3.ベテラン
ベイトリヒテ王国と国外を繋ぐ石門……通称“境界の門”。
これは国を囲む巨大な塀のうち、一カ所だけに存在する巨大な出入り口だ。
北に向いており、大陸の南に位置する王国から北上する道に開くように位置している。
一日一度、冒険者や商人の行き来のために短い時間開門され、あとは次の日まではてこでも開かない。
モンスターが侵入する可能性のある唯一の場所であるために、その管理は厳重だった。
この日も、朝方五の刻――内外に冒険者や商人がぽつぽつと集まる中、開門がされていた。
管理舎以外、周辺は住宅などはなく、長い道や林だ。
モンスターが門の中に侵入して暴れる可能性があるために、人が住むのはもう少し内側に入ってからなのだ。
門の内側とはいえ、既に開けた野原のような風情があった。
がち、がち、がち、と巨大な歯車の音が響くと、門が開いていく。
それにつれて、外に向かう冒険者に、外から逃げ帰ってきた冒険者、近隣の街と行き来するものがしばし交錯し、各々が目的地に向かって去っていった。
そんな中、それに遅れて門の前に現れる影があった。
冒険者服に身を包んだ、一人の少女。
どこか高貴な容姿――だが、無表情に、瞳にはただ冷たげな光を浮かべている。
王城を去ったベイトリヒテ王国第二王女、エミリ。
人もまばらになった中、エミリは今日最後に旅立つ冒険者として、門を出ようと歩き出していた。
早朝の明かりの中、ブーツで地面を踏みしめる。
と、門の手前にさしかかったときだった。
「悪いことは言わない。外に出るのはやめときな」
横から、バリトンの声が飛んできた。
ちらとそちらを見ると……壁に、一人の男が寄りかかっている。
中年には届かないというところか。
頭にバンダナを巻いた、無精髭を生やした男だった。
腰に剣を差し、薄汚れた胸当てをした、一目で見て、冒険者らしい男。
おそらく自分に言っているのだとわかって、エミリは再度歩き出した。
「あなたには関係無いことよ」
「お前さん、死ぬぜ」
妙に真に迫った言葉。
エミリは、もう一度立ち止まって、彼の方を見る。
「何が言いたいの」
「そのまんまだ」
よっ、と壁を背で押して歩いてくると、その男はエミリを見た。
「新米冒険者だろ」
エミリの体を指した。
「ぴかぴかの鞘、新しい籠手に、服まで新品。見りゃわかる」
エミリをそんな風に評する。
言葉はその通りで、エミリの装備はこの日、王城を発ったその足で、武具屋にて調達してきた新品だった。
鎖帷子に、軽さが特徴のウインドグローブ。リーチの長いロングソード。
ブーツに、頑丈な生地で出来た女性用冒険服も全て購入したもの。
王室の金でそろえた、額にして5000ロフレは下らない、国でも有数の上等な装備一式だ。
エミリは無表情のままに言葉を返した。
「新しく買ったのだから当たり前でしょう」
「もちろんだよ。だが、冒険者として、ろくに訓練もしてないんだろう」
見透かすような視線にエミリは少し黙った。
「防具を着けた動きが素人そのものだぜ。それにな……。若い娘っ子が一人で旅立ち。訓練してても、無理だぜ」
確信するような物言い。
馬鹿にしている、という風だけではない。
エミリは、かすかに興味を引かれた。
「なぜ」
薄い笑みのまま、男は門の外へ視線をやる。
「新米冒険者の三割は一週間以内に死ぬ。聞いたことあるか?」
「……」
「冒険者のイメージが一人歩きして、皆が、実情を知らないまま冒険者になるからだ。要するに、多くの人間がモンスターを甘く見てる。どんな屈強な男でもな」
男は門の外を見たまま、続けた。
「この国の国民を一番殺しているのは何だかわかるか?」
「……?」
「スライムというモンスターだ。この周辺じゃ、一番弱い雑魚として有名だ。だが、それでもただの人間なんぞより、遙かに強い」
「……」
「魔法使いが、相手のレベルを知ることが出来るっていう魔法で調べたことがあるそうだ。スライムの平均レベルは10だ。新米冒険者は強くてせいぜい3か4か。ろくな装備も無しに、敵いっこない」
男は、読み上げるように、淡々と語る。
