第85話 エイシス、侵攻
17/2/18 「転移の魔具」を「転移の遺物」に修正しました。
深夜、執務を終えて床についたばかりであったアルシール王レオンハルトは、その轟音と揺れに飛び起きた。
「何だ今の音と揺れは……? まさかっ!? いや待て、そんなわけがない」
まず思い至ったのは半ば戦争状態にある隣国エイシスの侵攻だ。しかし、すぐに冷静になって否定する。エイシス軍が北と南の国境線を超えたという報告は少し前に受けていた。その対応のため、近衛騎士の大半を向かわせてある。以前予想していた通り、異形の魔物――キメラも混ざっているらしいが、それぞれ近衛騎士に十分な兵を預けてあるのだから任せておいて問題ない。
しかし、王都へ向かう部隊がいるという報告は聞いていなかった。勿論、南北に分かれて侵攻して来ているエイシス軍が陽動であり、本隊が王都に向かってくるであろうことは予想していた。そのため、本隊を捕捉出来る様国境付近――特に、王都に最も近くなる辺りには多くの斥候を放ってある。その状態で、斥候の目を逃れて王都まで辿り着いたとは考え難い。
もっとも、何かが起こったのは間違いない。それがエイシスの仕業かどうかは兎も角、必要であれば誰かがレオンハルトを呼びに来るはずだ。
そう判断したレオンハルトは身支度を整え始める。深夜とはいえ、王である自分が気の抜けた寝巻き姿を見せるわけにはいかなかった。そして、丁度身支度を整え終えた頃、扉を強く叩く音が聞こえた。
「入れ」
「お休みのところ申し訳ありません」
「前置きは良い。何があった?」
「エイシス軍の襲撃です」
知らせに来た男の言葉に、レオンハルトは驚愕の表情を浮かべた。
レオンハルトがエイシス軍では無いと判断したのは仕方が無いことだろう。エイシス側の動きを予測していたからこそ、厳重に警戒をしていたのだ。少人数ならば見逃したということも有り得なくは無いが、王都に攻め込めるほどの軍勢を見逃したということは有り得ない。アルシールの斥候はそれほど質が低くは無い。
しかし、今回においてはその斥候の数も錬度も意味を成さなかった。ヴァルドの使う転移の遺物により、エイシス軍は王都近くに突如現れたのだから、どんなに厳重な警戒体勢を敷いても意味が無い。レオンハルトの誤算は、その転移の遺物の存在を知らなかったことだろう。
「シグルドに伝えよ。侵攻の早さは予想外だったが、予定通り民の安全を第一に行動せよ、と」
「はっ。すぐに」
跪いていた男が顔をあげると、足早にレオンハルトの前から立ち去っていった。それを見届けてから、レオンハルトは玉座に向かって歩き出した。
遡ること少し前、王都の北東部にある色町では、とある冒険者が見回りをしていた。
「おうおう、どいつもこいつも。こっちは労働中だってのに」
槍を手にしたスキンヘッドの男が不満げにそう口にした。厳つい――悪人面とも言える男は鉄製の鎧を身に付けているが、それがボロボロの革鎧であった日には、十人中五、六人くらいは盗賊か何かと見間違えただろう。その視線の先には、浮かれた様子で娼館に入って行く男達の姿がある。
「文句言わないの。依頼を受けたんだから仕方が無いでしょう」
男の不満を一蹴したのは、男の隣を歩く長身の女性だ。どこか冷たいようにも見える鋭い印象の女性で、魔術師然としたローブの上に胸当てを着け、杖を手にしていた。
この二人、男の方は名をロア、女の方をメイアという。以前、ユウトやギルツと共に、ゼスという商人の護衛依頼でアルシールの東部まで一緒に行った冒険者だった。
二人は色町の見回りの依頼を受けており、今はその遂行中だった。町の治安維持は兵士や騎士の役割のため、普段は色町の見回りを兵が行なっている。しかし、国境を越えたエイシス軍への対応で、多くの兵がそちらに割かれてしまっているために、どうしても手が回らない部分が出来てしまっていた。
