第7話 冒険の一歩目
朝の光はまだ弱く、町はうっすらと白い霧に包まれていた。
人影もまばらな時間帯で、路地を歩くと靴底が小石を弾く音だけが静かに響いていた。
「ナユカ、ちゃんと準備はしたか? 何か忘れてねぇか?」
ルーチェフォードの街にノーカの声が響いた。
「大丈夫だよ、心配しすぎだってば。昨日ノーカも一緒にチェックしたじゃないか」
ナユカは何度も確認してくるノーカに、さすがに呆れた声を出した。
「分かってる。メモリにも残ってるからな。けども、なんか心配なんだよ」
ピオラが地図を示してから、一週間が経っていた。
ナユカはジローの工房へ向かいながら、軽く肩を回した。
昨夜はほとんど眠れなかったはずなのに、不思議と体は重くない。
眠れなかった理由は、自分でも分かっていた。
冒険へと向かう高揚と、それを打ち消しきれない不安が、ずっと胸の奥で混じり合っていた。
冒険へ出かける日。
胸の奥に、小さな熱がある。
けれど、その奥にもうひとつ、消えないものがあった。
青い空間。
巨大な構造体。
あの男の視線。
――本当に、ただの宝探しなのか。
それに、森のルードラ。あんなのにまた襲われたら……。
今回の目的地は、ルーチェフォードの北側に広がる大森林地帯のさらに奥、モルクナ。
ルードラが現れた西の森林地帯とは場所も離れているし、あんなのがたくさんいるとは思えない。
いたならもっと問題になっているはずだ。
しかし、そうは言ってもあの時感じた、空気が急に冷たくなるような怖さを、体はまだ覚えている。
ノーカは、そんなナユカの落ち着かなさを感じ取っているのだろうか。
そう考えかけて、ナユカは小さく首を振った。
考えすぎている。今は、行くと決めたのだ。
――
工房の前に着くと、すでにアシナがいた。
「あ、ナユカ、ノーカ、おはよう!」
アシナが二人を見つけて、手を振る。
ナユカとノーカも手を上げてそれに応えた。
アシナは白い息を吐きながら、リュックを直している。
足元には荷物が几帳面に並べられていて、楽しみなのが隠しきれていなかった。
「見て、ちゃんと準備したわ」
「ナノ・ロープでしょ。それからバイオ・バリアパッチ、迷彩クローク、モーフ、密着グローブに、フィールドウォーマー、それから――」
「もういいよ、大丈夫」
ナユカは苦笑した。
「楽しみで眠れなかったの」
アシナはそう言って、いたずらっぽく舌を覗かせた。
「そっちだって似たような顔してるけど?」
「僕はちゃんと寝たよ」
「嘘つけ、ナユカ。部屋の明かりがずっとついてたじゃねぇか」
ノーカがすかさず指摘する。
「いいんだよ、ノーカ、バラさなくて……」
ナユカは少し困ったように肩をすくめた。
「ふふっ、嘘つき」
アシナがくすっと笑う。
その軽さに、ナユカの肩から少しだけ力が抜けた。
そこへ、ジローが両手でピオラを抱えて現れた。
「おはよう、待たせたね」
「おはよう。ねぇ、ピオラどうなったの?」
「それが、さっぱり」
ジローは困ったように笑いながら首を横に振った。
「でもさ、理解は全然できてないんだけど、外部操作できる部分はいくつか見つけたんだ」
ジローは口の端を上げる。
ピオラの胴体下部が開き、そこから小さな腕が伸びる。
手を離すと、ピオラはふわりと宙に浮いた。
朝の光を受けて、銀色の表面がやわらかく反射する。
ナユカは思わず目を細める。
「え、これって重力制御で浮いてるの? すご……」
アシナも思わず見上げた。
「でしょ。でも、それだけじゃない。ピオラ!」
ジローはピオラに呼びかけた。
その声に反応して、ホバリングしていたピオラがジローの方へ戻ってくる。
「これって……」
「そう、どうやらピオラには知性があるんだよ」
「知性? 知能じゃなくて?」
「うん、こっちの声に反応するだけじゃなくて、自分で考えて行動を決めてるみたいなんだ」
この時代、ロボットに知性がある事は特別なことではない。
しかし、明らかに古い時代を感じさせるピオラが、知性らしきものを備えているのは、意外な感じがした。
「まぁ、ピオラが起動した時から、そうじゃないかと思っていたけどね」
ジローは両手を広げて、ピオラを迎える。
「それにね……」
ジローはピオラの後ろに回り込む。
すると、ピオラの背面に青白い六角形のパネルが宙に展開された。
そのパネルに触れた瞬間、ジローの姿が消える。
「……え!? ジロー?」
次の瞬間、ジローはナユカたちの背後に現れた。
振り向いたナユカは、思わず息を呑む。
「どう? びっくりした?」
ジローが得意げな顔をする。
「光学迷彩さ。精度がすごく高いんだ。気配も消える。光位偏移迷彩〈ライト・シフター〉って名付けた」
「ほぇー、すげえな、それ」
ノーカは口を半開きにしたまま、妙に感心した声を漏らした。
ナユカとアシナは驚いて目を大きくし、それを見てジローは楽しそうに笑った。
「迷彩クロークなんかとは全然違うだろ。まだあるよ」
さらにパネルを操作すると、今度は空中に立体地図が広がる。
「こっちは探索地図〈ピオラ・マップ〉って名付けた。目的地だけじゃなくて、自分たちの位置も表示されてる。こっちも精度が凄い」
