第36話 決着
風が収まる。
一発目のブレスよりも遥かに短く、また規模も小さい。それでもユウト達にとって、その威力は絶大だった。
「ギルツっ!? ソフィアっ!?」
二人がブレスに巻き込まれるところを見ていたユウトが、必死な声で二人の名を呼ぶ。
ブレスによって巻き上げられた砂埃で辺りは何も見えない。
「……っぐ。だい、じょうぶだ」
砂埃の中から、ギルツの声が届く。
少なくとも生きていることに安堵しつつも、ギルツの声が苦しそうなことに気付き、ユウトの表情が曇る。
砂埃が晴れると、そこには横たわったまま動かないソフィアと、僅かに体を起こしたボロボロのギルツが居た。
見た限りソフィアに擦り傷以上の傷は無いが、ギルツは盾と斧が粉々に砕かれ、鎧は腹部が円状に削れて体から落ちる寸前になっている。鎧と服を失った腹部には浅い裂傷が無数にあった。
ギルツとソフィアは風竜のブレスを避けられなかった。しかし、冒険者としての経験か、生物としての本能か。命の危険を感じたギルツは咄嗟に盾を出し、そこに斧を交差させて防御の姿勢を取った。
そのため、ギルツの前に盾、斧、鎧と順番に壁になり威力を殺したことで、ブレスの直撃にも耐えることができた。もっとも、無事だったのはそれだけが理由ではない。
――溜めが無かったせいで威力が弱かったのか……
ギルツ達がブレスの直撃を受けたため焦って考えが至らなかったが、最初のブレスに比べて明らかに威力が弱かった。もし、最初と同じ威力のブレスであれば、いくら防御してもこんなものでは済まなかったはずだ。
加えて、ソフィアが擦り傷程度で済んでいるのはギルツが盾になったというだけではなく、風竜がブレスを収束させたためだった。
収束されたブレスはギルツの体で完全に押さえ込まれたため、後方のソフィアは暴風を受け吹き飛ばされただけで済んだ。もっとも、収束していなければギルツの盾や鎧を貫くことは無かっただろうが。
「ソフィアはっ!?」
「嬢、ちゃんなら……気絶してるだけ、だ」
ギルツが苦しそうに声を絞り出す。
その様子を見ていたユウトが、決断を下す。
「……ギルツ。ソフィアをつれて山を下りろ」
「……は?」
「ソフィアをつれて山を下りろ」
何を言われたか理解できないギルツが聞き返すと、感情を篭めずに同じ台詞を繰り返した。
「何……言って。……ふざけんなっ! お前を見捨てろってのか!?」
「ああ」
「そんなこと出来るわけが――」
「ギルツ」
苦しかったことすら忘れて声を荒げるギルツに対して、ユウトの声は静かだった。だが、その静けさが逆にギルツを押し黙らせた。
「俺達の目的はソフィアを死なせないことだ。始原の花を手に入れて、ソフィアを大森林まで送り届けるためについて来た。花は手に入れた、後は無事に返すだけだ」
「だからって……お前を置いていく必要は……」
「このままじゃどの道全滅だ。なら俺が残って足止めして、お前がソフィアを連れて行くのが現状最善の手段だろ」
「なら俺が――」
「無理だ。それはお前も分かってるはずだ」
風竜が狙っているのはユウトだ。それに武器も防具も失った今のギルツでは時間稼ぎも出来ない。
それを理解しているギルツは拳を握り込み、俯いて唇を噛んだ。
「大丈夫だ。死ぬ気は無いし、時間を稼いだら何とか逃げるさ」
「ああ……」
それが虚勢であることは分かっていた。だが、頷く以外にギルツが出来ることは無かった。
既にギルツ達に興味を失ったらしい風竜はユウトと対峙したまま動かない。ユウトも目の前の風竜から目を離さずに居たが、ふいに視線をギルツに向けた。
「ギルツ。持っていけ」
そう言って、手にしていた槍をギルツの方に投げる。
ソフィアをおぶろうとしていたギルツが振り返ると、槍がギルツの近くに突き刺さった。
「お前ならある程度槍も使えるだろ。少なくとも、何も武器が無いよりはマシだろうし」
「……借りておく、後で必ず返すからな」
「おう。利子も取るから覚えとけよ」
ユウトが軽い調子で答えると、ギルツはユウトに背を向けて、登ってきた山道を引き返した。
――悪いなギルツ、ソフィア。
最後まで悔しそうにしていた相棒と心優しいエルフの少女に心の中で謝った。
ユウトが決断を下した後、とてもギルツらしくない態度だった。
ギルツは若いが経験のある冒険者だ。こういった場合にどうするのが最適かは理解しているし、納得もしている。だが、それに反して自分が残ろうとしたのはユウトがまだ少年と言って良い年齢であり、何よりもギルツがユウトを相棒として大事に思い過ぎているからだ。
それを嬉しく思いながらも、その心を曲げさせたことが申し訳無かった。
