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#061 春を待つ人


 堤に続いて芝浦パーキングを出た僕は、環状線を目指して徐々に速度を上げた。

 僕の後ろには祐二がいる。その後ろには富井、樫井、吉井と続いているはずだった。


 日付は変わり、水曜日になっていた。

 都心へと向かう道はいつもと何も変わらないが、ある種の緊張感が僕の中には湧いていた。そしてその緊張感は、今日の走行会に参加した僕ら全員に共通する予感のようなものでもあった。

 僕が環状線の徘徊パトロールを再開してから間もなく一年になるが、天使と遭遇する機会にはいまだ恵まれていない。

 堤や樫井は何度か目撃しているらしいから「もう走っていない」というわけではなさそうだ。しかし彼女との再会はいまだに果たせてはいなかった。


 僕らが最も接近したあの日、あの瞬間だけ僕の心に下りてきたセンチメンタルな感情の正体についてはいまでもよくわかっていない。

 ただ、いまにして思えばあの頃の僕は病んでいたのかもしれない。

 いろいろな感情がそれぞれ勝手に湧きだしてきて、僕自身が混乱していたとでもいうような。

 だけどいまは気持ちが安定している。

 僕の中を駆けめぐっていた感情は整理され、すっかり元の落ち着きを取り戻していて――。


「さ~て、と」

 助手席の熊沢が足元に置いていた紙袋に手を伸ばした。

「今日は天使に会えるかなっ――」

 鼻歌混じりに中身を取りだした。


 助手席を一瞥すると、熊沢の膝の上にはパーソナル無線機があった。

 なぜか微かな違和感を覚えたが、その正体はわからないまま僕は視線を前に戻した。


 スープラには無線機を取り付けていなかった。

 以前使っていた無線機はAA63と一緒に解体されてしまったらしいから、いまは無線機自体を持っていない。

 もっともソレがあったとしても、このクルマに取り付けることはなかったはずだ。

 スペースもなかったし、余計なモノを取り付けることはあまりしたくなかった。

 それに最近では「誰かと連んで」走る機会もなかったから必要性をまったく感じなかった。

 しかし今日の走行会が決定したとき、熊沢がバックヤードの奥から無線機を引っ張り出してきた。

 ホコリまみれの煤けた無線機……。

 それが随分古いモノだというのは一目でわかった。


 コイツをおまえの車に付けようぜ――。

 熊沢は突然そんな信じられないような台詞を吐いた。

 しかも「タダでくれてやるよ」と笑みを浮かべて……。


 僕は丁重にお断りした。

 そんなホコリだらけの代物を車内に持ち込まれるだけでも嫌なのに、そんな恩着せがましいことを言われたら絶対に受け取るわけにはいかない。

 僕は「断固拒否」という頑な態度を貫き通した。 


「ちっ、しょうがねえなあ――」

 僕の態度が変わらないと見ると、熊沢は首を横に振り、小さく舌打ちした。

 舌打ちしたいのは僕の方だったが、彼との口論は不毛だということは知っていたので口を噤んだ。

 結局「スープラに取り付けする」ということについては断念してくれたが、「携帯用としての持ち込み」については押し切られてしまった。

 僕は仕方なく「キレイにホコリを落としてくれるなら」というユルユルの条件をつけてソレを容認させられた――。



「ちょっと感度が悪いかもしれねえけどな――」

 熊沢はそう言いながら配線をシガーライターのソケットに収めた。

 シガーライターなら「強制撤去」も容易だし、僕としても納得できる範疇だった。

「……ま、上等だろ」

 熊沢が満足そうに呟いた。

 そして熊沢が電源を入れ、いつもと同じ五桁の群番をセットしたとき、僕はさっきの違和感の正体に気付いてしまった。

「あの……マイクは?」

