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魔を破する王女  作者: 松尾 京
第一章 はじまり ロッド大陸編
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4.バロック平原

 バロック平原。

 ロッド大陸南部、ベイトリヒテ王国から北に広がる広大な野原だ。


 王国へ下るのも、王国から北上して人里へ移動するのも、皆が通ることになる道だった。

 そしてこの緑の風が心地いい平原こそが、冒険者にとっての、異世界の始まりなのだ。


 境界の門を抜けるエミリは、旅の仲間となった男ジンと並んで歩いていた。

 門を出るちょうどそのとき、視界に平原が広がると同時、ジンは横から声をかけた。


「嬢ちゃん。一応、心構えしておきな」


 エミリがちらとジンを見ると、彼は答えるように言う。


「人が死ぬのを見たことはあるか」


 エミリが何とも答えないと、ジンは続ける。


「そんなことで冒険にびびるタマでもなさそうだな。しかし、現実は思ったよりもグロテスクだぞ」


 まっすぐ延びる道を、見据える。

 しばらくは人が踏みならしたところだけ草がなく、道が続いている。

 だが少し遠くを見ると、段々と道はなくなっていた。


「おとなしく集団でまっすぐ歩けばいいものを、ここを出た冒険者は、強気になって、好きに歩き出すんだ。それで、帰ってこなくなる」


 ジンは見渡す。


「ラッキーだな、死体がない。遅れ死体ゼロは、さい先がいいしるしだ」

「……遅れ死体?」

「門の外で死ぬ冒険者のことさ」


 エミリは振り返るが、そこは門が左右に延々のびる風景が見えるだけで、人はいない。


「門が開くのは、朝方五の刻。だが、少し遅れて六の刻に王国にやってきた冒険者は、どうなると思う?」


 エミリは無表情に答える。


「門が閉まっている」

「そうだ。タッチの差で門に入れない。だからそういう冒険者は、ほぼ丸一日、門の外で過ごすことになる。人里に戻るにしたって一日以上かかるから、待つしかないんだ。で、強い冒険者ならいいが、へとへとになってここにたどり着いた冒険者は、一日持たず、モンスターに殺される」

「……」

「だからこの門の外には、毎日のように死体が生まれる」


 それが由来か、と思うエミリだったが、視線は前方を向いていた。


「詳しいのね」

「この周辺を行き来していれば、いやでも死体を見ることになるからな」


 そう、とだけ答え、エミリは視線をさまよわせている。


「あなたは、モンスターが多くいると言った。しかし、モンスターはいないわ。どこにいるの」

「見たいのか? 物好きな嬢ちゃんだな。焦るなよ。そのうち見ることになる」


 のんびりとした足取りで進むジン。


「さっきも言ったように、スライムってのが、ここで一番、出現するモンスターだ。で、スライムの主食は、人間だ」

「……人の多いところに出る、と言うこと」

「そうだ。俺たちより先に出ていった冒険者たちの方に、出ているかも知れん。それにモンスターも生き物だ。出現頻度にはむらがあるさ。いなければ幸運と思って、どんどん旅路を進めるのがいい」


 そんなものかと、エミリは思った。


「残念そうな顔だな」

「……別に」


 エミリは、歩みを速める。


「次の町まではどのくらい?」

「一番近いのはアイラって村だ。まあ数日かかる。一週間は見といたほうがいい。夜をすごさなきゃいけなくなるからその覚悟はしておけ」


 そう、とまた、小さく言って歩く。

 そこは何ものもない、静かな平原だった。 


 拍子抜けしたというわけではないが、予想した光景はとはまた多少違ったのは確かだ。

 エミリは一度鞘に触ってから、またまっすぐを向く。


 ジンはそうだ、とエミリを向いた。


「一応、改めて自己紹介だ。俺はまあ、名乗ったが、ジンだ。これでも王国の生まれだ。若い頃に冒険者になって……ってありがちなパターンだな」

「そう」

「ま、あとは王国に帰ってきてからは、この辺をうろうろしてるくらいさ。……嬢ちゃんは、自分のことは話さないのか」

「必要? 名前は名乗った」

「ま、別にいいけどな。信頼関係ってのは、冒険にはある程度は必要だ。長くやるわけだしな。俺かあんた、どっちかが、互いをだまして金でも奪おうとしているのかも知れない」

