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#059 幻の名店……


 初めて入った鰻屋は当たりだった。いや、大当たりだと言ってもいいかもしれない。

 なにしろ活気があった。満席とまではいかなかったが空席はさほどなく、それは僕が通い詰めてた「いつ行っても閑散としている」あの店とはいったいなんだったのかと思えるくらいで――


「今度は聖志の行きつけに行ってみたいな」

 助手席から能天気な声が聞こえてきた。

「だって今日の店でもあれくらい美味しいんだから、聖志がいつも行ってる店ならきっともっと――」

「そ、そうですね」

 祐未さんの言葉を遮った。これ以上聞かされるのはちょっとつらい。

「また機会があれば、ですね」

 曖昧な笑みを浮かべて言ったが、その機会が一生訪れないと言うことを僕は知っていた。幻の名店は幻であるからこそ評価されるわけで……。


 浜松西インターから東名高速道路に乗ると、足柄サービスエリアまではノンストップで走り抜けた。

 渋滞していることを覚悟していた高速道路だったが、上り車線は思いのほか空いていた。

 神奈川県内に入ってすぐの案内板は、東京料金所を先頭に渋滞があることを示していたが横浜で下りた僕らは幸い渋滞に遭遇することもなく保土ヶ谷バイパスへと入った。

 保土ヶ谷バイパスも目立った混雑はなく、スープラは取りあえず・・・・・一定の速度を保っている。

 しかし東名の料金所を過ぎたころから、僕の前には白色のR32スカイラインGT-Rが走っていた。大口径のマフラーからは騒音とも呼ぶべき爆音を響かせていて、それがどうにも耳障りだった。

 できることなら追い抜いてしまいたい、だけど助手席の祐未さんの手前もあってぶっちぎってしまうわけにもいかない。

 僕は仕方なく付かず離れずの距離を保ち、騒音と速度の低下という二つのストレスと対峙することを選んだ。そしてそれは狩場で分岐するまで続いた。

 横浜横須賀道路方面に向かったGT-Rを見送った僕は、左にウインカーを灯して首都高速方面へと向かった。


「――やっといなくなったわ」

 不意にそんな声がした。半ば呆れたような口調だった。

 助手席に目をやると、祐未さんはGT-Rが消えた方向を見ていた。

「あんなの抜かしちゃえばよかったのに」

 僕はもう一度助手席に目を向けた。

 祐未さんは不満そうな表情だった。そしてその視線は間違いなく僕へと向けられていた。

「あ~ホント耳がおかしくなりそう」

 思い出したように耳を塞いだ祐未さんは、僕の方に目を向けたまま口を尖らせた。女心の難しさを今あらためて思う……。


 首都高速狩場線を山下町で下りた。

 海岸沿いの倉庫街を通り抜けたのは九時半を回った頃だった。

 この先の路地を曲がれば、ソコには神藤たちが集まるバーがある。

 僕がソコに顔を出すようになってからだいぶ経つが、いまだに「営業中」の札が掛かっているのは見たことがないという不思議な店だ。

 店主には何度か会ったことがある。少し陰のある若い女の人で、雰囲気的には美人だった。尤も彼女を正面から見たことはないし、話をしたこともないのだが。

 彼女はいつもカウンター内の一番奥に置いた椅子に腰掛け、煙草を吹かしている。

 はじめて健吾が彼女を僕に紹介してくれたときも、彼女は同じ体勢で煙草をくわえ、決して僕の方に目を向けようとはしなかった。そのあまりに無関心な素振りに、僕は少しだけ傷ついたりもした。

 それはともかく彼女がいてもいなくても、店が「営業中」になることはなかった。

 ただ、いつでも店は「開いて」いて、そして店主の姿はなくても神藤の仲間の誰かが屯している……理由はわからないが。


 バーへとつながる路地の入口を通り過ぎるとき、僕は心もち速度を落として路地を覗いてみた。もしかしたら営業しているかもしれないという意味のない期待もあった。

 しかし、ソコには数台の単車と一台のAE86レビンが停まっているのが見えただけで、営業しているかどうかまでは判別できなかった。そしてレビンに見覚えがあるような気がしたのだが……たぶん気のせいだろう。


