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根岸  作者: なしごれん
第一章 根岸森林公園
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第五話

深夜の森林公園は驚くほど静かだった。


公園の中で時折起こる冷たい風が、私たちの背後から何か異様なものを呼び寄せるかのように過ぎ去っていく。


街灯は僅かだが空が明るいので周囲が見えないほどではない。階段を登りきった私たちは遊具の側に生い茂る小低木を中心にドラゴンを探した。

空が明るい。と言っても、植木の中は真っ暗なので私たちは携帯電話の明かりを使ってドラゴンがいそうな木々の隙間の空間や、他よりも緑の生い茂る区画に頭をねじ込み隅々まで探した。

しかし、やはりそんな場所にドラゴンなどいるはずもなくAが別の場所に移動しようと促した。


遊具の区画を過ぎると競馬場の観覧席が見えてきた。

擬洋風建築のその建物は観覧席の役目を終え、半世紀以上この場所に立っている。灰色の明るい空に三棟の廃墟が整然と建つその姿は昼間とは違った凄みがあり、言葉では言い表せない威圧感と他を寄せ付けない圧倒的な力強いオーラを放っているような気がした。

周りは鉄柵で囲まれ破れかけの立ち入り禁止の張り紙が何枚も貼られている。史跡というより取り壊し損ねた洋館と言ったところだろうか。七階建ての建物の外壁はほとんどが苔に覆われていて、柳色の蔦が窓ガラスを突き破り内部に侵入している。


「この中にドラゴンがいるんじゃない?」


私は半分冗談のつもりでで二人に尋ねた。


「確かに、この中だったら隠れていても不思議じゃないね」


Bが言う。


内部は暗くて見えないが、確かに生き物がいてもおかしくはない大きさだ。


「でも、どうやって中に入る?」


Aが淡々と上を見上げて言った。

それは観覧席の周りを囲むように取り付けられている高い鉄柵だった。先端は有刺鉄線になっており、柵と合わせて三メートルの壁が私たちの行く手を塞いでいる。


「怪我はすると思うけど、誰かを担いで飛び越えて入るしかないんじゃないかな」


「それだと全員入れないし、帰る時はどうするんだよ」


「自力で出るしかないね」


つまり怪我をしろと言うことだ。


しかし、私たちの身体能力で無理やり登れないこともないその壁は、所々鉄柵が曲がっていたり、鉄線が切れていたりと中に誰か入った形跡があった。


Aは切れている鉄線の柵に手を伸ばし、勢いよく手を振り地面を蹴る。

バレーで鍛えられたその跳躍で手が完全に先端に届いていた。

Aは、今度は十分な助走を取り本気で鉄柵を登ろうとする



「ここに監視カメラが付いている。中に入れば通報が入るだろうし、大学と職場にも影響するからやめたほうがいい」



私は街灯の上当たりを指差しAに言った。

そんな場所に監視カメラなど無いのだが、私は彼が本当に内部に入ってしまうだろうと思った。中は崩れた煉瓦やゴミで溢れていて足の踏み場はないだろうし、暗くてまともに前が見えないので怪我をする危険性も十分にあった。


こんなことのために危険を冒すなんて馬鹿げている。そう思った。


「仮にドラゴンがいるのなら、芝生広場の方だろう。そっちは広いし見晴らしもいい」


私はそう言って半ば強引に二人を芝生広場の方へ向かわせた。

本当は少し怖かったのだ。


夜の公園にひっそりと佇むその三棟の史跡は、仁王像のような衝撃を私に与えた。公園を守るそのシンボルは横浜の上から私たちを見下ろし、行動を監視しているかのように冷たい眼差しを送っている気がした。


 私たちは観覧席のあるドーナツ広場から芝生広場へ移動するために、使われていない細い道路を渡った。

道路はゲートへと繋がっていて、その先は米軍基地だ。


観覧席の奥に芝生広場があるので突き進めればいいのだが、その境目の区間は封鎖されていて中に入ることができない。

森林公園のある根岸地区は、未だアメリカ軍基地が存在しているため芝生広場に行くためには遠回りをしなければならなかった。

芝生広場とドーナツ広場の境に位置している米軍基地は「根岸住宅」と呼ばれている。これは戦後米軍が根岸地区に陸軍用の住宅を建設したものが今でも残っているのだ。

最近になって全ての施設の返還が合意され、住民の退去が完了し現在はゴーストタウンと化していた。

数年前まではフレンドデーと言う名の交流会が毎年開かれていたのだが、人のいない現在の根岸住宅は観覧席と同様に廃墟になっていた。


門の鉄柵の隙間から内部を除くことができるので、私は一軒一軒に広い庭がついたアメリカンスタイルの家を見入った。

数年前に訪れた時は人の往来をここから見ることができたのだが、人の営みが全く感じられなくなったその場所は明かりひとつ灯らずに、緑に侵食された建物が草原の中にポツンと建っているだけだった。


「この中にいそうな気がする…」


私は思わずそう呟いてしまった。


「なんだよ、やっぱり水木も信じてるじゃん。でも残念だけどここは何したって入れないよ、日本じゃないんだから」


Aはゲートの前に貼られた看板を横目にそう言った。

「警告 WARNING」」と書かれたその下に、英語で長々と文字が続いている。

私はもう一度中の建物を見つめた。


今、私の立っているこの場所は日本であり、私たちの住んでいる街横浜も紛れもなく日本である。

しかし、ここから数メートル先はもうアメリカなのだ。言葉や文化や歴史が全く異なる別世界が、人の営みが消滅した異空間が、このゲートの先に存在するのだ。


私は何年も前から知っていたはずのこの事実を、今初めて聞かされたような気がした。

ドラゴンの存在など関係なくこのゲートの中に入ってみたい。


私はその時強くそう思ったのだ。それは知的好奇心から生じた物ではないとはっきりと断言はできないが、私の心の奥底にある未開のベリルを突き刺されたような、言い難い感動から生じた感覚だった。


 結局、ドラゴンを見つけることはできなかった。

私たちはゲートを過ぎた後、芝生広場を一周してドラゴンの隠れていそうな木々の中をひとしきり散策したが、その努力は空しくも身を結ばなかった。

しかし、何も成果がなかったわけではない。私たちは久しぶりの再会もあり、ドラゴンを探す趣旨から外れ暫し会話を楽しんだ。


彼らは高校三年間の波瀾万丈で興味深いエピソードを次々と語り、その度に私は表情筋が痛くなるほど笑った。それに釣られて彼らも大声で笑った。広大な夜の公園に三人の笑い声だけが響く。その空間は、私の高校三年間のどの瞬間よりもかけがえのない思い出になるだろうと、その時私は思った。


時計の針が三時を差した頃に私たちはまた必ず会おうと約束して根岸森林公園を去った。帰り道、私はAがなぜドラゴンを探しに私たちを呼んだのか考えた。ひょっとしたら彼も私と同じ気持ちだったのではないだろうか、

高校三年間未開の地で生活した彼は寂しかったのではないだろうか、

そんな彼は今日の出来事をどう感じたのだろうか、

私は坂を下りながらひたすらそんなことを考えていた。


「根岸のドラゴン」そして「根岸住宅」。人通りのない丑三つ時の横浜に優しい風が巻き起こる。

その風は行きでは感じることのなかった爽やかさをもたらす心地よい春風だ。

私は風を肌で感じ、ランドマークタワーの輝く横浜をただ眺めていた。


次から二章です

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