 僕が遠慮気味に呟くと、熊沢の動きが止まった。

「ドコにも見当たらないような気が――」

「あ……え? ええぇえあああぁあぁぁぁああぁあ――」

 熊沢は頭を抱えて雄叫びを上げた。

 どうやら本当に忘れてきてしまったらしい……。

 日中、熊沢が配線を解しているときにはデスクの上に置いてあったのを僕は確かに見ている。

 たぶんそのまま置いてきてしまったのだろうけど……遅刻はするわ、忘れ物はするわで彼としてもツイてない一日という感じなんだろう。


「気付いたなら早く言えよなぁ……」

 熊沢は項垂れながら弱弱しい声を出した。

 そして「やっぱりあのとき付けとくべきだった」「おまえが汚いとか言いやがるから」と矢継ぎ早に僕に対する呪詛を唱えた。

 しかし僕が何も応えないでやり過ごすと、ようやくどうにもならないということを悟ってくれたようで「今日は我慢すっか……」と諦めたように呟いた。


 そして、僕らは浜崎橋ジャンクションに近付いていた。

 堤のクラウンはハザードを二回点滅させると、左車線へと移った。

 そしてそのまま加速すると、外回り方面へと向かった。

 僕はクラウンのテールを見送ると、祐二たちを引き連れ、内回り方面へとスープラを走らせた。


「ココからは任せる」

 自由スキに走っていいぞ――。

 熊沢は言った。

 僕としてはいつでも自由に走ってるつもりだから「なぜワザワザそんなことを」と訝しく思ったが、それを問うのもなんだか面倒な気がした。

「じゃ――。お言葉に甘えて」

 僕は前を見たまま呟くと、アクセルを煽るように強く踏み込んだ。


 浜崎橋ジャンクションから都心環状線に合流した僕は、一気に速度を上げて汐留トンネルへと続く勾配を駆け下りて行った。

 トンネルを抜けると江戸橋ジャンクションまでは直線が続く。

 しかし切通しを抜けるようなコースレイアウトと道路を跨ぐ橋げた、そして短いピッチで出入り口が点在するこの区間は、都心環状線の中でも最も走りづらい難所とも言える場所だった。


 ココでは「コース取り」と「読み」が明暗を分ける。

 突如として目の前に現れる一般車の挙動を予測して、なるべく速度を落とさずに躱していく……まあ、慣れればそれほど難しいコトではなかったが。


 ミラーで後方を窺った。

 ソコには浜崎橋まで一緒だった祐二の姿はなかった。少なくとも真後ろ(とは言っても相当離れているが)のクルマはRX-7ではなさそうだ。

 突然「狂ったように」速度を上げたから舌打ちしてる可能性もあったが、熊沢の膝の上にある一方通行の・・・・・無線機からは未だ苦情の類は寄せられていなかった。


「――左からシーマ」

 助手席の熊沢が呟いた。

 僕はウインカーを灯して右車線へと移ると、京橋から合流してきたシーマを躱して左車線へと戻った。

 そしてやや速度を落とすと、アクセルをあましたまま宝町を通過した。

 間もなく江戸橋ジャンクション……以前、AA63で自爆した左コーナーだった。


「――事故るなよ」

 泣きついてきても給料上げてやらねえからな――。

 熊沢が鼻で笑った。どうやら僕と同じようなコトを考えていたらしい。

 僕は助手席を一瞥すると小さく笑った。

「……お気遣いなく」

 事故りませんし、泣きもしませんから――。

 肩を竦めてそう告げると、右車線へと移りアクセルを踏み込んだ。


 ジャンクション手前の最後の橋げたを通過するとさらに加速する。そこには江戸橋の急カーブが口を広げていた。

 僕は中央分離帯ギリギリの位置からのアプローチを試みる。外縁をなぞるようにコーナーに進入してインへと切り込んでいく――。

 若干オーバースピード気味で僅かに頭を過ぎるものがあったが、ブレーキを強く踏み込むとスープラはスムーズに頭の向きを変えた。そして微かにリヤをスライドさせながらも急カーブを一気に走り抜けた。