「あなたはそうなの」

「いんや、俺が嬢ちゃんにケンカ売っても、厳しいだろうね」


 先ほどのことを思い出したように言う。


「私はそんなことはしない」


 だから終わり、というようにエミリは前を向いた。

 ジンは肩をすくめる。


「それでも俺はいいけどな。……そんなに、モンスターに遭いたいか?」

「……」


 別に、と答えようとした、そのときだった。



「――助けて、くれえええ!」



 悲鳴がつんざいた。


 二人の前は丘のようになっている。

 声は、その向こうから響いていた。


「ああぁ、ああああっ!」


 断末魔の叫び、というのはこういうのをいうのだろうか。

 エミリは、一瞬、背筋の凍るような叫び声に、体が止まった。

 ジンは、丘を登っている。


「こい」


 エミリに言う。

 その表情は先ほどより、引き締まっていた。


 急ぎ足のジンにエミリもすぐについていくと――そこに、見たこともない光景がある。


 大きな鈍色の、塊があった。

 水分で出来たようなそれは、うねるように鳴動しており、人間よりも巨大だった。


 それが一人の人間を、取り込むようにして飲み込んでいる。


「――スライムだ」


 ジンが言いながら、丘を駆け下りた。

 エミリも、はっとして走る。


 ぐじゅ、ぐじゅ、と湿った音が響く。

 そのたび、飲み込まれた人間――男性の冒険者のようだ――の体から、ぽき、ぱき、くしゃ、と鈍い音が響いていた。


 スライム、というモンスターをデフォルメしたようなものを、幼い頃、エミリは絵本で読んだことがあった。

 王子様が颯爽と現れて倒したそのモンスターは、どこか戯画化されていて、現実感がなかった。


 そんなものとは、全く違った。

 現実の怪物は、グロテスクで、悪魔のようだ。

 そして躊躇なく、人間を殺す。


「うあぁ、あがあああ……。あ……」


 もはや、籠もった声としてスライムの内部から届く男性の悲鳴は……弱くなりつつあった。


「……っ」


 エミリは、そんな光景を前に。

 目を見開いて、過呼吸になりそうなほど、息を呑む。


 それから、わななく手を握りしめて、眼を細め……その巨大な悪魔に近づこうとした。


「まて、落ち着け」


 ジンが言う。

 エミリは反抗するように振り向くが――ジンは冷静だった。


「もう、手遅れだ」

「……」


 言葉に、振り返ると……。

 うごめくスライムの体内で……冒険者は、もう、言葉を発していなかった。


 スライムの体自身に溶解させられて、肩から上の肉が、なくなっている。

 頭蓋骨だけになった顔だけが、今も苦悶の表情を浮かべているようだった。


 エミリは、かすかに唇を振るわせた。


 そう、モンスターは容赦なく、人間を殺す。

 それはどこまでも弱肉強食だった。


 絵本や物語の世界とは、違う。

 冒険などと言うものは、綺麗事ではあり得ない。


 人間を喰らって満足そうなスライムは、残りの肩から下も取り込まんと、ぐじゅりぐじゅりと、体を鳴動させていた。


 エミリは、立ちつくした。

 目の前で死んでしまった冒険者を眺めながら。

 それから、少しだけ震えて、ぎり、ぎり、と。

 歯を噛んでいた。


「嬢ちゃん?」


 ジンが不審げに背中に声をかける、直後。


 ドン――ッ。

 エミリはその場を踏み付けて、一歩のうちに、鈍色の塊に肉迫していた。

 風になったような速度に、ジンも一瞬、認識が遅れる。


「おい、嬢――」


 エミリは何も聞かず、ただ、拳をまっすぐに突き出した。


 もう少し早く行動していれば、とか、この冒険者が哀れに思えた、とか、そういう感情なのかどうかは、わからなかった。

 自分にそういう部分が残っているかもわからず、自分に関係無い冒険者が死んだことに対して、もはや何かを思っているのかどうかも。


 ただ、エミリは、突き動かされるように、こうしなければならなかったのだ。


 正面から、エミリの攻撃はスライムに当たった。

 水分で出来た体には容易に効くとも思えないその攻撃は、しかしスライムを直撃した。


 エミリの体を取り込むとか、そんな暇も無いままに、豪速の拳が生み出した衝撃が、スライムを包み、その体を爆散させた。

 どぱああああぁん、と、鈍色の水分が弾けたように爆発し、衝撃波が空気を巻き込み、消えて行く。


 びたびたっ、と空から降った水分だけが残り、そこにはモンスターの影はもうなかった。

 どしゃ、と、骸骨と化した冒険者の亡骸だけが残る中、エミリはただ立っていた。


 ジンが駆け寄った。


「おい、嬢ちゃんよ、確かにスライムは、あんたからしたら雑魚だろう。だが、はじめて遭うモンスターに、いきなり接近するのは危険だぜ」

「……」

「戦いの基本は、観察だよ。これは教えるのが遅かったな」

「そうね」


