#010 真逆の位置にいる男
浜松西インターを出てすぐの角を右折し、舘山寺方面に向かう。
緩いアップダウンが続く広い道路――。
アクセルを踏み込む右足にも自然とチカラが入りがちになるが、こんなトコロで捕まるのもバカらしいので自重しながら進む。
やがて右手に見えてきた観覧車に由佳里が反応したが、敢えてソレを無視してクルマを走らせると、程なく舘山寺の鄙びた温泉街が出てきた。
すっかり陽の落ちた温泉街を進むと、右手に目的の店が現れた。
道を挟んだ反対側にある駐車場にクルマを乗り入れた僕は、道路側から二台目のスペースにバックで停めた。
「いつもこんな遠くまで? わざわざ……?」
由佳里の呆れたような問いかけに、僕は「ああ」と短く応えた。
そういえば、なぜ「僕の行きつけの店」が浜名湖にあることを由佳里が知っていたのかという疑問はあったが、それを問いつめる気に今はならなかった。僕はドアをロックすると、由佳里を促し、大股で道路を横切った。
いらっしゃいませ――。
暖簾をくぐり引き戸を開くと、年配の女性店員が僕らを振り返った。
僕は店員に向かって指を二本立て、「二人」と伝えるとテーブル席の間を通り抜け、奥の座敷に上がり込んだ。そして席に着くと同時にメニューを開いた。
「同じモノでいいだろ」
由佳里に向かってそう告げると、彼女の答えを待つことなく店員にオーダーを入れた。
「……もうちょっとゆっくり見たかったのに」
由佳里は店員が立ち去るのを待ってから、恨みがましい目を僕に向けてきた。
しかし僕は聞こえないふりをしたまま目を伏せ、お茶を啜った。
鰻中心のこの店のメニューにはそれほどの選択肢はない。
しかし、そんな少ない選択肢のなかでも取りあえずは迷ってみる……。どうやらそれが女という生きものらしい。
だけどいまの僕の空腹状態は、そんな妹の戯れ事に付き合う余裕もないほどに逼迫していた。
絡みつくような由佳里の視線をかいくぐり、僕は店内を見渡した。
店内には他の客の姿はなかった。
左手に嵌めた時計に目をやる……時刻は七時を回ったところだった。
確かこの店は八時までしかやってないはずだったから、僕らは本日最後の客なのかもしれない。
この店に来たのは初めてではない。今までにも何度も来ている。
しかし満席だったことはただの一度もない。
ここの鰻は美味い。
しかし隣の店の鰻とどちらが美味いのかは知らない。だって隣の店には行ったことがないから――。
ふと僕は思った。
なぜ、いつもココの店なのだろう、と……。
だけど考えるだけ無駄だった。
いくら考えても答えが見つかるとは思えない。もともと大した理由があるわけでもないし。
強いていうなら、いつも空いてるから。
混んでればほかの店に行くだろうし、そしてそっちの鰻が美味ければ次からはそっちの店にいく、ただそれだけ。そしていまだその機会が訪れていないというだけのこと――
「――ねえ、そういえば……」
不意に由佳里が呟いた。
「城戸祐二とは会ったの?」
「え……」
あ、ああ――。
由佳里の言葉の意味を理解するのに少し時間が掛かった。
そういえば祐二からの電話をはじめに取り次いでくれたのは彼女だった。
しかし同じ家に住みながらも、僕らが顔を合わせることはほとんどなかったから、祐二と会ったことは伝えていなかった……というより伝える義務など存在しないから、顔を合わせたとしても言わなかったと思うが。
僕は湯飲みを口元に運び、茶を啜った。
祐二たちのチームの初顔合わせは今週末だった。
土曜日の夜、正確に言えば日曜日に変わる時間に東名下りの海老名SAに集合――。
そんな連絡を昨日のうちにもらっていた。
だけど高速道路のパーキングに十四人もの人間が集まるなんて考えると、それだけで憂鬱な気分になる。
ほとんどが元の会社の同僚らしいから、当然僕のことを知っている奴もいるのだろう。そいつらを僕が知っているかは別として……。
僕はいまさらながら後悔していた。
祐二からの誘いに対して、僕はもっとはっきりと断るべきだったのだ。
それを中途半端な情にほだされて、というかあいつの言葉に惑わされたなんて。
お人好しというより「愚か」だとしかいいようがない。
冷めかけて温くなった茶を飲み干すと、ふっと小さく息を吐いた。そして意味もなくメニューを手に取って広げると一瞥して閉じた。
由佳里は何かを言いたそうに、僕の一連の所作を眺めていた。
そんな彼女の視線を確かに僕は感じていたが、まったく気付かない素振りでメニューを元の場所に戻した。同時に漂ってきた鰻の香ばしい香りが、僕の食欲を更に刺激していた。
***
店を出ると、一台のワンボックスカーが僕の目の前を通り過ぎていった。
