(10)
「質問って何? アデルにだったら何でも答えるよ」
ニコッと微笑むミシェルはご機嫌だ。
聖堂で見た神々しさは今は薄れて、気安い青年の年相応の顔に見えた。
「あの、花祭りのときに聖女様に向かって左側を見ていたような気がしたんだけど。猫か何かいたのかなって」
「猫?」
ミシェルは可笑しそうに口角をあげた。
「叔母様の足元に膝まづく時にね、緑色が見えたんだ」
「緑?」
「アデルの髪、なかなかない色だよね」
「え」
確かに、若草と枯れ草を綯い交ぜにしたような髪色は周囲にはいない。貴族だった父親と、元は異民族のルーツをもつ母親の血なのか、幼少期から今の今まで、瞳も髪もずっとグリーンだ。
「もしかしたら、と思って見てみたら、記憶にあった色だった。ずっと見たいと思ってた」
つい、とミシェルの手が伸びてきて、アデルの髪の先をそっと触る。
「気付いたら目が離せなくなっていて、儀式の最中だっていうのにずっと見てた。我慢できなくなって、ちょっとだけ緑色の髪の聖女の魔力量を見てみたら、色も形も間違いなくて、絶対にアデルだって確信したよ」
後で副団長のガブリエルにこっぴどく釘を差されたとミシェルはにこやかに白状した。
アデルはふと、5年も前に会った人間の髪の色だとか魔力量だとかを詳細に覚えているのは、普通なのだろうかとぼんやり考えた。
少なくとも、アデルは余り覚えていない。
数十人はいた顔を隠した聖女たちの中から、5年前の記憶だけを頼りに、知り合いを見つけ出せるものなのだろうか。
「ミシェル……は、記憶力がいいんだね」
とアデルが言うと、ミシェルはあからさまに嬉しそうにした。
「ごめんね、すぐに気付かなくて。私はあの試験の時の少年のことは覚えていても、それが目の前のミシェルだとはどうしても分からなくて」
と、アデルは謝った。
「そんなのいいんだよ。僕にとってアデルが特別なんだから」
さらりとミシェルは言った。
「アデルが聖女試験で咲かせた花も押し花にしてるし、聖女就任のパーティーで何を食べてたかも覚えてるよ。黒スグリのタルトだったよね」
「あ、……へえ? そうだったかも」
「会いたいときは黒スグリを食べてたよ」
「五年間?」
「うん。五年間」
ミシェルはにっこりとほほ笑んでみせた。
この角度が一番、愛らしく見えると分かってやっているに違いない。
しかし、台詞はかなり際どい。
五年もの間の執着を知って、アデルが驚いたのは確かだった。
だけど、それを分かってもなお、有り余るほどの魅力がミシェルにはあるのだった。
「アデルはとっても優しいんだね。何でも許してくれるんじゃないかって思いそうになるよ」
「そんなことないよ。たぶん、ミシェルが相手でも、夕飯のおかずをとられたら全力で怒ってしまうよ」
「そんなところも見てみたいけど……心配になるんだ。アデルは隙が多いから」
「そうかな。実家ではわりとしっかり者だって言われてたけどなあ」
「そうだよ。だって」
アデルの頬にふと影が落ちた。
振り返ると、睫が触れそうな位置にミシェルの顔が迫っていた。
アデルの座る机に向かって、そっとかがみこんでいるミシェルが着ている騎士団の制服から、どこか懐かしい香りがした。
(あ。花と枯れ草の匂いがする)
天使に喩えられる美貌が、獲物を狙う肉食獣のように眈々とこちらに向けられていた。
「男にこんな風に近寄られても逃げないでしょ?」
間近で見たミシェルの髪はふうわりと空気をはらんでいて、思っていたよりも一本一本が太く見えた。
アデルはミシェルにそれ程まで近付いたことが無かったことに思い当たった。
気が付かないはずだ。
影が迫る。
アデルは縫い付けられたようにその場に固まった。
鼻先が近付いて今にも唇が触れそうだ。
その時、ホールの扉がグワンッと勢いよく開いた。
「おい新入り、いるかー……!?」
アデルは立ち上がり、パッとミシェルから身を離した。
そこにいたのは、色黒に日焼けした副団長ガブリエルだった。筋骨隆々の脳筋だが、両手剣にかけては比類無いと言われている。
「お? どうした、顔が真っ赤だぞ」
「いえ、何も! 何も全くありません!」
「この報告書だけど、追記でカーロットの剣の方が切れ味がいいって書いといてくれるか? 悪いな、最近、お前にいつも書類を任せてて。こないだの聖堂の破損事件で、騎士団も忙しくてな」
「ええ。ガブリエル様付けの仕事はまわしてください。積極的に」
「おおっ? さすが聖女、優しいな」
(……後任の仕事を増やせないものね)
アデルはガブリエルの暗号そのものといった悪筆の字を思い出して、ぞっとした。
「あの、つかぬことをうかがいますが、ガブリエル様はその、近年手を怪我されていたりとかしませんよね」
「いや? いたって健康だが」
「ですよね……」
健康なガブリエルより、骨折したミシェルの方がまだ綺麗な字を書くだろう。
アデルは後任の聖女が心配だった。誰になったのかは知らないが、騎士団の書類の事務処理は精神的に辛いに違いない。
少しでも代筆をして、突然に異動したアデルの代わりに報告書処理任務に配属された可哀想な聖女を助けたいとアデルは思った。
そうでなければ申し訳がたたない。
「あの、ガブリエル様はあまり報告書などはお好きではないのですよね」
「もちろんだ! 机の作業は性に合わん。だから貴殿が代筆をかって出てくれたのは大変助かるぞ、恩に着る」
それはいいのだが、問題が根本的に解決したわけではない。
「俺の両手剣は繊細でな。右手と左手に同じくらいの力をかけないと照準が狂ってしまう。ペンなどで左手を酷使するわけにはいかない」
「左利きなんですか、ガブリエル様は」
「ああ、元々はな。いちいち周りに言う事でもないし、ほとんど右だと思ってるだろうが、実はそうなんだ。幼い頃、矯正して直したが、不思議と字だけは利き手じゃなければ無理だな」
あのミミズがのたくったような字なら、実は右でも左でもたいして変わらないのでは、とアデルは失礼なことを考えた。
「聖堂に左利き用の羽根ペンがありましたから、送ってもらいます」
「何? いや、聖堂も忙しいたろ。悪いからいいぞ。別に今さら……」
「いいえ。問題ありません。ガブリエル様が字を書きやすくなれば聖堂も平和になりますから!」
「どういう意味だ?」
「あっ、いえ……あは、あはは」
「本当に、優しいよね」
と、呟いたミシェルは、じっと副団長ガブリエルを見ていたのだった。




