第37話 生還の下山
――くそっ! なんてざまだっ!
心を乱したギルツは握りこんだ拳で地面を殴りつけ、ギリギリと歯を噛み締めていた。
ギルツとソフィアは未だ山道の途中に居る。岩壁が削れて少しだけ空洞となった場所で体を休めているところだった。
風竜はユウトだけに興味を持っていたため、逃げ出したギルツ達を追ってくるとは考え難いが万が一と言うこともある。本来なら、一刻も早く山を下りるべきだ。しかし、ブレスを受けたギルツのダメージは思いのほか大きく、戦闘の疲労もあってソフィアを背負ったまま長時間移動するのは難しかった。それに加えてギルツは“探査”を使えない。まともに戦闘が出来ない状態で魔物の奇襲でも受ければ一巻の終わりだ。
そう考えたギルツは、山を上ってくる途中で見つけたこの横穴で身を潜めながら休むことにした。
身を潜めていると言っても、丸見えではないという程度で殆ど見えてしまっているのだが、それでも山道の途中で堂々と休んでいるよりはマシだった。
横穴に入り、ソフィアを寝かせてからギルツも一息ついたことで微かに緩んだ緊張感が、ユウトを見捨てざるを得なかったという事実を思い出させ、ギルツを苛んでいた。
「ん……」
ソフィアが身動ぎして目を開けた。
それに気付いたギルツは感情を心の奥にしまい、表面上冷静さを取り繕う。
「目が覚めたか、嬢ちゃん」
「ギルツ……? ここは……?」
「大体七合目ってとこだ」
靄がかかったような思考のまま視線を動かし、自分がどこにいるかおぼろげに理解したところで、ようやく記憶が追いついた。横たわっていた体を勢い良く起こした。
「風竜はっ!?」
「……ユウトが足止めしている。俺達はすぐに山を下りるぞ」
「ちょっと、待って……ユウトを置いて来たってこと……?」
「そうだ」
ギルツの言葉を受けて、ソフィアが驚愕の表情を浮かべる。そして、ギルツを睨んで、怒ったように声を荒げた。
「貴方はユウトの相棒なんでしょ!? 何でユウトを――」
「あいつのためだ。俺達は――あいつは、嬢ちゃんが始原の花を村に持ち帰るのを手伝いたいと言って、ここまで来た。あのまま全員で戦っても全滅するだけだった。だから目的を果たすためにはこれが最善の選択だ。なによりも、あいつ自身がそれを望んだ」
「そんな……」
冷や水を浴びせられて、興奮していた頭が急速に冷える。ギルツを睨んでいた目は力を失い、涙が滲む。それと同時に、考えないようにしていた不安が現実となったことで、再びソフィアの脳裏に浮かび上がる。
「私の――」
「違うっ! 言ったはずだ、あいつが望んだと。そこに何者の意思も意図も介入する余地は無い」
「……っ」
有無を言わさぬギルツの気迫に、ソフィアが口を噤む。
ソフィアが何を言おうとしたか、何を思っているかはギルツにも分かる。だが、それは認めるわけにはいかなかった。認めてしまえば、言わせてしまえばユウトの決意が貶められることになる。
ユウトの決意はユウトの物だ。そして、その決意によって守られたものもユウトが守ったものでなければならない。ユウトの決意が誰かにさせられたことになってしまえば、守ったものすらその誰かのおかげになってしまう。
それは、ギルツにとって何より認め難い。
「……もう少し休んだら、出発するぞ。大した怪我が無いとはいえ、疲労はあるはずだ。今の内に少しでも体を休めておけ」
「……うん」
ソフィアの力の無い返事を最後に、それ以降二人の間に会話は無かった。
「はぁ……はぁ……ようやく、着いた」
息を切らせたギルツが呟いた。その表情には疲労の色が濃く出ており、後ろにいるソフィアも同様に疲労を露わにし、息を切らせている。
風竜に背を向けてからほぼ丸一日かけて、二人は麓の村まで戻って来た。
場所が場所だけに短時間の休憩しか出来ず、しかもいつ風竜が追ってくるか分からないという精神的な重圧があったため、元々疲労とダメージのあった二人は思った以上に時間をかけて山を下りることになってしまった。
「ここまで来れば流石に追っては来ないはずだ」
風竜は空を飛べるため、その気になればそれこそ地の果てまで追ってこれる。しかし、基本的に竜は自分達の支配地から出ないため、ウェントーリ大山脈からある程度離れてしまえば、その危険は極めて少なくなる。特にギルツ達に興味を示さなかったあの風竜なら、躍起になって追ってくるとは考え難い。