ソフィアはもし起きていれば猛反対しただろう。
ユウトとしては勝手についてきただけなのだが、ソフィアは自分が巻き込んだようなものだと思っている。ユウトを犠牲にして目的を果たすようなことは認めたがらないだろうが、今はこれがベストだ。そういう意味では、説得する時間が省けて良かったかも知れない。
だが、きっといつまでも心を痛めるだろうことを思うと申し訳ない気分になる。
しかし、いつまでも落ち込んでいるわけにもいかない。
――さて……
ギルツの背が見えなくなるまで、見送っていたユウトが改めて竜に向き合った。
竜を前に暢気な態度だが、ユウトには確信があった。
「なあ、お前。俺達の言葉が分かるよな? 俺は話すことも出来ると踏んでるんだが」
気負った様子も無く、そう声をかけるが風竜は何も答えない。
「だんまりか。人間風情と話す気はない、って感じでも無さそうだが……」
そこまで言っても風竜の態度に変化は無い。だが、ユウトは最早疑ってすらいない。
ギルツを見送る間ずっと待ち続け、今もユウトが話しかけるのを大人しく聞いていることが何よりの証拠だ。
「まぁ、話す気が無いなら無いで良いんだけど、ちょっと頼みがあるんだ」
探るように風竜の目を見るが、その瞳からは何も知ることは出来なかった。しかし、風竜が何も言わず、何もしないことを是と取った。
「出来れば俺も見逃して――は、くれんよな」
突如風竜の目が怪しく光ったのを見て、言うのを止めた。これを言えば問答無用で襲い掛かってきたかもしれない。
――さすがに都合が良すぎるか。なら……
歯を食いしばる。そうしていないと、恐怖で膝が震えてしまいそうだった。
これから言う頼みごとは、この竜ならおそらく守ってくれる。何の根拠も無いが、そう信じられた。
しかし、その代償として待っているのはユウトの確実な死だ。無論、どちらにせよこのまま戦うことになる以上は、頼みごとをしようがしまいが結果は変わらないだろう。それでも、自分で口にしてしまえば引くことは一切許されない。引いてしまえば、今の願いも決意も全てを自らふいにしてしまう。
待ち受けている死に体が震え、今にも逃げてしまいたくなる。それでも、あの二人が無事に戻れるのなら。
――勇気を奮え、虚勢を張れ、勝利を信じろ。たとえ相手が何者だろうが、斬ってみせる。
「お前の狙いは俺だろ? 最後まで俺が相手してやる。だから、今行った二人を無事に返してやってくれ」
ユウトの言葉にキョトンとした顔をした風竜が、微かな間を置いてコクッと首を縦に揺らした。
それを確かめたユウトが、笑顔を浮かべる。
「礼を言うよ。もっとも――」
腰に差した白光を抜いて、“強化”を更に強くする。体内から僅かに溢れて白い光となった魔力を纏い、笑みを消したユウトが鋭い眼光で風竜を見据える。
「やられる気は無いぞ」
ギィンッと硬い物同士がぶつかり合う音が響く。
風竜がユウトの斬撃を爪で弾いた音だ。先程から何度も響いた音。しかし、斬撃を弾かれたはずのユウトは微かに笑みを浮かべている。
爪で弾いた。それはつまり、風竜が防御をしたということだ。
今まで無防備に攻撃を受け、しかし鱗によって傷を負っていなかった風竜がより硬い爪であえて受けたということは、ユウトの今の斬撃ならば風竜の鱗に傷を負わせることが出来る可能性があるということ。少なくとも風竜はその可能性を感じたからこそ爪で受けたはずだ。
風竜が防御にも意識を割き始めたことで、ようやく戦いらしい戦いになっていた。
白い光を纏うほどに魔力を費やした“強化”を使用したユウトの動きは、いくら風竜といえども簡単に捉えられるものでは無い。しかし、対応できない速さでも無かった。
後ろに回り込もうと動いたユウトを追って風竜が体を回転させる。回り込むのは無理だと判断したユウトが、風竜に近づくために踏み込んだ。だが、刀を振る前に、風竜の尻尾がユウトを薙ぎ払おうと横から襲い掛かった。
「くっ」
踏み込んだため微かに重心が前に移っていたユウトは咄嗟に後ろに下がることが出来ない。そのまま前に跳躍し、目の前にある風竜の体を足場にして今度は後方に跳躍した。地面を這うように振られた尻尾の上空を通って、風竜から距離を取って着地する。
尻尾を振ったために風竜は半身になってユウトに側面を向けている。風竜が正面を向く前の接近を狙い、真っ直ぐ突っ込もうと走り出す。――が、前のめりに倒れ込んだ。
「――っぐぁ!」
足に激痛が走り、我慢できずに声が漏れる。
それでも痛みを堪えながらすぐに立ち上がった。
――もう限界なのかっ!?
