中等部一年・『海川玲が見た三ヶ月間の記録』(前編)
私は考えた。何故、私は『天谷楓』であろうとするのだろうか、と。
私は考えた。何故、私は『素の自分』であろうとしないのか、と。
私は考えた。何故、何故、何故、何故………。
私の名前は海川玲、私立悠星学院中等部&高等部の養護教諭である。そして私は前世の記憶がある挙句、前世で遊んでたギャルゲー『プラネット・メモリーズ』のキャラクターとして生まれ変わっている。(自分では遊んでいないが、兄妹作にあたる女性向け恋愛ゲーム『プラネット・デイズ』にも登場しているらしい)それに気付いたのは十歳の頃。どういう経緯で思い出したのかは覚えていないが、驚く事が多すぎて考えるのをやめたから覚えていないのかもしれない。とりあえず、生まれ変わったら性別が変わっていたのが最大の衝撃だった。
さて、私の人生もなんやかんやあって悠星学院へと進学、卒業。その後もまたなんやかんやあって原作をなぞるように“本来の海川玲”と同じ養護教諭の立場になり、新しくわかった事も多数ある。ゲームでは広大な敷地面積があるかのように思えた悠星学院がそこまで広くないという点だ。大きな建物は中等部、高等部それぞれの教室棟、職員室やら応接室やらがある管理棟、理科室だの視聴覚室だのがある実習室棟、体育館兼講堂、小規模な催しの為の小ホール、あとはグラウンドの片隅に建てられたクラブ部室棟。一般的な高校に比べれば充分広いが、ゲームで遊ぶ限り大学のキャンパスくらいはあるものだと思っていたので、存外現実的なサイズで収まっていたのは少し驚いた。
あくまでもこの世界はゲームの作品と同じ建物、同じ登場人物等が出てくる物の、現実世界である事には変わりないという事を私は中等部入学時から養護教諭として赴任するまでの間によくよく思い知った。ゲームとは違うのだから好きに生きようとも思ったが、かつてゲームの中で色恋沙汰を楽しんだ女の子達に会わずに人生を過ごすのもなんとも勿体なく思え、結局私はこうして今日も保健室で事務作業をしたり、病人・怪我人の世話をしたりしている。少々前置きが長くなってしまった。だが前置きを書いておかねば、後から自分で読み返して何が書きたかったか分からなくなるので必要なのだ。後はまぁ、多少大仰にしといた方が自分が読んでて楽しいと思うし。
閑話休題。
これから書き記す事は、私がよく知る登場人物の一人である天谷楓の変化を記録したものだ。彼女もまた私と同じ転生者であるが、私とは違い、極めて強い義務感によって、執拗に原作通りの天谷楓像を追い求め、原作通りの天谷楓を完全になぞろうとしている。そんな仮面を被った状態を、少なくとも『プラネット・デイズ』および『プラネット・メモリーズ』のシナリオが終了する高等部一年の三月まで続けるつもりのようだ。彼女と初めて会った際に「あまり原作通りを意識し過ぎるな」的なアドバイスをしたが、文化祭終了後から彼女の精神状態が悪化の一途を辿っている。まずは文化祭終了の一週間後まで話を遡ろうと思う。
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【十月第三週】
「おはようございます、海川先生」
始業前、廊下で注文品を運んでいる最中に楓からこんな風に挨拶をされた。なんの変哲もない朝の挨拶である。声の抑揚は自然だったが、表情が不自然だった。まるで張り付けたような笑顔だった。思わず呼びとめようかとも思ったが、彼女はすぐに職員室へと入ってしまった。学級委員長を務めているので、何かしらの用事があったのだろう。しかし、以前に会った時はもう少し表情も自然だったような気がするし、何度か前世絡みの話で相談も受けてた割には、妙に他人行儀だった気もする。礼儀正しいのは良い事だが……。
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【十月第四週】
楓と同じクラスの篝火が部活で負傷した一年生を連れてやってきた。軽い突き指と爪割れだったので手当を行いながら篝火にそれとなく天谷について聞いてみた。
「なぁ篝火、天谷の姉の方は調子良さそうか?前に倒れた事があるから、ちょっと気に掛かってるんだが」
「うーん……特に変わったとこは無いと思いますよ?」
「ふむ、それならいいんだが」
……とまぁ、こんな会話をした。普段から仲良くしているらしい篝火が「変わった所は無い」と言っているのだから恐らく問題無いだろう。しかし、出来れば本人からその言葉を聞きたい所だ。