「……七十二点」

 熊沢が小さな声で言った。

「八十点くらいじゃないですか?」

 僕は小さく首を傾げて呟いた。

「まだまだ、だな。ま、アンダーがでないだけマシにはなったが」

 熊沢は鼻で笑っただけで、一度下した判定を取り下げてくれる様子はなかった。


 以前、この場所で中央分離帯に接触したのは、オーバースピードでコーナー突っ込んだことによる「アンダーステア」が原因だというのはわかっていた。

 ただ、わかっていたのは「理屈として」であって、わかっているから直せるというモノではないし、或る意味僕の走りの「個性」の範疇だとさえ思っていた。

 しかし――


「――ブレーキングの重要性に気付いたか?」

 熊沢が呟いた。

 それは今まさに僕が考えていたことだった。

「まあ、そうですね」

 僕は曖昧に頷いた。

 ブレーキングが甘い――。

 その台詞は熊沢以外の人にも何度となく聞かされたことがあった。

 そのたびに「これ以上強く踏んだら止まってしまう」とどこか醒めた反抗心を掻き立てていた。

 だけど――



//――ガガッ……こちらピグモン。現在"一の橋"を通過したところですが、くまさんはいまどこらへんですか――//



 吉井の声だった。

 彼は熊沢の応答を待っている様子だったが……。


「……呼んでますけど」

 僕は助手席を窺った。

 しかし熊沢は首を傾げて「お手上げ」というようなポーズをした。



//――あれ? くまさ~ん。あ、アイスマンでもいいや、応答願います――//



 スピーカーから聞こえてくる声が熊沢と僕の名前を連呼した。


「どうします?」

 僕は熊沢に尋ねたが、返ってきたのは「ほっとけばあきらめるだろ」という無慈悲な言葉だった。



//――お~い! あれ~落ちちゃったんですか? くまさ~ん、アイスマ~ン――//



 吉井の口調はのんびりとしたものではあったが、それに対する返答が「絶対にない」と言うことを知ってる僕としては、ドコか虚しく、悲痛な声にも聞こえていた。



//――こちら紅丸ですけど――//



 ソコに救いの手をさしのべたのは、やはり堤だった。



//――くまさんは応答ないようですね。ピグモンさん……ガガッ……なんかありました?――//


//――ガガッ……内回りで……ガガッ……メリを発見しました。天使の可能性ありますね――//



 天使が現れた――。

 吉井が言い終えたときには、僕はアクセルを踏み込む右足にチカラを込めていた。



//――ガガッ……了~解。天使に……ガッ……間違いなさそうですか――//



 堤の声だった。

 ノイズ混じりの声だったが、あきらかに上擦っているのがわかった。



//――すれ違った……ガガッ……んで断定はできないですけど、ケンメリには違いないですね――//


//――了~解。内回りはどのあたりですか――//


//――芝公園と……ガガッ……のあいだですね。まもなく霞が関なんですが、これから内回りに……ガガッ……――//


//――了解しました! コチラもいったん下りて……ガガッ……回りに向かいます。宝町あたりで迎え撃ちますね。アイスマン、聞こえてたらゼッタイに邪魔すんなよ――//



「……だそうだ。邪魔すんなよ」

 熊沢が笑った。

 僕は何も言わず、肩を竦めて苦笑いした。

 なんだか完全にノケモノ扱いで少しだけ気が滅入る。


「だけど、近くで見る・・くらいならいいだろ」

 ジャマはしないから――。

「そうですね。ジャマはしません」

 熊沢の意見に異論はなかった。僕は弛めかけた右足に再び力を込めた。


「で……後ろから来るのを待つか? それとも――」

「もちろん追いかけますよ」

 僕は熊沢を遮り言った。

「そういう性分なんですよ、どちらかと言えば」

 そう言いながら微笑した。

 まもなく僕らは竹橋を通過する。おそらく天使がいるのは、この環状線の僕とは真反対の位置。

 ココから加速して追いかけていっても、走り回っている天使をドコで捕捉できるのかはわからないが、きっとまだそれほど速度を上げることもなく、流している可能性が高い。

 だからなんとか堤が遭遇する前に天使のテールを捉えたいところだった。堤と接触してしまえば、激しいバトルになることは想像に難くない。そうなれば、おそらく追いつくことはもうできないのだろうし……。


「あ。そういえば――」

 僕は助手席を覗った。

「堤さんが天使を追ってる理由ってなんなんですか?」

 ふとそんなことを思い出した。

「なんだか"ただならぬ執念"を感じるんですけど」

 僕は少しおどけてそう言った。

 熊沢は鼻を鳴らしたが、「自分で聞けって言っただろ」と言ったきり、まともには取り合ってくれなかった。

 確かに以前、熊沢にそう言われて堤に直接尋ねてみた。しかし堤は「春になったら教えてやる」と笑っただけで何も答えてはくれなかった。

 そして季節はもう夏になろうとしている。堤が言っていた春は過ぎようとしているが、未だに教えてもらっていない。


「なるほど……じゃ、まだ春は来てねえってコトなんだろ」

 ヤツにとっちゃよ――。


 熊沢はそう言ってクスクスと笑ったきり、何も答えてはくれなかった。

 しかし彼のイヤらしい笑みをみたとき、何となく理由がわかったような気がした。



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