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やっと見つけた、私の居場所  作者: 瑠璃くちの


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2/2

後編・見ているだけで済むはずだった


 高校生に華道を教える仕事は、あまり気が進まなかった。

 師範をしている母に頼まれたから引き受けただけで、自分からやりたいと思ったわけではない。実家の教室を手伝うことにも、花に触れることにも不満はなかった。ただ、まだ若い生徒たちに向けて、自分の大事なものを説明しなければならない場は、どうにも落ち着かなかった。

 興味本位で見られるのが苦手だった。

 男のくせに花なんて、と、子どもの頃から何度も言われてきた。大人になってしまえば、そんな言葉にいちいち傷つくことも減ったけれど、何も残らなかったわけではない。好きなものは黙って好きでいればいい。わざわざ理解してもらおうとしなければ、失望することもない。そう思うようになったのは、かなり早い時期だった。

 だから、その春に高校の課外授業の講師を頼まれた時も、半年だけ無難に終えればいいと思っていた。

 花の名前を覚えなくてもいい。形の意味を理解しなくてもいい。時間になったら来て、課題をこなして、終わったら帰っていく。たぶん大半の生徒は、その程度だろうと思っていた。

 最初の授業の日、岸本由莉奈も、最初はその中の一人に見えた。

 教室の後方、窓際に近い席に座っていて、特に目立つ様子もない。騒がしくもなく、誰かと群れることもなく、静かにこちらを見ていた。高校生らしい無邪気さより、少しだけ周囲から距離を取ったような落ち着きのほうが先に目についた。

 それだけなら、印象に残ることはなかったと思う。

 けれど実演のあと、片づけの手を止めたまま、彼女は作品をじっと見ていた。

 花ではなく、その余白を見るような目だった。

「どうして、この枝だけ少し外したんですか」

 最初にそう聞かれた時、少し驚いた。

 花の種類でもなく、形の作り方でもなく、そこなのかと思った。

「全部を揃えると、綺麗すぎて、どこにも引っかからなくなるからです」

 そう答えると、岸本由莉奈は黙って作品を見たまま、小さく頷いた。

 その顔が、ただ教わったことを理解した生徒の顔には見えなかった。

 何か別のものと重ねているように見えた。

 次の週も、その次の週も、彼女は授業のあとに残って質問をした。

 どうして左右対称にしないのか。

 花が少ないのに綺麗に見えるのはどうしてか。

 寂しい感じがするのに、美しいと思うのは変なのか。

 変わった生徒だと思った。

 けれど不思議と嫌ではなかった。むしろ、その質問に答える時間だけは、他のどんな場より静かで、まともだった。

 岸本由莉奈は、花の見た目を褒めることはあっても、決してそれだけで終わらなかった。

 どうしてそう見えるのか。

 なぜそこを切るのか。

 何を残したかったのか。

 そういうことを、ちゃんと知ろうとした。

 自分の好きなものを、そんなふうに見てもらったことがあっただろうか、と、その頃から時々考えるようになった。

 たぶん、なかったのだと思う。

 だから毎週水曜日が近づくたび、少しだけ気持ちが落ち着かなくなるようになったのだろう。

 今日は来るだろうか。

 今日はどんな花を選ぶだろうか。

 授業のあと、また何か聞きに来るだろうか。

 考えなくていいことばかり、考えるようになっていた。

     

 それが、好意だと気づいたのは、かなり遅かった。

 由莉奈が生けた花を見て、思わず「置いていかれたみたいで目を引きます」と口にした日があった。あんな言い方をするつもりはなかった。ただ、ほんとうにそう見えたのだ。

 静かで、控えめで、けれど目を逸らせない。ちゃんと見ないと通り過ぎてしまうものを、彼女は無意識に残していた。

 あの時、由莉奈は少しだけ傷ついたような顔をした。

 慌てて言葉を足したのは、傷つけたくなかったからだ。

 その時にはもう、授業中の他の生徒とは違う意味で、彼女を見てしまっていたのだと思う。

 由莉奈は、よく笑うわけでも、よく喋るわけでもなかった。けれど、質問のあとにわずかに口元がやわらぐ瞬間や、納得した時にほんの少しだけ目が明るくなる瞬間があった。

 そういう細い変化を、拾ってしまうようになった。

 拾いたくて、見ていた。

 それがいちばん厄介だった。

 自分は教師でもなければ聖人でもない。ただ少し年上で、少し先に花を知っていた人間に過ぎない。その程度の距離でしかないはずなのに、授業のあと片づけをしながら、背後に彼女が来る気配を待ってしまう。

