第8話 静かな森と便利な道具
リンクゲートを抜け、平野を進む。
しばらく歩くと、開けた荒地はいつの間にか深い緑へと変わっていた。
木々の背は高く、枝はひねりを帯びて空を覆う。葉の裏には銀色の筋が走り、風が吹くたびに淡い光を反射していた。
「ここ……ほんとに同じラナスなの?」
アシナは見上げながらつぶやく。
頭上は思っていたよりずっと高いのに、枝葉が重なり合っているせいで、空は細く切り取られて見えた。
「うん……でも、街の近くの森と全然違う」
ナユカも思わず辺りを見回した。
「でも正確には“旧生育帯〈オールド・グロウ〉”って呼ばれてる。今のラナスとは別の文明が作った植林区画が、そのまま深い森になった場所らしいんだ」
ジローが答え、端末に記録を打ち込んだ。
「らしい?」
「うん。そう言われてるだけで、確かなことは全然わからないんだけどね」
足元には見たことのない花が散らばっている。
花弁は半透明で、指先で軽く触れると温度に反応し、じんわりと色が変わった。
「きれい……」
アシナの声は小さかった。
だが、この森は美しいだけではない。
ときおり、茂みの奥から低い唸り声のような音が響いてくる。
遠くで枝が揺れるたび、何かがこちらを窺っているような気配があった。
「気をつけてね。ここの生物は“人の気配に慣れてない”。不用意に近づくと襲われるかもしれない」
ジローの言葉に、ナユカは思わず背筋を伸ばした。
ピオラは森の陰影を静かにスキャンし続けている。
レンズが小さく瞬くたび、周囲の情報を取り込み続けているのだろうと感じられた。
枝の影が揺れても、ピオラだけは一定の高さを保ったまま、滑るように進んでいく。
三人の足取りは軽かった。
これまでルーチェフォードの街を出ることなどほとんどなかった三人にとって、見知らぬ森を進むだけでも胸が高鳴っていた。
見上げる木の高さも、足元の草の匂いも、街の近くで知っていた自然とは少しずつ違っている。
……とはいえ。
歩き始めて三時間ほど。
さすがに疲労が足に溜まり、ナユカは肩で息をした。
最初は物珍しさが勝っていたが、同じように見える木々のあいだを歩き続けていると、脚の重さだけが少しずつ現実味を増してくる。
「……ちょっと休まない?」
アシナが肩を落とす。
「賛成。足が棒だよ……」
ナユカも同意した。
額の汗をぬぐうと、指先に薄く土の匂いが移った。
「OK。じゃあ日陰に入って、ちょっと早いけどお昼にしよう」
ジローの提案で、三人は大きな倒木のそばに腰を下ろした。
倒木の表面には淡い苔が広がり、片側だけがまだ生きているみたいにしっとりと水気を残していた。
⸻
ジローはリュックから、手のひらサイズの金属箱を取り出した。
角にある黄色い三角のマークが、ただの箱ではないことを示している。
「それ、また新しいやつ?」
ナユカが覗き込む。
「“サーモキューブ”。遠征用の簡易調理器だよ。最新型」
ジローは蓋を開け、パネルに数回触れた。
すると――箱の中央に、ふわりと光の膜が浮かび上がる。
空気を震わせるような微細な音が流れ、膜の中心が淡く紅く染まり始めた。
「パック、そこに置いて」
ジローの指示で、ナユカは小さな真空パックを光膜の上に乗せた。
数秒後、パックの中がみるみる温まり、香りが立ちのぼる。
焦げでも蒸気でもない、きちんとした食事の匂いだった。
森の湿った空気の中で、その匂いだけが急に生活の輪郭を持って広がる。
パックを開けた瞬間、甘い醤油の香りがふわっと広がった。
「わ……ほんとに料理になってる」
アシナの顔がぱっと明るくなる。
照り焼き色の肉からは、まだ細い湯気が立っている。
フォークを入れると、表面は香ばしく焼けているのに、中は驚くほど柔らかかった。
「うわ……これ本当にパック料理?」
器に盛り付けられたそれは、一流店の料理と見分けがつかないほどだ。
ナユカが一口味見をする。
