12 秘密とかくし芸
智子は、広いおデコに、手をやり、
天井を、あおぐと、
机の、三番目の引き出しを、開け、
ウィスキーのハーフボトルを、とりだし、
自分専用のマグカップにそそいで、
きゅっと、あおった。
琥珀色の液体が、
のどや食道を、
炎のラインのように、通っていく。
「あなた、お酒を、たしなむの?」
きょとんとして、たずねる優希。
「不吉なはなしに、
心が冷えたのよ。
お酒でも飲まなきゃ、やってらんない!」
北極探検隊のように、
身体を震わせる。
「美味しいワケ?」
「うーん、ビールは美味しいと思うけど・・・
ためしに飲んでみる?」
とくとく、音をたてながら、注がれた、
ウイスキー入りマグカップ〈智子用〉を、
受けとる優希。
「うっく、鼻にくる」
ちょいと、顔をしかめたあと、
指を、一本入れて、味見してみる。
「苦い!
しかし、マズくはない。
おとなの味覚を、感じる」
そう言うと、グビッとひと息で、飲みほした。
「あ~あ。もっとゆっくり飲んだ方が、いいよ」
心配そうに、見まもる、智子。
「ヒック!!失礼しました」
あたりを、キョロキョロ見まわす、優希。
「むちゃすると、
急性アルコール中毒になるから」
「ふーっ。とってもいい気持ち、ふわふわした気分。
まるで、雲のじゅうたんの上に、いるみたい。
おかわりヨロシク!」
マグカップを、さし出した。
「平気かな?たおれても、知らないよ」
ハーフボトルから、もういっぺん注ぐ。
こんどは、なめるように、じっくり味わう。
優希の顔は、みるみる赤くなり、
瞳は、ほどよく潤んで、
笑顔には、いっそうの親しみが、こもる。
バラ色のオーラが、全身から、つややかに、放たれる。
いい感じ・・・
ほんのり・・・はんなり・・・
「ねえ智子、お酒も入ったことだし、
おたがいの秘密か、かくし芸を、
ひとつ、披露し合わない?」
誘惑するような、
それでいて、ひどく楽しげな目をして、言葉をかけてくる。
「秘密か、かくし芸ねぇ?」
相手のバラ色オーラに、触れたこと、
プラスして酔いも、手つだい、
智子の冷えた気分も、やや上むきかげん。
「まずは、私の方から、披露するから。ごらんあれ」
たのしくってたまらないような、優希の声。
いったい、なにが、始まるんだろう?
智子は、奇妙なスリルを、感じた。
『優希劇場』の、
透明な幕が、
スルスルあがる。
カクン!
という感じで、優希は、くびを、真下に向けた。
タイミングをはかって、顔を上げる。
正面を、向いた。
彼女の両目から、
瞳が、消えさり、
白目だけに、変化していた。
黒目を、
前方へ、
クルリと、反転させたのだ。
右手を、ひょいと、顔の横に、もっていき、
招きネコのポーズをとった。
赤い顔、白目の美少女は、
ファンタジー映画に出てくる、キャラクターのようだ。
「ククク、それがあんたのかくし芸?」
苦笑する智子の顔も、また真っ赤。
メガネのフレームが、判別できないような、
保護色状態。
招きネコポーズの優希は、
ゴキゲンなようすで、くり返しやってみせる。
白目・黒目・白目・黒目・白目・黒目・・・白黒連続ワザなり。
友人の熱演に、拍手でもってこたえる。
おかえしにとばかり、
智子は、机の別の引き出しを、あけると、
タバコとライター、そして灰皿を出して、
一本すってみせた。
「これが私の秘密。
なにか、強いストレスがたまると、一服するんだ。
肺の奥まで、煙をすいこむと、
気分が、スーッと落ちつくのよ」
まったく、自然な感じで、
優希は指で<V字型>をつくり、さしだしてきた。
友人のくちびるに、
やや下むきかげんで、はさまれたタバコに、火をつけてやる。
うるんだ瞳、たえることのない笑み、
マグカップを片手に、
紫煙を、くゆらせる、優希のすがたは、
高級会員制クラブの、
若きママ、といったおもむきだ。