 まるで、最初からそこにあると決まっている時間みたいに。

 そんなものが、あと何回あるのかを数えるようになった頃には、もう遅かった。

     



 九月の最後の授業の日、朝から気分が悪かった。

 終わるからだ。

 それ以上の言葉はなかった。

 高校生の半年の課外授業。最初から終わりは決まっている。十月からは受験一色になることもわかっていた。だからこれは、春の時点で終わっている関係だった。

 それなのに、終わりの日になって初めて、その事実が現実の重さを持った。

 最後の授業は、驚くほど何事もなく進んだ。生徒たちはいつも通りで、作品もいつも通りで、由莉奈もまた、いつも通り静かに花に触れていた。

 誰も何も変わらない。

 変わっているのはたぶん自分だけだった。

 授業が終わって、生徒たちがひとりずつ帰っていく。ありがとうございました、と軽い声が部屋を抜けていく。その中に由莉奈の声はまだなかった。

 残って片づけを手伝っている足音を聞いて、胸が少しだけうるさくなる。

 言うべきではないと思った。

 連絡先を渡す理由はない。約束を作る立場でもない。終わった授業の外へ、こちらから手を伸ばしてはいけない。

 そうわかっていた。

 けれど、何も残さず終えることもできなかった。

 結局、名刺を差し出した。

「進学してからも、興味があれば」

 声が変に固くならなかっただけ、まだましだったと思う。

「花展の案内でも、わからないことの質問でも。連絡してきても大丈夫です」

 由莉奈は少し驚いたような顔をした。嬉しそうにも見えたし、戸惑っているようにも見えた。

 その表情を見た瞬間、胸の奥でひどく浅ましい感情が動いた。

 連絡が欲しい、と思った。

 だがそれを悟られたくもなかった。

 自分から求めるのは違う気がした。相手はまだ高校生で、こちらはただの外部講師だった人間だ。線を越えるなら、少なくとも由莉奈の側に、もう一度会いたい理由がなければならない。そうでなければ、全部ただの押しつけになる。

 だから、あとは待つしかないのだと思った。

 待てばいいだけだと。

 その時は、ほんとうにそう思っていた。

     

 最初の三日は、まだ平気だった。

 四日目も、忙しければそのくらいは普通だろうと思えた。一週間が過ぎても、授業が終わったばかりなのだから、わざわざ連絡するほどではないのかもしれない、と考えた。

 二週間目から、考える時間が増えた。

 三週間目には、携帯が鳴るたびに手が止まった。

 一か月が過ぎた頃には、何かがおかしいと自分でもわかっていた。

 待つしかないのに、待てなかった。

 自分にとってあの半年が特別だったとしても、由莉奈にとってはそうではなかったのかもしれない。授業は授業で、終われば終わり。それだけのことだったのかもしれない。

 その可能性を考えるたび、妙な息苦しさがあった。

 忘れられているかもしれない、というだけで、こんなに苦しいものだとは知らなかった。

 初めて好きになった相手だった。

 そのことに気づいたのは、由莉奈から連絡が来ない時間の中だった。授業中に感じていたざわつきも、終わりの日の居心地の悪さも、全部そこへ繋がっていた。

 好きになったのなら、普通はどうするべきなのだろうと考えた。

 だが、答えはなかった。

 由莉奈は高校生で、もう自分の生徒ですらない。会う口実も、連絡する口実もない。正しい方法を探すほど、自分の手元には何も残っていないことがわかった。

 何もできないまま、会いたいだけが残る。

 それがいちばん厄介だった。

     

