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根岸  作者: なしごれん
第一章 根岸森林公園
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第四話

根岸森林公園は元は競馬場だった。


十九世紀後半、横浜の開港に伴い外国人居住者の数が増えた山手の西側に、横浜競馬場として開かれた。

近代日本競馬の礎を築いたその場所は二十世紀に入ると戦争が激化し、終戦時にはアメリカ軍に接収させらてしまう。その後、競馬場跡地をゴルフ場にするため芝生に張り替え、七十年代になってようやく大部分の返還が認められることになった。


今でも競馬場時代の観覧席が当時の姿のまま史跡として残されており、老朽化したその巨大な建物は内部に入ることはできず、見る人に威圧感と恐怖を与えた。


根岸森林公園は遊具のある小さい広場と、その七、八倍はある広大な芝生広場の二つから成っていて、芝生広場にはカエデやケヤキ、桜など様々な木々が生い茂っている。


公園に続く小道をゆっくりと歩きながら私は小学生時代よく兄弟でここへ訪れ、時間を忘れて遊んだ懐かしい記憶を思い出した。


何年振りだろうか。私は公園に行って遊ぶことなどもう長い間していなかったし、根岸に至っては小学生の頃に行ったっきりでAが誘うまでは存在すら忘れていた。私は久しぶりに訪れる森林公園に期待と緊張の入り混じった複雑な気持ちを整理してAにもう一度あの質問を尋ねた。


「もうすぐそこなんだからさぁ、何をするのか教えろよ」


「まだ着いてないじゃん 着いたらってさっきも言ったろ?」


「どうせそんなにはぐらかすことでもないんだから 話してみろって」


「わかったよ…じゃあこれが吸い終わってからな」


Aは今日で三本目になるタバコに火をつけた。運良くこの辺りに交番はないのだが万が一のことがあると面倒なので、私とBは周囲を気にしながらAとは距離を取って歩いた。


「根岸に、根岸にドラゴンがいるんだ」


ゆっくりと煙を吐きながらAは穏やかな口調でそう言った。


「ドラゴンってあのドラゴン?」


Bが不思議そうに尋ねる。


「そうらしい。俺のひい爺ちゃんが見たんだ」


「マジかよ、見つけたら大ニュースだぜ俺たち有名人になれるぞ」


Bはサンタクロースの存在を信じる小学生のように興奮して声を荒げた。私はBが本当にドラゴンの存在を信じているのではないかと呆れながらAに質問する。


「具体的にどんなドラゴンなんだよ。中国の龍みたいなやつなのか、ゲームに出てくる火を吹くやつとかさぁ、色々あるだろ」


「えーっと…確か羽が付いていて、体はかなり大きいらしい」


そんな生き物がいてたまるか。

と私は思ったが、彼らのファンタージにもう少し付き合ってあげても良いだろう。

まさかAが数年の間にメルヘン思考に目覚めたとは思いもしなかったが、都市伝説や怪談話を楽しそうに私たちに語っていた中学時代の彼を思い出し、見た目は変わったがやはり中身は変われないのだなとしみじみ感じた。



第一、そんな大きい怪物が一体どこからやってくるというのか。この横浜にそのようなモンスターが現れれば、一夜で世界的ニュースになるだろうし、目撃者だって沢山いるはずだ。


「それで、どうしてドラゴンを見つけたいわけ?」


Bが不思議そうに尋ねた。Aは一瞬口を開きかけたが、唇をキュッと噛み締めしばらく黙っていた。



「願いが…根岸のドラゴンを見ると願いが叶うんだ」




Aは真剣な眼差しをこちらに向け力強くそう言った。


「ドラゴンを見つけると願いが叶うんだ。俺のひい爺ちゃんはずっと腰を痛めてるんだけど、ある日パッタリとそれが止んだんだ 医者が何をしたって理由を聞くんだけど、何回聞いても根岸でドラゴンを見たからだって、それ一点なんだよ」


それは別の病気か又は一時的なものではないのだろうか。と私は言いそうになり慌てて唾を飲み込む。


「ひいお爺さんには悪いんだけどね、そのぉ…流石に無理があるというか。そんな怪物がここにいるわけないんじゃない?」


私は冷静に言った。


「俺も最初はそう思ったさ でも本当に腰は治ったし、ひい爺ちゃんは今まで俺に嘘なんかついたこと一度もないんだよ」


「幽霊は存在しないって科学的に証明されてるからね。きっと何かの幻覚が見えたんだよ」


「幽霊じゃなくてドラゴンな」

「同じようなもんだろ」


「そもそもおかしいと思わないか?こんな住宅地の中の公園に巨大なドラゴンがいれば一瞬で大ニュースになるはずだろ。何もなっていないじゃないか」


「どこかに隠れてるんだよ。人に見つかると大変だからね」


「おい、お前まさか本当に信じてるわけじゃないだろうな」


「いや信じてるよ」


私は呆れて声も出なかった。

夢想家になるのはいいが俺たちを巻き込まないでくれ、そう思った。


「そこまで落ちたとは思わなかったよ。幽霊がいないなんて子供でもわかることだぞ」

「馬鹿野郎。俺たちはまだ子供だ」


「とにかくマジで探すんなら俺は帰るぞ。そんな子供みたいな真似してられるか」

私はカッとなって来た道を戻ろうと思った。

こんなバカらしいことのために私たちを夜中に連れ出したのか。十八にもなって何がドラゴンだ。そんなものいないに決まっているじゃないか。


私は今なら普段は苦の勉強が何倍も何十倍もこなせるな、と思った。私は次々と頭に浮かんでくる怒りで冷静さを保つのが難しくなりその場を去ろうとした。



「せっかくここまで来たんだし、ちょっと見てみようよ。ドラゴンはいるかわからないけど、夜の公園ってなんかワクワクしない?俺初めてだからめっちゃ興奮してるんだよね」



私たちの空気を察したのかBが思い切ったかのようにそう言った。暗くて顔は見えなかったが、その口調からはっきりとした意思が感じられた。


街灯の少なくなった根岸へと続く小道に私たち三人は立ち尽くし、タバコの消えかかったAの赤い炎をじっと見つめた。

音のない世界では空に登る白い煙だけがフワフワと宙を舞っては消えていった。私はその匂いがひどく懐かしかった。


何秒か沈黙が続いた後、Aは吸っていたタバコを落としキュッと踏みつけた。


「行くぞ」


それははっきりと私たちに向けた言葉だったが、その何か含みを持った口調と、真剣なAの横顔は私の苛立った神経を和らげた。


「水木もさ、ずっと家で勉強してるんでしょ。たまには運動したほうがいいんじゃない?ここはかなり広いから、一周するだけでも結構足にくるよ」


Bは明るい口調で私にそう言った。


私は何も言わず公園の階段を上った。時計を見ると既に十二時を回っていた。今から帰っても寝るだけだ。私は急な階段を背に二人を見下ろすようにして、


「わかったよ でも今日だけだからね今日見つけられなかったらそれで終わり いい?」


「よっしゃ行こうぜ。俺だって大学始まったら時間も取れないしBも仕事があるからな。今日中に見つけよう」


Aはこれで決まりだなと言わんばかりに拳を突き上げ、張り切ったように早足で階段を上った。

Bは少し安堵したような顔を私に向け、Aの後ろに続く。


私は薄暗い街灯が生み出す彼らの伸びきった影に目をやり、その先を行く生き生きとした彼らの背中を眺めた。

行きの坂道では大人びて見えたその背中は、中学時代と全く変わらない自信と冒険に満ちた逞しいものだった。

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