#011 九蓮宝燈
東名高速道路・海老名SA――。
僕がココに着いてから、既に二十分が過ぎようとしている。
パーキングの、比較的入口が見通しやすい場所にクルマを停めた僕は、缶コーヒーを片手にドアに寄りかかるように立っていた。
まもなく約束の時間のハズだったが、まだ祐二を含めて誰も姿を見せていない。
いや、正確には一人だけ知ってる奴が僕のAA63の隣に横付けしているが……それは単なる偶然だと思いたい。彼はたまたまココを通りかかって、たまたま僕を見つけたからココに留まっているだけなのだと――。
「いやあ、まさかこんなところで北条君に会えるなんてね」
彼はご機嫌な表情で近づいてきたが、僕は彼が話し終える前にクルマに乗り込むと、固くドアを閉ざし、エンジンを始動させた。
彼の名前は松井清和。
僕が以前務めていた職場に出入りしていた「下請けの自動車修理工場」の社員。
というかそこの社長の息子で、年齢は確か僕より二つ上だった。
電気系に非常に強い人で、特にオーディオ関係には抜群の知識を持っている……というのが当時の僕の上司の彼に対する評価だ。
性格的にも穏やかな人で、周りに敵を作らないタイプだと思うが、ワケあって僕は彼を苦手にしていた。
やがてAA63のエンジン音に、地鳴りのようなノイズが混じった。
ミラーを窺うと、真夜中でも視認できるほどにカラフルなAE86たちが入ってきた。
祐二と湊、そして富井のようだった。
彼らは、僕と松井を挟むようにクルマを並べると、エンジンを掛けたままクルマを降り、僕の方に近付いてきた。
「待った?」
祐二はクルマを降りた僕に向かって満面の笑みを見せた。
「いや、べつに」
僕はやや視線を落としたまま囁くように言った。
既に三十分くらいは待たされていたが、「早く着いた」なんて口走って積極的に参加してるなんて思われるのも癪だった。あくまでも僕は人数合わせでココにいるのだから。
それにしても、コイツらは揃いも揃って今日もツナギ姿だった。
コレしか着るものがないんじゃないかと疑いたくなるくらい、いつでもこの格好で……いや、今はそんなことはどうでもよかった。
「ちょっといいか」
僕は祐二の腕を掴まえると、彼らの輪から少し離れたところまで引っ張っていった。
「おいおい、なんだよ」
「なんだよじゃなくて」
僕は松井たちの方を窺った。
「あいつも一緒なのかよ」
「あいつ……?」
祐二は後ろを振り返った。
「あ、ああ……清和くん?」
僕は頷いた。
あいつがいると聞いてたら、僕はこの場所に来ることはなかったのだから。
「いや、軽く声掛けたらその気になっちゃってさ」
ま、仲間が多い方が楽しいだろ――。
祐二は悪びれずに言った。祐二は「僕が懸念しているすべて」をわかった上で言っているかのようだった。
「楽しいって……」
僕は舌打ちした。
彼のその余裕が、いつも以上に僕を苛立たせていた。
「おまえもわかってるハズだろ」
僕はため息を吐いた。
「もちろん、北条の言いたいことはわかるが……」
「あいつだけはムリだろ? どう考えても絶対ムリだろ?」
僕は祐二に最後まで喋らせずに、畳みかけるように言った。
祐二は困ったような微妙な笑みを浮かべると、そっと後ろを振り返った。
富井たちが心配そうな目で僕らの方を窺っている。どうやら僕の声が大きかったらしい。
「とにかく。あいつは勘弁してくれよ」
僕は声を抑えてそれだけを言うと、頭を掻きむしった。
「まあそういうなよ。あいつも一生懸命速く走りたいと――」
「そう言う問題じゃねえだろよ……」
僕は天を仰いだ。
僕が拒否する理由……それは祐二も知っているハズだった。いや、当時の同僚たちなら知らない奴は誰もいないはずだ。
「ま、心配はいらないさ」
祐二はまるで他人事のように言った。
その自然な声の響きも、僕を安心させるには根拠に乏しかった。
***
「――これで全員揃ったか?」
祐二の声に富井が頷いた。
東名のパーキングに集まった「九蓮宝燈」のメンバー。そのほとんどの顔に見覚えがあった。祐二が言ってたように元の同僚が多いみたいだ。
「一応、初めて会う奴もいるだろうから紹介するけど――」
祐二はそう言うと、メンバーを一人ずつ指さし、順番に紹介しはじめた。
「――で、こいつは北条聖志。おれと同期で――」
そう言って祐二が僕を指さすと、視線が僕に集まった。
僕はそれを嫌い、足下に視線を落とした。
「北条って……もしかしてあの北条?」
誰かが声を上げた。
僕は目だけを動かし、彼らの方を窺った。
「確か、井村さんと付き合ってたっていう――」
「ああ。その北条だよ」
祐二はこともなげに言った。
僕はため息をついた。
同時に自分がイメージする自分像と、他人から見えている自分の姿に大きなずれがあるってことに気付いた。
考えてみれば、前の会社では、僕よりも絵里の方が断然有名人だったのだ。
「ま、でももう別れちゃったらしいけどさ……なっ?」
富井だった。
いままで黙ってた富井が人懐っこい笑顔を僕に向けてきた。
しかし僕は何も応えずに目を逸らした。
