精霊樹 四
窓から出て行った客は再び窓から帰ってきた。
宿屋の者が見ればそう思うことだろう。木の枝伝いに戻ってきたニナは、ベッドに腰掛けて休む黒騎士を見つめながら窓を開けてくれと目で訴える。それに気がついた黒騎士は窓を開ける。
「何か掴めたか?」
「詳しくは掴めてないけど、大体は掴めた……」
「ふーん。どこの情報だ?」
「ハーフエルフのこと知っていたエルフ……恐らく匿っていた……」
「親か?」
「知らない……」
するりと中に入ったニナはそのままベッドに勢い良く倒れこむ。簡単な作りのエルフのベッドが軋みをあげた。
「でも、大方当たってる……エルフがハーフエルフのことを庇うことなんて、親でも無い限りしない……」
「そりゃそうだろ。匿ってることがバレたら文字通り殺されるぞ。そして、お前、その親はどうした?」
「……? 殺したけど」
「は?」
奇妙な空白が作り出されていた。
そして両者ともに不思議そうな顔をする。黒騎士は声を荒げて批判した。とはいえ深夜。宿屋中に響き渡るまでの大声ではない。
「親かもしれないんだぞ!?」
「それが……?」
「ハーフエルフとは直接的な関係はない。殺す必要は無いだろ!」
「うるさい……」
迷惑そうにニナは寝返りを打つ。布団の間から感情のない青い瞳が黒騎士を捉えていた。捉えたと言っても先にあるのは顔では無い。ただの仮面。その瞳が何色をしているのかもわからない。
「自分の力で立つこともできなければ、物を見ることもできない……拷問でそうなっているのに生かしておく必要があるの……?」
「それでもそいつは生きているんだ」
「その状態を生きているといえるんだったら、墓場で眠っている人達も生きていると思うよ……?」
「ちっ」
黒騎士が舌打ちする。左手は傍らにある長剣を握ろうとしている右手を抑えていた。
「暗殺者と騎士……話が合わないことはわかっていると思うけど……?」
「ああ、そうだ。あの方の命令でなければお前を切り殺せる。同じ宿を取る必要もない!」
「でも命令……長年の関係で互いに信頼は出来ても、背中は預けられない……そのような関係だと僕は思ってるけど……?」
「そうだな。お前は信頼しているが、この意見だけは絶対に引けん」
「そう……」
意見の違い。本来の身分である暗殺者と騎士。普通の者であれば別れるレベルの話だが、それでも強引に繋がれたら信頼が途切れることは無い。
「でもどうでもいいことだと思うけど……?」
「……」
「相手側に情報が来るとこが無ければ、あの人も苦しむことはない……誰もが幸せな結果ではあると思う……」
「親がいない者がどうなるのか程度はお前でもわかってるだろ?」
「知ってる……」
「適当な戦場ですり潰されるだけ……」
「……っ」
黒騎士はその表情をしたニナの姿を忘れることはできなかった。この世の全てに諦めたような表情でありながら、何かに希望を持った顔。それも正しき行いではない、何か別の方向へと向かった希望の顔。
「今回の依頼はハーフエルフの捕獲……捕獲された後がどうなるのかぐらいあなたでもわかると思う……」
良くて愛玩奴隷や、高級奴隷。悪くて労働奴隷であり、最悪は人権も何も残されていない戦時奴隷。
「でも、今回は珍しいとのことで売り手は付いてる……運がいいことにコレクターアイテムの一つになるらしいよ……」
「……っち」
黒騎士は舌打ちをする。ここまで悪事を知っていても何も出来ない自分に、そして殺そうとしても簡単に殺すことができない相手に。
何処かの妖精のように優美な姿を見せながらニナは座り込む。はだけた軍服のような服から真っ白な足が覗いた。
「決行日は明日の早朝……あなたも来るでしょ……?」
「そうだな」
そう言って会話を終わらせようとした黒騎士をニナは呼び止める。
「助けようと思わないで……」
「誰をだ?」
「ハーフエルフ……」
「ふん。助けようとしたところで、お前との敵対はあの方の命令に背くことになる」
「お前と私の力量も拮抗している」とは言えなかった。それを言ってしまえばどこか負けた気分になるから。
「いつも通りに行くから……」
「わかってるさ」
長年連れ添った仲だからだろうか、それとも黒騎士が言った『あの方』のせいなのか。意思が合うことのない二人は討論になってもすぐに決着がつく。それもいつも有耶無耶になって。しかし、暗殺者と騎士。二人の思想の違いにとってはそれが良いのかもしれない。
ニナは布団にくるまり、黒騎士は壁にもたれかかって同時に仮眠をとる。物騒なことに片方の腕には常に短剣が握られており、もう片方には背丈を越す大剣を抱え込んでいた。
次の日である。ニナと黒騎士は泊まっていた宿から出ると、そのまま里から出て行くふりをして、そのまま横道に逸れた。
獣道に近い道から、草が生い茂ったとても人どころか獣も行き来していないような中へとかき分けて入って行く。
ニナはいつもと同じようにどこにでも居そうな町人の格好をしており、黒騎士は重たそうな全身鎧に、視界は欲しいのかフードに仮面という素顔を完全に見せない姿。進行に邪魔そうな草をどこから取り出したのかニナは鉈で薙ぎ倒しながら進む。
「湖までは遠いのか?」
黒騎士が聞く。
「別に遠くはない……ただ、間に本里の結界が入るのと、森に住み慣れたエルフが狩に行って死ぬかもしれないって思うほどの魔獣……それに面倒な妖精達が昔はいた……」
「ん? 妖精は居ないのか?」
「今の時代に妖精が普通に存在できると思う……?」
ニナは呆れたように後ろを振り返った。
「どの種族にも当てはまるけど、前の大戦で有望な者はほとんど戦死した……それに魔法を使う媒体に一番便利なのは妖精……戦死と乱獲で固有数は少ないと思う……」
「そうか」
「結局の所この世界で最も多いのは人間と魔族……それに比べれば妖精の少なさぐらい気にならないと思うよ……」
ニナはそう言って窓の外を見つめる。そこに広がるのは闇であり、特段何かがあるようには思えなかった。
「居たとしても、何ができるんだろう……」
「まだ何かあるのか?」
「何も……」
「そうか。何かあれば言え。私は生きなければならん。それにお前が死んではあの方の命令の対象が居なくなってしまう」
「……」