1.はじまり
「何で、どうしてよ」
エミリは、絶望の中で声を絞り出す。
自分の目の前にあるものが信じられなかった。
血まみれで倒れる自分の最愛の人。
結婚を誓った恋人――アインシュ。
絶命していくアインシュを抱きしめながら、エミリは泣き叫んだ。
エミリは夢見がちな子供だった。
絵本の中の、モンスターを倒して颯爽と現れる白馬の王子様に憧れ、いつか自分にも、と夢想するような、ませた女の子でもあった。
けれど、王子様が現れる、というのは中々難しいと物心つく頃にはわかった。
それはエミリ自身が、王女様だったからである。
エミリは、ベイトリヒテ王国の二番目の娘として生まれたお姫様だった。
温厚な王様である父と、美しく優しい王妃である母の間に生まれた、第二王女である。
両親に似た可愛い王女様だと、王室の内外から祝福されて育っていった。
ただ、それでも勇敢な男の子という存在に、憧れ続けてはいた。
この国での勇敢な人間の代名詞である、冒険者という存在にも。
世は冒険者時代。
かの魔王が世界を魔の力で席巻しようと、大陸中にモンスターがはびこっていた。
モンスター……尋常の人間には撃退不可能な凶悪な怪物。
ベイトリヒテ王国はこれを厳重な石門によって閉め出し、王国内部だけは完全な平和を保っていた。
そして志願者に支援をして、冒険者を育成。
モンスター、ひいては魔王の討伐のため国外に送り出していた。
世界を平和にするための一大政策。
それが近年ずっと続いているのがこの王国だった。
だから、エミリは、モンスターとか、冒険とか、詳しいことはわからないけれど……冒険者というひびきに憧れたものを感じていた。
とはいえ国内は平和で、温室の中で育ったエミリにはそういうものを間近に感じることもなく、豊かな環境で、ただ可憐な女の子に成長していった。
そんな中、貴族の息子であるアインシュと出会ったのは七歳の頃だった。
王室と貴族の間で親交を深めるための食事会でのことだった。
伯爵家の子息として参加した三つ年上の少年、アインシュは、人見知りのエミリに明るく接してきた。
「あなたがエミリ王女? 本当にお姫様みたいに綺麗だね」
エミリの見た目をそんなふうに評したアインシュに、エミリははじめて、どきどきとする感情が生まれるのを知った。
ちょっかいを出したり悪戯好きな部分はあったが、アインシュは優しい少年だった。
エミリに好意があるということも透けて見えてしまうような素直な性格で、エミリも照れながらもよく話すようになった。
すらりとした体躯に、栗毛の愛らしい容姿。
身なりも顔立ちも整った彼に、そうしてエミリは漠然とした憧れを抱いてゆく。
そのうちに、アインシュが冒険者になりたいのだと、夢見る表情で言い始めたとき、エミリの思いは形を持ち始めていた。
貴族学校に通う年齢になると、二人きりで会うことも多くなった。
学舎は男女別だったが、エミリが教室で熱心に勉強していると、アインシュが外から窓に小石をあててきて、合図してきたりした。
外のアインシュと目が合うと、エミリは教師に気付かれないように手を振るのだった。
はじめて気持ちをきちんと伝え合ったのは夜だった。
エミリ十一歳。
舞踏会で大人たちが楽しんでいるのにどこか気分が乗らないで外に歩いていると、示し合わせたようにアインシュも退屈そうにやってきた。
「少し退屈だったわ」
そう言うとアインシュは同意した。
「国内は平和だから、少し危機感が足りないんだ。だから同じことばかり繰り返しているんだ」
三つ年上のアインシュは考えるように言う。
難しいことはエミリにはわからなかったけど、アインシュの横顔は素敵だった。
エミリは続けた。
「それに大人の人たちとたくさん踊らなくちゃいけなくて、大変だった」
「僕もエミリとだけ踊りたかったな」
遠くで音楽がうっすらと響く中、エミリとアインシュは自然と手を取って踊りだした。
エミリの中で何かが高まって、それを口に出そうとしたとき、アインシュの方が先に、好きだよ、と言った。
「身分のこともあるし、僕とエミリじゃ釣り合わないかも知れないけれど。でも何とか出来るように頑張るよ」
「……うん」
嬉しくなってエミリは頷いた。
そうして二人はどちらからともなく、口付けをした。
エミリはそれだけでも幸せだった。
