37 感覚のシャッフリング
「あっ!?」
声を上げる。
正面に、火鳥の姿は、なかった。
テーブルの上には、
黒い薔薇が、一輪、乗っていた。
智子は、店外へ、とび出し、
混乱した頭のなかを、けんめいに整理した。
まず会うべきは、心情としては・・・優希。
だが、冷静に考えれば、
順序としては・・・鹿間だ。
事件の細部を、問いたださなくては。
喫茶店・・『ペール・ラシェーズ』
場所は・・・日暮里。
目標を、定めた智子が、
京成上野駅方面へ、ダッシュしようとしたとき、
原付きバイクが、
彼女の目の前スレスレで、
急カーブを切って、ストップした。
マナーのなっていない、
危険運転に、カチン!ときたので、
文句を言おうと、
怒りに、顔を染めて、口を開きかけると、
原付きの持ち主が、
さっと!ヘルメットを取った。
ショートカットのキリッとした顔。
「カオル!」━「いったい、どうして?」
驚く智子。
「どうしたも、こうしたもない!
トモコのことを、ずっと探してたんだから。
スマホに連絡しても、まったく、出ないし。
さあ・・・後ろに、乗って」
カオルは、予備のヘルメットを、放ってよこした。
「ちょいと、ヤボ用だったのよ。
悪いっ・・・日暮里まで行って!」
ヘルメットを、装着しながら、智子が言った。
「承知!・・・鹿間が、
首を長くして、待ってるよ」
エースとポイントガード、
今宵は、息も、ピッタリだ。
後部席に、智子を乗せた、原付きバイクは、
上野公園わきの、坂をのぼり、
芸大前を抜け、谷中へ、向かう。
「うちらの学園、ヤバいかも。
なんか・・・キナ臭いことになってきた」
薫が、
後部席に、声をかけた。
「というと?」
「きょうの夕方、学園付近のマンホールの中から、
蜂谷の死体が発見された。
腐乱が進行しいて、
熟れすぎた・・・洋梨状態だったらしい。
死因は、
スズメバチに、
数十箇所、刺された、ショックによるものだとか。
「それから猪瀬・・・
結核による、入院というのは、
表むきで、
本当は、身体中に、
虫が涌いたことが、原因みたい。
「さらに、海先生が、
警察に、任意同行を求められて、
出頭した!
先生が・・・研究のために、培養していた、
回虫の卵が、
どうも・・・
・・・猪瀬の病因と・・・
・・・つながりがありそうな気配で・・・」
「なんだって!?」
智子の、胸さわぎのノイズが、増していく。
「警察関係者が、大勢、
学園にやってきて、ものものしかった!
パトカーの赤色灯って、
言いようのない不安を、誘うのよね」
バイクは、狭い道を、走行していく。
周囲は、暗く、静寂としていた。
エンジン音だけが、夜道に、響いていた。
「カオル、きょう・・・優希の姿を・・・見かけなかった?」
「さあ、どうだったかな?
犬城さん、
このところ、影が薄くて、
いるのかいないのか・・・分からない、感じ。
なにが、あったのか・・・知らないけどネ」
「・・・・・・」
喫茶店に、到着。
レトロ感ただよう、
店の、入り口を、智子が開いた。
カラン、カラン!