色町は余所に比べて治安が悪く、揉め事が多い。しかし、その重要度はそれほど高くないこともあって後回しにされていた。ここに限らず、そういう場所は幾つかあり、そのそれぞれで冒険者に依頼する形で一時的な治安維持を行なっていた。
「そういえば、知ってるか? ここにある一番でかい娼館に、すっげぇ娼婦が居るんだよ。紅い髪のとんでもねぇ美人で、どこぞの貴族のご令嬢かってくらい気品があるのに、色気がむんむんでよぉ。もうエロいのなんのって」
「知ってるに決まってんだろ。ローザのことを知らない奴はモグリだ。俺だって何度一晩相手して貰おうと思ったかしれねぇよ」
「無理無理。ローザと一晩なんて、お前の財布の中身じゃ足りやしねぇって」
「うっせぇな! んなこと分かってるよ。大体、ローザは幾ら金積んでも、気に入らない奴は門前払いって話だぜ」
「ああ。なら、お前じゃ絶対無理だな」
ロア達が連れ立って歩いていると、そんな声が耳に届く。ここがどのような場所であるかは当然知ってはいるが、下世話な話が耳に入るのはやはり不快なのか、メイアが顔を顰める。それとは逆に、男であるロアは時折届く話に興味を持ち、耳を傾けていた。
――ほう。そんな良い女が居るのか。ローザね。覚えておこう。
こっそりとチェックを済ませていたロアだったが、付き合いが長いためだろうか、そんなロアの内心はメイアに筒抜けだった。
「何やら厭らしい顔をしてるわね。そんなにローザって娼婦に興味があるのかしら?」
「ち、違うぞっ!? 別に今度行ってみようとか思ってないからなっ!?」
「誤魔化す気があるのかしら、それ――っ!?」
焦って自爆しているロアに冷ややかな視線を向けたメイアが、突如息を飲んだ。その突然の変わりように、ロアも表情を固くする。直後、轟音と大きな揺れが二人を襲う。幸い、音と揺れ自体はすぐに治まったが、周囲の者達が突然の出来事にざわつき始める。
そんな中、ざわついていた者達の間を縫って悲鳴のような声が届いた。
「城壁がっ!?」
色町は城壁からそう遠くない。城壁のすぐ近くというわけではないが、目を向ければ当然に視界に入る程度の距離しかない。だからこそ、その声に気付いた多くの者達からは、ガラガラと崩れ落ちる城壁の姿がはっきりと見えていた。そして――。
「魔物だぁぁっ!」
城壁が崩れ、外が見えるように開いたその奥に、異形の姿形をもつ魔物がその姿を現した。そのキメラは、本体が体長二メートルほどのエリマキトカゲのような二足歩行の蜥蜴だ。しかし、その下半身は毛で覆われた獣のようなもので、両腕は極太の大蛇がうねうねと蠢いていた。
最早魔物とも言い難いその異形の姿は、見た者に生理的な嫌悪と恐怖を叩き付けた。しかし、それを払拭するように、ロアが声を張り上げた。
「国からのお触れは知っているなっ! 全員速やかに逃げろっ!」
もし、ほんの数瞬遅れていれば、その場は混乱の坩堝と化し、ロアの声は誰の耳にも届かなくなっていただろう。
城壁を崩され魔物が姿を現したという事態は、王都に住む者にとってそれだけでとてつもなく衝撃的な出来事だ。その上、顔を覗かせたのは、見たことも無い異形の姿。普通の魔物にすら慣れていない者にとっては恐怖以外の何者でも無かった。
ロアの言葉でその恐怖が消えたわけでも、冷静になったわけでもない。しかし、だからこそ、ロアから与えられた逃げろという行動指針は、すぐにでもこの場を離れたいという本能と合致し、その身体を動かすことに成功した。
「うわぁぁぁぁっ!?」
その場に居た者達が、悲鳴をあげながら王城に向かって逃げ出し始めた。ほとんどの者は、きちんと現状を理解して逃げているわけではなかったが、それでも半ば反射的に避難先として王城を選んだのは、ロアが口にした通り事前のお触れがあったからだ。
敵が攻めて来るおそれがあるため、その際は速やかに王城に避難するように。この事態を予想していたレオンハルトが、民の被害を減らすためにそのようなお触れを出していた。しかし、だからといって全員が全員すぐに動けたわけではない。
「メイアっ。逃げ遅れた奴等を守るぞ」
「分かってるわ。けど、気をつけて――」