「そういうことがわかってて、徒党を組んだり強い冒険者の腰巾着をするような賢いやつだけが生き残る。あとは全員、訓練で教えられてても、いざ外に出ると好き勝手に行動する。そしてここを出て数日後に死ぬ。上手くスライムの網を抜けても、その先で死ぬ。そういうところだよ外は」
「それで?」
「言ったろ。若い娘が一人。死にに行くようなもんだよ」
話は終わり、というような態度の男に、それでもエミリは言った。
「私の勝手」
「強気な娘さんだな。俺は、老婆心からいってやってるんだぜ。感謝されてもいいくらいだ」
「……あなたは、何?」
「古い冒険者ってやつかな。強い、と自信満々にはいわんが、この国の中ではベテランになるかもな。こことか国の近くを歩きながら、あんたみたいな馬鹿を止めたり、死にそうなやつを手助けしたり、ま、一線を退いてぶらぶらしてるってやつかね。……だから、忠告してやってるんだよ。自ら死にに行くようなまねはやめろ」
そこだけ少し、語気が強かった。
「私は、外に行くのをやめるつもりはない」
ふ、と男は笑って近づいていた。
そう言うのはわかっていた、とでも言うように。
そして、エミリに立ちはだかる。
「力尽くで止めてもか?」
「どうしてそんなことをするの。あなたには関係無いはず」
「ああ。だが、さすがに今日中に死ぬであろう若い娘を放置しておくのも気が引けるんでな。道徳心だよ。冒険者も、歳を取るとそういうのに目覚める」
「私は死なない」
「そういうやつから、死んでいく」
「……」
二人は、かすかに見合った。
「今日スライムに食われて死ぬか。この先のための、命を得るか。選ぶまでもないだろう。それとも、ベテランの冒険者さんを力で押しのけて行くかね?」
すると……エミリが退かずに近づくのを見て、彼は驚いたような顔をする。
そして、どこか哀れんだような顔をした。
「俺とやり合うつもりか。……お前さん、やけっぱちになっているんだな」
「……」
「綺麗な、若い娘。おそらく国でも一二をあらそう、上等な装備。それに、その目」
男は、何かを読み取るように、口走る。
「貴族か何かの、娘なんだろう。自棄になっているのは、……男か?」
「……」
「冒険者が大切な人を残して逝くことは、あることだよ。だが――」
「あなたには関係ない」
エミリは男を押しのけようとする。
だが彼は、ふっとエミリの視界から消えていた。
「――悪いが、お前さんには教育が必要かもな」
はっとエミリが気付くと、彼は後方で跳躍している。
風が襲うように、男の回し蹴りがエミリの背中の帷子を直撃した。
どん、という音と衝撃。
勢いでエミリは宙を舞い、転げた。
顔を上げると、そこに男はいない。
腰の剣を抜き、突きつけている。
あっという間のことだった。
エミリにダメージはない。
だが、こちらが油断しているときに攻撃されては防ぎようもなかった。
エミリはしばし黙ってから、彼を見上げた。
「あなたは強いのね」
思わず、言っていた。
エミリははじめて他人にそう思った。
夜にあった暴漢、城の兵士、それにここにやってくる途中にもエミリに絡んできて、返り討ちにされた男どもなどとは比べものにならなかった。
「これでも、冒険だけで生きてきた男なんでね」
「そう」
「お前さんも、自分に合った環境があるはずだ」
だが、エミリはそれには答えない。
この男が強かろうが、そこにエミリが屈服する理由はないからだ。
髪を払うように、意識もさせぬ動作で、エミリは腕を払った。
ぱき、と硬い者が割れる音。
男の剣が、根本から綺麗に切断されていた。
「なに……っ」
男が驚き、起き上がったエミリに対して構えようとする前に、エミリは単純に素速い動きで男の胸を掌底で押した。
ばき、という音と共に胸当てが割れ、男は吹き飛ばされたように宙を舞った。
「ぐお……っ!」
木の葉のように風に舞い、どさ、と地面に落ちたあとも、男はしばらく藻掻いていた。
すぐにエミリが近くに立っているのを見て、男は瞠目した。
それから、少しの間のあと、力なく笑った。
「……俺の攻撃も全くのノーダメージ、だったのか……?」
「……」
「もしや、今の攻撃も、手加減したのか」
エミリは何も言わなかった。
「お前さん、何者だい?」
