13 考査試験(こうさしけん)最終日
そして、試験最終日を、迎えた。
いつもの大噴水前で、
スマートフォンを片手に、友人を待つ智子。
現在時刻を、たしかめる。
ふだんより、あきらかに遅い。
時間には、正確な、タイプなのに。
ラインで、メールを入れてみるが、リターンはなかった。
しばらくして、ようやく優希が姿を見せた。
片手に通学バッグ、
もう一方の手には、バスケットケースを持っている。
「今朝は、また、どーしたの?」
けげんな顔をして、智子がたずねる。
「うん、まぁ、いろいろあってね」
バスケットを開いてみせる。
中から、小さな黒ネコ、クリルがひょいと顔を出した。
「ミャオー♪」
智子に、愛らしい鳴き声を、ひびかせた。
「わけを、聞かせてくれるかな?」
クリルと優希を、交互に、見ながら言った。
「昨晩のことだけど、智子が、勉強会をおえて、
帰ったあとの、話になる。
わが家のキッチンに、ネズミが出たのよ!
それも、大きな主みたいのがね。
それを見たお母様が、大さわぎ。
さっそく、きょうを、
一斉ネズミ退治の日、としたわけ。
朝から、消毒屋さんが、
バタバタやってきて、もうたいへん。
それで、しかたなく、連れて来たのよ」
「ペット用のホテルにあずけるとか、
選択肢は、いくつかあったでしょうに」
「この子、人見知りが激しいし。
きょうにかぎって、
どうしても、私から・・・離れようとしないのよ。
はじめて見たネズミが、よっぽど怖かったのね。
きのうから、震えっぱなし。
この子には、
ネコとしての本能が、
DNAに、組みこまれていなんだわ・・・きっと」
「あんた、クリルといっしょに、
試験を受ける気なの?」
あきれ顔の智子。
「ほかに、方法が、あって?」
「ふむ。うちに預けてくれれば、良かったような」
「言ったでしょう。人見知りが、激しいのよ」
智子が、クリルの目の前で、
指を、ひょこひょこ動かしみせる。
母性本能を、刺激する、
なんともいえない、
可愛らしい鳴き声を、子ネコが上げた。
思わず、胸が、キューンとしてしまう。
「けっこう、人なつっこいと、おもうけどなァ」
すっかり、母性顔に、なっている智子。
「どうやらあなたは、例外みたい。
ほかの人はダメなのよ」
「試験官の先生に、見つかったら、
即退席させられる。アウトだよ!」
「しかたないもん。足もとで、お伴してもらう」
ベールをかけた、ペット用バスケットを、持った、
優希が、
忍び足で、教室に入る、
智子も、人目をはばかるようにして、あとに続いた。
試験科目は<英語>。
科目と、開始・終了の時間が、
板書されている。
試験開始直前である。
空気が、ピーンと、はりつめている。
試験のときだけ、二人の席は、離ればなれになる。
中央やや後方に、優希の席がある。
足もとには、クリルの入ったバスケットが、置かれていた。
少し離れた、窓よりの、さらにうしろのほうに、智子の席があった。
クリルのようすを、飼い主以上に、心配している。
海先生が、教壇に、あがった。
試験官は、ローテーション制だ。
「いまから、問題用紙と解答用紙を、順番にくばっていきます。
解答用紙に、ID番号、クラス、氏名を、記入したら、
時間がくるまで、両方とも、ふせたままにしておいて下さい」
「それでは試験開始!」
水をうったように、しんとした教室内に、
見まわりに歩く、海先生のクツ音が、高くひびく。
みけんにシワをよせ、
長文を、読解している智子。
スーツ姿の海先生の、
ぽっこりした〈寄生虫を育てた〉お腹が、
バルーンのように、
彼女の横を、通りすぎていった。
「ミャアォ♪」
クリルの鳴き声がきこえた。
ハッとする、智子。
当の優希は、まったく気づかない。
試験に、没頭している。
〈おや!?〉
という表情をうかべ、
あたりを見まわす、海教官。
「ミャアォ♪」
ふたたび、クリルの、鳴き声。
〈気のせいではない!〉
確信した、海先生は、
教壇にもどり、
一段、高いところから、
教室内を、注意ぶかく見まわした。
ダイナマイトの導火線に・・・火がついた。
優希はなにごともないように、
さらさらシャープペンシルを、走らせている。
「ミャアォ!」
第三弾・・・ついに決定打が、はなたれた!
「誰だね?
教室内に、ペットを連れこんでいるのは?」
教卓に、 両手をついて、海先生が言った。
生徒たちの集中がほころんで、
教室内がざわつきはじめる。
ようやく・・・
事態に・・・気づいた優希。
身体が硬直して、
冷や汗が、ながれてくる。
海先生の視線は、音源を、正確にたどって、
レーダーのように、彼女の足もとに、向かう。
「マズい!」
とっさに智子が、挙手。
「すみません、スマートフォンの着メロです。
電源を、切るのを、忘れていました」
「バカモン!!