そうして精神的な重圧から解放されたことで、耐えていたものが堰を切ったように溢れ出す。
ソフィアが崩れるように膝をついた。
「う、うぁ……」
「……嬢ちゃん」
嗚咽の声をあげ泣き始めたソフィアの姿に、何も言うことが出来ないギルツが拳を握り奥歯を噛み締める。
そうしていなければ、ギルツも動けなくなりそうだった。
村の端でしばらくの間そうしていると、ギルツ達を見かけた村長が焦った様子で近寄ってきた。
「おぉ、お主達無事じゃったか」
「爺さんか……」
「心配しておったのじゃぞ。じきに戻ってくるとは言っておったが、少年一人しか居らんで」
「それは悪かっ……何? 今何て言った!?」
殆ど無意識に返事をしていたギルツが、急に必死な形相で村長に詰め寄った。
「し、心配しておったと――」
「その後だっ!」
「じきにもど――」
「もっと後っ!」
「少年ひと――」
「そこだっ! 少年ってユウトのことか!?」
「名前は分からんが、お主等と一緒に居た黒髪の少年じゃ」
ギルツの勢いにたじろぎながら答えた村長が訝しげな表情を浮かべる。
「無事だったのか……だけど、どうやって……?」
「どうしたんじゃ一体」
どうやって風竜から逃れたのか、どうやって自分達より早く山を下りられたのか、次々と疑問が浮かび上がったが、全て無視する。優先すべきことはそんなことではない。
「いや、今はそんなことどうでも良い。ユウトはどこに居るんだ?」
「お主等が泊まった家に寝かせておるよ」
老人の答えを聞き、ソフィアの方を振り向いた。
「嬢ちゃん聞いてたか!? あの家……っていねぇ!?」
「娘さんなら、もう走っていったぞい」
「行動早いな、おい!」
先程まで泣き崩れていたソフィアは既にそこに居らず、先日泊まった家に向かって走る背が見えた。それをギルツが急いで追う。
「やれやれ、忙しないのう。……それにしても、少年は随分愛されておるようじゃな。ほっほっほ」
ユウトの身を心配する二人の様子を微笑ましく思う老人が気分良さげに笑う。しかし、すぐに何かを思い出して表情が硬くなった。
「……ちょっと不味いかもしれん」
そう呟くと、焦ったように二人の後を追いかけた。
ソフィアから少し遅れて走り出したギルツは、ソフィアが開けっ放しにした家の扉をくぐる。部屋のある二階に上がると、手前の部屋から全ての扉が開いており、一番奥の部屋の開いた扉の前でソフィアが座り込んでいた。泣いているわけでも喜んでいるわけでもなく、ただ呆然と。
――まさか……っ!?
その様子に最悪の状況が脳裏によぎった。
「嬢ちゃん、ユウトは――」
ソフィアに声をかけながら近づいて、扉の奥に目を向ける。
そこにはベッドに寝かされ、顔に布がかけられたユウトが居た。
「……そん、な」
愕然としたギルツがゆっくりと部屋に足を踏み入れる。
――ん?
そこで違和感に気付いた。
「……なんだこれ」
「ぇ?」
胡乱げな目で機嫌が悪そうな声を出したギルツにソフィアが反応する。
一足先に来ていたソフィアは眼前の――ユウトの顔に布がかけられているという事実にだけ気を取られて、ギルツが気付いた違和感に気付いていなかった。
「ユウトの顔の辺り、よく見てみろ」
ギルツに言われてソフィアが注視すると――
「布が……揺れてる?」
ユウトの顔にかけられた布、その口元の辺りが時折ヒラヒラと浮かび、揺れていた。
「ついでに胸も上下してる」
「……本当だ」
ギルツの言った通り、ユウトの胸部は上下に動いている。
そのあまりにもあんまりな光景に二人が呆然としていると、背後から声がかかった。
「ほっほっほ。どうしたかね?」
その暢気な声に、ギルツが爆発した。
「どうしたじゃねぇよ! あれやったのあんただろ!?」
「ちょっとしたジョークじゃよ」
「笑えねぇんだよ! こっちがどんな思いでっ――」
それ以上言葉が出なかった。
「ぅ……くそ……」
「……すまんことをしたのう。そこまで心配しておったとは思わんかった」
飄々としたいつもの態度は鳴りを潜め、申し訳無さそうに謝罪する。
声を殺して涙を流し始めたギルツが膝をつき、座り込んだままのソフィアは声をあげて泣き出した。
「で、何があったんだ? 爺」
しばらくして落ち着いたギルツが村長に尋ねる。尋ねるというよりは詰問に近いだろう。もっとも、ある意味絶妙なタイミングで悪ふざけをしたため、仕方が無い。