 最初に高校の近くへ行った日のことは、よく覚えている。

 近くに用事があったから、というのは半分本当で、半分嘘だった。ほんとうは最初から、見かけるかもしれないと思っていた。

 校門の前から少し離れた歩道で、授業が終わる時間に合わせて立っていた。自分が何をしているのか、考えないようにしていた。

 やがて生徒たちが何人も出てきて、その中に由莉奈を見つけた。

 その瞬間、胸の奥がひどく静かになった。

 会えた、と思った。

 それだけでよかった。元気でいることがわかれば、それで少しは落ち着くと思っていた。

 だが実際には逆だった。

 由莉奈は友人たちと少しだけ話したあと、一人で駅の方へ歩いていった。ふり返ることもなく、誰かを待つこともなく、あまりにも自然に一人だった。

 その背中を見ているうちに、帰ることができなくなった。

 駅までの道を、少し離れて歩いた。

 ただ無事に着くのを見届けるだけだ、と自分に言い聞かせた。

 見届けたところで何が変わるわけでもないのに、そうしなければ落ち着かなかった。

 その日を境に、同じことを何度か繰り返した。

 回数が増えるほど、言い訳はうまくなった。

 近くに寄ったから。

 たまたま時間が合ったから。

 気になっただけだから。

 どれも全部、本当ではあった。

 ただ、本当の全部ではなかった。

     

 バイト先を知ったのは、偶然だった。

 駅前のカフェで、エプロン姿の由莉奈を見つけた時、足が止まった。

 そのまま店には入らなかった。ガラス越しに一瞬だけ見て、すぐに立ち去った。

 入ればよかったのに、とは思わなかった。

 まだ、その時は。

 それよりも、放課後だけではない由莉奈の時間を知ってしまったことのほうが大きかった。

 学校から帰るだけではなく、誰かに飲み物を運び、笑顔を作り、帰りに制服のままコンビニへ寄る時間がある。そういう日常が、当たり前みたいに続いている。

 その中に自分の入る余地はどこにもない。

 そのことが、苦しかった。

 そして同時に、見ているだけで少し安堵もした。

 まだ元気でいる。

 ちゃんと日々を送っている。

 それだけで救われると思い込みたかった。

 だが由莉奈を見ている時間が長くなるほど、見たくなかったものまで見えるようになった。

 誕生日らしい日だった。

 友人たちと別れたあと、一人で歩いていた。笑ってもいなければ、急いでもいない。ただ、少しだけ足取りが重かった。

 日付と、制服の上に羽織った薄いカーディガンの色で、たぶんそうだと気づいた。帰り道にコンビニへもケーキ屋にも寄らず、そのまま家へ向かう背中が、ひどく静かだった。

 その日の帰り、車のハンドルを握る手がしばらく落ち着かなかった。

 進路が決まったらしい日もそうだった。

 高校帰りに一人でコンビニへ入り、小さなプリンを買って店の前で食べていた。誰かに報告するでもなく、電話をかけるでもなく、ただ一人で。

 嬉しくないわけではないのだろうと思った。

 でも、誰にも言わないのだと気づいた瞬間、胸が痛んだ。

 雨の日、駅前でしばらく立ち尽くしていたこともあった。傘がなくて困っているようには見えなかった。ただ、誰かを待つみたいに、少しだけそこにいた。

 誰も来なかった。

 それを見た時、たぶん本当に駄目になったのだと思う。

 知らなければ、もう少しましだった。

 会いたいだけの恋心なら、まだ時間と一緒に薄れる可能性もあった。だが、由莉奈がああして一人でいる姿を知ってしまうと、ただ好きだというだけでは済まなくなった。

 見ていないといけない気がした。

 誰も見ていないなら、せめて自分だけは見落としたくないと、そう思ってしまった。

 それがどれほど身勝手な理屈か、わからないわけではなかった。

 それでも、その理屈にすがらなければ、自分のしていることを認めるしかなくなる。

     

 再会を“偶然”にしたのは、卑怯だからだ。

 もっとほかにやり方があったのかもしれない。けれど、自分にはそれがわからなかった。突然連絡することもできない。何食わぬ顔で会いに行くこともできない。会いたいと伝えるには、相手との距離が遠すぎた。

