第12話 道なき道をゆく
朝の光が白く森を照らしはじめたころ、三人は静かにテントポッドを畳んだ。
夜露を吸った地面はまだ冷たく、踏むたびに靴底へ湿り気がまとわりつく。
昨夜のことを知っているのは、ナユカとピオラだけだ。
アシナは少し眠そうな様子を見せるだけで、特に異変はない。
荷物をまとめる手つきもいつも通りで、顔色も悪くなかった。
「アシナ、身体は大丈夫?」
ナユカは恐る恐る尋ねた。
昨夜の異変が、どうしても気になっていた。
「どうしたの、ナユカ?」
アシナは目を丸くする。
「一晩ぐっすり寝たら、すっかり回復したわ」
そう言って袖を捲り上げ、元気だというポーズをしてみせた。
「……うん、ならいい」
ナユカは小さく笑ってみせた。
その笑顔が不自然に見えないことだけを意識した。
⸻
「さて、今日は立ち入り制限区間に入らなきゃならない。機械監視に引っかからないようにしなくちゃね」
ジローは腕輪型情報端末〈リンクレット〉を操作して、空中に地図を表示した。
「今いるのがここ。この黄色く光ってるところね。そして、モルクナはこの辺り。ピオラが示した赤い点はここ」
順番に指を差しながら、ジローが説明していく。
「でも、どうやって機械監視をかわすの?」
アシナが疑問を口にする。
「それなんだけどね、普通の道から禁止エリアに入ると監視に引っかかるだろ? ピオラの光位偏移迷彩〈ライト・シフター〉を使うことも考えたんだけど、その力が何なのか、まだよく分かってない。だから監視に引っかからないかどうかも分からないんだ」
ピオラの光位偏移迷彩〈ライト・シフター〉が姿を隠すことは分かっている。
気配もある程度消せるらしい。
しかし、監視用のレーダーに反応するかどうかまでは、よく分かっていなかった。
「じゃあ、どうするんだ?」
腕を組みながら、ナユカが尋ねる。
「うん。だからさ、ここから制限エリアに入ろうと思って」
ジローは目的のポイントを指差す。
「え、でもここって崖じゃないの?」
アシナの視線が、ジローとマップを行ったり来たりする。
「そう、崖だ」
ジローは二人の方を見る。
「こんなところから禁止エリアに入るなんて、普通は考えないだろ?」
モルクナと呼ばれるエリアへの立ち入りが制限されているのは、単純に、整備されていない森に入るのが危険だからだ。
監視網は、侵入者を完全に防ぐためというより、知らずに危険区域へ入り込む者を止めるためのものだった。
崖を越えてモルクナの森へ入ろうとする者など、普通はいない。
したがって、その周辺の監視は手薄になっている。
「ちょっと大変かもしれないけど、それが一番確実だよ。ナノロープや密着グローブも持ってきてるだろ」
ジローの説明に、ナユカとアシナが顔を見合わせる。
そして、向き直って頷いた。
こうして三人と一機は、再び森へと足を踏み入れた。
朝の空気はまだ澄んでいたが、木々の奥へ入るにつれ、湿り気の強い匂いが濃くなっていく。
「私、ノーカにナユカには危ないことさせないって約束したんだけどなぁ……」
アシナが思い出したように呟いた。
「もうやってるよ。ノーカだって信じてなかったじゃないか」
ナユカは呆れたように返して、肩を少しすくめる。
アシナはふいっとナユカとは反対の方を向き、聞こえないふりをして歩き出した。
⸻
「うん、ここだね」
ジローは切り立った崖の前に立ち、地図を確認する。
「ここ、本当に登るの?」
アシナは、この後の大変さを想像して、うんざりしたような顔をしている。
崖は直角とまではいかないが、ほぼそれに近い角度で、高さは百メートルほどある。
「大丈夫だよ。道具なしじゃ無理だけど、登るための道具はいろいろあるじゃないか。アシナだって、そういうの好きだろ」
ナユカは淡々と、崖を登るための準備を進めている。
「う……まぁね。でも、もうちょっと低いところはなかったの?」
アシナは少しだけばつが悪そうな顔をした。
もともと、こういったことは嫌いではない。
少し愚痴ってみただけなのを、ナユカたちはよく分かっていた。
ナノロープの端を放り投げると、ロープは崖の上までスルスルと伸びていき、勝手に上の木へ絡みついた。
ナユカはぐっとロープを引いて、問題がないことを確認する。
三人は密着グローブをはめ、腕輪型情報端末〈リンクレット〉を操作して、腰の反重力ベルトを起動させた。
「よし、いくよ」
ジローの掛け声を合図に、三人は崖を登り始めた。
反重力ベルトは本来、高所から落下した時の安全装置であって、崖登りを補助するためのものではない。
したがって、連続で長時間使用すると機能が落ちてしまう。
ナユカたちが使っているものは安価な型だったため、なおさらだった。
「だから、時間がかかりそうなら一度休憩を挟まないとね」
三人は岩肌を登っていく。
密着グローブのおかげで、ほとんど握力は必要ない。
反重力ベルトの補助もあるため、大して力を使わずに進める。
しかし――
そうはいっても、道を歩くのとは訳が違う。