呼び鈴が、音をたてる。
店内を、オレンジ色のライトが、照らし出ている。
ちょっぴり暗いが、
心落ち着く、隠れ家、といった趣きだ。
不思議なフィット感を・・・かもし出していた。
以前、
この店に来たことのある、薫にしたがい、
智子は、
鹿間が待つ、個室まで、歩いて行った。
薫がノックして、扉を、開ける。
「・・・!?」
個室には、誰も、いなかった。
智子は、
瞬時に、きびすを、返すと、
早足で、
店のマスターのところまで行き・・・たずねた。
マスター曰く・・・
「先ほど、来店した、
背の高い、
非常に、礼儀正しい青年が、
眠りこんでしまった鹿間に、
肩を貸して、店を出て行った。
青年は、鹿間より、年長に見えた・・・」
とのことだ。
鹿間から、ことづかったモノを、
マスターから、
受け取った・・・智子。
その際、
店主に、学生証の提示を、求められた。
ずいぶんと、慎重な人だと、
微苦笑しながら、
学生証で、身分を、証明した。
ことづかったモノとは、
鹿間愛用のノート型パソコンと、
フラッシュメモリであった。
智子は、
マスターや薫から、離れて、
カウンター席の隅に腰かけ、パソコンを立ち上げる。
パスワードは・・・[智子の生年月日]・・・であった。
最新のメールに、
それとなく、暗示が、してあった。
フラッシュメモリを、差しこんで、データを開く。
事件のいきさつが、
詳細に、
認められた文章が一件と、
動画が一件、
メモリーされていた。
文章を読んだあと、動画データを、開いた。
優希が、
惨殺される場面が、映し出された。
ナイフを振りおろした
<人物>を、
しかと・・・記憶に・・・焼き付ける。
怒りが━ふつふつと━こみ上げてくる。
薫とマスターは、
異様な気配を、察知していた。
智子の全身から、
燃え上がるような、
原色の<赤色オーラ>が、放出されていた。
それは・・・
まるで・・・阿修羅を・・・思わせた。
慎重を、期して、
データを、パソコン内に、コピーしてから、
シャットダウンした。
フラッシュメモリを、サイフにしまっていた、
ちょうどそのとき、
スマートフォンが、鳴った。
通話ボタンを押すと同時に、
智子の母親の声が、飛びこんきた。
「お前、いま、どこにいるの?
優希ちゃんが、訪ねてきて、
さっきから、ずっと、待ってるわよ。
なにか、約束してるそうじゃないの。
早く帰っといで!」
用件だけ言うと、電話は、プツンと切れた。
いつものパターン・・・節約精神だ。
喫茶店を出た・・・智子は、
パソコンを片手に、
原付きの、後部席に、またがった。
薫は、運転席で、
キーを、差しこみながら、訊ねる。
「このあと、どうする?
なにかワケあり・・・みたいだけど。
鹿間のスマホは、通じなくなってるし。
どこか、心当たりを、捜してみる?」
「カオル、ゴメン!」
言うや、
智子は・・・
・・・彼女の背中を・・・
突きとばした。
運転席から、勢いよく、
ポーンと、はじき出される、副主将。
「あとで、必ず、返すから!」
あ然とする薫を尻目に、
パソコンを、運転席の足もとに、置き、
原付きを、スタートさせる。
「なによーっ!
免許、持ってないくせして。
いつも・・・勝手なんだから!」
バイクのスピードを上昇させ、
自宅へ、向かう智子。
スマートフォンを、発信し続けながら。
「優希、優希、優希、優希、優希、優希、優希・・・・・!」
つながらない。
もう一度、会いたかった。
今夜を逃すと、もう二度と、会えなくなる気がする。
切迫感が、智子の心臓を、締めつける。
原付きバイクが、
『aurora』の店頭に、
すべりこむように、停止した。
自動ドアから、店内を、のぞきこむ。
奥にある、作業場では、
両親が、
閉店後の仕事・・・翌日の仕込み・・・に余念がない。
智子の、胸の内に、
生活というものの実感が、ひしひしとわいてくる。
プラス・・・感謝の気持ちも。
自動ドアのスイッチは切られていたが、
施錠は、されていない。
手動で、ドアを開ける。
作業場へ、足を踏みいれる。
「ただいま!・・・優希は・・・優希はどこ?」
智子の声に、
集中力のほどけた両親が、顔を上げた。
母親が、あきれ顔で、どやしつける。
「この、不良ムスメ!