 だから、偶然に見える形を選んだ。

 カフェの前に立った時、何度も帰ろうと思った。ここで顔を合わせれば、もう以前の“ただ見ているだけ”には戻れない。

 それでも店の扉を押した。

 入口のベルが鳴って、由莉奈が顔を上げた。

 目が合った瞬間、胸の奥にあったものが音もなく崩れた。

 会いたかった、と思った。

 想像していた以上に。

 なのに口から出たのは、何度も頭の中で練習していた、あまりに穏当な言葉だった。

「……やっぱり、君だった」

 それが自分に言える、いちばん自然な再会の言葉だった。

 由莉奈は驚いて、それからほんの少しだけ嬉しそうにした。

 その顔を見た瞬間、救われた気がした。

 同時に、自分がどれほど卑劣なことをしているのかも、はっきりわかった。

 会えてしまった以上、もうまた来るだろうと思った。

 実際、その通りになった。

 週に一度か二度。長居はしない。話しかけすぎない。偶然を装うために、やりすぎないよう気をつけた。

 だが、由莉奈が少しずつ気を許していくのを見るたび、胸の奥のどこかが痛んだ。

 由莉奈は、自分が作った偶然を、本当に偶然だと思っている。

 それなのに、会えたことを喜んでくれている。

 そのことが嬉しくて、苦しかった。

     

 バイト帰りに一緒に歩くようになって、由莉奈は時々、家のことをぽつりと話した。

 父親がほとんど家にいないこと。

 母親が忙しいこと。

 進路が決まっても、誰かに何かを言うほどではない気がしたこと。

 どれも大げさな言い方ではなかった。愚痴でもなく、ただ事実を並べるみたいに話すだけだった。

 それがかえって、胸にきた。

「岸本さんは、一人でいることに慣れすぎているんですね」

 思わずそう言った時、由莉奈はうまく笑えなかった。

 その表情を見て、自分の見ていたものはやはり見間違いではなかったのだと知った。

 由莉奈はほんとうに、ひとりだった。

 あるいは少なくとも、自分ではそう感じていた。

 それを知ってしまった以上、もう止まれなかった。

 傘を差し出した日も、シフトを把握していた日も、疲れている日に好きな紅茶を選んでしまった日も、どこかで見つかることを恐れながら、少しだけ望んでもいたのだと思う。

 知ってほしかった。

 自分がどれだけ見ているかを。

 どれだけ覚えているかを。

 どれだけ、由莉奈のことばかり考えているかを。

 そんなこと、知られたところで気味が悪いだけだとわかっていたのに。

     

 写真や記録を残していたのは、忘れたくなかったからだ。

 それ以上にうまい言い訳は見つからない。

 記録にすれば落ち着くと思った。

 形にすれば、見ていない時間にも耐えられると思った。

 由莉奈の一日が、自分の中だけでも確かなものになる気がした。

 だからノートに日付を書き、見かけた時間を書き、表情を書いた。

 バイト帰り。

 誕生日。

 雨の日。

 進路が決まった日。

 誰も知らないような日を、自分だけは知っているのだと思うと、どこか救われる気さえした。

 それがどれほど歪んでいるか、ほんとうは最初から知っていた。

 だから作業台の上に置いたまま、ちゃんとしまわなかったのは、単なる不注意ではなかったのかもしれない。

 どこかで、見つかることを待っていたのだ。

 この関係が正しい形で始まらないのなら、いっそ間違った形のまま全部知られてしまえばいい、と、そんな考えが一瞬でもなかったとは言えない。

 自分でも軽蔑するしかないような願いだった。

     