「何っ!?」
メイアが言い終わる前に、ロアが驚愕の声をあげる。その視線は、崩れ落ちた城壁の間から侵入してくるキメラと、それとは別のキメラが更にその奥に居るのを捉えていた。だが、それだけで終わりではなかった。
「あの二体だけじゃないわ。まだ居る……いえ、まだ来るわ」
ロアは魔力こそあるが、戦士に偏っているため広範囲の“探査”を得意としていない。そのため、その辺りは基本的にはメイア任せだ。だからロアは気付いていなかったが、メイアの“探査”はその様子を捉えていた。城壁の外に、幾つもの人や魔物の魔力が突如現れ始めたのを。
「ちっ、エイシス兵まで。ぞろぞろと面倒だな」
メイアの言葉を証明するように、キメラの後に続いて今度はエイシス兵が城壁を越えて入り込んで来た。その様子を見て、ジェイクから聞いた情報が事実であると確信した。なにせ、無差別に人間を襲うはずの魔物が、エイシス兵には一切見向きもしていないのだ。
――ヴァルド、だったか。魔物を操るとか何の冗談かと思ったんだがな。それにしても、まずいな。
ぞろぞろと入り込んでくるエイシス兵の数は、やはりというべきか、多い。仮にも王都を狙ってきているのだから相応の数は揃えているのは当然だが、そうなると、どう考えてもロアとメイアの二人では戦力不足だった。
それはメイアも分かっていたのだろう、ロアの背中に声がかかる。
「騎士や他の冒険者も動いているはずよ。無理せず時間稼ぎを優先しましょう」
「ああっ!」
短く返事をすると、ロアが槍を構えて先頭のキメラに向かって駆け出した。
「はあぁぁぁぁっ!」
一気に接近したロアは、突進の勢いを乗せた突きを放つ。しかし、キメラの頑丈な身体は、穂先を僅かに食い込ませただけでロアの一撃を受け止めてしまう。
「ちぃっ!」
その異常な硬さに舌打ちする。直後、二頭の大蛇がロアに噛み付こうと体をくねらせるが、槍が刺さらなかった時点で反撃を予想していたロアは、後ろに跳んでそれをかわした。
――思った以上に硬いな。Bランクとは聞いていたが、俺とメイアだけじゃ倒すのは無理か。
ユウト達やセインが持ち帰ったキメラの情報はギルドを通して既に共有化されている。個体によって戦闘力や特徴が大きく変わるものの、最低でもBランク相当の力を持つとの評価を受け、ロア達もそれを聞いていた。元よりBランクの魔物は一人二人で戦う相手ではなく、逃げるのが常道だ。とはいえ、今はそうも言ってはいられない。
「もっとも、あいつなら一人でも倒しちまいそうだが、なっ!」
キメラから間合いをとったロアに襲い掛かってきたエイシス兵の一人を槍で薙ぎ払いながら、暫く前に出会った少年のことを思い浮かべる。あの少年ならば、化け物染みた“強化”で一気呵成に斬り捨ててしまいそうだ。その様子を想像して、口角が微かに持ち上がる。
すると、炎の槍がロアの顔の横を通って、いつのまにか近づいてきていたキメラの大蛇を弾き飛ばす。
「ちょっと! 何を油断してるのっ」
「っと。悪い」
叱責されて表情を引き締めたロアが槍を構える。
――危ねぇ危ねぇ。格上相手に油断してる場合じゃなかったな。
キメラの攻撃を避けながら、エイシス兵の数を少しずつ減らしていく。このまま続けていけば、相応の時間を稼げるだろう。だが、それは今のまま戦力を小出しにしてくれればの話だ。
今も城壁の外から他のキメラやエイシス兵が続々と侵入して来ていた。既に百名近い兵と四体のキメラが揃いつつある。もし、この数に囲まれ、一斉に襲い掛かられれば、すぐに押し潰されてしまうだろう。
しかし、その予想外の行動にロアが驚愕する。
ロアとメイアには見向きもせずに――という訳でもないが、今戦っているキメラと一部の兵を除いて、それぞれが好き勝手にばらけ始めたのだ。折角、城壁を突破して奇襲に成功し、それなりの戦力が集まっているのだから、下手に戦力を分散させるよりも、一箇所に集中させて一気に王城まで攻め入るべきだ。
――だが、それをしない……? まさかっ!?
