(19) 最終話
ユーリンヒッテの部屋に呼ばれるのは二度目だった。
アデルはどきどきしながら、ふわふわしたソファに腰掛けた。
変に汗をかいてしまいそうなのは、この部屋のやけに座り心地の良いソファや価値の高そうな芸術品だけのせいではない。
隣に涼しい顔をして座るミシェルがいるからだ。
ミシェルは幼い頃から何度もこの部屋には来ているらしく、くつろいでいる様子だ。
アデルにはとても真似できない。
国の宝物庫のような場所で、あのユーリンヒッテ様を前にしながら、ゆったりとカップでお茶を飲むなんて。
当のユーリンヒッテはアデルとミシェルの腰掛けたソファの向かい側に座り、悩ましげな溜息をついた。
「それにしても、まさか聖女二人が共謀してたなんて……」
「仕方ありませんよ、伯母様」
とミシェル。
「僕らだって想像もしていなかった。アデルの助言があるまではね」
誇らしげにミシェルに見つめられて、アデルは余計に変な汗をかいた。
自分だけの宝物を慈しむような視線が今は気まずい。
アデルはミシェルから目を逸らして、いやあ、とむにゃむにゃ呟いた。
「にしても、驚いたわ。ミシェル、あなた騎士団に入って、もうああいうのは無くなったかと思ったけれど、よっぽど女性に好かれるのね。さすが、あの好色兄様の血かしらね」
「やめてください伯母様。王ですよ」
「私にとってはいつまでもよちよちの弟だもの……あの子もいろんな女性を惹きつけていたけれど、ミシェルの方がたちが悪いわね。貴族の女性だけじゃなくて、清らかな聖女まで狂わせてしまったのだから」
ミシェルは黙ってカップを傾けていた。
下級聖女のユピーは、食中毒騒ぎや宝物庫事件の張本人だったのだ。
中級聖女と上級聖女の食事の鍋に、こっそり毒を入れたと自分で白状した。さらには、どうしてそんなことをしたんだというガブリエルの質問に、『そうすればミシェル様に会えると思ったから』と少女のように純粋に答えたのだ。
しかしもっと恐ろしいことには、ユピーの保護者のように横にいた、デレダという友人の下級聖女がそそのかしていたのだった。
『アデルっていう女がいなくなったら、同じ下級聖女の立場のユピーにもチャンスがまわってくるかも』
『ミシェル様もお困りよ』
『こんなに愛らしいのだもの。まだ出逢っていないだけ』
『運命の針を元通りにしないといけないわ』
と、毎日囁かれ続けたユピーは、デレダの操り人形のように行動した。しかし、デレダの誤算は、アデルの力を買いかぶっていたことだった。
「アデルがユピーだけであんなことは考えられないんじゃないかって言ったとき、最初はありえないと思ったけれど、その通りだったね」
「ミシェル……様に、もう一度会いたいっていうユピーは周りが見えないくらい、ミシェルの椅子に勝手に座るくらい、ちょっと行きすぎていて変な様子みたいだった。だけど、一緒にいるデレダはそれにしては冷静過ぎたし、黙認しているみたいだった。おかしな行動をする友人と一緒にいる人間がいるとしたら、その本人もどこかおかしいはずだ、って思ったんだ……ですよ」
ユーリンヒッテがふっと笑みを零した。
「いいわよ、私がいるからって気を遣わなくて。ここは王城じゃないもの。あなたたち、ずいぶん仲良くなったのね」
指摘されて、アデルはカアッと頬を赤らめた。
その通りだ。
ミシェルのことにしてみても、もうこのきらびやかな青年相手に馴れ馴れしい口をきくことに、全くといっていいほど良心の呵責を抱かなくなっていた。
それだけ一緒に過ごしてきたのだ。
「デレダとユピーのあの二人の聖女は、永久に聖堂からは追放。処刑や拷問が嫌なら、国外に永久追放ってところね」
と、ユーリンヒッテが不穏なことを言った。
「ねえ、伯母様。アデルのことなんだけど」
いきなりミシェルが切り出したので、アデルは思わずプッとお茶を噴きそうになった。
心臓に悪い。
「人間の治癒の魔導――回復したモルガネはもう知ってしまったよね。アデルがとんでもない魔力の持ち主だってこと」
「ええ、そうね」
「アデルは王族になるべきだよ」
この王子様は何を言っているのだろう?
