マリーと祭り(5) 《マリー視点》
退屈な晩餐会から飛び出して町の喧騒に身をゆだねる。
マリーにとってまるで夢の中にいるようだった。
晩餐会用のドレスを着て鏡を見ながらため息をついていたあの日常はほんの少し前のこと。
今は庶民と同じ服を着て、アークに腕を引かれながら必死に逃げていた。
男の怒鳴り声が後ろから聞こえる。私にぶつかって金を要求してきた男だ。
今まではみんな私の身分ばかりを見ていた。
金を要求されたこともないし、怒鳴られたこともない。
みんな、私に頭を下げて、別に面白くもないのに笑いかけてきた。
それに応えて、私も面白くないのに笑い返してきたのだ。
私が庶民の服を着ているから、今はそんな人はどこにもいない。
アクセサリー店の店主も、食べ物屋の店主も、怒鳴りながら私を追いかけてくる男だって、
みんな私を私として見てくれているのだ。
必死になって逃げながらもマリーはどこか幸せだった。
途中で走れなくなったマリーをアークがおぶってくれた。
おんぶなんて何年ぶりだろうか。重いなんて軽口を言いながら背負ってくれる。それに文句を言いながらもマリーはアークにしがみついた。背負っているアークは見えないだろうけれど、今のマリーはとても幸せそうに笑っていた。
『お前はある日プッツンと糸が切れて奴隷と逃避行しそうだな。』
兄のレオが言ってきた言葉が思い出される。いつ言われたんだっけ?
まだ兄と父の関係が悪化する前で、兄が都にいた時だから数年前か。
まだ生きていた母が『この子は本心から優しいのよ。お前の基準で測らないでちょうだい』って怒っていたけれど、まさかこんなことになるなんて。
アークの背中にしがみつきながら後ろを振り返る。追いかけてくる男たちの後ろには巨大な王宮が立っていた。それはまるで男たちから逃げているのではなく、マリーが王宮から逃げているかのような錯覚をさせた。今まで思うところはあったものの、王宮から出ることまでは考えていなかったマリーだったが、今のこの状況に胸が高鳴っている。
いっそこのままどこかに連れ去って欲しい。
マリーはアークの肩に頭をのせて目をつぶった。
気づけば城壁までたどり着いていた。
怒鳴り声が聞こえなくなったところを見ると、追ってきていた男たちは完全に撒くことができたようだ。
「まあ、ここまでくれば大丈夫でしょう。」
「どうしました?顔が真っ赤ですよ。」
「当たり前でしょう!!マリーって呼び捨てにされたのなんて生まれて初めてですよ!しかもおんぶもされたし!」
「アークさんが暴漢にかけたスープは私にもかかったんですよ!ほら!」
「ほんとだ。ふふっ。」
「何がおかしいんですか!アークさんだってちょっと顔に付いています。」
アークと城壁の上で言い合いをしながら、マリーはとても楽しい時間を過ごしていた。自分の本心を抵抗なく吐き出せるような不思議な魅力がアークにはあった。
本心を語り合い、言葉をぶつけあって会話をするのは子供の頃の友人以来だろうか。彼らは成長し、身分という概念を理解するにつれてマリーの前から姿を消してしまった。
しかし、アークは今目の前にいてくれている。マリーにとってとても幸せな時間だった。
「ああ、本当だ。これならどっからどう見ても庶民に見えるな。まるで雑用ばかりしている冒険者カップルみたいだ。」
アークの言葉に息を呑む。
カップル。恋人。想い人。
本当の自分でいれる。本心を語りやすい。笑顔になりやすい。アークに抱く印象はこれだけではなかった。何か説明のしようのない感情がある。これは恋なのではないか。
私はアークを好ましく思っているのだ。
しかし「恋をしている」とは認められない。自分が彼に恋をしていることを認めてしまったら、何か取り返しのつかないことになりそうだ。苦しんで、苦しんで、結局どうにもならないだろうことは容易に予想できた。
だって私は婚約しているから。
お相手のライハ侯爵家は今どんどんと力を付けてきている貴族らしい。一度侯爵のお顔を拝見したことがあったけれど、父と同い年であるにしては精悍で若々しく見えていたため、好ましく思っていた。しかし、アークと笑いあっている今改めて考えてみると、とたんに魅力がなくなってしまうような気がした。
「カップルみたいですか、、そうですね。」
「他の人たちから見たら私たちはカップルに見えるでしょうね。」
突然、マリーたちのの真上で花火が爆発した。
「きゃあ!!」
マリーが大きな音に驚き、悲鳴を上げてアークに抱きつく。
その恰好がおかしかったのかアークが笑う。それを見てマリーも笑った。
「「あははははは」」
「どうしたんですか?そんなにびっくりして。」
アークがマリーに腕を回してくる。抱き寄せたような恰好だ。マリーはアークの腕の中で何も答えずに笑った。
それから、抱き合っている二人の間には何も言葉がなかった。何か幸せなものが二人の間を支配していた。
マリーはアークの胸に抱かれながらうっとりとしていた。城壁からの景色はとても良く、家や屋台の明かりが光っている。この夜景を今二人占めしている様は、まるで子供の頃読んだロマンス小説のようであった。
町を見回していたマリーの目に王宮が見える。
町の屋台とは違い、たくさんの明かりに照らされて下品に輝いていた。その外観はマリーの心を現実に戻すのには十分であった。
花火も終わり、祭りも終わる。もうすぐ晩餐会も終わるだろう。それまでには何事もなかったかのように美しいドレスに着替え、戻っておかなければならない。
しかし、マリーの頭は戻ろうとしていても、心は、体は、全くいうことを聞かなかった。
ずっとアークと一緒に居たい。
心がそう叫んでいる。
そんなの彼には迷惑だと頭が叫んでも、マリーの体はその理性を無視した。
「ねえ。私を抱いてくれませんか?」
その瞬間、2発目の花火が二人の上で爆発した。
「どうしたんですか?そんなにびっくりして」
今ならまだ間に合う。今ならまだなかったことにできる。
この雰囲気に乗じて冗談を言ったことにできる。
花火の爆発で誤魔化すことができる。
マリーの理性が必死に叫んでいる。
しかし、マリーの心と体は止まらなかった。
頭の理性を完全にねじ伏せてアークをそのまま押し倒す。
「今日という日を永遠に残しておきたいんです。」
私の純潔をあなたに捧げる。
マリーは茫然と押し倒されているアークを見下ろした。