風竜から目を離さないようにしながらも、痛みが治まらない自らの足に苛立ち、歯軋りをする。
そもそも、風竜と対等に戦えるだけの“強化”を普段ユウトが使わないのには二つの理由がある。
一つは魔力の節約のためだ。自分の魔力量が良く分かっていないため、下手に使っていざという時魔力切れになっては困る。そのため普段は必要最小限の“強化”を使い、相手や状況に合わせて使用する魔力の量を増やしている。
もう一つは、体がもたないからだ。
“強化”は身体能力を向上させるが、体が頑丈になるわけではない。そのため、向上した身体能力はその分体に負担をかける。特にユウトのように異常な“強化”を使う場合、その負担も並ではない。短い時間ならまだしも、それほどの“強化”を長時間使用していれば体にガタが来てもおかしくは無い。
そして、その兆候が現れた。
元々、ギルツ達と一緒に戦っていた時点で、普段よりも遥かに強い“強化”を使っていた。それに加えて更に出力を上げたせいで一気に体に負荷がかかってしまっていた。
――痛みはあるがまだ動くな。……っ!?
痛みと焦りで自分の内に意識を向けてしまったユウトはほんの僅かに、しかし、絶対に見せてはならない隙を晒してしまった。
風竜から意識を逸らしてしまったユウトはその攻撃が予想外であったこともあり、反応することができなかった。それに気付いた瞬間、腹部に衝撃が走っていた。
「がっ……」
“エアハンマー”――圧縮した空気の鎚で相手を殴りつける魔術。
竜が魔術を使わないと何故思い込んでしまっていたのか。
そもそもブレスも魔力が篭められた息吹で、魔術と本質的な差異は無い。しかし、魔術らしい魔術を今まで使っておらず、また魔物だという認識が魔術を使わないという先入観を生んだ。その結果、魔術を使用する際に生じる魔力の変化に気付くのを遅らせた。
横腹を空気の鎚で殴られて、体をくの字に曲げながら弾き飛ばされた。
飛んだ先は岩壁。めり込むような勢いで叩きつけられて空気を吐き出す。
しかし、それだけでは終わらない。
風竜が二対の翼を広げて軽く羽ばたかせると、風竜の周りに圧縮した小さな風の弾が無数に生まれる。
そして、それを一斉に撃ち出した。
岩壁に磔にされたようになっていたユウトの全身を空気の弾丸が襲い掛かる。
「――っぁ!」
無数の弾丸で全身のあらゆるところを撃ち抜かれ、ユウトが声にならない悲鳴をあげる。
生み出された弾丸を全て撃ち尽くしたところで、ようやく攻撃が止んだ。
「……ごほっ」
喉からせり上がってきた血を吐き出した。
胸甲に守られていた部分は胸甲がボロボロになったが、大きなダメージは受けなかった。しかし、防具に守られていない箇所は、至るところがズキズキと痛む。服に隠れて見えないが、おそらく中はそこらじゅうが内出血しているだろう。さらに、腹を何度も撃たれたことで内臓もダメージも受けていた。
ほんの一瞬隙を見せただけで、数十秒の間に満身創痍になったユウトの全身から力が抜けそうになる。倒れそうにある体をなんとか持ち直し、落としそうになっていた白光を握り直す。
――これはもう……駄目そうだな。
何の感慨も無く、ただ事実としてそう思った。
“強化”の過剰な使用で全身の筋肉が悲鳴をあげ始め、風竜の攻撃で全身のダメージに加えて内臓もやられた。すぐに死ぬような状態では無いが、少なくともゆっくりと竜と戦っていられる状態では無い。
ならば残された手段はただ一つ。