ただ、アインシュは小さい頃からの夢も捨てていなかった。
エミリ十二歳。
アインシュが冒険者になると言ったのはその頃だった。
エミリにはまだ、冒険者についてはよくわからない。
世界にいるモンスターを倒し、その頂点である魔王を討伐する、ということしか。
それから冒険者について調べて、モンスターというものが人間より遙かに強く、討伐のための旅が気の遠くなるくらい長くなるということを知ると……エミリは憧れていた冒険者というものが少しだけ怖くなった。
「冒険者になったら、会えなくなるじゃない」
「手紙をやり取りすればいいさ。それに魔王を倒せれば、僕の家柄はきっと、今より良くなる。それこそ、君との結婚も夢じゃなくなるかも知れない」
納得の出来ないエミリを、アインシュは夢や希望を語る姿と、さわやかな笑みで黙らせた。
そういうアインシュを見ていると、どきどきしてしまうのだから、エミリにも責任はあったのかも知れないけれど。
でも、アインシュがあまりに厳しい訓練をしてけがばかりしていること。
調べるにつれ、冒険による死者の数が途方も無いことがわかってくると、エミリは本格的に冒険をやめさせたくなっていた。
だが、エミリ十三歳。
その頃にはもうアインシュの訓練と準備は整っていて、伯爵家はアインシュの冒険を名誉なこととして称え、推し進めていた。
冒険は国としても奨励していることだったし、アインシュの夢でもあったから、誰も止めるものはなかった。
アインシュは華やかな栄誉として旅立ちの日を決めた。
旅立ち前日、それでもエミリは泣いてアインシュを止めようとした。
「ねえ、お願い、アインシュ。冒険なんて、行かないで。ずっと私といて」
「エミリ、気持ちはわかるよ。僕だって君とは離れたくない。ずっと一緒にいたい。でもこれは、必要なことなんだ。それに、僕の夢だ」
ぐずるエミリを、アインシュは一晩中、なぐさめてくれた。
そのうちに、アインシュは気持ちを変えることはないのだとわかった。
そうすると、子供じみた態度を取るより、明るくアインシュを見送った方がいいという気がしたのだ。
旅立ちの日。
伯爵家が見送る中、最後にエミリはアインシュと抱きしめ合って言葉を交わした。
「きっと帰ってきてね」
「ああ。手紙、書くよ。魔王を倒して、帰ってくる。そうしたら……エミリ、僕と結婚してくれ」
エミリは頷いた。
そうして見送った。
遙かな冒険に旅立つ恋人を。
それから、エミリはちょっとだけふさぎ込んだものの、手紙が届き始めると、それが楽しみになった。
見慣れたアインシュの文字に、本人が近くにいるような気がして、鼓動が高鳴った。
冒険の記録と、最愛のエミリへ、という言葉を見ると心が浮き立った。
そうしてエミリも返信をするのだった。
ただ、アインシュは魔王を目指してどんどん王国から離れるため、やり取りをする間隔はだんだん、長くなった。
そして手紙という人の手による仕事が行き届かない場所へアインシュが離れていくと……間もなく全くやり取りをすることもなくなった。
だが、手紙を受け取っている間は冒険も順調だったのは知っていた。
だからきっとアインシュは魔王を倒して、世界を平和にして戻ってくるのだと疑わなかった。
そして自分と結婚をして、それからは幸せな家庭を築くのだ。
それは白馬の王子様を夢見る少女と、変わるところがないのだった。
それから一年。
エミリ十四歳、アインシュ十七歳。
ガーネットの月、十四日。
王城、エミリの部屋からのぞむ中庭。
アインシュはエミリの目の前に血みどろで倒れていた。
その朝、エミリが庭に出てきたときだった。
突如、光が空から降ってきて、それが弾けると、アインシュが出現した。
地面に倒れたアインシュは――片腕を欠損し、全身血だらけの状態だった。
エミリは、目をうたがった。
「アインシュ……アインシュ!」
一体、どういうことだろう。
アインシュは、冒険に行っていたはずではなかったのか。
いや、それよりも――アインシュの体の状態を見て、エミリは引きつった顔になる。
「な、に、アインシュ……」
「う、ぐ……」
破けた装備や服を全て血で濡らしながら横たわるアインシュは……わずかに声を出した。
するとエミリははっとして駆け寄る。
「アインシュ! どうしたの! け、けがをして……そうだ、お医者様を……!」