二人はユウトが寝ている部屋で向かい合うように床に座っていた。寝ているユウトを起こすから場所を移そうと提案したのだが、ソフィアがそれを嫌がったため、そのまま話をすることになった。当のソフィアはユウトが寝ているベッドの端に座っている。
「爺さんから爺になっとるのう……何がと言われても何を言えば良いのか分からんのじゃが」
若干落ち込んだ様子の村長が答えると、少し考える素振りをしてからギルツが再度口を開く。
「さっき、俺達がじきに戻ると言っていたと言ったな。誰がそう言ったんだ? まさかユウトじゃないだろ?」
「うむ。そう言ったのは、少年を連れてきた者じゃよ」
「ユウトを連れて……? そのときのことを教えろ」
「一応村長なんじゃがのぅ……」
どんどん悪くなる扱いに寂しそうな表情を浮かべた村長が、コホンと咳をする。
「半日ほど前かの。少年を背負った娘が村に訪れて、お主達が戻ってくるまで少年の看病をしてくれと言ってきたんじゃ」
「その人がユウトを助けてくれたのか……? その娘ってのはどんな人だった?」
「年は……お主と同じくらいじゃろう。深い青色の髪と瞳をしておった。あとは……そうじゃな、おかしな話し方をしとったの」
「おかしな話し方?」
「うむ。こう……何とかっす、と」
「は?」
「だからの――」
老人の言わんとすることが分からずギルツが聞き返すと、困ったような表情を浮かべた。そして、喉の調子を確かめるように「ん、んん」と声を出すと、どこから出てるのかと思う高い声で答え始めた。
「この子のこと頼むっすね。といった感じじゃ」
「今の真似したのか……気持ち悪いんだが」
言葉通りに気持ち悪い物を見たとばかりに顔色を悪くしたギルツが辛辣な言葉を投げる。
「酷いのう……」
「まぁいい。どこかの方言か?」
「聞いたことは無いがのう」
「何者かは分からんが、ユウトを助けてくれたのは間違いないようだな……にしても、全く目を覚ます様子が無いな」
「それはまぁ仕方が無いじゃろうな」
依然寝たままのユウトに視線を向け、不思議そうな表情を浮かべていると村長が気になることを言った。
「どういうことだ?」
「少年が村に連れてこられた時、衣服はボロボロ、体中は痣だらけで血を吐いた跡もあったんじゃ」
「なっ……」
思いがけないことを聞かされ、ギルツが絶句する。話を聞いてはいたが関心を見せていなかったソフィアも、村長の言葉に驚愕の表情を浮かべていた。
「そりゃあ酷いもんでな。このままじゃ命が危ないんじゃないかと思ったくらいなんじゃ。しかし、その娘が致命傷になりそうな怪我は全て治してあるから大丈夫だと言ってのう。一応診てみたが、痣などが残っておるだけで重大な怪我はしておらなんだ」
「そうか……」
ホッとしたギルツが、深く息を吐いた。
現在ユウトは体の殆どを包帯で巻かれてはいるが穏やかな寝息を立てており、とてもそんな酷い状態だったようには見えない。だが、改めて考えてみれば、ユウトは地上最強の生物と戦っていたのだ。生きていることさえ不思議なくらいで、どんな大怪我を負っていても不思議は無い。
しかし、そこで一つの疑問が頭を過ぎる。
「なら、何故目を覚まさないんだ?」
「さぁのう。しかし、怪我が原因で無いというのなら、他に原因があるのじゃろう」
「……疲労と魔力の使いすぎじゃないかしら」
ずっと黙っていたソフィアが初めて口を開いた。その声は、まるで自分を責めているようにも聞こえた。
ギルツはそれに気付いていたものの、話を優先する。
「どういうことだ?」
「魔力を消耗しすぎると意識が朦朧とするの。ユウトがどれだけ魔力を使ったか分からないけど、あれが相手じゃ底をつくほど使っていてもおかしくないわ。それに、治療されたとはいえ命に関わりそうな大怪我を負っていたのなら、そもそもの疲労と合わせて体力を回復させようと体が睡眠を欲していて当然でしょう?」
「……確かに」
魔力を消耗した状態というのはギルツにはピンと来ないが、極度に疲労したり、大きな怪我をしたときに普段より眠くなるという体験をしたことはある。
「ところで嬢ちゃん、あのな――」
「二度も言わなくても分かってるわ。……分かってるけど、私自身が納得し切れないのよ。安心して、ユウトの前で言ったり、謝ったりしないわ」
「そうか……」