ロアがある可能性に到達した直後、その考えが正しかったことを証明するように再度轟音と揺れが王都中を襲った。
「……やはり、こいつ等の役割は陽動か」
正確な位置は分からないが、音の方向は王都の南側だ。おそらく、同じように城壁を突破されたのだろう。
その予想は当たっている。だが、誤解している部分もあった。――陽動なのは、ここだけでは無かった、ということだ。
続けて、二度。同じような轟音と揺れが響いた。
「見張りは何してるのよっ!?」
ロア達が居る北東部を含めて四箇所。音の方向からして、それぞれ離れた場所で起こっている。一箇所くらいならばまだしも、四箇所で奇襲を許すというのは、見張りがサボってるか買収されているかのどちらかくらいだろう。メイアが悪態を吐きたくなるのも仕方が無い。
もっとも、当の見張りが聞けば、逆に文句の一つでも返したはずだ。なにせ転移で急に城壁近くにキメラや兵が現れるのだから、見張りとしてもどうしようもない。
なんにせよ、四箇所で城壁の破壊と王都への侵入を許してしまったのは、大きな痛手だった。ただでさえ減っている王都の防衛力を、それぞれに散らして当たらせなければならないため、更に防衛力が下がってしまう。そんな危惧を抱いたロア達だが、エイシス側の行動はロア達の想像を更に超えていた。
ロアの視界の隅で、ある家屋から火の手が上がったのだ。
「火事……じゃない、火を放ったのかっ!?」
火の上がった家屋の側には、松明のような物を持ったエイシス兵の姿がある。すると、一つ二つと次々に家屋から火が上がり始める。
――正気かこいつ等っ!?
確かに火事を起こして一般人を巻き込めば、放っておくことが出来ずに対応のために兵を回さなければならなくなる。そうなれば、当然その分はキメラやエイシス兵に割ける兵の数が減ることになる。陽動や戦力を分散させるという意味では効果的な方法と言えるだろう。
しかし、幾ら効果的な方法だとはいえ、わざわざ一般人を殺し、家を焼き払うような真似を本来することは無い。そんなことをすればギルドが黙っていないからだ。ギルドを敵に回せば当然冒険者も敵に回すことになる。魔物の討伐に関してはそのほとんどを冒険者に依存している以上、冒険者が魔物の討伐を行なわなければ国は成り立たない。故に、基本的には一般人を巻き込まないように立ち回るのが普通だった。
だが、ヴァルドにとっては、エイシスもアルシールも聖櫃に至るための生贄に過ぎない。この戦争の後どうなろうと――それどころか、この戦争の結果自体がどうでも良いことだった。今この瞬間ヴァルドにとって都合良く動くのであれば、それがどんな手段でどんな結果になるのだとしても、その方法を採らない理由が無かった。
勿論、エイシス兵もこんなことをすればギルドを敵に回すということは理解している。理解しているが、今はそのことを何とも思っていなかった。その原因は、当然メイザースの精神支配にある。スバルに施しているような強力な物ではないため、意のままに操られているわけではないのだが、理性が薄弱になっていて、本来ならば効くはずの理性や良心といった精神的な抑制が効き難くなっていた。暗示や催眠術のようなものといえば分かりやすいだろうか。そこに加えて、王からの命令という形を利用することで、更に抑制が効かないようにしていたのだ。ヴァルドがわざわざ王に従っている体を装っているのも、こうしたことに使うためだった。
もっとも、そんな事情を知らないロアやメイアにとっては、エイシス兵のしたことは信じられない蛮行であり、正気を疑うのも当然だった。
「くそっ! 何にしても目の前の奴を少しでも止めるぞっ!」
苛立ちを隠さずに吐き捨てるようにそう言うと、目の前のキメラに集中する。どこぞへ行ったエイシス兵やキメラのこと、それに燃えている家屋のことも気になるが、今のロアとメイアに全てを同時にどうにかすることは出来ない。下手に気を散らして眼前のキメラの足止めすら失敗したら話にならない。
だが、それを分かっていても、何も出来ないことが苛立たしく、こんな手段を採ったエイシスに腹を立てていた。
