマルセル様でも怒りますよ」
「えー、ちょっと面白そうだけど」
べったりと血がついている右手。人差し指には、眼球が刺さったままだ。くすっと笑って眼球をポイっと放り投げると右手を握ったり開いたりしてみせる。するとツイードはにっこりと笑った。
「お見合いの話が五十件来てるんですが、私が勝手に返事していいのですね?」
「あ、やっぱやめとく」
ツイードから降りると、即座にツイードが取り出したハンカチでゴシゴシと手を拭かれる。
「あとで爪の手入れしないと。さあて、僕たちも帰ろうか」
その言葉にチラリとチェシャは二階を見る。いまだにギャーギャーと喚いているのでトドメを刺していないようだが。
「いいんだよ。これだけのことを収めるには生贄が必要じゃないか」
「……。どおりでババアとすっとぼけた会話してると思ったら。馬鹿に聞かせるためか」
「僕が責任取るなんて冗談じゃない、この程度のことで。それにしてもまんまと海賊には出ていかれちゃったなぁ。海で燃える火薬っていうのもちょっと気になるけど。クイーンが手に入れろって命令してこないんだから、今は必要ないってことか」
「とっくに製法知ってたりしてな」
チェシャの言葉にマルセルはプッと小さく吹き出した。
「さすがにそれは僕も思いつかなかったなぁ。ほんと、チェシャって面白いね。クイーンに欲しがられないように気をつけないと」
そう言うと三人は裏口から出て、隠しておいた馬車に乗った。ツイードが馬を操り馬車はそのまま走り出す。おそらく新しい女王との顔合わせが近々あるはずだ。
「あんまり面白くなかったけど。まぁ、暇つぶしになったかな」
ふあー、と欠伸をするマルセル。チェシャは相変わらず黙り込んだままだ。その顔がなんだか物足りない、と言っているかのようで面白い。
「決着つけたかった?」
「どうでもいいな。海賊なんてほっといたって勝手に死ぬ」
「はは、確かにね。早いか遅いかの違いだ」
「人間は生きてりゃ必ず死ぬのに。生き急ぐ奴って死に急いでるだけだ、理解できない」
「それは僕も同感だね。他にやることないんでしょ、暇なんじゃない? さて、結構忙しくなるな。ツイードとチェシャは拳銃の訓練を始めないとね」
馬を操っているツイードにもそう声をかける。ツイードは高い実力を誇るが、マルセルが持っているような小さな銃はまだ使ったことがない。入る弾数も一発だけで、手入れの方法もマスケットと全く違う。小型なので手間暇が倍だ。
「銃は手入れが剣の倍以上時間がかかりますし、音が大きくて周囲に異常を知らせますし。あまり良いことがないんですけどね」
正直今の銃はかなり使い勝手が悪いのは事実だ。火薬を使うので使い方は誤れば爆発するし、小さな銃の値段は今はまだ高すぎる。火薬や手入れの道具も消耗品として金もかかる上長持ちしないという欠点もある。剣と違ってそこら辺で手軽に買えるものでもない。
「剣の時代はもう終わるさ。剣を使って強くなるには使う人間の技術が必要だけど。銃は引き金を引けば女子供年寄りでも人を殺すことができる。今は手入れが面倒で使い勝手が悪いが、技術の進歩で必ずもっと使いやすくなる。技術の進歩と同時に人も変化しないとね。人は必ず楽な方に傾く。どんどん道具に頼って、自堕落となっていくのさ」
クイーンほどではないにしろ、マルセルも時代の先を見ながら生きている。明日どころか次の瞬間には死んでいるかもしれない世界に身を置いているがゆえに。自分の時間の使い方が、彼は非常に長けているのだ。無駄が一切ない、常に自分のために事が動くように生きている。人も、物も、時には王家さえ。
「生まれる時代、五十年くらい間違えたんじゃないのか」
ぽつりと呟いたチェシャにマルセルはふふんと笑う。
「五十年後に生まれていたら凡人だろ。今この時代に生きているから面白いんだよ」
確かに、そうだ。時代を先取りしているからこそ器用に生きている。楽しさを求めて生きている。生きることに必死になったりしない。どうせいつか死ぬのだから。
不意にチェシャが馬車の中で立ち上がった。
「海賊に混じって逃げたモルドーの他の腹心始末してくる」
「良かったあ。このまま一緒におうちに帰ったら馬車ごと燃やしちゃおうかと思ってたよ」
「やめろ、馬がかわいそうだろ」
「え、そっちなの?」
一瞬ぽかんとするマルセルを無視してチェシャは扉を開けると、そのまま外に飛び降りた。しっかりと扉は閉めていっている。開けっぱなしにしたら後でツイードがうるさい。
「ほんと。僕の予想斜め上行くんだもんな、あの子は。退屈しないよ」
はあはあと息が荒い状態で何とか階段を降りる。片目が潰れていないのが幸いだ、果たして自分の顔は一体どうなってしまっているのか。うまくしゃべれないので口が裂けているのは間違いない。BやMの発音をしようとすると口に激痛が走るからだ。
自分は偽りの女王。そんなはずは無い、何かの間違いだと思いながら必死に階段を降りる。そして階段を降り切ったところには一人の男が立っていた。モルドーだ。こんなのでもいないよりはマシだ。
「は、はやく、たふけを」
「女王陛下に忠誠を誓い、この国のために命を捧げてきた」
モルドーは不気味なほどに無表情だ。足からは大量の血が流れているというのに、まるで気にしない様子もない。
「それが。海こそこの先に必要で、剣は古臭いときた。俺たちがどれだけ必死に戦って。一体何人死んだと思っている」
「あにを、いっで、いるの! はやく、たふけ――」
「しかも、女王陛下と思っていた者は偽物。俺は一体何のために。誰のために戦っていたんだ。命をかけて」
思い切り剣を振るう。肘から下を切り落とされた。
「ぎゃあああ!」
「答えろ。この国に戦士は必要ないのか。剣で生きる者は落ちぶれるのか。俺は無意味か?」
「ひいいい!」
「さっさと答えろババアアアアア!」
大きく、一撃を繰り出し。老婆の頭が飛んだ。王宮の中庭にあった噴水のように、じゃぶじゃぶと血が溢れる。
やがて海賊たちから火炎瓶を投げつけられ、どうしようもなくなり戻ってきた戦士たち。そこで見たのはゲラゲラと泣きながら笑っている自分たちの隊長。何を話しかけても全く聞こえていない様子だ。急いで二階に行けば、腕から血を流している女王がいる。
「女王陛下!? いま手当を!」
「一体誰が!?」
「モ、モルドーが……いきなり。私はなんとか、ここまで自力で」
「そんな、隊長……何故」
動揺が走りつつも、止血をして女王を取り囲みゆっくりと階段を下りる。
「反乱組織がいると報告を受けています。モルドーは、おそらくその一味なのでしょう」
「そんな、そんな」
「貴方達がその一味だと思っていません。素晴らしい忠誠です。この後、何をしなければいけないかわかりますね」
「……はい」
そうして一階までたどり着くと、女王がちらりと見えたらしくモルドーが暴れ始めた。
「何故生きてる! 俺が殺したはずなのに! まだいたのか偽物があああ! あと何人いるんだ!」
「捕えなさい」
怯えることなくそう命令を下す。自分たちの隊長だったとしても、もはや女王を暗殺しようとしたのは明白だ。今回の海賊騒ぎは最初から女王暗殺の為の茶番だったのだと皆理解した。
モルドーは取り押さえられた。大々的に国民に知れ渡る事となるだろう。間違いなく、処刑となる。




