第4話 名前はピオラ
光が弾けた。
次の瞬間、ナユカは空間の中に立っていた。
足元はない。
それでも、落ちる感覚はなかった。
身体の輪郭だけがそこにあり、重さだけがどこかへ置き去りにされたようだった。
空間は淡い青で満たされ、白い塔のような構造物がいくつも立っている。
どの表面も滑らかで、継ぎ目らしいものは見当たらない。
よく見ると、ときおり塔の輪郭が静かに崩れ、何事もなかったように別の形へ組み替わっていく。
塔と塔のあいだを、淡く光る帯が幾筋も渡っていた。
その近くを、透明な球体が静かに漂っている。
内部には人の姿があった。
だが、動きはない。
眠っているのか、保存されているのか、それとも――そう考えた瞬間、ナユカの胸に言いようのない冷たさが走った。
視界が、ゆっくりと引いていく。
構造体のさらに外側。
空間の縁に沿うように、巨大な影が横たわっていた。
それは生物の輪郭をしている。
だが、あまりにも大きい。
都市ひとつ分ほどの長さがあり、滑らかな体表が淡い光を反射している。
鱗とも外殻ともつかない表面には継ぎ目がなく、ただ静かに、冷たい美しさだけを保っていた。
ゆっくりと移動している。
それが生き物なのか、別の何かなのか、すぐには判別できなかった。
視線がさらに上へ向く。
空間を覆うように、無数の巨大構造体が静止していた。
艦の形をしている。
だが上下の概念がなく、互いに異なる向きで配置されながら、一定の距離を保っている。
どの外殻も、異様なほど滑らかだった。
白い構造体と同じように、表面にはごく細い線が走り、内部の光をかすかに返している。
そのうちのいくつかは完全に静止しているようでいて、輪郭の一部がごくわずかに沈み、別の箇所がせり上がっていた。
壊れているのではない。
何かを保つために、静かに組み替わっているように見える。
ナユカはその圧倒的なスケールと、理解不能な技術を前に、脳の動きが止まったようになった。
身体の動かし方を忘れてしまったようで、自分の意思では瞬きすらできない。
「…………」
さらに視界が移動する。
今度は見慣れた景色だった。
森があり、川が流れている。
風景だけを見れば、どこかの星の一部をそのまま抜き出したようだった。
だが、地面の端は鋭く断ち切られ、その先には空間だけが続いている。
自然の風景であるはずなのに、そこにはひどく作為的な静けさがあった。
その一角に、場違いなドーム状の建造物が立っていた。
ナユカの意識が、そこへ滑り込む。
中央に、白髪混じりの男。
傍らに、青い目の金髪の少女。
その脇に、二人を守るように関節の太い人型の存在が立っている。
その場だけ、空気の密度が違った。
ただ立っているだけなのに、そこがこの空間の中心なのだと感じさせる奇妙な圧があった。
男が何やら言葉を発し、ゆっくりとこちらを覗き込む。
――目が合った。
見られた、と思うより早く、視界の奥が冷たく痺れる。
あれはただの映像ではない。
その確信だけが、言葉になるより先に胸へ落ちてきた。
視界が反転する。
ナユカは工房に立っていた。
息が荒い。
喉が乾いている。
指先がわずかに震え、現実の床を踏んでいるはずなのに、まだ身体の重さが戻りきっていない気がした。
目の前には、銀色の円盤。
「な……、が……」
かすれた声が漏れた。
(……なに、今の……)
想像することさえなかった、異常な文明のビジョン。
それに、最後の白髪の男の傍にいた金髪の少女。
ナユカが最初に円盤を手にした時に、一瞬だけ見たイメージの少女だった。
「……ねぇ、見た?」
アシナは目を輝かせながら呟いた。
ナユカは返事ができない。
まださっきのビジョンを引きずっていて、金縛りにあったように身体が動かなかった。
「見たよ! 見たことない遺跡っぽい建物とその地下いっぱいに積まれてた光る結晶!」
ジローが興奮気味に言った。
いつもより早口で、頬まで少し赤くなっている。
「あれ、きっと値打ちものだよ。ひとつでも、かなりの値がつくと思う」
アシナは目を細める。
「確かに、あんな物質見たことないわ。自然物とは思えない。放っておけないわね」
ナユカは、何も言えなかった。
(……遺跡? 結晶?)