「ええ。少しでも数を減らしましょう。“アイスエッジ”」
メイアの周囲に生じた無数の氷の刃がキメラとエイシス兵に向かう。キメラの頑丈な肌には浅く傷がつく程度だったが、人間はそうはいかない。エイシス兵は氷の刃に全身を割かれ、多量の血を流しながら地面に倒れた。
人間同士の戦いにおいては武器よりも魔術の方が重宝される。魔力量という意味で弾数に限度はあるが、威力も射程も魔術の方が上だからだ。だからこそ、敵に回した時は、魔術師の方を優先的に狙うのがセオリーだった。
理性が弱くなっているとはいえ、その程度の判断力はあるのか、エイシス兵がメイアに狙いを付ける。しかし、魔術師を狙うのがセオリーなら、前衛が魔術師を守るのもセオリーだ。剣を構えたエイシス兵の行く手を阻むと、槍を大きく振り、二人のエイシス兵を纏めて薙ぎ払う。
当たったのは太刀打ちの部分だったため、胴を両断とはならなかったが、直接槍で殴られた方は丁度鎧で覆われていない下腹部であったことも災いた。おそらくは内臓がやられたのだろう、ぐったりとしたまま動かない。まだ死んでは居ないようだが致命傷だろう。もう一人の方は、槍自体には当たっていないが、壁に叩きつけられてすぐに動けない程度のダメージを負っていた。
「ふっ! はぁっ!」
その後もキメラの大蛇を掻い潜りながら、ロアは槍を振るってエイシス兵を戦闘不能に陥れていく。ロアのかわしきれない、或いは捌ききれない攻撃はメイアが魔術でフォローしながら、ロア達も少なくない傷を受けつつも、その場に残っていた半数近いエイシス兵を叩きのめした。そして――。
「はぁっ、はぁ……はぁ」
息を切らしたロアが、仕切り直すために大きく距離を取った。周囲への注意を怠らずに、槍を構え直して息を整える。
――何とか半分は削れたな。このまま時間稼ぎを……ん?
それで少し余裕が出来たからか、残っているエイシス兵の一部がぼそぼそと何かを言っているのに気がついた。
「女。女だ」
「あ?」
戦場で何を言ってるんだコイツ等、と言わんばかりの表情になり、ロアの視線が呆れたものに変わる。そんな視線を向けられた一部のエイシス兵は、気にも留めずにメイアを見ており、その目は欲望に塗れていた。今のエイシス兵は理性が弱くなっているが、それは裏を返せば欲望が表に出やすいということでもある。さすがに全員が全員というわけでは無い様だが、一部の者は女を前にして抑えられなかったらしい。
あからさまな視線を向けられたメイアが顔を顰める。メイアはどちらかといえば格好良いと比喩されるタイプだが、その顔立ちは十分に整っていると言える。今までにもそういう視線を向けられることはあったが、ここまであからさまで無遠慮な、欲望丸出しの視線を向けられた覚えはメイアには無かった。もっとも、仮にあったところで慣れはしなかっただろうが。
しかし、暫くの間、じぃっとメイアを見ていたエイシス兵の視線から欲望の色が消える。あれ? と不思議に思った瞬間――。
「年増だ……」「年増か……」と、がっかりしたような声がエイシス兵達の口から放たれた。直後、ロアは何かが弾け飛ぶような音を聞いた気がした。
「今、年増とか言った奴、前に出なさい。ぶち殺してあげるわ」
静かで地の底から響くような声だった。怒鳴るのではなく、語りかけるような口調なのに言っていることが物騒で、余計に怖い。そう思ったが、当然ロアは口に出さない。巻き込まれるのは御免だった。今のメイアなら竜にも勝てるかもしれないと半ば本気で考えてしまうほど、メイアの威圧感は半端ない。実際、もしここにシルが居れば、怯えて逃げ出していたはずだ。
メイアの名誉のために言えば、勿論年増ということは断じて無いし、冒険者をしているだけあって体型も引き締まって理想的だ。好みの差はあれども、一般的に見て十二分に美人と言えるだろう。ただ、成人が十六歳というこの世界では、それより一回り以上年を重ねた女性がそのような評価を受けるのは、間々あることだったりもする。
――まぁ、仕方な……ひぃっ! いや、きっと彼らは幼い女性にしか興味が無い特殊な性癖の持ち主なんだっ!?
