10日目-1
10日目
人の罪は多様だが、残された償いの方法は僅かだと思わないか?
ー僕は、過去には戻れないんだ。
焦げの目立つ古いフライパンの上の食品サンプルのような光沢を持った目玉焼き。半熟のそれに塩をふた振りして、ちょうどチンと鳴ったトースターの中から、焼き加減にムラのあるトーストを取り出して、パンの上にのせる。今日の僕の朝食だ。今日の、とは言うものの、いつも朝はこれと決めている。あまり食べすぎても頭に霞がかかってしまって仕事が進まない。
うん、と一人頷く。なんとも微妙な食パンの焼具合だ。目玉焼きだけではなく、パンまで半生だ。半熟と、半生、意味はほとんど同じはずなのに、言葉から受けるイメージはこうも違う。さて、そろそろこのトースターも替え時かもしれない。今日の目玉焼きトースターは失敗だ。
彼はどうやら風邪を引いているようだ。彼と僕の間に血の繋がりはあれど、テレパシーとか、特別な絆なんて初めから存在しない。最も、僕は一般の家庭事情を知らないし、一卵性の双子もいないから、本来はそう言う超自然的な何かがあるのかもしれない。
もちろん風邪だと分かったのには理由がある。僕のいつもの目覚ましが鳴る前に、おそらくあれは朝5時ごろだったはずだ。彼の朝は早いから、それを撮影する僕もだんだん朝型になった。この年になってこんなに健康的な生活を送ることになるとは思ってもみなかった。僕が些細な物音で起きてしまうのは、別にストレス性の障害とかそういうものではなくて、昔からあまり深く眠れない体質なのだ。
今朝ベッドの上で不意の物音、といっても普通の人には窓の軋む音にしか聞こえないだろうが。普段するはずもない物音に驚き、その後のかすかなうめき声に慌てて廊下に出てみると階下で彼が倒れているのが見えた。流石に僕も平静では……いられなかった。多分。
「大丈夫……ですか?」
「大丈夫だよ。さて、君には何も迷惑はかけたくないんだ。」
彼はそう言いながらぱたぱたと膝をはたき、立ち上がろうとして、立ち上がれずによろりとした。とっさに彼のよれた首元の黄ばんだ白いワイシャツを掴んで僕はそれを支えた。僕の体が脳みそよりも先に勝手に動いたのだ。人間の反射って、まるで機械のようじゃないか?いや、機械のほうがいくらかマシだ。機械はプログラムさえ一度してしまえば制御できるから。
「でも……どこか折れていたら大変だ。」
気がついたらそう口が滑っていた。彼と僕との間に助け合わなければならない義理なんてひとつもないはずなのに。同族のよしみだろう、きっと。
「医者を呼ぶから、とりあえず僕の肩につかまって、下さい。上に上がりましょう。かかりつけ医を呼びますから。」
「そうだね……分かった。君には本当に申し訳ないね。いつまでも迷惑をかけてしまうようだ。」
彼はじっと下を見つめて、しばらく迷っていたが、ようやく僕を頼る気になったらしく、彼は幾分しなびた手を僕の肩に乗せた。昔から吹けば飛んでしまうような儚さを持った人だったけれど、僕の中の記憶よりもやせ細っているように思えた。おかれた彼の手のひらからじんわりと温もりが伝わってくる。腰に手を回してよろめく彼を支える。
痩せていると言っても、彼も一人の男だ。それなりに足に力を込めて二人分の体重を支えて、ギシギシと鳴るナイチンゲールの床のような階段を一段一段上がっていく。伝わってくる彼の体温は心なしか高い気がした。もしかしたら体調も悪いのかもしれない、でなければ住み慣れた家の階段で転ぶはずはないのだから。