すらりと、脚を組んだ、姿勢も、
じつにサマになっている。
マグカップを、さし出して、
三杯目を、要求する、若きママに、
ことわるすべを、智子は知らない。
ハーフボトルは、ほとんど空になった。
エアコンの、空気清浄のスイッチを、オンにして、
こもった煙と、空気を、逃がしてやる。
「羽化登仙とはこのことね」
マグカップを机のうえに置くと、
優希は、椅子の背もたれに、よりかかった。
ゆっくり、まぶたをとじる。
指にはさまれたタバコから、ゆらゆら、煙が立ちのぼる。
智子も、ベッドのヘッドにもたれかかり、静かに目を閉じた。
すばらしく、心地よい時間を、わかち合う。
クリスタルの舟が、
おだやかな湖を、すべるように、進んでいくイメージ。
幻想的な霧が、たちこめ、あたりをつつみこむ。
アルファ波からシータ波へ、
さらに、奥深くへと、
脳波のバトンが、わたされていく。
ひと足先に、
智子が、現実の世界に、立ちもどった。
優希を見る。
彼女の、タバコの灰が、長く伸び、
フィルターまで、達しそうだった。
灰皿をよせ、友人の指から、タバコを、抜きとった。
ゾウの鼻のような灰が、灰皿のなかに、音もたてずに落ちた。
まだ、眠りからさめずにいる、無防備な優希。
その表情は、かぎりなく、やわらかい。
ルージュを、引いた、くちびるが、
強力な磁石のように、キスを誘う。
自分のくちびるを、接近させていく、智子。
あどけなさを残した、美しい顔が、しだいに、大きく見えてくる。
優希のまぶたが、予告なしに、パチリとひらいた。
つぶらな瞳があらわれる。
「タバコの灰が、落っこちそうだったから、」
ギクリとした智子は、
顔をこわばらせ、口ごもりながら言った。
「あら、そう、ありがとう」
優希は、自然体で、さらりとこたえた。
大きく、伸びをして、
透明なガラスケースに、おさめられた、バスケットボールに、
キラッと目をむけた、優希。
集合サインの入った、記念ボールだ。
「あれは、都大会で優勝したときの、ボールでしょう?」
「そう、まったく流れのよめない、
どーなるのか?みたいな、接戦だった」
「うーん、いまだ興奮さめやらず。
抜きつ抜かれつ、
心臓に、悪いような緊迫した試合だった。
智子のシュートが決まったところで、終了のホイッスル。
一点リードの、スレスレ逆転勝ち。
ドラマチックな幕ぎれ、すべてが、カッコよかった!」
「サンキュー!」
口を、逆への字(V)にして、二コリと笑う。
なにかを、察知したように、
優希は、椅子から立ちあがり、窓をあけた。
降りだしたばかりの、大つぶの雨が、見える。
あっという間に、降水量が、増していく。
「雨か、」
智子がつぶやく。
静かに、雨をながめる、優希。
智子は、
CDの頭出し選曲をして、スイッチを入れた。
雨音や雷鳴につづいて、曲のイントロがはじまった。
『ライダーズ・オン・ザ・ストーム』
ドアーズ・サウンドが部屋に、たなびく。
「あら、いい曲」
瞳を、きらめかせて、優希が言った。
「うん、後期の名曲のひとつ。
安心したよ!
ドアーズと、相性が、悪いのかと思った。
自分の好きなものを、
否定されるってのは、哀しいからね」
「この曲は、
心の中に、抵抗なく、入ってくる」
トン!トン!
扉にノックの音がした。
一拍おいて、ゆっくり開いた。
「晩ゴハンは、決まったかい?」
智子の母が、たずねる。
時計を見る。
午後五時を、まわっていた。
「あっ、いけない。わすれてた」
頭をかく智子。
「うなぎ?お寿司?天丼?」
ポンポン言って、選択を、せまる。
「優希は、なにがいいの?
きょうの主役なんだから、
遠慮せずに、言ってみて」
智子が、友人の背中ごしに、問いかける。
優希は、窓をしめると、
こちらを向き、
少し考えたあと、
「カレーうどん」
と答えた。
「そんなもので、いいのかい?