こんな時間まで、どこを、ほっつき歩いてたの。
優希ちゃんなら、可哀いそうに、お前の部屋で、待ちぼうけよ」
怒声を背に、
作業場を、すばやく通りぬけ、
階段を、三段抜かしで、駆けあがる。
つきあたりの自室を、ノックした・・・(ひどくドキドキする)。
「優希!」
一拍おいて、ノブを回す。
室内には、誰も・・・いなかった。
優希の姿は、どこにも・・・見あたらない。
机の上には、
口をつけていない、コーヒーカップと、
菓子パンが、お盆に乗っていた。
コーヒーは・・・冷めていた。
あちこち、
トイレや押し入れまで、捜してみたが、
やっぱり・・・彼女は・・・いなかった。
優希の腰かけていたと、おぼしき椅子に、手を当ててみる。
かすかな、温もりも・・・残って・・・いない。
意味もなく、部屋を、見まわす。
「ん?」
なんだか、いつもと違う雰囲気を、感受した。
精神を・・・集中させる。
〈アレレっ?〉
〈ない・・〉
〈なくなっている!〉
大事な、だいじな、記念品。
インターハイ出場のチケットを、
勝ち取った時の、
集合サイン入りの、バスケットボールが、なくなっていた。
ガラスケースの中は・・・空っぽ!
近づいて、目を凝らすと、
ケースの中に・・・何かが・・・置かれていた。
智子の視線が、急激に、吸い寄せられる。
スマートフォンのストラップが、視界に、大きく、映し出された!
<黒い招きネコ>
回転寿司店で、
もらった記念品が、
空のケースの、ちょうど、中央部に、置かれていた。
智子はポケットから、スマートフォンを、つかみ出した。
同じ日にもらった、
<白い招きネコ>のストラップが、
揺れている。
黒と白の招きネコ、
ふたつのストラップを、
やや上方に、並べて、眺める。
背中がゾワゾワしだした・・・
全身が、小刻みに、震えだす・・・
吐く息・・・吸う息が・・・
二律背反呼吸へと、
移行していった。
智子の集中力が、研ぎ澄まされてゆく!
純粋主観が・・・客観を・・・駆逐する。
行きつくところの、
鋭角まで、尖るや、
特殊な状態へ・・・突入した!
脳内がハレーションを起こし、
白色状に、周囲が、輝いて見える。
重力が、消滅してゆく・・・
時間が・・・極限まで・・・引き延ばされる・・・・・・
匂いが、視え・・・
音を、嗅ぎ・・・
視覚が、聴こえ・・・
言葉が、触覚を持つ・・・
感覚のシャッフリングが、起こった。
〈感じる・・・はっきりと・・・感じる!〉
〈優希が・・・呼んでいる・・・!〉
〈優希が・・・この私を・・・必要としているのだ!〉
カーテンが、ゆるやかに、動いている。
窓が、半開きに、なっていた。
智子を、導くように、風が、誘いかける。
スマートフォンに、
<黒招きネコ>のストラップを、
結びつける。
制服に、着替え、
スマートフォンを、
スカートのポケットにすべりこませると、
純白のアウターを、着た。
サイフから、フラッシュメモリを取り出し、
机のカギを開け、
小箱にしまい、
引き出しを、閉め・・・カギをかけた。
ある、決意を、秘め、
鏡台のまえに、座る。
まず、化粧を、落とす。
それから、コンタクトレンズを、ハズした。
ティッシュに包んで、ゴミ箱へ、放りこむ。
鏡台の、ひき出しを、開き、
メガネケースを、取り出す。
赤いフレームのメガネを、かける。
ブラシで、髪をとかし、
うしろの一か所で、たばねると、
赤色の
<勝負ゴム>を、
使って、
しっかり・・・と・・・止めた。
鏡の中の、
自分自身に・・・向かって・・・語りかける。
「お帰り・・・月吉智子!」
衣裳ケースを、開き、
宝物・・・
━<レアアイテム>━の
バスケットシューズを、取り出す。
インターハイ初出場の、
お祝いとして、
優希の母親から、贈られたものだ。
大好きな、優希のお母さんへ、
感謝の気持ちを、込めて、
バッシューに・・・「一礼!」・・・する。
テキパキ装着すると、
ヒモを、キツめに縛った!