自分が見たのは、そんなものではない。
青い空間。
空を覆う艦。
巨大な影。
そして――あの男。
「ナユカも見ただろ?」
ジローに問われ、わずかに間を置く。
「……え、いや……僕は――」
ナユカは、自分が見たものは違うと言おうとしたが、まだうまく口が回らなかった。
結晶なんて見ていない。
青い空間。空を覆う艦。巨大な生物。
あの男の目だけが、まだ頭の奥に残っている。
「……いや、あ……」
それ以上は言葉が続かない。
その言葉を遮るように、円盤が再び光を放った。
淡い立体光が空中に広がる。
丸いボールのような形。
線のように伸びる経路。
そして、数カ所で点滅する光点。
「……地図? 一、二、三。光の点は三つあるわね……」
アシナが呟く。
「うん、これラナスの全域図だよ」
ジローは眼鏡を押し上げた。
さっきまでの興奮をそのまま、今度は解析へ向けている。
アシナも食い入るように、ラナスの全域図を見つめている。
「ちょっと、ここ、見て。この光ってるところ」
アシナが三箇所の光る点のうちの一つを指さす。
「これモルクナじゃない? ルーチェフォードから北に位置する大森林のさらに奥。ひょっとしたらここが、さっき見た建物の場所なんじゃないかしら」
アシナが自分の発見を、興奮気味に声にした。
「いや、ちょっと待って。ひょっとすると……この光点全部がそうなのかな……」
ジローも、たぶんそうだと思っていた。だが、断言するほどの確証はなかった。
「分からないけど、この円盤が何かの位置を私たちに示してる可能性は高いわね」
ジローもアシナももう、すっかりビジョンの内容よりも地図の方へ意識が向いている。
「でも……」
一瞬言葉を詰まらせる。
「少し出来過ぎっていう風にも感じない?……」
アシナは眉をひそめた。
「出来過ぎ?」
「ええ。だって、いかにも“ここへ来い”って誘導してるみたいじゃない。しかも、いかにも“行く価値がある”って見せ方だし」
「でもさ……」
ジローは一瞬だけ言葉を切った。
「そうだとしても、行ってみるしかないだろ」
アシナは顎を指で摘み、少し考えるそぶりを見せた。
「……そうね」
「これだけの事があって、やめておくなんて事は出来ないわね。ルーチェフォードの三銃士の名が廃るってもんよ」
「ああ、その通り」
ルーチェフォードの三銃士は初めて聞いた異名だったが、ジローは興奮しているのかすぐに受け入れた。
円盤の光が、ゆっくりと収束していく。
その端に、見慣れない文字列が浮かび上がった。
「ねぇ二人ともこれ見て、これ……文字かしら?」
アシナが顔を近づける。
「……分からない。こんな文字知らないよ」
ジローが掛けている眼鏡型情報端末〈サイトグラス〉を動かした。レンズには“該当なし”と表示されている。
「僕たちの知ってる言語じゃないね……、なんて書いてあるんだろう……」
ジローが目を細める。
「ピ……オ……ラ?」
「そんなふうにも読めないかしら……」
アシナは文字列を指でなぞりながら、確かめるように言った。
ジローは、その響きを口の中で転がす。
「ピオラ……。うん、いいんじゃない」
意味は分からない。
だが、その名は妙に耳に残った。
人の名のようでもあり、場所の名のようでもあり、もっと別の何かのようにも思える。
「よし、じゃあこの子の名前はピオラにしましょう」
アシナが笑う。
円盤――ピオラは、静まり返っている。
だが、もうただの物体には見えなかった。
ジローは、先ほどピオラが示した地図データを腕輪型情報端末〈リンクレット〉で開き直した。
「リンクステーションから大体二日ぐらいの距離かな。ちょっと危険はあるかもしれないけど、準備すれば何とかなるはずさ」
ジローの言葉に、アシナも小さく頷く。
「ええ、ワクワクしてきたわね。しっかり準備しなくちゃ」
話は進んでいく。
次の行き先が決まりかけていることに、二人はすでに前向きだった。
その中でナユカだけが、少し遅れていた。
(光る結晶……?)
自分が見たものとは、まるで違う。
あれは――ただの案内じゃない。
地図でも、遺跡の場所でも、それだけでは済まない何かが、あの一瞬の中にあった。
まだ完全には震えが止まっていなかった。
気持ちは少し落ち着いてきてはいるが、身体と心がうまくリンクしていない。
ナユカは、ピオラを見つめた。
金属の表面は静まり返っている。
だがその奥で、何かがこちらを見ているような感覚だけが、消えなかった。




