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「…っし、これでラスト」
あれから数日後、ラスの計らいで、例の親御さんがこの宿屋に来ることになった。証明書を取る数日の間此処で過ごして、そのままスペルリングに入るんだそうだ。悩んだ末に、ラスの出した答えがこれだった。保護した行商人の一人と共に、今日来る予定だ。その部屋の準備に追われつつ、ふと窓の外を見た。今日は朝から雨が降っている。そのせいで洗濯物が出来やしない。気候が日本と違って高温多湿じゃないことが嬉しいけども、正直、雨はあまり好きじゃない。段ボールは濡れるし、新聞紙も濡れる。何よりベタベタするのが嫌だ。
「イナー!」
「あ、はーいー!」
段ボールや新聞紙が雨でしなしなになって色々大変だった私の過去の思い出なんか、今はどうでも良い。あの時はかなり死活問題だったけどね、ビニールシートは神アイテムだった。…て、だからどうでもいい私の思い出は置いておいて。ティナから呼ばれたし、ちょうど終わったし、次に行きますか。
「…お待たせ、次は何をすれば、い……!?」
「っ!?」
…え?
「お部屋はもう大丈夫?それなら案内を…って、どうしたの?」
「すまんな、予定より早く来られたもので連れてきたんだ。…何か、あったか?」
私は自分の目を疑った。何故、この人が、目の前に居る。こちらの記憶が子供の頃で止まっていて、更に薄れてきているとは言え、相手がその朧気な記憶より老けているとは言え、分かってしまった。目が合った瞬間に私が晒したのでは間に合わなかったようで、相手も気付いたようだし…。
元家族だった人。私という存在が、一番邪魔で、苦痛だった人。私を生んだ人が、私が居なければ結婚していただろう相手。書類上、父親になってくれた人。何より、私を惨めにさせる人。
最後ですら、裁判所では会っていないのに、よりによって何でこの世界で出会うのか。倒れずに、逃げずに踏ん張った自分を褒めてやりたい。
「……イナ、大丈夫か?」
私を椅子に座らせ、隣にアークが腰を下ろした。柔らかい声で私を宥める。心配してくれている。
「ティナがあの二人を案内してる。此処には居ないから安心していい」
ああ、あの部屋にあの人が泊まるのか。私が準備したとなったら、嫌だと言われてしまいそうだ。そうしたらティナ達や、此処を紹介したラスにも迷惑が掛かる。と言うか、私を気遣って動いてくれたんだ。テンパりすぎてて気付かなかったなんて情けない。
「…イナ?」
「…ゴメンね、頭痛くなってさ」
「頭痛…?まさか、知り合いか?」
「うん、知ってはいた」
「た?」
本当は言いたくない。でも、黙っていたら迷惑が掛かるなら、このままではいられない。
「数年前に家族関係を無くした元父親だった」
「はぁ!?何で!?何でよりによってこの世界に…」
「分からない。でも、向こうも気付いたみたいだったから、多分人違いではないと思う。と言うか今思ったけど、そうなればスペルリングの神の使いも、私の知ってる人って事になる」
「おいおい、冗談だろう?」
冗談だったらどれだけいいか。知り合いが二人もこの世界に来ているとか、そんな事有り得るの?冗談でも笑えない。案の定アークは頭を抱えてしまった。
「…確かに、元々スペルリングの神の使いの父親なわけだから、知り合い、と言うか元兄弟もこの世界に居るのは、ほぼ間違いないだろうなぁ」
「兄だった人か弟だった人かは分からないけどね…まさか、他にも居るとかないよね」
「ウィンファルターの神の使いとか?止めてくれ、笑えない」
「私だって楽しくない冗談なんか言いたくないよ…」
「この際、あの客にはウィンファルターにも確認しに行って貰った方が良いかもしれないな」
「息子さんもう一人居るかもよって?そしたらついでに奥さんも居たりして、って?もうそうなったら節操無さ過ぎない?」
今、かなり不謹慎な事を言った。この世界に居ないなら、それでいいと思う。居たら居たで困るだろうしね、お互いに。私は知ったこっちゃない。だからこんな事も言えるのだけど。
「とにかく、この状況はまだ当分続くでしょ?取れない限り居ることになるよね?」
「…その件だけど、取り敢えずティナと話す。どのくらいになるか、じゃなくてするかで進めるから」
「こっちから期限をきるの?お客様に?」
「普通にある事だ。次の予約が入ってるとか」
「そうかもしれないけど、その場合って事前に言わない?」
「ま、そうだとしても、だ。お前が気にすることじゃないよ」
そう言って笑ったアークだけど、私のせいであることは、どうあがいても変わらない。と言うか、冗談じゃなく、本当に有り得ない事が現実に起こり過ぎて、何だか色々冷めてきた。少なくとももう一人は私の知っている人がいる。三人も日本からこの世界に来るなんて…しかも、元身内。兄か弟だった人に神の使いとしての力があるわけで、それがどんなものか知らないけれど、それに影響されて父親だった人も来たとか?私は何で来たのか分からないけれど、もし元家族だったからという理由で、なんて馬鹿な事だったら、元身内を己の使いになんかした神を心底恨む。巻き込むな。私という存在は、あの家では書類上の関係でしかなくて、それももう解消されている。血の繋がりで言うのであれば、産みの母と何処の誰かわからない男の人だ。あの家庭の誰でもない。この世界に来たことに後悔はないが、巻き込まれたというのであれば冗談じゃない。
「…神の使いって何なの」
「うん?急にどうした」
「私がこの世界に来た理由がわからない、と改めて思って。何の前触れもなく、この世界に何ら関係ない無力が。神の使いと血すら繋がってない希薄な私が。この世の神は暇なの?」
「ははっ、神か。と言うか、そもそも神の使いなんて呼び方は、願いを叶えてくれる力を持っているとされているからで、本当に神の使いかどうかなんてのは関係ないんだよ」
「あ、そうなの?超常現象的な力を持つから、畏怖の念を込められただけか」
「そういう事。ま、実際は本人は自覚ないらしいぞ」
「は?じゃあ何で神の使いだって分かるの?」
「身体のどこかに特有の紋様があるんだ。普段はただの黒い紋様の痣だが、感情が昂ぶるとな鮮やかになる。それは怒り、憤り、喜び、他にも強く感じた感情に反応するんだと」
「あぁ、そう言えばあの時あの人も言ってたな、確認するから脱げとか。でもふーん、じゃあ手っ取り早く怒らせるのが簡単かな?…あ、それじゃ言う事聞かせられないか?」
「一番いいのは、怒りじゃなくて、愛情なんだとさ。恋人になれればベストだな」
「……はっ。どうしよう、鳥肌立った。ゾッとするわ」
愛情とか、何の青春だよ。まあ、普通に愛されてきた人だから、きっとそういう相手は居ただろうし、居るだろう。この世界で出逢うならそれでもいい。とにかく、勝手にやってくれって話だ。何度だって言う、私を巻き込むな。此処に来た段階で、巻き込まれてはいるんだけど、その事はもう置いといてあげるから、早く書類でも何でも取って、他所で幸せになって下さい。