そんな笑顔に騙されるわけにはいかない。コイツは「本心では何を考えてるのかわからない」ということを先日学んでいた。
「北条君……」
僕はその耳障りな声にため息を吐いた。
「井村さんと別れたって本当かい?」
声の主は松井だった。
僕は不自然だとは思ったが、目を伏せたまま敢えて聞こえないふりをした。目を合わせたら、僕は彼に殴りかかってしまうかもしれない。
「ま、まあそれはいいじゃねえかよ」
おしまい、おしまい――。
祐二が手を叩き、話を強引に終わらせてくれた。
僕は目を伏せたまま松井との距離をとった。そして祐二に耳打ちした。「あいつを絶対に僕に近づけるな」と――。
僕はあらためて集まった顔を見渡した。
ココに集まった十四人のうち、僕の元同僚に当たる人間は十人。そのうちまだディーラーに残っているのは八人で、現役のメカニックは五人。僕と全く面識がなかった人間は二人だけだった。
クルマはAE86トレノが五台、AE86レビンが三台、それから92レビン、MR2、ユーノスロードスター、セリカGT-Fourと僕のAA63カリーナGT。そして――
「祐二ぃ。さすがにコレは場違いじゃねえか?」
そう声を上げたのは稲尾だった。
彼は松井のクルマを指さしていた。
「え。なにか拙いの?」
びっくりしたような声を上げた松井……奴には場違いだという自覚がないらしい。
MS137・クラウン3.0ロイヤルサルーンG――。
真っ白に輝いている松井のクルマは、稲尾が指摘するまでもなく"走り"には向いていないように思える。
少なくとも松井の考える走りと、僕らが考えるそれとのあいだには「大きなギャップ」が存在するということだけは間違いがないようだ。
「さすがにクラウンってどうよ?」
「しかもエアサスだろ、これ?」
「無駄にでけーし」
「ドリフトなんかできんのか、これで?」
「直線だけだったら一番速かったりして――」
みんなが堰を切ったように、口々にクラウンに対するダメ出しをはじめた。
いつもなら止めに入る祐二だが、今回ばかりはさすがにフォローがしにくいようで、苦笑いをしたまま頭を掻いている。
「でもさ、いねーわけじゃねーぞ、凄え速いクラウンてのも――」
そう言ったのは樫井という男……コイツが"九蓮宝燈"の名付け親らしい。現在は溝ノ口の雀荘でバイトしてるんだそうだ。
「凄え速いって……それ、覆面だろ?」
「いや、首都高で有名な奴なんだけどな」
茶化す稲尾を尻目に、樫井は真面目な顔で話し出した。
首都高の環状線に出没するガンメタのGS131型スーパーチャージャー。
乗っているのは結構なおっさんだが、その運転技術は目を見張るモノがあるとか。
樫井は何度か話をしたこともあるらしい。
「首都高ねえ……」
稲尾はボソボソと呟きながら大仏のようなパーマ頭を指で梳いた。
そして「つうか、ウチのホームってドコぞ?」と急に思い付いたように声を上げた。
「ホーム……?」
祐二は首を傾げた。
その表情から察すると、そこまでは考えていなかったようだ。
奴らの視線が祐二に集中した。
「そうだな……北条は普段、ドコ走ってんの?」
急に僕に話を振ってきた。
今度は視線が僕に集まる。
「ドコって……特には決めてない」
僕は右手をポケットに突っ込んだまま囁くように言った。なぜか大垂水の名を出すことを躊躇った。
「そっか。じゃ、取りあえず箱根でいいだろ、な?」
祐二はそう言って全員の顔を窺った。
「でも、遠くね?」
稲尾が口を開いた。
「おれと下津と日野は川崎だし、伊藤は蒲田だろ?」
「おれは遠いのは別に構わねえけど……毎回、東名とオダアツなんて言われるとカネが続かねえな」
伊藤と呼ばれたGT-Fourの男が無表情に言った。
「じゃ、首都高はよ? 環状線をぐるぐる走る分には却って安上がりだろ?」
「おれもソッチの方がいいな」「おれも、どっちかといえば」
樫井の提案に、湊と日野が食いついた。
「ま、東名-オダアツよりは全然マシだが……」
伊藤は煮え切らない口調で、口元を歪めた。
「――北条はどう思う」
祐二が言った。彼は腕を組み、僕を窺ってきた。
僕は心の中で舌打ちした。
なぜ、そんな話を僕に振るんだ――。
そんなクレームが口から出掛かったが咳払いでごまかした。
ココで僕の意見が優先されるのはゴメンだった。
僕はあくまでもたまたま時間があったから顔を出しただけ。他の用事があれば迷わずそちらを優先する……生憎いまは優先すべきスケジュールはなにもなかったが。
とにかく、僕の意見でチームの方針が決まるようなコトだけは避けたかった。
僕はただ祐二たちが進む道を後ろから眺めているだけでよかった。それが僕の行きたい道と違えば、僕は勝手に離れていくつもりだ。
だからそんな僕に意見を求めても意味なんかないのだが――。
「……環状線は性にあわない」
僕はため息混じりにそう言った。
祐二の柔らかな眼差しに急かされるように、僕は仕方なく声を絞り出した。
それはいつもの自分の声とは違う、どこかよそよそしいモノのように僕には聞こえていた。