思ったより体力の消耗は激しく、このまま一気に登り切るのは難しそうだった。
「ダメだ、やっぱり休憩はいるね……」
「賛成。私も、ちょっとこのままは厳しいわ」
ジローとアシナが根を上げる。
「OK。じゃあ、ちょっと休憩しよう」
ナユカは岩肌のせり出した部分を見つけると、ロープを掴み、器用に身体を横へ移した。
足場を確かめてから、アンカーを岩肌に打ち込み、ロープを固定する。
二人がそこへ移りやすいように、少し余裕を作った。
アシナとジローはロープを辿って、ナユカのいる場所へ到着した。
「狭いけど、ここならなんとか……」
ジローが辺りを確認する。
「反重力ベルトは休ませなきゃいけないから、いったん電源は切っておこう。落ちたら危ないから、ロープは絶対に外さないで」
「結構登ったわね。半分ぐらい来たかしら」
岩肌に吹く風が、頬を撫でる。
下を覗くと、地上が思ったより遠く見えた。
その瞬間、アシナの顔から血の気が引く。
身体がふらつきかけたところを、ナユカがとっさに支えた。
「危ない。慣れてないのに下を見ちゃだめだろ」
ナユカは強く手を引いた。
「ごめん、ありがとう。ナユカは高いところ、平気なの?」
「まぁね。これぐらいなら平気かな」
ビルの屋上の住処からエアボードで飛び降りているし、何よりつい先日、宇宙船ごと大気圏外から墜落している。
ナユカにとっては、これぐらいの高さは何ということもなかった。
「よし、これで大丈夫っと。ねぇ、せっかくだからさ、ちょっとお茶にしようよ」
ジローはリュックを開き、サーモキューブと茶葉を取り出す。
「いいわね。じゃあ、これ」
そう言って、アシナは二人に棒状のチョコレート菓子を渡した。
「ちょっとした高級品なのよ」
三人は横並びになり、突き出した岩場に腰を下ろして茶を啜った。
アシナからもらったチョコレート菓子を口に運ぶ。
サクサクのウェハースを、上品な甘さのチョコレートが包んでいる。
噛むたびに軽い食感と甘さが混ざり合い、疲れた身体にじんわりと染みていった。
「……こういうところで食べると、余計に美味しいな」
ナユカがぽつりと言う。
「でしょ?」
アシナは少し得意げに笑った。
「ねぇ、あの辺りが私たちの住んでるところかしら」
紅茶の入ったカップを片手に、アシナが遠くを指差す。
ジローがメガネの望遠機能を使って、その方向を見てみる。
だが、はっきりとは分からなかった。
「はっきりとは見えないけど……多分、あってると思うよ」
「そっか」
アシナはしばらく、その方角を眺めていた。
宇宙船が惑星間を飛び交う時代、遠くから自分たちの住んでいる街を眺めることなど、いくらでもできた。
それでも、自分たちの足でここまで来たという実感が、目の前の景色を特別なものにしていた。
三人はしばらく休憩をしたあと、再び崖を登り始めた。
そこから先は、さっきまでよりもずっときつかった。
反重力ベルトの補助は弱まり、密着グローブの反応も少し鈍くなる。
それでも三人は、声をかけ合いながら少しずつ上へ進んだ。
ナユカが崖の縁へ手をかけ、身体を引き上げる。
「……着いた」
息を吐きながら振り返ると、アシナとジローも続いて崖の上へ這い上がってきた。
「もうダメ……」
ジローが到着するなり、大の字になってひっくり返る。
アシナもその場にへたり込んだ。
「もっと楽に登れると思ってた……」
ナユカは他の二人に比べればまだ余裕があったが、それでも思っていたより大変だったらしく、水筒の水をごくごくと飲んでいる。
そんな三人の様子を、ピオラがただ見つめていた。
「遅いって言われてるみたいだね……」
ジローが仰向けになったまま呟く。
「だって、ピオラは飛んでるだけだから楽なのよ……」
アシナも下を向いたまま答えた。
一行はしばらくその場で休憩していたが、やがて立ち上がり、目的地に向けて歩き出す。
「ジロー、ここってもう……?」
「うん。制限エリア内だ。見つかったら怒られるだけじゃ済まないよ」
ジローはいたずらっぽく笑った。
「どうなるの?」
アシナが興味ありげに聞いてくる。
「まぁ、罰金は避けられないだろうね。それから、大人に目をつけられる」
「それはすでにそうじゃない」
アシナはあっけらかんと答えた。
「僕は、ノーカにまたこっぴどく怒られるだろうな……」
ナユカが顔をしかめる。
北の大森林に出かけるとは言ったが、制限エリアに入るとは言っていない。
言えば、行くのを許してもらえなかっただろう。
崖の上は、これまでとは少し様子が変わっていた。
木の幹は太く、葉の形も違う。
同じ森の続きのはずなのに、ここから先だけ別の領域に入ったように感じられた。
「目的地までは、どのくらいかかりそう?」
歩きながら、アシナがジローに確認する。
「あと半日ぐらいかな。多分、夕方ぐらいになると思う」
ジローは腕輪型情報端末〈リンクレット〉を操作し、地図を確認しながら答えた。
道のりはまだ遠い。
しかし三人は、確実に目的地へ近づいていた。