真剣味が足りないから、
そういうミスをする!」
大砲のような叱責が、あびせられた。
日頃の海先生からは、
想像のできない、
すごい剣幕だ。
智子はむろんのこと、
全クラスメートの背すじが、
ビシッと伸びた。
「ス・ミ・マ・セ・ン」
うつむいて、謝罪する、智子。
〈めずらしく・・・落ちこんだ・・・〉。
海先生は、有無を、いわさずに、
智子のスマートフォンを、
没収すると、
試験を再開させた。
海先生の、武器は、なにも、ユーモアだけではない。
生徒を、きちんと叱れるところに、
その本領があった。
試験終了のチャイムが鳴っても、
少しののあいだ、
智子はうつむいたまま、席から立ちあがれなかった。
休憩時間中。
トイレへ、バスケットを、持ちこんで、
クリルに、水とエサを、やりながら、
かばってくれた友人に、
しきりと、お詫びを、する優希。
「私の思慮が、浅かった!
イヤな思いをさせてしまって、本当に、ゴメンなさい!
英語の試験は、ちゃんとできた?
もしものことがあったら、私・・・
・・・責任を、感じてしまう。
つぎの時間から、クリルには、
ロッカーで、お留守番してもらうことにする」
「海先生の、大目玉には、
正直落ちこんだけど、
試験に、影響はなかった。
赤点にはならない・・・ノープロブレムさ」
優希は・・・まじまじと・・・友人の顔を見る。
もう・・・ふだんの智子に・・・もどっている。
精神のよどみは、
彼女から、すっかり消え去っていた。
<なんと、切りかえの、速いことだろう!>
けっして、引きずらない。
だからこそ、緊張度の高い、
試合の、さなかでも、
マイナスを引きずらず、
つねに、
前を、向きつづけて、いられるのだ。
優希は、救われると同時に、
友人の、生まれ持った、
アスリートとしての、抜群の資質に、
あらためて、驚かざるをえなかった。
試験最終日の<トリ>をつとめる科目は、
臨時担任である、
海先生の生物だった。
教官は、現代国語の先生。
海先生の出題する、
生物の試験問題は、楽しい授業とは、まるでちがう。
変にややこしく、こみいっていて、むずかしい。
学年の平均が、四十点未満ということもあった。
ただし、試験勉強にのぞむ生徒に、
目くばせというか、ヒントは、あたえていた。
海先生の場合、講義の、面白い、
脱線したところは、
試験では、重要視されておらず、
さらっと、流してしまう部分こそ、ポイントとなるのだ。
優希は、そのことに気づいている、生徒の一人であり、
攻略法を、持っている、
数すくない生徒の、一人でもあった。
そこで、大きく、役にたつのが、
彼女のノートだ。
海先生の、出題傾向を、
つっこんで、分析したうえで、
切り札というべきノートを、使う。
生物の、試験対策は、ばんぜんであった。
「試験始め!」
ふせてある問題用紙を、
パラリと、ひっくりかえす智子。
「なるほどね!」
問題を読みすすめ、なっとくする。
優希曰く、
「生物だけは、ヤマをはっても、ダイジョーブ」
ご指摘のとおりだ、
講義で、流された部分が、拡大され、
問題として、提出されている。
ヤマをはったところが、
ピンポイントで、面白いように出題されていた。
「こいつはラッキー、いただきます!」
満足のいく、解答を、書きあげた智子は、
口を、逆への字(V)にして、会心の笑みを浮かべた。
「うおーっ。ようやく、おわった!」
智子は、屋上で、バック宙すると、
シートの上に寝ころがり、発達した身体を、
大の字に、思いっきり伸ばし、
空を見あげ、吼えるように、叫んだ。
優希も、シートを敷き、友人の横に、腰をおろした。
〈学園の受付には、貸出用のシートが、あるのです〉。
「ふふふ。どうだった、試験の成果は?」
智子の目は、
小皿のミルクを、夢中で舐めているクリルの姿をとらえ。
「誰かさんのせいで、
中断の憂き目には、あったものの、
よくできたほうでしょう。
絶妙のパスから、シュートを決めた気分!」
本日の空のように、晴れ晴れとした、智子の表情。
「期待できそうネ。
自信がことばを裏打ちしている。おつかれさまでした」
「どういたしましてじゃ。そういう、きみは、どうだったの?」
OKサインを、出してみせる、優希。
「聞くまでも・・・ないか」
智子は、ガバッと、身をおこすと、
コンビニの袋に、
手をつっこんで、特大オニギリとお茶を、つかみ出す。
優希も、
自分の袋から、
サンドイッチと、レモンティーのペッとボトルを取りだした。
たがいの、ミニペットでカンパイ。
のどを、しめらせる。
うまそうに、明太子オニギリを、パクつく智子。
「これからは、しばらく、別行動だね」
「そうね」
タマゴサンドをだいじに、かみかみしながら、
「バスケットボールを、している智子が、なんといっても一番!
