第31話 旅立つ前に
「じゃあ行くと決まったところで、計画を立てるぞ」
「計画?」
「あぁ。聞いてた限り、嬢ちゃんにはあまり時間の猶予が無いんだろ? なら、無駄を省くためにも先に粗方の計画は練っておく方が良い。で、嬢ちゃん。期限はどれくらいだ?」
「……最長で三週間よ」
今も村で苦しんでいる同胞を思い、ソフィアが辛そうな表情を見せる。
「最長で……ね。なら早い方が良いんだな。そうだな……」
ギルツが視線を地図に落として、考え込む。
ギルツが見ている地図はアルシールの物だ。ウェントーリ大山脈は今ユウト達が居る村の北東にある。ウェントーリ大山脈は長大だ、山脈のどこを目的地にするかによってその進入口が大きく変わる。極端な話、大山脈の北側に行くのに南側から入れば山脈の殆どを踏破することになるため、時間が掛かる上危険も大きくなる。
なので、その目的地を先に設定し、それにあったルートを選んだ方が良い。
「嬢ちゃん、始原の花の正確な場所は分かるか?」
「……南側から入った山の八合目。そこに広く平坦な場所があり、美しく透き通った泉があった。ほとりには、青く大輪の花。その花はあらゆる毒を打ち消す薬となる。文献にはそうあったわ」
ギルツに問われ、記憶の中にある文献の内容を必死に思い出しながら答えた。
「南側の山の八合目、か。南から入ったほうが良いみたいだな」
ウェントーリ大山脈の内情は良く知られていない。だが、最も恐ろしいのが竜であることは明白だ。竜と遭遇する可能性はたとえ僅かであっても減らしておきたい。そのためには、まず山脈内に居る時間を少しでも減らす必要がある。
南側の山にあるのならば、南から入って最短ルートを通るのが一番だ。
「よし、大体決まった。俺とユウトはこれから一度キルマに向かって、今回の依頼の報告と旅の準備、それから馬を手に入れてくる」
キルマというのは王都の南にある町で、この村の北にある。大きな町なので旅の準備を整えるには最適で、当然ギルドもある。旅の準備は勿論必要だが、それと同じくらい依頼の報告も済ませておく必要があった。ウェントーリ大山脈に行くのならば、当分は戻れないし、場合によっては戻ってくることもできないかもしれないのだから。
それはユウトにも分かる。だが、予想していない単語が聞こえ、聞き返した。
「何で馬?」
「南から入るなら、馬を使った方が早いからだ」
アルシールの南部は概ね平野だ。ユウト達が護衛依頼の際に越えた王都の東にある山々を迂回する形で南から大山脈に向かうことになるが、歩いていくには時間が掛かり過ぎる。時間制限が無いならそれでも良いが、今回はそうはいかない。
馬は速歩で移動しても、人が歩くより三倍近い速度が出る。常歩を交えても、徒歩よりはよっぽど早く移動することができる。少しでも早く目的を達するためには馬は必須だった。
「多少値は張るが、移動に便利だからあって困るもんじゃないし、金の方も追加報酬が期待できるから問題ないだろ」
「そういえば、魔物の素材があったな」
ユウトが視線を部屋の隅に向ける。そこには山のように大きな袋が鎮座し、袋の口から鎌の先が飛び出している。マンティアントはギルドに認識されてない魔物だ。姿形に、大きさ、硬さ、特徴など、その体に関する情報が軒並み得られるのだから、魔物の体はまさに情報の宝庫と言える。
新種の魔物を見つけ、その体を持ち帰ったとなれば、その情報に対する報酬はかなり見込める。
ユウトの視線を追って、マンティアントの鎌が飛び出た袋を見たソフィアが首を傾げた。
「あれって、マンティアント?」
「……それってあの魔物の名前か?」
聞き覚えの無い名前を口にしたソフィアに、ギルツが問いかける。
「えぇ、蟻と蟷螂を足して二で割ったみたいな魔物でしょ? 私を追ってた」
「ああ」
「なら間違いないわ。マンティアント、Bランクの魔物よ。こっちには居ないの?」
「その筈だ。少なくとも俺達は知らない」
「そう……まぁ大森林でも遭遇する方が珍しいくらいだし、仕方ないかも知れないわね。……そんなのに遭遇した私って」
自分の運の悪さを嘆いて、気落ちした様子を見せるソフィア。その様子を何とも言えない表情で見ていたユウトが話題を変える。
「だけどギルツ、どうやって説明するんだ? 村の周りに集まってた魔物の原因は、ソフィアの村を襲ったっていう異形の魔物だろ?」
「それについては、多少誤魔化すことにする。マンティアントを討ったことで近時の脅威は去ったが、原因はおそらく大森林の中にあって、しばらく様子を見たが、原因は確認出来ず、ってな具合にな」