ピオラの示すルートが、光の線となって伸びていく。
北の大森林のさらに奥、モルクナ――灰色に塗られた帯の外縁に、強く明滅する一点。
アシナは顔を上げた。
「改めて思うけど、ピオラって本当になんなの?」
重力操作で宙に浮き、迷彩機能や地図機能まで備えている。
そして、ナユカ達の脳内に直接映像を送り込んだ。
アシナが改めてその存在に疑問を持つのはもっともだった。
三人はまじまじとピオラを見た。
ピオラは何を考えているのか、ただ黙って宙に浮かんでいる。
「でもさ」
ジローは再び地図に目を落とした。
「ここまで見せられたら、確かめないわけにはいかないよね」
ナユカとアシナは口元を緩め、迷いなく頷いた。
「ピオラの地図が示しているのは全部で三箇所。
そのうち一番近いのは、この北方大森林の奥地、モルクナの中だ。今回はここを目指す。多分、一番北のリンクゲートから二日くらいの行程になると思う」
ジローが地図を指しながら説明する。
アシナとジローの視線は、もう地図の先へ向いていた。
だが、ナユカだけは少し違っていた。
森……。
あの木々の隙間からこちらを覗き込んでいたルードラの目が、ふと脳裏に浮かび、ナユカは身震いをした。
「オイ、ナユカどうしたんだ、ぼーっとして。ジローが説明してるだろ。ちゃんと聞かんと……」
ノーカの声にナユカははっと我に返った。
「ナユカ、大丈夫?」
ジローが顔を上げる。
「何か確認しておきたいこと、あるかい?」
「いや、大丈夫だよ、ジロー」
小さく頷いた。
言葉にしたところで、不安が消えるわけではない。
だったら、自分で確かめるしかない。
⸻
ナユカたちはルーチェフォードの《リンクステーション》へ到着した。
「じゃあ、アタシはここまでだな。アシナ、ジロー、ナユカを頼んだぞ」
ノーカは深く頭を下げた。
「オメェらも知っての通り、ナユカは無茶することがあるからな。この前だって……」
「ストップ、ストップ!」
ナユカは三人の間に割って入った。
「もう、大丈夫だよ。無茶はしないようにするからさ」
「“しないように”って、ナユカ、オメェ全然わかってねぇな。アタシがどれだけ心配してるか……」
ノーカは最初こそ落ち着いた口調だったが、ナユカのその場をしのげばいいと言わんばかりの態度に、いつの間にか少しムキになっていた。
「ノーカ、落ち着いて。大丈夫、私が危ないことはさせないから」
長くなりそうだったので、アシナが落ち着かせようとする。
しかし、ノーカは疑わしそうな目を向けた。
「アシナも大概信用ならねえからな……」
そのやりとりを見て、ナユカとジローは笑いをこらえる。
二人とも声には出さなかったが、「違いない」と思っていた。
「ちょっと、それはないんじゃない……」
アシナはわざとらしく肩をすくめ、それから苦笑した。
「ごめん、ノーカ。心配させて。約束するよ。危ないことはしない」
ナユカはさっきまでとは一転、少し真面目な顔で言った。
「まぁ、信じてねぇけどな。でも気をつけろよ……」
ノーカは諦めたように息を吐いた。
「じゃあ行ってくるよ!」
ナユカたちは手を振りながら転送ゲートに入っていった。
ノーカもそれに応えて手を振り返した。
⸻
三人は転送ゲートを抜けて、ルーチェフォードから行くことのできる一番北の《リンクステーション》へ到着した。
そこから先は徒歩だ。
未整備地域。
転送網の通らない場所。
保証も管理もない領域。
許可証の確認を終え、三人はリンクゲートを抜けて外縁へ出た。
⸻
リンクゲートを抜けた瞬間、空気が変わる。
舗装はそこで途切れ、その先には広い平野が広がっていた。
草原。
ゆるやかな丘。
岩の帯。
乾いた土と草の匂いが、風に混じっている。
街の中で吸っていた空気より、少しだけ粗く、温度の揺らぎも大きい。
まだ同じルーチェフォードのはずなのに、もう全く別の場所へ来たような感じがした。
風は遮るものなく頬をなで、遠くの地形までそのまま視界に入る。
町の中にいたときより、世界がひらけたぶん、自分たちが守られていないこともはっきり分かった。
「……ここからは、自分の足ね」
アシナが言う。
「ピオラ、地図もっかい出して」
ピオラの瞳が一瞬、ピカッと光った。
地図が宙に表示され、淡い光が遺跡へのルートを示す。
それを見て、ナユカは一歩、大きく舗装の端から土の上へ踏み出した。
足裏の感触が変わる。
整備された街の地面とは違う。
少し乾いて、少し柔らかい。
その違いだけで、自分が本当に安全圏の外へ出たのだと感じさせた。
ほんのわずかな境目だったのに、戻る側と進む側では、もう見えるものが違う気がした。
街の安全圏の外。
森の異常も、ピオラの違和感も、まだ答えはない。
だから――
知りたいと思った。
自分で確かめたいと思った。
この冒険の先に、きっと何か答えがある。
ナユカは、そのままもう一歩踏み出した。
「よし、行こう!」
「うん!」
三人は進む。
朝の光が背後から差し、影を長く伸ばす。
外の風は冷たい。
それでも足は止まらなかった。
胸の奥の熱と、消えない違和感を抱えたまま。
それが――ナユカの選んだ一歩目だった。