いきいきとしてるもの」
「国体かぁ。
初舞台で、ワクワクする反面、
不安もある。
混成メンバーで、
うまく、ひとつのチームとして、機能するかどうか。
あの、桃花高校中心で、編成してくるであろう、
三重県代表に、どこまで、わたりあえるのやら」
「あの人たちは、強敵よね。
とくに、あのエースとポイントガード。
チャレンャーとして、やりがいを、感じるでしょう」
「実力の差は、ひとまず、おいておくとして、
思いきり、ぶつかっていける相手ではある。
なんたって、高校女子ナンバーワンだから、あのエースは」
「一矢むくいてほしいな」
レモンティーを、コクコク飲む。
「その前に、」
人さし指を、ピンと立てて、目くばせをする、智子。
「え!?」
なんだろうと、首をかしげ、
思案をめぐらせる、優希。
「花火大会!
ほら、恒例の・・・
今年は、大雨がふって、
延期中だよ」
「うんうん」
うれしそうにうなずく。
「買った花火も、
ダンボールにはいったまま、
押し入れで、出番を待っている」
「あれは、いささか、
爆買いぎみだけど。
土曜日の夜にでも、どう?」
「いいね」
髪をかきあげるしぐさで、優希が言った。
どちらともなく、腕を枕に、横になる。
空はすてきに青く、
九月の、そろそろ秋を予感させる、風は、
軽い寝息を、たてる二人を、やさしくなでていった。
校内放送の音声で、ハッと、目をさました優希。
放送は、
「月吉智子」
を職員室に、呼び出す内容のものだった。
身体を、おこした優希は、
天下太平を、
絵に描いたような、友人の、
覚醒に、とりかかる。
がっしりした身体を、ゆらす作業は、けっこうな、チカラ仕事だ。
張り扇で、ぶっ叩いても、
ビクともしないくらい、深く眠りこんでいた。
いくらゆすろうとも、反応なし。
健康人間の、標本みたいである。
しかたがない、奥の手を、出すかァ!
優希は、友人の両方のクツを脱がせ、くつ下をクルクルはぎ取る。
それから、バスケ部の主将の、左右の親指をつかみ、
気合いを、こめて、
力いっぱい、引っぱった。
「ひぃーく!!」
しゃっくりのような、変てこりんな声を、あげ、
智子の、両目は、パカッと開かれた。
「なによ、もーう。ヒトが、気持ちよく、寝てたのにィ!」
とんでもなく、フキゲンな、ごようす。
青筋が、ビキッと、立っている。
前科を10犯以上を重ねたような、
凶暴な目つきである。
熟眠妨害のうらみは、恐ろしい。
しかし、優希は、心得ていた。
「いま、校内放送で、緊急の呼び出しがあったの。
職員室まで、すぐ来るようにって」
相手に、怒りを、発揮する、
いとまを、あたえず、
切迫感を、思いっきり、フィーチャーして、
三倍速で、しゃべりきった。
なにがなんだか、理解できないカオスのうちに、
誘導されてしまった智子。
「なんだろうな?
赤点とっちゃったのかなァ。手ごたえは、あったのにィ」
眠い目を、こすり、
くつ下を、はき、
足を、革グツに、すべりこませると、
バッグを手に持って、
屋上を、あとにする。
そのとき、
ふと、振りむいて・・・あたりを見まわした。
「あれっ、クリルは?」
「そのへんにいるでしょう、いたずらっ子だから。
さあ、早いとこ、職員室に行ってちょうだい」
ポンポンと、手をたたき、行動をうながした。
職員室を出て、優希の待つ、屋上へ引き返す智子。
用件というのは、
国体の、東京代表の、練習スケジュールについてであった。
綿密に、プログラムが、組まれており、
これからまた、
バスケットボールづけの日々がはじまるんだ、
と、
感慨に、ひたりながら、
階段を上っていった。
屋上にもどると、
なにやら優希が、ただならぬ気配を、ただよわせていた。
「どうかした?」
「クリルが、見あたららないのよ。
もう、本当にいたずらっ子なんだから」
親指を、噛みながら、あたりをさがしまわる、優希。
「手伝うワ」と智子。
二人して、屋上の隅から隅まで、
声を出して、さがしまわる。
屋上から校舎、
裏庭まで、あたってみたが、
見つからなかった。
「校内放送をたのもうか?」
智子の提案は、
ペットを、学園に持ちこんだことが、知られるのは、
得策でないという優希の判断で、
見送られた。
写真つきメールを、
心ある生徒たちに、配信して、
子ネコさがしに、
協力してもらうことにした。




