美しい署名(1)
育ちの良い美青年(激重感情)× 楽天的ぽやんぽやんヒロインです。
癖を詰め込みました。
『ヴァレリアン公爵夫人の穏やかな復讐』の番外編ですが、単体でも読めます。
数日かけて投稿していきます。
「聖堂の壁の花を一輪頂きたいのです」
そう言われた大聖女ユーリンヒッテは驚いて目を見開いた。
彼女は珍しく言葉を濁しながら、ゆっくり瞬きをしてみせた。
歳を重ねても濁らない澄んだブルーの瞳に、青年の白いジャケットが映る。
聖騎士の正装だ。
この姿に憧れない者はいない。
「まさか、あなたがそんなことを言うとはね」
「僕だって男ですよ、おばさ……大聖女様。それに、王族が聖堂の花を摘むのは珍しい話ではないでしょう?」
「それは、そうだけど。あなたは18になったばかりでしょう? いささか軽率ではありませんか? 第3王子とはいえ、貴方も王室の一員なのですから……国民が納得しなければ、相手にとって可哀想な結果になりますよ」
「僕は彼女のためなら堕天使になってもいいです」
青年は目を伏せながら両手で自分の頬を撫で下ろした。
天使のような風貌から、うっそりと昏い雰囲気が醸し出される。
手元のブレスレットの血のように赤い宝石が垣間見える。
大聖女ユーリンヒッテは、不穏な空気を感じてぎょっとした。
愛らしかった甥はこんな子だっただろうか。
見た目は特上の天使だが、この目はまるで熱にうかされた夢遊病者のようだ。
「いいこと? 成人ならもう少し落ち着いて分別をもって……」
「僕は五年も待ったのですよ。初めてあの人を手に入れたいと思ってから、これまで幾つもの努力を重ねてきた。戦での武功もあげた。魔族を狩った。法律も学んだ。剣術も身につけた。王族として、政治にも携わってきました。騎士団の若手では一番強くなりました。僕が闘技場で最年少の一等をとったのはご存知でしょう? 全て彼女のためです」
青年は凛とした横顔で、ステンドグラスから差し込む陽光を向く。とろりとした蜜色の瞳は、遠くの何物かに向けられていた。
「はぁ……どの子なの?」
大聖女は諦めて言った。
機嫌を損ねられたら国力が下がる。
魔力だけでなく、権勢も人気もあるのだ。
この天使のような王子はーー。
「ありがとう、伯母様」
青年は今日一番の笑顔を見せた。
大聖女はやれやれとため息を吐き、側近を呼ぶための銀のベルに手を伸ばした。
*
聖女となったアデルが聖堂で働き出して、もう五年近くになる。
アデルの仕事は簡単な魔力を使った実験と、騎士団と聖堂との書類仕事が中心だ。
「今日中にこれだけは終わらせるッ!」
カリカリカリカリカリ……。
執務室の木机で、アデルは猛烈な勢いで羽根ペンを走らせていた。
ふわふわとしているのに緑色の艶のある長い髪は、二十代の娘らしく美しい。が、残念ながら残業中の彼女にとっては、これは邪魔なものという認識でしかない。
レースのリボンでもなく、色鮮やかな飾り紐でもなく、羊皮紙をとめる余った茶色い革紐で縛っているのが、アデルの性格を物語っている。
髪と同じ色の悪戯っぽさを兼ね備えた瞳は、きらきらっと輝いて、賢い小動物のようだ。
愛想良く喋る口元。
業務上、必要があるときはいつも微笑んでいるので、密かに一部の男性から人気があるのだが、本人は全く意識していない。
そんなアデルはプクッと頬をふくらませ、一人静かにやりばのない苛立ちに耐えていた。
「はぁ、騎士様たちはなんで字の鍛錬はなさらないのかな……」
こっそり呟くくらい罰はあたらないだろう。
否、ぼやいてないとやってられない。
アデルの本音を言えば、騎士団は剣の善し悪しを問うよりも先に自分たちのペンの技術力をあげてほしい。
国を守る武力の象徴の精鋭部隊、王立白騎士団『エーデルハイト』。
しかしながら、その珠玉の国の宝たちは皆、肉体自慢や剣狂いばかりで、報告書や署名や議事録には全く興味がないらしい。
しぶしぶ聖堂に彼らが送ってくる書類の字は、お世辞にも見やすいとは言えない。
