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Blood Crusader  作者: 青鉄


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十字架と血潮と(2)

Eli(エリ)Eli(エリ)……

lema(レマ)………sabach(サバク)thani(タニ)……


(わが神…わが神……なぜ………わたしをお見捨てになったのですか……)


 

 夜の高校は、昼間とは全く別種の空気を内包していた。

 静けさだけでなく、一切の関与を拒むかのような——


 2月2日、深夜2時になろうとしていた。


 風はなかった。にも関わらず、校内のそこここに植えられた木々の枝が、かすかに揺れているように見えた。


 某区の公立高校——明るい時間なら、生徒たちの声が響き、部活動の掛け声が飛び、教師の注意が校舎のどこかから聞こえてくるはずの場所だった。

 校舎の窓は今は黒く沈み、門柱に掲げられた校名板だけが、街灯の白い光を受けて鈍く浮かんでいる。


 日中、多くの生徒たちがくぐる正門とは反対の裏門の手前に、一台の白いセダンが止まっている。

 車の端に立つ街灯の下に、スーツにコートを着込んだ男が二人、人待ちをしていた。


 彼らがその場に到着して間もなく、もう一台の車が彼らの車の後ろに停車する。

 光を反射しないソリッドブラックの四輪駆動車だった。

 混じり気なしの漆黒の車体が街灯が少ない通りの暗がりから現れたせいか、先に到着していた二人の顔にやや緊張が走った。


 二台目のエンジンが止まる。

 車内から、運転席にいる白髪の男がフロントガラス越しに校舎を見上げているのが見えた。


 「Hi! オマタセシマシター?カ?」

 後から来た車の助手席から、すいと降り立った初老の男が二人に手を挙げて挨拶した。


 短い所作に、無駄のない美しさが指先までにじんでいる。こちらへ歩を進めるたび、背筋の通った体に沿って、黒いスータンの裾が静かに揺れた。

 日本語のイントネーションは崩れているが、やや離れた場所の二人の待ち人には、遅れを詫びる神父の配慮が上品に伝わってくる。


 二人の男はその場に流入してきた柔らかい空気感にホッと、強張こわばっていた顔を緩ませた。

 恰幅かっぷくのよい方が尋ねた。


 「し、神父様…ケニー神父様で?」

 「ハイ。校長先生?……ホントに、ガッコウが荒らされてるンですゥねー」


 ケニー神父は、ところどころ発声に引っかかりはあるものの日本語でにこやかに、問題の相談者である校長に応じた。そして車中の男と同じく、夜の学校に顔を向けた。


 「お恥ずかしいことながら、はい。問題はお電話でお伝えした通りです」


 校長は他に誰もいないにも関わらず、声をひそめた。内容が校風に関わる。聞かれたくない話だった。

 「くだんの英語教師、彼が来て以来、何と言いますか、不品行が蔓延はびこって…大人同士の不適切な関係なら、まだ校内の問題として処理もできました。ですが、生徒が巻き込まれているとなると——」

 ここまで言って、校長は問題の種類について顔を顰め、押し黙ってしまった。

 「学校で、あってはイケナイ状況、ですネ」 

 神父が、慰めるように相槌あいづちを打った。

 「はい、はい。その通りです」

 もう一人のヒョロリとした眼鏡の男が神父に答えた。教頭だった。「そのぅ、彼自身は何をするでもないのです」

 校長が幾度も首肯しゅこうした。

 「自由に、等しく、広く愛し合う。それが本当の、神様の言う愛だとか何とか」


 放埒ほうらつな関係が神の愛、と聞いて、口角は上がっているものの、話を聞くケニー神父の目がやや見開いた。


 神父の笑みが抜けた目線に、校長が慌ててさらに続ける。

 「きょ、教頭ともども、その問題の教師を何度か呼び出してその考えをいさめてきたのですが、まるで意に介さないのです」

 校長の言葉に思い出したように、教頭がさらに今の状況を訴えた。

 「不適切な関係が増えるにつれ、金銭トラブル、暴力行為が頻発し、警察沙汰になった問題も一度やニ度でない……ですが、私どもがそちらに相談しようと決めたのは、これです」


 手に持っていたA4用紙の入る封筒を、教頭は恐る恐る神父に差し出した。

 ケニー神父は、中身の紙束を出して見る。どれも同じ図柄が印刷されていた。


 ——二重重ねの正三角形の中心に、写実的な人間の左目……


 「それは、電源オフになっていた学校のコピー機から、中の用紙がなくなるまで印刷され続けていたものです…原本は置かれていませんでした」

 「……I see.」

 神父は目を細めてその図象ずしょう一瞥いちべつし、不可解な現象で吐き出された紙束を封筒に戻した。

 校長がその現象に対しての対応状況を補足した。

 「私どもも、その絵については調べました。西洋オカルト的な意味があるそうで。それで心霊というか、怪奇現象について、神社や寺、霊能者にも相談を……全員、途中でさじを投げました」

 「“位階いかいが違う”とか何とか、でしたね。校長?」

 「そうです。私どもにはさっぱり、何のことやら」



 〝キヒヒヒヒヒヒッ…サッパリナンノコトヤラサッパリ……〟


 外気導入口から車中に紛れ込んできた灰色のゴムまりのような低級の悪霊が、周辺の不穏な会話を模倣してはしゃいだ。

 運転席の白髪の男、ザイトワ・ダジャンは顔色一つ変えず、左手でそれを捕まえると、小さな青い電光を走らせた。〝ガハァーァッ!!〟

 手のひらサイズの炎と電撃がゆらぐ。炎の中、金の指輪が左薬指にきらめいていた。

 あっと言う間に雑多霊は、ほのかな硫黄サルファー臭を残して焼き消えた。


 「しかし、神父様?お一人で大丈夫なんですか?頼んでおきながら、こう言っては何ですが」

 冷や汗を浮かべた校長の顔に、だいじょうぶかなぁ…と案じる気持ちが書かれているかのようだ。


 ケニー神父は、不気味な図柄を冷ややかに一瞥した表情と打って変わって、よくぞ聞いてくれた、とばかりにニッコリと笑った。


 「ダイジョーブ!ウチの教会には最強の猟犬がイマース!惠介!」


 神父と校長、教頭の三人が照らされている街灯の輪に、呼ばれたもう一人が車から降りて加わった。

 車道から、歩道に敷かれた煉瓦れんが色の舗装(インターロッキング)ブロックに上がる時、ガツッと重い音が鳴った。


 一人?