 エミリは、ぽつりと言った。


「そうかも知れない」


 そして、冒険者の亡骸を静かに、見下ろしていた。


「これは、放置するしかない。厳しいかも知れんが、死体を処理する暇は、俺たち冒険者には、ないよ」

「でしょうね」


 ジンは、弱く呟いているエミリを見て、少し息をつく。


「……いや、死体を見たのは、はじめてだったか? ショックだったろう、俺も、言葉が足りなかったかな」


 エミリは、わかるかわからないかという程度に首を振った。

 そしてそれきり、歩き出した。

 亡骸に、背を向けて。


 ゆっくりと、しかし、徐々に元の歩調に戻すように。


「平気よ。はじめてじゃ、ないから」




「町まではモンスターを避けていってもいいかもな。嬢ちゃんと俺なら普通に逃げられるし、それにスライムの経験値じゃ嬢ちゃんには意味ないだろうしな」


 夜、数本の林の生えるところでたき火をして過ごすことにしていた。

 火打ち石などの道具はジンも一通り持っていて、手さばきもなれたものだった。


「夜はいつもこうして過ごすの」

「本当は村や町で寝るのが理想だが、どうしてもこういうところで過ごさなきゃいけないときは、こうする」


 ジンは答える。


「モンスターのいる中で寝ないといけないわけだが、それでも無理に行軍して寝不足でモンスターとやり合うよりはいい。少なくとも今は、二人いれば、見張りを交代もできるしな」


 ほれ、とジンが差し出したのは干し肉だった。

 火であぶって調味料をつけてある。

 食料はエミリも持っていたが、ジンはどちらでも構わないと言った。


「どうせ旅をしていたら、二人とも食料はなくなるからな。旅先で調達する方法を身につけるのが大事だ」


 ジンがそう言って火にかけているのは、その辺で拾った野草だった。


「クレオ草。ま、雑草なんだが野菜の代わりにはなる。食えよ。肉だけじゃ健康に悪い」


 エミリは食べた。

 干し肉も、草も、昔王城で食べていたものに比べれば、食べ物とも言えないものだった。


 けれど、エミリにはあるときを境に食べ物の味などあってないようなものに変わってしまったのだ。

 だから、困ることはなかった。


 そのうちにジンはモンスターを避ける提案をしたのだが、エミリは聞く。


「経験値って?」

「あんた、冒険者としての訓練は、本当にしていないんだな」

「……教えて」

「簡単だ。モンスターを殺せば、経験値が手に入る。それが一定になると、レベルが上がる」

「……」

「俺もそれなりに、そして嬢ちゃんは多分、俺よりレベルは高い。……レベルについては、別に聞くつもりはないよ。基本は本人しか知らない、冒険者の財産で、重要な個人情報だ。ただ、レベルを上げることが強くなる最も単純な方法だとは覚えておくといい。強いモンスターを倒せば、たくさん経験値が入り、レベルが上がる。そうすればより強いモンスターを倒せる」

「財産」

「そうだ、レベルが下がることは、まあめったにないが。大切にしろよ」


 エミリは何とも表情を浮かべなかった。

 ただ、うつむいて、残りの肉と草を掻き込んで、咀嚼していた。


「モンスターを避けるって言ったのは、スライムはレベルが低くて経験値も低いからだ。つまり戦うことに益がないってことだ。スライムの経験値は、5だと言われている。これは一般的には、三体倒すとレベル1の人間はレベル2になる程度だが。例えばレベルが10のやつなら、何十体倒したところでレベルは上がらん。だから無駄ってことだ」

「そう」

「ま、行動については明日でもいいよ。大差ないことだ。食ったらもう寝ろよ」

「……見張りは」

「俺がやっておくよ。お前さんが起きたら交代してもいい」

「……」

「遠慮するな。冒険になれりゃ、一日二日寝なくても平気になる」


 エミリは、それを聞いて、草をしいた即席のベッドに、横になる。

 ジンが見下ろしているのを見て、かすかに身じろぎして言った。


「あまり、近くに寄らないで」

「安心しろよ。モンスターの巣窟で女のことを考えるほど、俺は初心者じゃない。それに、若い娘っ子はタイプじゃないんでね」

「……」

「色香がある大人が好みだ」


 エミリはジンの言葉を聞き流すように後ろを向くと、目を閉じる。

 昼間の光景、その前の光景。

 さかのぼるように、いろんなものが思い出された。


 自分は、王室を出た。

 国を出た。

 全てを捨てた。

 今、野原に寝ている。


 人を一人、見殺しにする結果になった。

 そして、この手で、モンスターを殺した。

 感触は、重かった。


 手を少しだけ握った。

 その力の源泉に少しだけ、思いを馳せた。


 エミリは、一粒だけ、涙をこぼした。

 それきり、世界が闇になって、眠りに落ちた。


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