 倉庫街から大通りを横切り、見晴トンネルを抜ける。このまま細い通りを走り抜ければ本牧通りにぶつかる。

 正面に見えてきた信号は青だった。僕はアクセルを踏み込んで信号を突っ切ると、ガス山通りの坂道を駆けあがった。そしてこの狭い路地を入れば家に到着……だったのだが――。


「……なんだ?」

 思わず呟いた。助手席の祐未さんは当然ながら首を傾げた。

 僕の家の目の前、というかシャッター前の駐車スペースには、見知らぬハイエースが停まっていた。


 誰だろ……? 僕は首を傾げた。

 ハイエースに乗っている人は僕の知人にも何人かいた。しかし目の前のツートンカラーのハイエースはそのドレとも合致しなかった。

 僕はハイエースの後ろにスープラを横付けした。そして祐未さんを車内に残したまま運転席のドアを開けた。


 まったく非常識な奴だな――。

 そんなことを口にしながらハイエースに近付くと、突然運転席のドアが開いた。中からグレーのスーツ姿の男が飛び出してきた。


「おお~やっと帰ってきたか~」

 男はそう言って大袈裟に手を広げた。「待ちくたびれて帰ろうかと思ってたところだったんだ」


 僕は足を止め、暗がりのなか目を凝らして男の顔を窺う――。

「え……?」

 僕は男の顔を指さして固まった。


「ご無沙汰だったな~」

 そう言って笑っていたのは鍵屋の徹二さんだった。

 仄暗い宵闇のなかに浅黒い顔……歯だけ不自然に白く浮かび上がっている。

「ご無沙汰っていうか……なんなんですか、その恰好?」

「おう。悪くねえだろ?」

 徹二さんは少し照れたような表情でスーツの襟を軽くつまんだ。

 僕としては大いに違和感があった。徹二さんと言えばいつも作業着だった。高校のときも、校内で顔を合わせたときはほとんど作業着だったような記憶がある。

 しかしいま僕の目の前に現れた徹二さんは、グレーのスーツを着込んで長目の髪をなでつけて……田舎街の垢の抜けきらないホストのようだ。

 だが満更でもなさそうな彼に「その言葉」をぶつける勇気を僕は持ち合わせていなかった。


「で……どうしたんですか、突然」

 僕は気を取り直して尋ねた。

 彼が僕を訪ねてくる理由に心当たりはなかった。

「おお、おまえにお礼を言わなきゃいけねえって思ってよ」

「お礼……?」

 反射的に僕は身構えた。

 お礼を言われる筋合いなんてなにもな――

「除さんだよ。おまえが紹介してくれたんだろ?」

「ジョ……?」

「あの人が仕事を回してくれるようになってから忙しくってよ」

 徹二さんはホクホク顔で言った。


 ああ、あいつか――。

 僕はご機嫌な彼を横目に、あの空気を読まない不動産屋の顔を思い浮かべた。


「しかも金払いもいいしよ……おかげでから脱出よ」

 そう言って徹二さんはハイエースのピラーに手を掛けた。

 徹二さんに余分なカネを持たせるのは危険なことのような気もしたが、仕事で稼ぐのは悪いことではないし、そのキッカケが「除」にあるんだとしたら紹介した僕としては悪い気はしない。

 しかし……ヒトは見かけによらないものだと思う。

 除は感じの悪い男ではなかったが、とてもじゃないが仕事ができそうには見えなかった。少なくとも営業にしてはあまり気が利くタイプではないように思えた。

 だけど、外国人つながりの仕事はそれなりにあるのかもしれない。

 僕の住んでる家も大家は確か中国の人だったし、僕の前に住んでたのは神藤の仲間のうちの誰かだった。そう言えば彼らの中には残留孤児がいると言ってたから、案外そっちのつながりも――