「あなたに言う必要は無いわ」
男が降参したと見て取って、エミリも攻撃態勢をやめた。
男が起き上がるのをただ見ている。
ただ、男は砂を払って面白そうに見ていた。
「若い娘っ子がどうこうと言って、悪かったな。そこらの冒険者じゃ及びもつかないじゃねえか。一体あんた、レベルはいくつなんだ」
「……」
「おっと、レベルはプライベートな情報だな。悪い悪い。何にせよ、すぐ死ぬだの言ったことは、撤回するよ」
手をひらひらさせる男を見て、エミリは少しだけ黙っている。
「俺が止める権利はないさ。あんたなら、まあしばらくやれるだろう。行きなよ」
促すが、エミリが動かないのを見て、男はきょとんとする。
「どうした」
「あなたはモンスターには詳しそう。それにそのほかのことも」
「……まあ、歳なりにはな」
「私についてくる気はない」
男は少々、目を見開いた。
「……あんたにか? 冒険につきあえってのか?」
「私は冒険には詳しくない。知識が必要。どうすればモンスターを倒せるか。ここから一番近い街はどこか……。そして、どこまでいけば、魔王を倒せるか」
エミリはここでやっと、わずかにだけ気持ちを込めた声を出していた。
――自分は、一人で、外に出てきた。
男の言葉で言うなら、やけっぱちというのは、嘘でもなかった。
それでも別にいいと思っていたし、今でも思っている。
不安、といえばそうなのかも知れないが、でも、精神の問題だけとは思っていなかった。
冒険をするには、情報がいる。
それは数少ない、エミリにわかる、確実なことだった。
冒険をするのに、モンスターを倒すのに必要なもの。
だから、それが手に入るなら、手を伸ばす。
自分には、目標があった。
男は、息を呑んだようにエミリを見ていた。
「――冗談で言ってる、って顔じゃなさそうだな。本気なのか? 魔王を倒す、だなんて」
「本気でなければ何だというの」
「……。冒険者、とは言うが、実情、その多くは、魔王を倒すことを目的にしちゃいない。ある程度強くなれば、用心棒に、郵便屋、商人、職業には事欠かない。そうやってドロップアウトしていくやつがほとんどだ。その方が安全だし、まともな人生だからだ」
「……」
「魔王を倒すなんて最後まで言っているやつは、そうそういない。そういうやつは、言ってても死ぬことになる。そういう、世界だよ。お前さんにしたって、既に一般人以上の力はあるみたいだし、別の道が――」
「私は魔王を倒す方法を知りたい。途中まででいいから、ついてきてくれるの、くれないの」
それは、まっすぐな視線だった。
見つめられると、男は……はっ、と笑った。
「お前さんは、面白いよ。変人だ。珍しい……けど。懐かしいな、そういうこと言うやつは」
「ついてきてくれるの」
「俺も、ドロップアウト組だ。道は途中までしか詳しくないぜ。気分で消えるかも知れない」
「それでもいいわ」
「そうか。……じゃあ、宜しく頼むぜ、嬢ちゃん。俺は、ジン」
男は、握手をしようと手を差し出した。
しかしエミリは無反応だった。
男は苦笑いして手を引っ込めると、聞いた。
「あんた名前は?」
「……エミリ」
「へえ、いい名前じゃないか。ちょうど、この国の第二王女様のエミリ王女と同じ名前だ」
「……」
「別に比べてるわけじゃないさ。怒ったんなら謝るよ」
憮然とした表情に見えたのかどうか、彼、ジンはそう言って笑った。
エミリは、何とも反応しなかった。
ただ、王女、という言葉を心の中で呟いて、そこに少しだけ感情の波が生まれた。
すぐにそれがなくなると、エミリは閉まりかけている門に向かって歩く。
おっと、とジンも急いで、エミリについていく。
「少なくとも、出たら一日は帰れないぜ。心の準備はいいのか」
まっすぐ歩くエミリに、愚問だったか、とジンは呟いた。
外は、遙かに平野が広がっている。
ここから先は、守るもののいない、モンスターの世界である。
王国が遮断している怪物の住まう、異界。
ここからしばらくは、北方へ、見渡す限り野原が続く、バロック平原だ。
広大で、危険な世界へ。
ベテラン冒険者と……もう一人の冒険者――元王女は、遙かな道のりを歩き出す。