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【十一月第一週】
体育祭当日。本部テント横に設置された救護コーナーで待機しながら、近場にあった中等部一年の待機場所へと目を向ける。間逗やら滝沢やらの登場人物組がすぐ目に入るのは、やはり前提知識があるからだろうか。“プラデイ”の登場人物についてを天谷から聞いて多少知れたので、確認しておきたかったのもある。その天谷は相変わらず委員長らしくまとめ役や出場者の呼び出しと忙しそうにしている。しかし、表情は殆ど変わらず、例の張り付けたような笑顔のままだった。
本部に彼女の担任である大崎先生が居たので、それとなく話題を振ってみた。
「大崎先生、天谷さん随分とよく働いてますね」
「ええ、文化祭が終わってからより一層仕事も勉強も熱心になってるみたいです。ただ、ずっと気を張っているようにも見えるのであまり無理はしないように、とは言ったんですが……」
「聞き入れなかった?」
「ええ……『私がやりたいからやってるだけです。大丈夫ですよ』とだけ言われましたね。しっかりしているのは良い事だとは思うんですが……」
どうもあまり良い傾向とは言えない。大崎先生も心配そうではあるが、表面的には与えられた仕事を一生懸命にこなしているだけなので彼女が注意を受ける謂われは無い。無理はするな、と言っても本人が「無理をしていない」と突っ撥ねてしまう。どうしたものだろうか……。
※
【十一月第二週】
職員室と保健室は一部屋挟んだ隣にある。そして保健室の方が中等部の教室棟に近い。なので私は待ち伏せをする事にした。二時間目と三時間目の間にある、十五分の休み時間に、プリント類を職員室に届けた帰りの天谷を捕まえた。
「天谷、少しいいか?」
「何か、御用ですか?」
小首を傾げる仕草は確かに私もよく知っている天谷楓の姿だ。だが、それをやるには三年早いよ、天谷。
「大した話じゃないさ。文化祭に体育祭にと馬車馬のように働いてるみたいだから、無理をしていないか気になっただけだ」
「心配いりませんよ。自分の事は自分がよくわかってますから。これくらい、大丈夫です」
笑みを浮かべながらそんな事を言う。確かに顔色が悪い訳でも、足取りがふらついている訳でもない。無理はしていないのは確かだろう。だが、私が言いたいのはそういう事じゃない。
「……前にも大崎先生から言われたとは思うが、無理して倒れたら辛いのは周りの人間だぞ。同じ委員長の坂原だって居るんだから。むしろ坂原に仕事押し付け倒すくらいの方が女子力高いぞ」
「……わかってます。大丈夫です。……すいません、すぐ次の授業は教室移動があるので、これで」
張り付けたような笑顔が少し崩れ、何かを堪える様な表情を浮かべたのを見て――不謹慎にも、少しホッとした。まだ、彼女は仮面を取る余地はありそうだ。しかし以前の天谷なら女子力云々にツッコミを入れてくれたんだがなぁ。
「おうおう、海ちゃん先生。なに天谷ちゃんイジメてんだよ」
物思いに耽っていたらアホに見つかったのは私のミス以外の何物でもない。わざとらしいチンピラムーブで因縁をつけてきた間逗の頭頂部に肘を落とす。
「人聞きの悪い事を言うな。天谷は前に集会で倒れたからな。無理をしていないか確認しただけだ。あと海川先生と呼べと何度言ったらわかるバカ者」
「ぐおお……ごす、って音が……」
「で、何の用だ間逗」
「いや、絡みに来ただけ。っていうかさ、天谷ちゃん最近おかしいよね。具体的に言うと文化祭の後から」
「ほう……?詳しく聞こうか」
思わぬ情報源が手に入った。曰く、普段の天谷に近い役を演劇でやったらしい。それ以降、役がハマりすぎてずーっとあんな調子になってるのかも、というのが間逗の見解だ。正直、そこまで強力な情報とは言えないが、彼女の変化の切っ掛けはわかった。文化祭以降に何があったかを探らないといけないが、養護教諭という立場上、あまり大っぴらには動けない。
さて、どうしたものだろうか……。
私は無理などしていない。
私は私の意思でこうしている。
私は無理などしていない。
『天谷楓』は無理などしていない。
私は無理などしていない。
私はやるべき事をしているだけだ。
私はそうしなければいけないからだ。
『私』ではなく、『天谷楓』であらねばならないからだ……。