「あの……」

 振り返ると祐未さんが立っていた。

「あ。先に部屋に――」

「あ……え、ええ~!」

 徹二さんの声が僕の台詞を掻き消した。

「あ、悪い! おれ、おまえが女と一緒だと思わなかったからよ! 全然――!」

 彼女の存在に今ごろ気付いた徹二さんは、そう言って大袈裟なくらいに慌てふためくと、何度も「邪魔するつもりはなかった」と呟きながら僕に向かって手を合わせた。

 その態度には祐未さんも口元を綻ばせた。そして周囲に視線を泳がすと「……中に入ってもらったら?」と僕に耳打ちした。

 僕は彼女に右耳を預けたまま、静まり返った暗がりに目を這わせた。

 まだ深夜とは言えない時間ではあったが、ココで大声で話をしているのは確かにご近所には迷惑だ。

 僕は徹二さんに向き直ると、「コーヒーでも淹れますよ」と言って部屋を指さした。しかし――


「いや、いいよ」

 徹二さんは掌を翳すように広げた。

「ありがたいが、今日は止めとく」

 急に真顔になって言った。

 彼の真面目な顔を見るのは珍しい事だった。

「あ、私になら気を使わないでくださいねっ!」

 祐未さんは慌てて言ったが、徹二さんは静かに首を横に振ると「他人が乳繰り合うのを見る趣味はないんでね」とこれ以上ないほどの真剣な表情で呟いた。そしてスープラを動かすよう手で払うような仕草をした。


 チチクリあうって――。

 僕は心の中で大きくため息を吐いた。祐未さんも引き気味なのは見なくても気配でわかる。

 しかし徹二さんという人はこういう人だった。

 語彙が乏しいというか、適切ではないというか……とにかく余計なことを言っては周囲にバツの悪い思いをさせるのが昔から得意だった。しかも本人には「そんな気持ちがまったくない」というのがこれまた厄介で……。


 彼に促されるままにスープラを動かすと、ハイエースのバックランプが点灯してゆっくりと下がり始めた。

 僕はそのままスープラを路上に停めると、徹二さんを見送るためにクルマを降りた。

 すると運転席から身を乗り出した徹二さんが僕に向かって手招きした。

 なんですか――。

 僕が近付くと、彼はヘッドロックをするように首に腕を回した。

 そして首をぎゅっと締め上げると「ちゃんと避妊はしろよ」と耳元で囁いた。

「ナニ言って――」

「コレは先輩からの忠告だ」

 徹二さんはそう言って笑うと、腕の力を緩めて僕を解放した。

「じゃ、そういうわけで」

 徹二さんは言いたいことだけを言い放つと、僕が何かを言う前にハイエースを発進させた。

 僕は遠ざかるハイエースのテールを眺めながら苦笑いを噛み殺した。彼との会話はいつも唖然とさせられるばかりで――。


「なんだって?」

 いつのまにか隣に立っていた祐未さんが僕を見上げた。

「いま、何か話してたでしょ?」

 彼女はそう言うと澄んだ瞳で僕を見つめた。

「ああ……彼女によろしく、と」

 避妊のススメなんてクチが裂けても言えない。


「ところで、あの人だれなの?」

 だいぶ変わったヒトだけど――。

 祐未さんは口元を弛めて呟いた。

 僕は探るような視線を彼女に向けた。徹二さんと一弥くんは高校時代の友人だった。祐未さんと会ってた可能性だってあるのだが……しかし彼女は徹二さんのコトを本当に知らない様子だった。


「――先輩ですよ」

 僕は彼女から目を逸らし呟いた。

以前まえの会社の、ですけど」

 彼女が何かを言葉にする前にそう付け足した。

 僕はよどみなく嘘を吐いた。

 祐未さんの前で一弥くんの名前を口にするのはまだ抵抗があった。

 気兼ねなく彼の名前を口にできるまでには、もう少し時間が掛かりそうだった。


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