「それで大丈夫なの?」
事情を良く知らないソフィアとしては、今の報告では調査としては片手落ちどころでは無いように感じていた。しかし、ギルツは特に問題とも思ってない様子で笑った。
「大森林に関する件については大体こんなもんだ」
「貴方達が大森林に足を踏み入れ難いっていう事情は理解したけど、どうにも杜撰ね」
呆れたように溜め息をついた。
ソフィアは次期村長として、現村長である父ソティスの仕事を近くで何度も見ている。仮に何かしらの調査を言い渡された者が、先程ギルツが言ったような報告をすれば、普段温厚な父も流石に声を荒立てるだろうと想像できた。それほどに報告としては実が無い。何せ、原因不明で、原因の所在もおそらく、という予測だ。結局のところ、何も分かっていないのと大差ない。
為政者側としてはその杜撰さは気になるが、これは人間達の中での話だ。
――私がどうこう言うことでも無いわね。
そう結論付けて、気にしないことにした。
「ところで、私はその間どうすれば良いの?」
「嬢ちゃんは俺達が戻るまでここで静養だ。しばらくはダメージが抜けないだろうし、村を出てしまえばゆっくり休める機会も殆ど無いからな」
ギルツの言葉を聞いて、ソフィアが不安げに表情を曇らせた。ユウトとギルツのことは信用しているが、だからといって人間全てを信用した訳ではない。人間の村に一人残されることに対する不安は思いのほか大きかった。
「……ギルツ、俺も残っちゃ駄目か?」
そのことにいち早く気付いたユウトがそう提案する。それで、ギルツも察した。
「いや、大丈夫だ。準備は俺だけでも出来る。確かに嬢ちゃんを一人にしておくのは良くないな。一人で勝手に行っちまいそうだし」
気遣いをソフィアに悟られないように、ギルツがソフィアをからかうように笑った。
「む、そんなことしないわよ。ちゃんと待ってるわ」
からかわれたソフィアが不満げに口を尖らせた。
ギルツはそれからすぐに準備を整え、村を出ることにした。
朝方に調査に向かったおかげで、まだ日が落ち始める時間には早かった。今からキルマに向かえば、着くのは早くても明日の朝になる。
本来、夜に移動するのは魔物に遭遇する危険が大きいため避けるのが常だが、夜の移動を避ければ少なくとも行って戻ってくるのに二日掛かってしまうが、避けなければ明日の夜には戻れる。今はそれが最も早い。また、今だけはこの辺りはそう危険でも無い。
周囲の魔物は今朝軒並み討伐しているため数が減っており、加えて大森林に出た異形の魔物やマンティアントのおかげで、しばらくは鳴りを潜めて大人しくしている可能性が高いからだ。
「じゃあ行ってくる」
「ああ、準備は任せる」
「行ってらっしゃい」
「……あ、そうだ」
言葉を交わし、村を出ようとしたギルツが、何かを思い出したような顔で振り返った。
「ユウト。二人きりだからって嬢ちゃんに襲い掛かるなよ」
ギルツがからかうように言った。
本人としてはちょっとした冗談だったのだろう。先程ユウトが暴走したこともあって、軽く釘を刺すくらいのつもりはあったかもしれないが、少なくとも本気ではなかった。だが、言われた二人の反応は実に冷たかった。
「……最悪だな、ギルツ」
「……こんなときに何の冗談なの?」
ユウトは無機質で感情の無い瞳をギルツに向け、ソフィアは汚物を見るような目でギルツを見ている。
思いがけず二人から侮蔑の目を向けられたギルツが焦って弁解を試みる。
「い、いや。ほら、二人とも年頃だし、念のためっていうか、ちょっとした冗談というか、な? 男女が一緒の冒険者とか、色恋沙汰で分裂とかあるからさ。別に本気で言ったわけじゃないって!」
必死に言葉を募るが、二人の視線は変わらない。
「ぐ……その……」
遂に弁解する言葉が尽き、唸るように言葉を捜す。そこで止めが入った。
「ギルツ。そのデリカシーの無さは改善した方が良いわ」
侮蔑の目から一転、可哀相なものを見る目を向けられた。
「ぅ……うぅ。くそぉ、俺が悪かったよ! ちくしょー! 行ってくるっ」
年下の少女に侮蔑の視線を向けられた末に憐れまれたという事実に耐えられなくなったギルツが、泣き叫ぶように声をあげながら馬を走らせて村を出て行った。最後に挨拶をしていくあたり、まだ余裕があるようだが。
その場に残った二人はギルツを見送って、姿が見えなくなった頃にソフィアがユウトに声をかけた。