 発覚した日の由莉奈の顔は、たぶん一生忘れない。

 写真を手に、震えていた。

 怒っていた。怯えていた。気持ち悪がっていた。どれも当然の反応だった。

「どうして、こんな……」

 その問いに、まともな答えはなかった。

 会いたかったから。

 何をしているか知りたかったから。

 見ているうちに、由莉奈の寂しさを見つけてしまったから。

 どれを言っても言い訳にしかならない。

 それでも黙っていられなかった。

「見ていました」

 由莉奈が後ずさる。

 その様子を見ても、近づくことはできなかった。腕を掴めば、たぶん全部が終わる。いや、もう終わっているのだとしても、それだけはしたくなかった。

 せめて自分のしたことの醜さを、自分だけはちゃんと見ていたかった。

「課外授業が終わって、もう会えないと思ったら……駄目だった」

 情けない言葉だと思った。

 大人の男が、高校生みたいな理由で壊れている。

 だが、ほんとうにそれ以上の言葉がなかった。

 連絡をくれなかったからです、と言った時、責めたかったわけではない。そんな資格はない。ただ、待てなかったのだと、それしか説明できなかった。

 由莉奈は怖がりながらも、写真の中に写る自分を見ていた。

 誕生日の日。

 進路が決まった日。

 雨の日。

 そして、小さな声で言った。

「……誰も、知らないと思ってた」

 その瞬間、胸が痛んだ。

 知っていたからだ。

 自分だけは。

 ひとりで帰る日も、迎えを待つみたいに立ち止まる日も、誰にも言わないで飲み込む日も。

「知っていました」

 そう答えた自分の声は、思っていたより静かだった。

「ずっと、見ていたから」

 由莉奈が泣いた。

 怖くて泣いているのだと思った。

 それでも、自分だけは知っていたかったと、そんなことまで思ってしまった。

     

「……こんなの、おかしいよ」

「はい」

「気持ち悪い」

「そうですね」

「逃げたほうがいいのに」

「そう思います」

 答えながら、終わったのだと思った。

 由莉奈がここで背を向ければ、それが唯一まともな結末だ。そうなってほしいと思う気持ちと、そうなってほしくない気持ちが、同じ形で喉に詰まっていた。

 由莉奈は泣きながら、こちらを見ていた。

「どうして、そこまでするの」

 ひどくまっすぐな問いだった。

「君だけが、ちゃんと見てくれたからです」

 それはようやく口にした本音だった。

 花のことも、自分の話すことも、何ひとつ軽く扱わなかったこと。

 質問のたび、こちらが言葉を探すのを待ってくれたこと。

 そういう小さなこと全部が、どれほど嬉しかったか。

 言葉にしてしまえば、ただの情けない初恋に見える。

 実際、その通りなのだと思う。

 初めて好きになった相手との距離の詰め方も、想いの伝え方もわからないまま、由莉奈がひとりでいることばかり知ってしまった。その結果、自分だけは見落としたくないと思い込み、ずるずると深みに落ちていった。

 まともではなかった。

 だが、やめられなかった。

「……私、ずっとひとりだったの」

 由莉奈がそう言った時、初めて足元が揺らぐような感覚があった。

 知っています、と答えた。

 だが由莉奈は首を振った。

「たぶん、私、自分でもちゃんとわかってなかった」

 泣きながら笑うみたいな顔だった。

「平気なふりしてた。別に寂しくなんかないって。でも、ほんとは、誰かに見つけてほしかった」

 その言葉を聞いた瞬間、救われたと思った自分がいた。

 最低だと思った。

 こんな場面で救われる資格などあるはずがないのに、由莉奈のその言葉だけが、ずっと胸の奥に刺さっていた何かをほどいた。

「気持ち悪いのに……どうして、こんなに安心するんだろう」

 何も言えなかった。

 何を言っても、間違いになる気がした。

 しばらくして、由莉奈が小さく息を吸った。

「ずっと、隠れて見てたの?」

「……はい」

「じゃあ、もう隠れないで」

 耳を疑った。

 由莉奈自身も、きっとそれが正しい言葉ではないとわかっていたはずだ。それでも、そう言った。

 差し出されたのは許しではなかった。

 正しい未来でも、きれいな恋でもない。

 ただ、ひとりだった者同士が、いちばん欠けたところで繋がってしまっただけだ。

 それでも、その言葉を拒むことはできなかった。

 ゆっくり近づいて、手を差し出す。

 由莉奈が逃げないことを確かめるように。

 そして由莉奈の指先が触れた瞬間、どうしようもなく安堵した。

 見ているだけで済むはずだった。

 それがいちばん正しい距離だと、何度も自分に言い聞かせていた。

 けれど由莉奈は、最後の最後で、隠れていたこちらのほうを見つけてしまった。

 救われたと思った。

 それが破滅とほとんど同じ形をしていることを、知っていながら。



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