メイアに読心の特殊能力はないはずだが、まるで思考を読んだかのように殺気が――最早、鬼気とでも呼ぶべきかもしれないが、ロアに向いた。それに気付いて、心の中で必死に弁明する。
それが通じたのかどうかは定かではないが、メイアの鬼気が再びエイシス兵に向かった。
「出てこないなら、皆殺しにするけど。仲間を道連れにしたいのかしら?」
どちらが悪役か分からないことを言いながらメイアが一歩前に出ると、エイシス兵が一歩後退る。同時にキメラも後ろに下がったような気がするが、きっと気のせいだ。よもやBランク相当の魔物が、女一人の迫力に怯えることは無い筈だ。……多分、きっと。
そのようにメイアがエイシス勢を威圧出来ていたためだろう。戦場において、やってはならないことをしてしまった。正確には、やらなければならないことをしなかった。――“探査”を怠ったのだ。
「メイアっ!」
咄嗟にロアが注意を促す。勿論、気付いていた訳ではない。広範囲の“探査”を不得手とするロアには気付けるはずも無い。それでも声をあげたのは、直感によるものだった。何となく、まずいという感じがしたのだ。だが、その時にはもう遅かった。
「きゃっ!?」
背後から忍び寄っていたエイシス兵にメイアが押し倒された。いきなり切り付けられなかったのは幸運というべきか。いや、押し倒した男の目が少し前までメイアを見ていたエイシス兵達の目を同じ種類のものであることを考えれば不運かもしれない。
「くそっ!」
メイアを助けるために振り返ろうとしたロアをキメラの触手が襲う。メイアの威圧から逃れ、逆に狂乱状態にでも陥ったのか、エイシス兵も我先にとロアに襲い掛かる。
「邪魔だっ!」
襲い掛かってきたエイシス兵を薙ぎ倒し、メイアに近づこうと試みる。しかし、間髪入れずにキメラの触手とエイシス兵が次々と向かってくるため、捌くので精一杯でメイアとの距離が詰められない。
「くっ。放しなさいっ!」
当のメイアも大人しくしている訳ではない。組み伏せられた状態で抜け出そうと暴れるが、女性であり魔術師のメイアでは圧倒的に腕力が足りない。魔術を使えば抜け出すことも出来るだろうが、魔術を使うには相応の集中が必要であり、基本的に後衛に徹している魔術師はこういう場面を苦手としている者が多い。メイアも例に漏れずその一人だった。もっとも、もし不用意に魔術を使おうとしたら、その瞬間に殺されるおそれもあるのだが。
何にせよ、うつ伏せになったまま動けないメイアに対し、馬乗りになったエイシス兵がすることは単純だった。ローブの首筋に手をかけ、勢い良く引き千切ろうとした。――その瞬間、メイアの頭上を一つの影が物凄い速さで通り過ぎた。
直後、何かが強く壁に叩きつけられる音と苦痛混じりの声がメイアの耳に届いた。それと同時に身体を押さえつけていた力が消えていることに気付くと、すぐ横に何者かが着地した。
「ととっ」
勢いがつきすぎてバランスを崩した影から、少年のような声が聞こえた。メイアはその聞き覚えのある声の主に目を向けると、安堵の表情を浮かべた。




