精霊樹 二
───バタン
後ろで扉が閉まる音が聞こえる。立て付けは良い、と言うよりも、隙間が多いと言えば良い。引っかかるものがなければ簡単に閉まるのと道理である。
「ここまで首を突っ込むことも契約……?」
ニナはたしかに黒騎士と契約を交わしている。強制力はあってないものだが、互いに有名な旅人、探索者と外から見た際の立場がしっかりしているため敵対しようにも難しいだろう。
ここで当初の目的をはっきりと考える。
ニナはある依頼を受けてここ、エルフの分里へとやってきた。
依頼されたのはある者の身柄の確保だけであり、引き渡した後は売られるのか解剖されるか知ったことではない。ただ、そのある者が問題であった。
ただの人間であれば、余程のこと……イレギュラー要素が無ければ簡単に攫うことが可能である。魔族や、他種族でも同じ種族のものを向かわせれば特に問題はない。ただしそれが誰もいない種族で、更に何らかの対抗手段を持っていたとすれば、話は変わってくるだろう。
今回攫う予定の種族はハーフエルフ。文字通り、エルフと何らかの種族の混血。これだけならば特に問題はない。ただ、エルフの血は本当に特殊なのである。片親の種族の特徴を埋めるドラゴンの血よりも厄介なもの。単純に二つの種族の血が混ざるだけであれば問題はないと言うのに、混ざりあったせいで起こる変異。
エルフの里では子供達が楽しそうにはしゃいでいた。他種族の侵略の噂が広がっていないエルフの里は平和なものだ。上の者達が言わなければ下の者達も友好的なままであろう。
広場を抜けて入口へと進む。そこには以前から目をつけていたハーフエルフを狙ってきている商人が居る。無論人を攫う商人など正規ではなく奴隷商人のようなもの。
エルフ……まだ友好関係になって浅いこともあってか東の大国、クラルル王国からは奴隷商人のエルフの里への行き来は禁止されている。それでも来る者は当然ながら居る。彼らもまたその一人。間違いなく犯罪ではあるが、ニナは別にクラルル王国に忠誠をちかっている訳ではない。
どうなろうが知ったことではない。
商人は門番に証明書らしきものを見せると馬小屋のグループと、宿屋に向かっているであろうグループに別れた。当然下の者に興味はないので宿屋のグループにそれとなくついていく。
エルフの中においてもニナの姿はあまり目立つものではない。暗い茶色の髪の毛に、青い瞳。この特徴だけ持つ人ならばいくらでも出てくる。せいぜい目立つとすれば右目の白い眼帯だが、逆に言えばそれを取られればわからなくなると言うこと。敢えて一つ特徴を出すことによって他に目は行きにくくなる。
彼らが入っていった宿屋は周りと同じ巨大樹に建てられたツリーハウスのようなもの。ニナはそれを認めると人目のない所へと静かに消えて宿が見える位置へと移動する。飛ぶように上に上がっていくニナは、枝分かれした内の一つである太い枝の上で宿屋を覗いた。宿屋に作られた窓は小さいが、ニナには問題なく見えている。
「邪魔……」
居心地悪そうに体に当たる葉っぱを退けていると、商人達が部屋の中に入る。シャルと同じように簡単な荷物を置くと、何人か置いて再び外に出ていった。
行商人に扮している彼らは、これから商売を行う気だろう。商人として情報を聞く気だろうか。それだけの信用でエルフが口を開いてくれるとも思えない。ハーフエルフはエルフの里の中では忌子に等しい。部外者が簡単に知れるようなものでないことぐらいはわかる。
「内通者でもいるのかな……?」
部屋から出ていった行商人達と、後に残っている者達。ニナは商人から自身が気づかれていないと仮定して、行商人として偽装しにいった者よりも残った者達を監視する。
しばらくすると誰かが扉を開けたようだ。部屋に残った者達が皆居なくなる。
「そうなるんだろうけど……」
ニナは誰も居なくなった窓へと近づき、手に持った薄い棒で窓を揺する。すると窓のの鍵は簡単に開いた。防犯も何もあったものではない。急遽建てられた宿屋が故の欠陥だろう。
空いた窓よりするりと中に入ると、そのまま廊下へと出る。周りに誰も居ないことは魔力からも、音からもわかっていた。強力な探知能力。
気張りされた廊下を音も立てずに走っていくと、商人一行が見えてきた。ニナは足を止めると天井へと飛ぶ。
商人はあたりを警戒はしているものの、上までは見ていないようだった。
「当たりかな……」
小さく呟く。
商人は辺りを見回した後、宿屋の奥の方へと消えていった。ニナはそこまで見守ると、宿屋から出、宿泊している宿屋へと帰っていく。
情報源さえ見つかれば、後は今から向かう、と言った話にでもならない限りどうにでもなる。
何故ならハーフエルフは従順な犬ではない。無条件で奴隷になれ、という命令を素直に受け入れるわけがない。そのためハーフエルフから見た重要な者への言い回しや、戦闘のための準備の時間が必要になるだろう。
そして昼はやはり動きにくいものである。今夜を準備、又は下見に当てるとして最短でも明日の夜あたりに捕まえにいくと予想した。
このことから、今夜あたりにあの裏部屋への侵入が必要になると考えられる。そこに何があるのかはわからないが、何らかの情報は手に入る。居場所さえわかれば問答無用でハーフエルフを襲撃すれば良い。ニナは最後に辺りの地形を頭に入れると、宿屋へと戻っていった。
宿屋に帰ると、黒騎士は暇そうに剣を磨いていた。己の身長近くまで迫る大剣に、腰に吊るしてある長剣。どちらも鞘から出されて綺麗に磨かれていっている。どちらも黒騎士の持ち物だが、ニナが協力して持ってきたものだ。
今の黒騎士は軽装になっているのか、部分鎧にサーコート、仮面姿だった。
「何か見つかったのか?」
ニナが帰ってきたことに気がついたのか、黒騎士はそう言う。
「情報源は存在した……」
「そうか。相手の様子は?」
「おそらく今日はまだ行かないと思う……戦いになるのは明日の明朝、もしくは夕方から夜あたり……今夜はその情報法源に当たってくる……」
「ふうん。まあ気をつけて行ってこい。私のいる場は戦場であり、影はお前の住処だろ」
「そう……」
「それもそうだが、珍しいものを見つけたんだ」
黒騎士はそう言うと、横にあった鞄から香ばしそうな調味料で味付けられた焼き魚を取り出した。
「ここの森で取れたものらしい。エルフが売っていた」
どこからどう見ても怪しい鎧姿の者にも、エルフは物を売ってくれるようだ。
「肉もあったが、魚の方がいいだろ」
「そう……ならありがたくもらうけど……」
椅子に腰掛けて黒騎士が買ってきた焼き魚を口にする。少し塩が効きすぎている感じもするが、まあ上手いの範囲に入ってくるだろう。
「意外と美味しいだろ」
「……」
頷いて肯定を示す。
焼き魚を頬張る二人の関係は不思議なものだった。同じ宿の同じ部屋に泊まり、互いの食べ物を警戒することそもなく口に運ぶ。これでいて二人は互いのことを味方ではないという。
味方でなくとも、時間が経てば信頼関係は生まれる。ある寄せ集められた者よりも意味深い関係で結ばれた二人は、それぞれの目的を阻害することでなければ共同する関係となっていた。
夜が来るまで、二人は互いの武器を整備しながら黒騎士の買ってきた食べ物をつまんでいた。