もう少し、お腹に、たまるものにしたら」
と智子の母。
「カレーうどん」
きれいな口跡で、もう一度、優希が言った。
「はいはい、お嬢さんは、カレーうどんね」
つぎに娘の方に顔を向け、
「お前は、なににするの?」
「上天丼の大盛り」
「わかった。
カレーうどんと並天丼の大盛りね」
扉は、ゆっくりと、閉じられた。
その扉に、智子の枕が、正確に、命中した。
優希は、カレーうどんを、ごちそうになり、
それから、パンを、おみやげに、いただき、
給料と大入りは、
丁重に、辞退すると、
あいさつをして、迎えのベンツに乗りこみ、智子の家を、あとにした。
雨は、勢いを、弱めながら、
まだ降り続いていた。
雨上がりのピーカン!
さあ、運命の、試験初日であります。
試験用の、席がえが、行われる
生徒たちの表情に、緊張が、見られる。
智子は、
いくぶん、引きつった顔を、
手のひらで、叩いて、
気合いを、いれている。
優希は、ノートを開いて、
チェックに、よねんがない。
他のクラスメートも、似たり寄ったり。
ふだんは、いいかげんな授業たいどの、
猪瀬や蜂谷も、
別人のように、真剣であった。
試験が、開始された。
科目は、数学である。
シャープペンシルを、さらさら、走らせる音や、
問題用紙を、めくったりする音、
せきばらいや、息づかいまでもが、はっきり耳にできる。
人を、ひりひりさせる、静けさだ。
優希は、落ち着いて、試験に取りくんでいた。
一方、智子は、
問題に、穴があくほど、ぎっちり読みこんで、
あわてずに、じっくり考え、
慎重に、
解答を、
力づよい、筆致で、書いていった。
一秒が、一分にも思えてくる、
密度の濃い時間が、ながれて行く。
試験終了を、知らせるチャイムが鳴った。
ピタッと、筆記用具を、置く者、
みれんがましく、書き直しをする者、さまざまであった。
優希も智子も、前者だ、
ピタッと置く派である。
「智子、試験の成果はどう?」
近づいてきた友人に、たずねる優希。
「ちゃんとできたとは思うけど、
ケアレスミスが、心配」
赤いフレームのメガネを、上へずらし、
まぶたの上から、
指で、両目をマッサージする。
彼女の動作は、どれをとっても、
テキパキとしたキレがあり、
見る者に、ある種の、爽快感を、あたえた。
試験初日が終わり、
早い時間帯に、下校している二人。
智子は、
驚くほどの、回復力を見せ、
カゼは、ほぼ寛解であった。
バスケ部の主将の、眠りの深さ、
これはもう、果てしのないレべルで、
天からの、授かりもの、といえるだろう。
ドカンと眠ることさえできれば、小さな病気など、ケシ飛んでしまうのだ。
「うーん。あと三日で、
運命が、決定されるわけだ」
まっすぐ前を見つめて、智子が言った。
「あんまりプレッシャーに思わず、
気負うことなく、取り組みましょう。
短期間とはいえ、あれだけ勉強したんだから。
女神は、微笑んでくれるよ」
やわらかい、春の光のような表情を、向けてくる優希。
「私ね、
今のプレッシャーが、切れないでいてほしいと、
心から願う。
リラックスしたとたん、脱力しちゃいそうだから。
この感じが、続けば、乗りきれる」
と智子。
「私たち、思考の回路がちがうようね。
私はプレッシャーと、あつれきを起こさずに、
つき合っていこうとするタイプだと、自分では考えるけど、
あなたは、真正面から、向かっていくタイプ」
「そんなんじゃなくって。
プレッシャーは、気持ちを、ささえてくれるんだ。
くずれ落ちそうになる、ダメな、自分自身を」
いつになく、キリッとした目を、メガネごしに向けてくる。
「カッコいいー!
さすがは、水晶学園のホープ。
ただひとりの国体代表選手!」
「もーう、ちゃかさないで!」
「日本一、月吉智子でござーい!」
下校途中の生徒たちに聞こえるように、
優希が、声を高めて、言った。
「こら!!」
智子は、バッグをぶんぶん振りまわし、
逃げる優希を、追いかけていく。