――一撃でコイツを殺すしかない。
ズキズキと痛む全身に気合を入れて、刀を構える。そして、息を大きく吸う。
吐いて、吸って、吐いて。――呼吸を重ねる度に深く己の内に入り込み、集中力を研ぎ澄ます。
三度、四度……そして、五度目の息を吸った瞬間、ユウトの全身を白銀の光が覆った。
ユウトが現状使える最大の魔力を費やした“強化”。
ユウト自身、体の限界を超えた身体能力を発揮させると体が壊れかねないことは知っている。普段から体を鍛えているのは、単純に体力や筋力をつけようというだけでなく、少しでも強い“強化”に耐えられる体を作るためだ。
そして、自身の魔力量を良く分かっておらず、しかし膨大な量だということだけは認識していたユウトは、今まで一度たりとも全力で“強化”を使ったことは無い。一歩間違えれば自分の体を、それこそ再起不能なほどに壊してしまいかねないからだ。
それを理解した上での大博打。体が壊れるかも知れない危険と引き換えに、唯一風竜を倒し得るかもしれない手段。
その博打を仕掛けたのは、風竜を倒すという一点においては正解だったのだろう。白銀に輝くユウトを見た風竜が、明らかに表情を変えて動き出したのだから。
ユウトの博打に初めて焦りを見せた風竜だったが、動き出すのが遅かった。
風竜が動き出したその瞬間には、白銀の光は既に風竜の懐に入り込んでいた。
白銀の光を帯びて、まさに白光となった刃は吸い込まれるようにして風竜の首に横薙ぎに食い込んだ。殆ど抵抗を感じさせず群青色の竜鱗を切り裂き、その刃が肉に届いた。
――とった!
そう思った瞬間――刀身が粉々に弾け飛んだ。
ユウトだけでなく風竜すらもその光景に驚愕の表情を浮かべた。
それでもいち早くその事実を認識し、得物を失ったことで反射的に距離を取ろうとしたユウトの膝から力が抜ける。
――足が……?
最早痛みすら感じなくなっていた両の足は動く気配も無く、立っている事もできなかった。
そのまま地面に倒れたユウトを風竜が前足で上から押さえつける。
――負けた……か。
殆ど感覚の無い全身に極度の疲労感だけが残り、思考が鈍っていくのを感じていた。そんな中で、これで終わりなんだ、という漠然とした認識だけは確かに残っていた。
風竜が口を大きく開き、そこに魔力が集まっていく。ブレスでも、魔術の反応でもない。
それをただ無感情に見ていたユウトが、誰に向けたものだったのか、既に霞んでいた思考の中でたった一言だけ呟いた。
「……ごめん」
そこでユウトの意識は閉ざされた。
「これはまた何と言うか……予想外っすねぇ。まさかこれ程とは」
ユウトが倒れているその脇に一人の女性が立っていた。そこに風竜の姿は既に無い。
「強すぎる魔力に刀身が持たなかったってことっすかねぇ。あのままだったら首が吹っ飛んでたかも知れないっす」
ユウトの手から落ちた刀身の無い刀を見て、軽く笑いながら首筋をさする女性の耳に母の声が届いた。
「笑い事ではありません。遊ぶなと言ったはずですよ」
「あ、遊んでいたわけじゃないっすよ?」
「ですが楽しんではいたでしょう」
「……」
必死に弁解しようとした女性も、断定した口調で図星を突かれてしまえば黙るしかなかった。
「まあ良いでしょう。それより分かってますね」
「アフターケアっすね。分かってるっすよ」
「ならばすぐにおやりなさい」
「っす!」
元気良く答えた女性がユウトの体に触れた。




