37日目
37日目
僕は……どうするんだ?
ー僕はどうしたいんだ。
医者は僕に言いたいことだけ突き刺して、この家を出て行った。僕が今まで目を背けていた真実を置きざりにして。その数日後、彼の入院が決まり、この家には僕一人になっていた。
また、ひとりだ。
今日から2週間前、彼が町一番の大学病院に入院して、僕は彼の着替えや、治療の同意書を書くために彼のいる病院に向かった。病院に入ると、医者と看護師が奔走する慌ただしい空気感と、独特の消毒液の香りが漂い、僕の正面の受付にはまだ若い女性が座っていて、人の良さそうな微笑みを浮かべてこちらを見ていた。ここまではどの病院でも同じなのだ。
「お見舞いに来たんですが。〇〇はどの病室でしょうか。」
「〇〇さんですね。少々お待ちください。」
女性はコンピュータをかちゃかちゃと動かしている。
「申し訳ありませんが、面会謝絶になっていますね。何かお持ちであれば、後ほど病室にお届けしますが。」
彼が面会謝絶になっているなんて。なぜ、僕の所に連絡がこなかったのだろう。僕は家族、なのに。
「そういう連絡って、僕のところにはこないんですかね?」
女性は驚いたように僕の顔を見た。
「先生のご家族なんですか?」
女性は僕をまじまじと見つめる。彼と僕は人種も違うから、仕方ないことなのかもしれないが彼女の興味本位の視線が少し不快だった。
「いえ、以前ここで先生が働かれていた時は、奥様しかいらっしゃらないと伺っていた気がしたので。」
僕が車の免許証を見せると女性はにっこり笑った。
「私の考え違いだったようです。かしこまりました、連絡先を教えていただいてもよろしいですか?何か容体に変化があった場合、お知らせいたしますので。」
僕は連絡先をメモ用紙に書く、電話番号と、住所を丁寧に。書き終わりボードを女性に差し出しながら、ちょっとした世間話のつもりで話しかけた。
「ここって△△という医者はいますか?いえ、父の知り合いの話を前に聞いたことがあるものですから、つい気になってしまって。」
「はい、△△先生なら……。」
「あ、いえ。いると分かっただけで十分です。ありがとうございます。」
「そうですか。」
いつからだろう、僕があの人たちの家族の一員だと思うようになったのは。いつから僕は勘違いしていたのだろう。もう思い出せないけれど、きっと僕がこの世に生まれたときからだと思う。どこにも根がないこの感覚になれるのにはまだまだ時間が必要だ。
どこにいればいいんだろう、どこに行けばいいんだろう、何をすればいいんだろう、分からないことが多すぎて何から手をつければいいのかわからない。一番困るのは、なんのために生きればいいのか分からないこと。なんのために生きればいいのかも分からないのに、結局死ぬのは怖いこと。
僕は丁寧に刈り込まれ、病院の名前の由来にもなっている天に美しく青々と葉を広げる木々の間をゆっくりと通り抜け、黄砂で汚れた車に乗って彼の家へ戻る。僕が暮らしていた前のアパートもこっちに来るときに引き払ってしまったし、母の小さな位牌も母の実家の仏壇の奥にひっそりと置かせてもらっている。今の僕には彼の家にしか帰れる場所はないのだ。
茶色いペンキが剥げ落ちた玄関の木製の扉の前に立ち、ひょんな事でなくしてしまいそうなほど小さな金色の鍵を手にとる。
さて、そろそろ原稿に取り掛からないと、次の〆切に間に合わない。階段を上がり僕は自分の部屋に向かう。
僕が使うこの部屋は、まだこの家に3人ともいた頃から、僕の部屋だ。僕が10年ぶりくらいにこの部屋に足を踏み入れた時、埃を少しかぶってはいたが、ほとんど記憶の中の僕の部屋と変わらない状態で残されていた。木製のニスが塗られた暗褐色の机、机の上の伏せられたクラスメートにもらったフォトフレーム、そして、オークの木でできた本棚とベッドと、右足に僕の名前が光沢のある緑色で刺繍された茶色のテディベア。
ノートパソコンが置かれた机の前に腰掛けて、ふと思う。僕がいない十数年、誰が掃除していたのだろう。
彼、か?