甘辛いタレの香ばしさと、肉汁の旨味が一緒に広がった。
思っていたよりちゃんと熱くて、その温かさが疲れた体にすっと落ちていく。
「……うま」
思わず声が漏れる。
アシナは待ちきれない様子でスプーンを突っ込んだ。
「ほんとだ! これ普通にお店の味じゃない!」
温野菜はシャキッとした歯触りを残しながら、ほんのり甘い。
穀物のご飯はふっくらしていて、口の中でほろりと崩れた。
「加熱時間は全部自動。気温とか中身の量で勝手に調整するんだって」
「便利……」
アシナが感心しながらスプーンを動かす。
「ほら、二人ともここに座って」
ジローは折りたたみ式の反重力チェアとテーブルを広げた。
薄い板のようだった部品が、空中で静かに展開して形を整えていく。
三人はそれぞれ腰を下ろす。
「うん、美味しい」
ナユカは舌鼓を打つ。
「でしょ。お店で食べるみたいだよね」
ジローは満足げに頷く。
「ほんと、美味しいわ」
アシナはお腹が空いていたのか、勢いよく頬張った。
「そんなに?」
ナユカが苦笑する。
「歩くとお腹空くのよ」
「さっきまで感動してたのに、今は完全に食べることしか考えてないね」
「大事でしょ、それ」
アシナは真顔で言ってから、自分で少し笑った。
ピオラはその様子をじっと見て、光を一瞬だけ強くした。
まるで“味を想像している”みたいに見える。
「ピオラ、食べたい?」
それを見ていたナユカが冗談めかして言う。
ピオラは、ほんのわずかに体を横へ傾けた。
その仕草が妙に人間らしくて、アシナがふっと笑う。
「……こういう時間っていいわね。冒険に出てるって感じでワクワクする」
「うん。分かる。いつもとは違う感じがいいよな」
ナユカも頷いた。
歩いて、疲れて、外で温かいものを食べる。
それだけのことなのに、街にいたときとは少し違う時間に思えた。
「まだたくさん持ってきてるから、足りなかったら言ってね」
ジローが言う。
「最初からそれを聞いてたら、もっと安心して食べられたのに」
「さっきからかなり安心して食べてたよね」
ナユカが言うと、アシナは肩をすくめた。
風が木々を揺らし、木漏れ日がゆっくりと揺れる。
緊張の中にも、こうした静かな時間がある。
それが、旅の特別さをいっそう際立たせていた。
――
「よし、それじゃ出発しようか」
昼食のあと、少し休んでいた三人は再び森の中を歩き出した。
森といっても、人がまったく通らないわけではない。
狩猟家やラナスの政府職員など、最低限この森と関わる者たちはいる。
そうした者たちが通る、道とも言えない細い踏み跡を、ナユカたちは進んでいた。
「大森林っていっても、まったくの手つかずってわけじゃないんだよ。最低限の管理はされているし、資格があれば入ることもできる。ナユカがCORBIC〈コービック〉に登録してるからね」
ジローが歩きながら説明する。
「だけど、僕たちが目指してるモルクナは、本来立ち入りが制限されてる地域なんだ。見つかったらまずいよ」
森の奥まで入る者はそう多くない。
そのため厳重に人を配置しているわけではないが、ラナス政府による機械監視は入っている。
「だから、なるべくモルクナの手前までは立入禁止エリアを避けて進もう」
三人はジローの示すルートに従い、森の奥へと進んでいった。
頭上では枝葉が幾重にも重なり、昼だというのに森の中は薄暗かった。
進むごとに街の匂いは薄れていき、代わりに森の湿り気と草の青い匂いが全身に染みこんでくる。
そんな中、不意にアシナが小さく首を傾げた。
「何か、甘い匂いがしない?」
アシナがそう言って、鼻をくんくんさせる。
「そうかな? 特に何も感じないけど……」
ナユカも鼻をひくつかせるが、特に変わったことは感じなかった。
「こっちの方……」
しかし、アシナは気にせず、匂いのする方へ足を進めていく。
「アシナ、待って。むやみに茂みに入らないで」
ジローの声が飛んだ。
だが、アシナはそのまま茂みの奥へ進んでいく。