 校長と教頭は、新たに加わった影がまとう空気に、思わず一歩後ずさった。

 猟犬、と呼ばれていた。違う。もっと獰猛どうもうな……一頭の、虎。

 

 影は街灯を浴びると、白髪であることがわかった。しかし老人ではない。

 この男の生来の髪色なのだろう。


 後ずさったところから男を見上げると大きい。190cmはありそうだ。

 惠介、と呼ばれながら、日本人離れした顔貌、長い手足と体躯、そこに焦げ茶色の異国風ロングコートを着ている。

 ただそれだけでも、近くにいる自分たちは圧倒される。

 

 コート下の黒いタートルネックシャツに黒いアーミーパンツ、履いているのは同じく黒のライダーブーツ…と思いきや、作業実習や校内整備で見かけることがある、鉄鋼の先芯さきしん入り作業用ブーツだ。歩道で鳴ったのは、その重さだった。

 

 ——しかし……

 同じ黒づくめでも、この男は隣の柔和な雰囲気の神父とは全く異なる生物だ。最強というよりは、漢字の違う「最恐」の獣に見える。

 

 男の手に下げられたベルトには大小のナイフシースと、それに納まる二本のナイフが見えた。

 見て校長と教頭は目配せし合い、それらは何かの儀式用であって、実用ではない、と思うことにした。


 自分に対する怯えの色が顔に刷かれた校長、教頭に構わず、惠介、と呼ばれた男が神父に向かって左腕を挙げ、手首のアナログウォッチを見せる。

 右の人差し指でそれを二度ほど叩き、ある時間が迫っていることを無言で告げた。

 「Yes. We should go now.」


 教頭が時間を確認し合う二人を見て、

 「予告された時間、ですね……」

 「でもなんで、2月2日の深夜…2時?丑三つ時(うしみつどき)ですかね?」

 校長もいぶかしむ。問題の教師が、


 2月2日2時には用を済ませて去る——…


 そう告げていた。

 逆光を背にした英語教師の落ちくぼんだ瞳は最大に広がって、真っ黒い瞳孔は人が見てはならない暗黒のふちのように見えた。彼と向き合っていた校長と教頭は、指導室で震え上がった。

 自分たちの向き合っているのは、人なのか——?


 用を済ませる?何の用を?どこで?

 場所は散々、不道徳に荒らした学校の校内に違いない。


 「2月2日2時、222デスネ。見えナイ側のNumerology(ヌメロロジー/数秘術)では、同じ数字が三つ並ぶ時、その数の三倍を示すともイイマス。222は……つまりィ、666をイミする。悪魔や反キリストの数、とされる数字デス」


 「あ、悪?」

 「悪魔ァ…?」

 「彼からのウケウリでェすネ」

 神父は、準備に着ていたロングコートを脱いで、四駆のボンネットに置いた男を手の平で示してみせる。


 白髪の男が、手に持っていたベルトの大小のナイフシースが背面にくるように腰に装着すると、黒シャツの袖を両方とも肘辺りまで手繰たくげる。

 夜目にも幾つかの傷がわかる両腕をそのまま背後に回した、と思ったら、両手に大小のナイフが握られていた。街灯の輪からあふれる光が二本の、男の腕ほどに長い薄闇色のホールドリングの付いたナイフと、短いダマスカスこうの波紋のような文様のナイフを薄く照らす。

 音もなく抜かれた刃物のそれぞれの裏表を見やると、問題なしとばかりに大小を後ろに交差するナイフシースに素早く納めた。

 それからかがみ込むと、鉄鋼芯が足先に入った黒い作業用ブーツの編み上げを締め直す。

 一旦車のボンネットに放ったロングコートを再び手に取り、傍にスッと立つ神父にうなずいた。


 その時、誰かのメッセージアプリの着信音が鳴った。教頭が自分のスマートフォンを見て、

 「こ、校長!家庭科の牧野先生と女子生徒の何人かがまだ学校にいるみたいです?!」

 「えええっ!警察!それはそれで警察呼ばないと!」


 二人の慌てふためきを見つつ、ケニー神父が告げた。 

 「デワァ、行ってきます」

 そのまま開門されている裏門に向かう。


 後から続く男はロングコートを肩に掛けながら、校長と教頭に振り返り、

 「身の危険を感じたら、迷わずここを離れろ。先生方が誰もいなくなったら、生徒たちが一番困るだろう」


 110番だ、念のため、119番だ、とあたふたしていた二人は、その言葉を聞いて、一瞬ポカンとした。


 あ、虎が人語をしゃべったよ……?



 「じゃない!教頭、あなたは救急を!私は——」



 

 くらい大気に沈む校内に向けて、聖書と祈りを引っげたケニー神父と、大小のナイフを持った虎、もとい、惠介——悪霊は彼を、ザイトワ・ダジャンと呼んだ——が進んでいく。


 彼らを待っていたように、生ぬるい夜風が吹き始めていた。

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