「……やりすぎたかしら?」
「ん? あぁ、大丈夫。戻って来る頃には忘れてる。というか、あいつも分かった上でやってるだろうし。最後に、行ってきますって言ってただろ?」
「そんなに和やかな去り際じゃなかったと思うけど、そう……ユウトが言うなら大丈夫なのね」
多少腑に落ちない点はあるようだが、納得したようだった。
先程のやり取りは、勿論ちょっとした悪ふざけだ。こうやってユウトがギルツをからかうのは良くあることで、ギルツ自身もそれを分かっていてノッている。もっとも、ユウトは兎も角、ソフィアがこういった悪ふざけをするかどうか分からないギルツは、本気で言われたのではないかと地味に気にしていたりするが、それを二人は知らない。
ちなみにソフィアが悪ふざけに付き合ったのは、ユウトに唆されたからだ。ギルツが準備をしていて二人の近くに居ない時に、「こういった悪ふざけが出来るくらいの関係の方がギルツも喜ぶから」などと吹き込まれ、素直に信じてしまった。
――人間嫌いのエルフってわりに、素直というか純粋というか……
いくら信用したとはいえ、人間であるユウトの言葉を疑いもせず信じてしまうのは、少し心配だった。
しかし、今はそれよりも悪戯心が勝った。
「それに、ギルツは罵られて喜ぶタイプだからな」
「……そう。そういう性癖の人が居るって聞いたことはあるけど、ギルツがそうなのね」
ユウトの言葉を信じたソフィアが深刻な表情で答えた。
それを見ていたユウトが、ソフィアから見えないようにニヤリと口元を三日月に曲げて笑う。その笑みを浮かべた顔はどこぞの悪党にしか見えなかった。
考え込むようにしていたソフィアが、「変態なんだ」とギルツにとって最悪の結論を呟いたところで、ユウトが清々しい笑顔を浮かべた。
「さて、じゃあギルツが戻るまで、ソフィアは休養な。明後日には村を出ることになるだろうから、それまでは寝てること。俺は隣の部屋にいるか、外で訓練してるから、何かあったら声かけて」
「えぇ、分かったわ」
一方は心底楽しそうに、もう一方はまだ考えるような様子のまま、村の中に戻っていった。
次の日の夜、予定通りギルツが二頭の馬を連れて村に戻ってきた。
「何で二頭なんだ?」
「三頭買うほどの金の余裕は無い。それに嬢ちゃんは始原の花を手に入れたら大森林に戻るんだ。馬を連れてくってわけにもいかんだろ」
大森林の中は当然木々が多く、馬が自由に走れるような環境ではない。連れ帰ること自体は可能だが、窮屈な思いをさせてしまうのは間違いなかった。それが分かるソフィアも、ギルツの言葉に頷いた。
「そうね。でも、あの子達がユウトとギルツの馬なら、私はどうすれば良いの?」
「ん? ユウトの後ろに乗れば良いだろ。俺自身もそうだが、鎧も重いから二人で乗ると馬の負担が大きすぎるし、ユウトと嬢ちゃんなら丁度良いだろ」
「そ、そう。わかったわ」
ユウトの後ろに乗ると聞いて、恥ずかしげに頬を染める。ソフィアは馬に乗った経験は無いが、乗るとなれば前に乗るユウトにしっかりと捕まらなければならないことは予想が付く。ユウトと密着する未来を想像して、更に赤く染まった顔を隠すように俯いた。
そこで、思いがけない言葉がギルツとソフィアの耳に届いた。
「あ、俺馬に乗ったこと無いわ」
「……何?」
「いや、だから。馬に乗った経験無い」
「……」
ギルツが眉間を押さえて言葉を失う。
考えてみれば、馬に乗れるかどうかを確かめていなかった。ユウトの記憶はここ半年程度しかない。しかも、その大半は小さな村で過ごしている。乗馬の経験が無いことは十分に予想できたことだった。
自分の失態だとは理解しつつも、馬の話題が出たときに言えよと思わなくも無かった。
「……ユウト。今から練習。乗れるようになるまで寝るな」
「ちょっ!?」
突然のスパルタ発言にユウトが焦った声を漏らす。
「反論は認めん。やれ」
「……はい」
有無を言わさぬギルツの迫力に、しぶしぶ返事をした後、とぼとぼと外に出て行った。
「……町に行ったときの意趣返し?」
微かに笑みを浮かべたソフィアが、そっとギルツに問う。
「否定はしないが、実際乗れないと困るのも確かだ。今更予定を変えるってわけにもいかないしな」
腕を組んだままそう言ったギルツが、表情を緩める。
「まぁ、心配ない。あいつならすぐ乗れるようになるだろ」
「そう……みたいね」
ソフィアが視線を向けた先には、既にそれなりに形になった様子で馬に乗っているユウトの姿があった。