「ちょっと、二人とも」
茂みの奥からアシナの声が聞こえた。
ナユカとジローは、声のする方へ茂みをかき分けて進んでいった。
「ほら、これ見て」
アシナの視線の先には、薄紅色の花が咲いていた。
辺りを見回すと、ところどころに同じ花が咲いている。
「これよ。これから甘い匂いがする」
ナユカが鼻を近づけると、ほのかに甘い香りが漂っていた。
「ほんとだ、甘い匂いがする。でも、よくあの距離から気づいたな……」
「うん、最近ちょっと匂いに敏感になったの。べつに何かあったわけじゃないんだけど……」
アシナもそれについては不思議に思っているらしく、少し眉をひそめている。
「これ、ヒアルミアの花だよ。甘い蜜をたっぷり含んでる、ラナスの固有種」
ジローが眼鏡型情報端末〈サイトグラス〉で確認しながら説明した。
「ということは……」
ジローが腕輪型情報端末〈リンクレット〉を操作し、周辺の状況を探る。
ビーコンに反応があり、マップに光点が表示される。
ジローはそこへゆっくりと歩いていった。
「あった、ほら見て」
ジローの指差す先に、大きな蜂の巣が見えた。
「ラミ蜂だよ。ヒアルミアの花の蜜を好んで集めるんだ。ラミ蜂の蜜はすごく甘くて、体力回復効果もある。めったに市場には出回らない、高級品だよ」
ジローは声を抑えていたが、その様子から少し興奮しているのが伝わった。
「取れないかしら。私、食べてみたい」
アシナがつい本音を口にする。
「僕もそう思うけど、さすがに危ないよ……」
バイオバリアパッチのおかげで、森の昆虫たちは基本的にナユカたちへ近寄りにくい。
だが、巣を刺激すれば話は別だ。普通に襲ってくる。
「素早く、蜜の溜まってる外側だけ切り落とせばいいんだろ。任せてよ」
ナユカは木の陰に身を潜めながら、蜂の巣の方へ近づいていく。
アシナとジローは固唾を飲んで、その様子を見守っていた。
蜂の巣のある木の手前で、ナユカは呼吸を整え、タイミングを見計らう。
「……三、二、一、今!」
次の瞬間、ナユカはフォージペンダントを起動させ、光刃を一閃させた。
蜜の溜まった巣の外側が、すぱっと切り落とされる。
ナユカはすぐに駆け出し、落ちてきたそれを空中で受け止めた。
そのまま二人のもとへ駆け戻る。
「早く! ここから離れよう!」
ナユカの鮮やかな手際に一瞬目を奪われていたアシナとジローも、その声で我に返り、急いでその場を駆け出した。
三人が最初の道まで戻った頃には、息も絶え絶えになっていた。
「はぁ、はぁ……」
「……やったね、ナユカ」
ジローがナユカを労う。
「ええ、鮮やかな手際だったわ。褒めてあげる」
呼吸を整えながら、アシナはわざと偉そうに言った。
「ありがと」
ナユカは軽く肩をすくめる。
「で、どんな味なの? 舐めてみていい?」
アシナが身を乗り出す。
「待って、待って。せっかくの高級品なんだ。ちゃんと加工してからにしよう。今晩のお楽しみだよ」
ジローがアシナを遮った。
「え、今食べちゃダメなの。残念……」
アシナは分かりやすく肩を落とした。相当食べてみたかったらしい。
その様子を見ながら、ナユカは頬を緩めた。
その横をピオラがふわりと漂う。
「あ……」
ナユカが声を上げた。
「どうしたの、ナユカ?」
ジローが不思議そうに尋ねる。
「いや、ピオラの光位偏移迷彩〈ライト・シフター〉を使えば良かったかなって……」
ナユカは少しだけ蜂に刺された腕を二人に見せながら、苦笑した。
「あ……」
アシナとジローの声が揃う。
「確かに……」
三人は何とも言えない顔を見合わせ、それから誰からともなく少しだけ笑った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
いよいよ遺跡の探索が始まりました。
続きも読んでみたいと思っていただけたら、ブックマーク・評価していただけると嬉しいです。




