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乾いた木の打ち合う音が響き合う。続いて怒号に近い指示を飛ばす声。
兵舎特有の青の配色はここでは天井のみに使われている。それ以外は板地のままでいつ破砕されてもすぐ交換できるように工夫されているためだ。
その下で程よく鍛えた筋肉に彩られた男達が動く。そしてこんもりと噎せ返る空気。
『うっ』
メルニーは物陰から頬を引き攣つらせて覗いていた。
騎士達の訓練場では若手の騎士が今日も鍛錬に励み面倒見の良い上官が指導を行っている。
それを先程からウロウロと窺っている。本人は物陰からそっとのつもりだろうが全く畑の違う魔法畑のメルニーは大変目立った。
「あの?メルニーさん?何をなさっているんですか?」
唐突に後ろから声をかけられ飛び上がらんばかりに驚いた。
「あ、アルードくん?」
振り返れば知己のアルードが穏やかな困ったような笑みを浮かべ頬を掻いていた。
彼は文官見習いの少年で特に身分のある家の子ではないが才覚を見込まれて王城に呼ばれ見習いをしている。メルニーが城に出入りするようになって直ぐに何かと声をかけてくれ、親切に接してくれたのだ。対人スキルがゼロに近かったメルニーは何かと彼を参考にさせてもらった。
「アルード君こそこんなところで何をしているのよ。ここは騎士の仕事場で文官のあなたに用のある場所に思えないけど?」
それはメルニーもである。
「えっと『魔法隊の嬢ちゃんが威嚇してくるから持って帰れ』だそうです」
「何よそれ。なんでアルード君が呼ばれるのよ」
さあ?なんででしょうね。あからさまにとぼけるつもりの言い草にメルニーは口を尖らせるが諦めた。気の弱そうな面立ちをしてはいるが彼はなかなか強かで人を丸め込むのが上手いのだ。メルニーなんかでは太刀打ちができない。
アルードはとりあえずと前置いて
「僕今日は焼き菓子を焼いてきたんです。一緒に食べませんか?美味しいお茶も用意してきました。
それで良ければそこに張り付いている理由を聞いても良いですか?場合によっては力になりますよ」
その言葉に目を丸くした。
「え?あなたが焼いたの?アルード君何でも出来るのね」
「ええ、何でも出来きるんですよ」
彼は悪戯っぽく笑って包を掲げて見せた。
中庭に出て一角にハンカチを広げる。先程とは打って変わった風雅な風景。それには目もくれず。
甘い匂いとお茶の香りは食欲を刺激する。メルニーも若い娘の例に洩れず菓子には目がない。
たっぷりの焼き菓子はアルード一人にはちょっと多い量だが二人で丁度良かった。
「で?奇行の理由は聞いても差し支えないやつですか?」
ぱくつくメルニーの口元をにこにこと眺めながらアルードはグサッと切り込んできた。
「奇行って……まあいいわ。
人に街をうろつくのなら最低限魔法無しでも対処できるようになれと言われてしまって、魔法に頼るのは本当にいざとなった時。でないと失敗すると諭されてね」
本当は怒られたのだ。
んーと思考を巡らせてアルードは頷く。
「そうですね。僕もそっちの方がいいと思いますよ。でも……」
そういって上から下までメルニーを見返した。華奢な手足。気が強そうではあるが愛らしい面立ち。お世辞にも荒事とは仲良くなれそうにない。
「そう私はこんなんだし?でも正論なのよ。それで手っ取り早く鍛え少しるにはやっぱりどうすればいいかと思って」
「臆したと」
暫くメルニーはアルードの言葉を都合の良い言い換えは出来ないかと考えた。が、諦めた。
「周囲がだいたい魔法関係者だから慣れていないのよ。いきなり屈強な現役の騎士に接するのは無理だと分かってたから見習いに毛が生えたくらいの同世代の新人ならなんとかいけるかと思ったんだけどね。
嘘でしょ。アレ、私やあなたと歳あまり変わらないのよ」
吐き捨てるメルニーにアルードはすこしく食い気味に聞いた。
「に、ニルクさんとか結構いい男と評判ですよね」
「あー、聞いた聞いた。でもモルルにしか見えなかったわ」
山奥に住んでる雑食の獣の名前嫌そうに呟く。メルニーの意外な好みが判明しアルードは内心拳を振り上げた。
ニルクはアルードの目から見ても結構な美丈夫だ。涼しげな目元にストイックで公正なな性格。男女共に信頼が厚い。それなのにこの反応、少なくとも体格の良い男はメルニーのお眼鏡に叶いそうにないと確信する。
自分は文官で良かった。特技がお勉強で神様ありがとう。
「でも職を紹介してくれたおば様もから言われててね。『国に携わるなら人の生活をきちんと見なさい』ってそれもその通りだと思うのよ。だから護身術くらい身につけないといけないんだけど」
ちろりと訓練場の方に視線を向けた。
「私には真似できない力技ばかりだわ」
「教えを請えば子女の為の護身術向きの話も聞けるのでは?」
「皆さんお仕事中でしょ」
「王子にお願いしてみては?」
「あのね、皆忘れているかもしれないけれど、私は王子の私兵で魔法隊には協力している立場なの。王城の人員を私的に使うのは駄目よ。言ってしまえば目的が私が城下に遊びに行きたいって話だし」
アルードの言葉が止まり動きが止まった。
「あ、ああ。そうですね」
ややあって出てきた台詞に彼もまた忘れていたのだと察せられた。
ジト目で睨みつけてまあいいかと口に出す。
「正直私に出来そうかどうか見に来ただけなの。ちょっと宛があってね。でも出来もしないものを頼むのは互いに無駄だからちょっと見学に来たの」
嘘ではない。ただ護身術を教えてくれと頼みやすそうな人が居たらちょっと無理を言っても良いかなと思ったこともちょろっとあった。思いとどまったのだから嘘ではない。
「宛てですか?」
「そう」
「出来そうですか?」
「……出来るかどうかではなくやるかやらないかと云う事だと思うの」
つまりは全く自信がないという事なのだとアルードは了解した。
「あなた言ったわよね。私が半端な事してると迷惑だって」
「…言ったな」
呆れ顔の男が答えた。
下町のうらぶれた酒場。マルキオの店はそんな店だ。大衆酒場と違って単価の高い酒に絞っているので人の出入りは少ない。その代わり客は代替えの利くものではなくお得意様だけで成り立っている。つまり、
「お嬢、俺の店は大人の社交場だ。酒も呑めない小娘が開店前に迂路付かれたら邪魔なんだが」
「これ飲んだら出ていくわ。要件は伝えたし」
メルニーはメニューにない果実飲料を当たり前のように口にしている。
「伝えたって…、その護身術を教えろってのは決定事項かなんかか?了承した覚えはないんだが。なんで俺がそんなことしなくちゃならん」
「え?だって私が弱いとあなたが迷惑だって」
「ああ」
「あなたの懸念事項を晴らすのにあなたが尽力することになんの疑問があるの?」
少し大げさな身振りで驚いて見せる。少し芝居がかってる方がこういった場合相手の気力を削ぐことが出来る。
「お嬢、そういうの詭弁って言うんだぞ」
「知ってるわ」
メルニーの周囲にはそういったことに長けた人材が豊富なので大変参考になっているのだ。