「待っ、てくれ……エミリ」
アインシュは、ゆっくり顔を上げた。
片方が目がないのを見て、エミリは言葉を失う。
「アインシュ……だ、大丈夫よ、今お医者様を……呼んでくるから……」
立ち上がろうとするエミリを……しかしアインシュは、震えた手で、止める。
「エミリ。僕は……もう助からない」
「……え? な、何を……そんなこと、ないから、待ってて――」
「エミリ。見ろ」
ずり、という音と共に仰向けになるアインシュ。
その胸に大きな穴が開き、そこには心臓がない。
ごぼ、と血を吐くアインシュ。
「あ、アインシュ!」
「今、は……最大級の治癒魔法をかけ続けて、死までの時間を遅らせているだけ、だ。……何をしても、手遅れ、なんだ」
「そんな、嘘でしょ……嘘よ。そんなこと……ねえ」
エミリは声が震える。
視界がかすむ。
絶望が襲ってきて、頭がきーん、と痛い。
何かの夢だろう、と思った。
「何で、どうして、こんなことに」
「僕、は……旅を続けて、魔王まで、たどり着いたんだ。けど、魔王は……強、かった。逆に、僕は、致命傷を受けた。……一緒に、旅をしていた仲間、も……全員魔王にやられて、死んだ」
「……!」
「僕、も、……殺される、とわかった。……そして、助からないと、思ったら……エミリの顔見てからじゃないと、と思って」
そこでアインシュは、血まみれの顔で、儚く笑った。
エミリは、息が止まりそうになって、視界が滲んでくる。
「助からないのは、わかって、た。だから、もう、脱出の魔法具と、移動魔法、で、魔王城から出て、王国に飛んできて、こうして、エミリの前に……。死ぬ前に、せめて、エミリに……って、だから」
エミリはアインシュをかき抱いた。
「アインシュ。しゃべらないで、ねえ、きっと助かるわよ。お医者様に……お医者様にみせれば。助かる方法だって、探せばきっと……」
「エミリ」
アインシュは、そこだけ少し強く言った。
「もう、助からないんだ」
「……」
「君との、時間を……ちゃんと、最後に、過ごしたいんだ……」
「何で、何でこんなことに……何でよ……」
う、うぁぁ、とエミリののどから、うめきと嗚咽が、漏れてくる。
それは怨嗟だ。
「エミリ、僕は……冒険者をやれると思ってた。事実、やれていた、……けれど、甘くはなかった、モンスターは、魔王は、強かった、んだ。エミリ、ごめんね」
声に力がなくなっていた。
「アインシュ、行かないで」
エミリは手を握りしめて、泣き叫ぶ。
「いやだよ、私、一人は……ずっと、待って、たのに」
――どうしてこんなことに。
時間が巻き戻るみたいに、後悔の念がエミリを襲った。
アインシュが冒険に行くとき自分はいやだと止めたのだ。
きっと危ないことになるからと思って。
死んだらどうするのって。
ほら、言った通りになったじゃないか。
冒険なんてするから……。
全てを呪いたい気分で、エミリはうめく。
「冒険なんてしなければ……。モンスターなんて、魔王なんていなければ、よかったのよ……アインシュ……」
「ごめんね」
それからアインシュは、ゆるゆるとナイフを取り出すと……エミリを見るのだった。
「エミ、リ。さい、……に、僕を、殺してくれ」
「……。なぜ、……。何を、言ってるのよ……」
湿った音と共に口から血を流すと、アインシュは耐えるように続ける。
「僕はもうすぐ、死ぬ、だから。人間のために、これ以上、魔王を強くしてはいけない、から」
アインシュは悲しげに笑う。
「それに、エミリの手の中で死にたいんだ」
エミリには、よく意味がわからない。
何も理解できない。
理解したくなかった。
「エミ、リ……。人間、が、弱いの、は、モンスターより遙かにレベルが低いから、だ。それを乗り越えるために、王国の暗部で何が行われているか。人間が、人間を殺すこと……。モンスター、と渡り合うためにレベルを上げるには、そうするしかない。悲しいけれど、強い人間を殺せば、レベルが……」
「アインシュ、ねえ、アインシュ……」
「それは魔王でも、……僕がこのまま死んだら、魔王のレベルが……がる、から」
アインシュは薄く目を閉じている。
体から力が、抜けていた。
「やだ、アインシュ、死なないで、……ねえ……」
アインシュは、また、力なく笑った。