アデルは目を見開いて、隣の高貴な男をカッと見据えた。
一般人を捕まえておいてずいぶんな言いようだ。
それに――と、言いかけそうになって、アデルは口を閉ざした。
結婚しようなんて、正直ありえない。
ミシェルはそこまで生き急がなくてもいい。この先、すてきなお姫様に出逢うかもしれない。
だけど、手放しでそれを望んでいない自分がいることにも、もうアデルは気が付いていた。
ミシェルがふわりと微笑んだ。
「ね、アデルだってそう思うでしょ? 身の安全とか、いろんなことを考えたら、王城や聖堂の安全なところにいたほうがいいし、それならいくらアデルがお人好しでも大丈夫だよ。騎士団だって近くにいられるし、危険なときにすぐ駆けつけられるから」
「うーん……だけど、私はただの下級聖女だし。あ、だ……大聖女様みたいに、聖堂に勤めて、王家に忠誠を誓って……ここから出なければいい?」
ミシェルが眉をひそめた。
「どういうこと?」
美青年が本気で怒るとものすごく怖い。
アデルは赤くなったり青くなったりしながら、言葉を絞り出した。
「あっ、いくらでも、誓約書を書くよ! 国から出たりしないし、国の不利益になることはしない。約束する」
「アデル。僕がこの五年間、たった一人の女性のことを想い続けてきたって知ってる?」
「……や、ミシェル、あの。ユーリンヒッテ様が正面にいらっしゃるから、その、そういうことは」
それまで黙っていたユーリンヒッテが席を立った。
アデルは焦りに焦った。
「ああっ、申し訳ありません! 甥御さんは今混乱なさっているだけで、私も年上として責任をもって正しい道に戻るように進言いたしますのでッ」
「ミシェル。あなた、権力を使って外堀を埋めて、手に入れた女性が本当に貴方を愛するとでも? 私は独身を通したけれど、愛するということがどういうことかくらい理解できていると思うわ。少なくとも、あなたよりはね」
ユーリンヒッテはアデルに微笑みかけると、ゆっくりと扉へ向かった。
「さっきのお茶菓子、美味しかったけれど少しべたべたするわね。手を洗ってくるわ。そうね、帰り道にかわいそうなモルガネの様子も見に行きたいわ。嫁ぐ前に上級聖女に昇級させてあげたいもの。貴族の女性は立場を上げると武器が増えるのよ。半刻くらいは戻って来られないわ、きっと。ゆっくりしていて頂戴ね」
パタン、と扉が閉まり、アデルとミシェルは二人きりになった。
しばらくの沈黙のあと、
「……ごめん」
と、ミシェルがぽつりと言った。
「王族とか、聖堂とか……本当はそんなのどうだっていいんだ。本音で話すなんて、ほとんどやったことないからさ……遠回りになっちゃったけど、確かに伯母様の言う通りだよ。本当に伝えたいこと、言えてなかった」
心臓が早鐘を打つ。
もう先を聞いてはいけないと思う。
なのに目が離せない。
ミシェルがあまりにも綺麗に微笑むから――。
「好きなんだ。五年前から、ずっと」
天使の瞳に、捕らえられてしまう。
説得しなければ、断らなければと思うのに、何故か首を横に振れない。
逃げられない。
いつかのモルガネの言葉が頭をよぎった。
恋が雲なら、結婚は突然降ってくる雨みたいなもの――。
そんなたとえは生ぬるかった。
ミシェルはこんなに綺麗なのに、嵐と同じだ。
「結婚して、アデル」
それは、囁きに近かった。
「け……」
絶句したアデルの方を真っ直ぐに見て、ミシェルは言葉を紡いだ。
「ずっと一緒にいてほしいだけなんだ。アデルとたくさん喋って、同じものを見て、一緒に生きていきたい」
「ミシェルには……もっとふさわしいお姫様が」
「ううん」
ミシェルはふっと頬を緩めた。
子どもらしかったときに見た笑顔と同じだった。
ミシェルはいつからアデルより背が高くなってしまったんだろう。
まるでこれでは本当に――。
「僕のお姫様は、五年前からアデルだけだよ」
物語に出てくる王子様のようだ。
だけどこれは現実で、おとぎ話じゃない。
だから、王子様はただの下級聖女のアデルを見初めてしまった。
(ごめんなさい、ユーリンヒッテ様。あと、世の中の女性の皆さん、本当に申し訳ありません……!)
「アデルは? 本当の気持ちをきかせて欲しいんだ。僕のことが本気で嫌いだったら、断ってくれていい。それでも聖堂にアデル専用の宮殿を作るし、国がちゃんと安全を確保するよ。国外に行きたいなら、できる限りのこともする。だけど、もし、少しでもアデルが僕と過ごした時間を楽しいって思ってくれてたら……僕にも可能性があるって信じたいんだ。ばかみたいに必死だよね。かっこ悪いけど……それでもさ、どれだけかっこ悪くても、アデルが頷いてくれたら、僕は誰に笑われたっていいって気がするんだよ」
不安の混じった天使の瞳を、安心させたいと思うのは罪だろうか。
「私は――」
覚悟を決めたアデルは真剣にミシェルと向き合った。
赤面してもじもじしてもいけない。
ここは年上らしい威厳を見せるのだ。
そう思ったアデルは、心のままに言ったのだ。
緑の瞳にしっかりとミシェルを映しながら。
「ミシェルを一生、幸せにしたいと思うんだ。ミシェルがずっと笑っていてくれたら私は幸せだから……こんな私でいいなら……結婚しようか」
途端、天使は赤面した。
オトコマエ過ぎる……とうわごとのように呟いたミシェルは、ソファから崩れ落ちた。
こんなに綺麗な顔の王子様も、鼻血を出すんだなあと、アデルはどこか人ごとのように思いながら、タオルを貰いに行こうと廊下に続く扉を開けた。
その瞬間、ドアに聞き耳を立てていた大聖女ユーリンヒッテが倒れてきた。
「うわあああっ」
「キャアアアッ」
アデルとユーリンヒッテの悲鳴を聞きつけた上級聖女のジョルジェットが全速力で走ってきて、ミシェルにピシッとアイロンのかかったハンカチを投げつけながら叫んだ。
「お言葉ですが、聖堂内は恋愛禁止でお願いします!」
END