まあ、手っ取り早く言うと、九割九分が悪筆だ。
あまりに汚い字を解読するために、アデルの仕事は増えに増え続けていく。
「えー……伝説のミスリルソードでも無い限り、その辺の量産型の剣は、ディーツ産でもカロット産でもそこまで魔力量に大差はなかった? って書いてあるのかな? カロット? これはCなの? O? オーロット? いや、数字の8の可能性も? ああ、分からない、読めない……汚い……はあ……」
アデルは机に突っ伏した。
今日のはあまりにも酷い。
ガブリエル様の書類に当たってしまったのが、アデルの悲劇だった。
白騎士団副団長ガブリエルは剣ではものすごく強いらしいが、信じられないくらい字が汚いのだ。
「だめだ。休憩。ちょっと力を貰おう……」
脳みそがキュウキュウ悲鳴をあげている気がする。
アデルは籠に丸めて入っている羊皮紙の束から、ピンクがかった質の良さそうな一枚を引き抜いた。
「全員、ミシェル王子みたいだったらいいのになあ……」
第三王子の流麗で優美な署名にそっと指で触れて、アデルは溜飲を下げた。
白騎士団に所属し、小隊長になったこの第三王子ミシェルというのは、まだ十八らしいがものすごく字が綺麗だ。
さすが王族、と初めて見たときにアデルは震えたものだ。
さらには闘技場で最年少記録を打ち立て、剣技だけでなく魔撃といって、魔法を交えた剣技を使うらしい。
諸外国に武力を使わなくていいのは、このミシェルの功績も少なからずあるのだという話さえある。
それほどの才能と、力がある。
魔撃に関しては、大陸でも筆頭といっていい。
さらにはまだ伸びしろがあるらしい。
ミシェルは強いだけでなく、努力家なのだろう。
そうでなければ、こんな芸術的な署名はできない。きっときちんとした教育を素直に受けた人なのだ。
聖女とはいっても、何人かいるうちの一人なので、アデルはまだほとんど王族とは会ったこともない。
ミシェル王子がどのような顔形であるかも見たことはない。なんでも、噂では天使も逃げ惑うという美貌らしい。
心清らかな聖女たちでさえ虜にしてしまうので、王はあまり聖堂に近づけないようにしていたとか。
けれど、この字で何となく想像がつく。
「心の綺麗な方なんだろうなあ」
この無数にサインをした書類の量からみても、頼まれたら嫌といえないような性格なのだろう。
ミミズののたくったような騎士団の羊皮紙の束にまみれながら仕事をするアデルにとって、昨年あたりから時折まぎれてくるミシェル王子の書類は密かなる心の癒やしだった。
密かなファンといっていい。
ミシェル王子の書類は、一等育ちのよい青年が与えてくれる、一服の清涼剤のようなものだった。
アデルにしてみても、縁あってヴァレリアン公爵たちに引き取られて聖女になる前までも、元貴族ではあったのでそれなりの教養はあるのだ。
しかしながら、このような芸術的な優美な字は、王族や貴族だということを抜きにして、もはや一種の才能だ。
それでいてミシェルは、技術や魔力で選抜のある王立白騎士団に入っているというのだから、天は選ばれし者には何物もお与えになるらしい。
「この国も安泰ってことかな」
アデルはふうっと息を吐き、ピンクの羊皮紙に祈りを捧げた。どうということはないのだが、もしかしたら聖女の力のようなものが働いて、この人が少しは健康でいられるかもしれない。
顔は見たこともないが、その評判を聞くたびに、心なしかアデルは得意を感じていた。字でファンになるというのは、稀なことかもしれないけれど、毎日毎日、悪筆だらけの書類にまみれていれば、そんな気持ちになるのも仕方ない。
アデルは会ったことの無いこの達筆な第三王子ミシェルが、騎士団のどこかで健康でいてくれさえするならば、それだけでいいと思っていた。
翌日の花祭りの日、とんでもない事件が起こる前までは。
今日は10時、12時、15時、17時に予約投稿します。