「すまない」
最後に言うと、ナイフをエミリに握らせた。
そして……残った力を全て振り絞ったように――エミリに自分の首を、一突きさせた。
それきり、アインシュは力尽きた。
「アインシュ? アインシュ……、いやああぁ」
エミリは、叫んだ。
目の前のことがとても信じられなくて、光景が散り散りになって散っていった。
友情に愛情。思春期の心。ケンカを生むちょっとの不和。何気ない日常。一緒に学んだ日々。食卓でかわした会話。感情が浮いたこと、沈んだこと。
全てを与えてくれたアインシュは……エミリを置いて冒険に出て、そして魔王のせいで、モンスターのせいで、死んでしまった。
「あぁ、ああああ!」
エミリは泣き叫び続けた。
エミリはそれから夜通し泣いて、次の日も泣き続けて、時間の感覚もわからなくなった。
そのうちに夢と現実の境目も曖昧になって、自分の感情も捉えられなくなった。
父や大臣たちに医者に診せられて、離れた塔にしばらく幽閉されたのは間もなくだった。
それから何度も何度も何度も月が巡った。
エミリは塔の中で、乾ききったはずの涙をまた何度も流して、ただ茫洋とした。
幻覚と現実が細切れになって現れて、幻覚の中では彼に会えるのに、現実に帰ると、彼がもう存在しないことがわかる。
そうしていると幻覚もすり切れたようになくなって、最後には、ただ彼のいない現実だけがエミリの前に立ちふさがった。
それから月日が経って、感情の波が完全になくなって、ぼうっと小さな窓から空を見上げるだけになったエミリは――
あるときを境に。
……時間の檻を抜ける鍵を、自分の中に、知らず生み出している。
何も考えられなかったエミリの中にさざ波のように生まれ来るものがあった。
ゆっくりと立ち上がって、エミリは、扉を開けた。
それから階段を下りて、長い間、見向きもしなかった塔の出口に歩いた。
――はじめからわかっていた。
今の自分が出るべき出口。
いや、違う。
それは出口なんかじゃなくて、やっぱり、檻のようなものなのかも知れない。
機械になったように、エミリは独りでに動き出していた。
やるべきことをなす、あらかじめ目的を与えられた機械のように。
塔の出入り口は石門で固く閉ざされている。
外から頑丈が鍵がかけられているのだ。
エミリは扉を押して、鍵を破壊した。
ばきん、と、クッキーか何かみたいに、鍵は割れて取れる。
尋常の人間には決して壊すことなど出来ない鍵である。
だがエミリははじめからそんなものなどなかったように淡々と扉を開け、外に出た。
外は明け方だった。
ボロ切れのような洋服のまま森を歩いていると、その中から不意に男たちが現れた。
暴漢らしい、三人ほどの男だった。
「おいおい。こんなところで若いねーちゃんが一人で歩いてたらあぶねえぜ」
面白そうにエミリを見下ろして、囲んだ。
エミリは表情に何の変化もなかった。
「――邪魔。私を通して」
だが男たちは下卑た笑いを浮かべて立ちふさがる。
「へへ。そう簡単に通すかよ。最近ご無沙汰だったんだ。あんたも見たところ乞食の類だろ、互いに楽しもうぜ」
しかし、エミリは表情に何の感情も浮かべない。
そのまままっすぐ、歩き出す。
男は苛立ちを見せて手を掴もうとする。
「おい、テメエ、ふざけんじゃね――」
エミリは腕を振るった。
ずん、という音が鳴る。
……男は吹っ飛ばされて、木に激突していた。
「なん、だぁ?」
男は自分に起こったことが理解できないまま、気絶した。
だがエミリが平然と歩いていると、残った男が焦ったようにしつつも前に出てくる。
「待ちやがれ! 女風情が、……おい、俺らを舐めんじゃねえぞ。冒険者候補になったことだってあるんだ……!」
エミリはそんな言葉を聞きながら、男が手を伸ばしてくるのを見ていた。
そして、男が自分に触れる寸前まで来たとき。
手のひらをまっすぐに伸ばして、払った。
「え……?」
男はきょとんとする。
ぼと、と何かが落ちる。
肩先から切り取られた、男の腕だった。
「う、うがぁあああ! う、うでが……。俺の腕が!」
男は悲鳴を上げた。
堰を切ったように肩から血を溢れさせる男を放って、エミリは歩き出した。
手近の草で手の血だけを拭って、何も言わずに。
見ているのは、王国を囲む門。
その向こうにある大地だった。