自分のせいで怪我をさせた、無理をさせた。そう言って、謝ってしまえばユウトの決意を汚すことになる。それはギルツに一度叱責され、落ち着いた今はソフィアも理解している。しかし、だからといって自分に責任は無いなどと開き直ることも出来なかった。
ユウトの前でそのことは口にしない。それが両者にとっての妥協点だった。
「だから――一杯お礼を言うわ」
ソフィアが笑顔でそう言うと、意表を突かれたギルツはキョトンとした顔をして、唐突に噴き出した。ひとしきり笑うと、楽しそうに頷いた。、
「あぁ、それが一番喜ぶだろうさ」
「何がそんなにおかしいのよ」
「いやいや、何でもない」
ユウトはソフィアに強制されたわけでも見返りを求めたわけでもない。
家族を救おうとするソフィアの意思を守りたい。そういう自分勝手な望みだ。だからユウトの身に何があったとしても、それはユウト自身の責任であり、誰かに謝られることではない。
あくまでユウトが勝手にやったこと。しかし、ソフィアを助けようという思いがある以上、そこにはソフィアのためという要素が間違いなく存在する。だからこそ、礼を言われればこれほど嬉しいことは無い。今のユウトには何よりの報酬だろう。
二人の雰囲気が柔らかくなったところで、一人置いてけぼりの老人が声をかける。
「そろそろお暇しても良いかの?」
「あぁ。……爺さん、ユウトの看病してくれて助かった。ありがとう」
「お爺さん、ありがとうございます」
「よいよい。前途有望な若者の手助けをするのが老いぼれの役目じゃ」
村長がそう言って笑いながら出て行くと、ギルツが難しい顔をする。
「それにしても、俺達が逃げてから何があったんだろうな。それにユウトを連れてきたって女、一体何者だ?」
状況的に不明な点が多すぎる。
何故女性一人で――一人でなくてもだが、ウェントーリ大山脈なんて危険な場所に居たのか。どうやってギルツ達より半日も早く気絶していたユウトを連れて山を下りられたのか。風竜と戦っていたはずのユウトをどうやって助け出したのか。
疑問が尽きず、考え込みだしたギルツをソフィアの一言が呼び戻す。
「今は良いじゃない。ユウトが無事だったんだから」
「……それもそうだ」
そう言われたギルツもすぐに思考を放棄した。
ギルツにとっても今大事なのはユウトが無事だったということだ。女性が何者で、どんな意図があったのかは問題じゃない。力を抜いたギルツが、ふと何かを思い出したかのような素振りをみせる。
「ところで、急いで村に戻らなくても良いのか? ユウトは大丈夫そうだし、送っていくぞ」
「少なくともユウトが目を覚ますまではここに居るわ。言ったでしょう、一杯お礼を言うって」
「まぁそう言うだろうと思ってたが、ユウトが目を覚ましたら怒るんじゃないか?」
「時間に余裕があるし、まだ目を覚まさないユウトを放って村に戻るなんて出来ないわよ。それに、怒られても構わないわ。また声が聞けるなら」
「ふむ……」
意味ありげな態度を取ったギルツに、ソフィアが訝しげな視線を向ける。
「何?」
「いや、相棒は愛されてんなぁ、と」
「あ、愛っ!? そんなんじゃ……」
何でもないように言ったギルツの一言にソフィアが顔を真っ赤に染めると、焦ったように否定しようとする。しかし、確かな否定はしなかった。
それをギルツは興味深そうな目で見ると、わざとらしく溜め息を吐いた。
「……まぁ違うというならそれで良いんだがな。ユウトは待ってる女が居るみたいだから、その気があるならちゃんと伝えた方がー―」
「誰のことっ!?」
「あー……まぁいいや」
食いつくように詰め寄るソフィアに、「隠す気あるのか?」と言いたくなったが面倒臭くなりそうなのでそれは止めた。
「孤児院で世話になった子で、ユウトの一つ下らしい。まぁ、本人は異性として大事なのか家族として大事なのか良く分かってない、というか混同してるみたいだがな」
それを聞いたソフィアが心配そうな表情を浮かべる。
「おやおや。そんなんじゃ……何だっけか?」
「ぅう……」
からかうようなギルツに言い返すことも出来ずに口ごもると、恨みがましい目でギルツを睨んだ。
「……ギルツにからかわれると腹が立つわね」
「なんでだよ!?」
「ギルツうるせぇ……」
弱々しい声が、あまりの言われようについ大声を出してしまったギルツを非難した。