床を、踏みしめる!
すばらしい感触を、
シューズは、提供してくれた。
ノートパソコンを、片手に抱え、
窓から、上半身を、乗り出す。
下を確認して、二階から、飛び降りる。
鮮やかなフォームで、
クールに、
着地を決めた。
〈急げ・・・急ぐんだ・・・!〉
〈場所は・・・あそこに・・・違いない!〉
クスノ木のイメージが、眼前に、大きく映しだされた。
コンセントレーションは、マックス状態へ。
しかし、はやる気持ちは、抑えにかかる。
原付きに乗り、
イグニッションキーを、回す。
エンジン始動・・・
動き出した!
今の気分は、
バスケットボールの、
最重要な一戦に、
臨んでいくときと・・・似ていた。
ギリギリの瀬戸際に接近していく、
戦士のような・・・心理状態。
武者震いが・・・止まらない。
二律背反呼吸は・・・
・・・継続されたままだった。
無重力感。
食欲が・・・消えてなくなる。
アドレナリンが、ドバドバ、大量放出されていく。
〈なにか・・・・とてつもないことが・・・起ころうとしている・・・!〉
水晶学園の前で、バイクを、停止させる。
時刻は、午後11時を、回っていた。
三年近く通った、
学園の校舎を、
しっかり、記憶に焼きつける。
〈明日は・・・どうなっているか・・・分からないから!〉
星々が・・・瞬いて・・・いる。
澄みきった夜空の中心に、
満月が、立派な大円を、浮かべ、
なまめかしい、蒼い光を、放射していた。
原付きバイクを、学園近く、に駐輪する。
迷うことなく、
役角寺に、向かって、歩みを、進めた。
寺のわきの、石塀沿いを、歩く。
石塀に、手をかける、
跳躍し、
乗り越え、
墓地区画に・・・降り立った。
月明かりに、照らし出された、
墓石群を見て、
ゾクリと実感する。
ここの地下には、
埋葬された<お骨>が、
相当数、
納められていることを。
自分で、自分を、抱きしめる。
顔を・・・上げた。
本堂の裏手に、
巨大なクスノ木が、
夜空に向かって、そびえ立っているのが、目に入る。
それを目印に、墓地内を、歩いていく。
くぐり戸を、開く。
ギィーッ!
という音が、鳴った。
くぐり戸を抜け、裏庭に、足をふみ入れる。
左がわには、石堂が、見えた。
気のせいではなく、
石堂から、瘴気が、わきあがっていた。
右がわへ、視線を移す。
智子の視界の片すみに、
クスノ木に寄りかかり、
腕を組んだ、人物の姿が、とらえられた。
両目が、ピントを合わせ、
その人物を、しかとキャッチし、認識した。
まちがえようがない・・・火鳥翔。
ふたりの距離は、およそ六メートル。
「ククク・・・」
ふたたび、智子に、武者震いが・・・起こった。
月明りの下に、
火鳥の全身像が、
はっきりとうかがえた。
両目を閉じた、彼は、
瞑想しているように、見える。
ひたいの上部には、
ナイト・ゴーグルを、装着している。
黒の革ジャンパー。
ぴっちりした黒の革ズボンという、いでたちをしていた。
革ジャンの内側には、
『doors』のロゴが、
ゴールドでプリントされた、
深紅のTシャツを、着ていた。
首から<お守り>のヒモが、ぶら下がっている。
落ち着きはらった火鳥の、
足元に、立てかけてある、
腰の高さほどの・・・ボンベ〈=シリンダー〉・・・を、
目にした瞬間、
智子の内面に・・・
言いようのない不安が、つのった。
〈ガスボンベ・・・?〉
〈果たして・・・ぶじに・・・済むので・・・あろうか・・・?〉