サイドパネルに無数のステッカーを貼り付けたハイエースは、車内に単車を積んでいた。さすがにバイクの車種まではわからなかったが。
そういえば僕が乗ってたバイク、高校時代の相棒でもあったTZR250はいまでも元気に走ってるんだろうか。
四輪に乗り換えたときに手放したのだが、あんなに愛着のあった単車なのに、なんであのときは躊躇なく手放すことができたのか……すごく不思議だ。
もともとモノへの執着心が強くはないとは自覚しているが、それでもあの単車への思い入れは特別だったはず――
「ごちそうさま……でいいんだよね?」
声に振り向くと、由佳里が僕を覗き込んでいた。悪戯っぽい笑みを口元に湛えて……。
「ま……おまえに奢ってもらうわけにもいかないからな」
僕は口元を弛めると、彼女を促し大股で道を渡った。
どうせ払う気なんてないくせに、という言葉は喉の奥に押し込んで。
駐車場には僕のAA63しかなかった。
さっき来たときには二、三台停まってたが、店内に他の客はいなかった。
つまり従業員が停めてたか、近所の人が停めてたか……どちらにしてもココの鰻屋は「流行ってる店ではない」ということか。
「ねえ。あれ、乗ってみない?」
不意に由佳里が呟いた。
彼女の視線の先に目をやると、そこには観覧車があった。
僕は小さく首を振ると「乗らない」と短く、そして強い意志を込めて言った。
「ええ~、なんで~?!」
彼女は不満そうな口ぶりだったが、その態度には僕の方こそ不満を抱いた。
だいたい、なにが悲しくて妹と観覧車に乗らなければならないのか……。それに僕は高いところはあまり好きではない。
「せっかくこんな遠くまで付き合ってあげたんだからさ――」
彼女の台詞は聞き捨てならないものではあったが、僕は敢えて口を閉ざしてクルマに乗り込むと、なにも応えずにエンジンを掛けた。
由佳里はしばらく未練がましい目を観覧車に向け、クルマの横に立ちつくしていたが、やがて渋々といった感じで助手席に乗り込んだ。そしてふて腐れたような態度で必要以上に強いチカラでドアを閉めた。
浜名湖西インターから乗った東名高速道路には、僕が想像していたよりもたくさんのクルマが走っていた。
本線に合流すると、更にウインカーを出して右車線に入った。
若干速度を上げると、前を行くクルマが左にウインカーを出した。
僕はそれに呼応するように、アクセルペダルに乗せた足にチカラを込めた。すると前方を走る別のクルマが、同じように道を譲ってくれて……そんなことを繰り返すウチ、僕の前を走るクルマはきれいにいなくなった。
先頭に躍り出た僕は、左車線に移り、心もち右足のチカラを弛めた。
べつに急いでいるわけではなかった。なのに前を行くクルマがあると「ついつい」追いかけてしまう。言ってみれば「本能」というか「性」のようなものか……。
「このクルマって速いんだね」
由佳里が呟いた。
彼女はシートに深く身を沈めたまま、目だけをコチラに向けているようだったが……
速いんだねって、ずいぶん幼稚な表現に聞こえる。
「……なによ」
彼女は不満そうに言った。
「なにかおかしなコト言った?」
「いや、べつに……」
どうやら気付かないうちに笑っていたみたいだ。
絵里も昔、同じ様なことを言ったことがある。もっともあのときは彼女のソアラだったのだが――。
菊川インターを過ぎたところで急に喉の渇きを覚え、僕はアクセルを強く踏み込んだ。速度を上げたAA63は、甲高い排気音を伴って更に加速していった。
立ち寄った牧之原SAは閑散としていた。
僕はAA63を自販機コーナーの前に横付けするとキーを抜きクルマを降りた。由佳里も当たり前のように助手席のドアを開け、僕のあとについてきた。
「――城戸祐二ってどんな人?」
自販機にコインを投入したとき、不意に由佳里が尋ねてきた。
僕は彼女の顔を窺った。
しかしその表情からは質問の意図を読み取ることはできそうもなかった。
「どんなって言われても……至ってフツウの奴、さ」
僕は当たり障りのない言葉で応えると、「コーラ」のボタンに右手の中指を伸ばした。そして由佳里を振り返り、自販機を顎で指した。
「フツウって……それじゃゼンゼン答えになってないし」
彼女は不満そうに鼻に皺を寄せながらも、躊躇なく僕と同じボタンを押した。
祐二はどんな奴なのか――。
あらためてそう問われると言葉に詰まる。
僕から見た祐二と他の奴から見た祐二が同じなのかどうか、それ自体が怪しいような気がしている。
彼は悪い人間ではない……のだと思う。
しかし、少なくとも祐二は僕とは真逆の位置にいる男――。
つまり彼を褒めると言うことは、自分を貶めることとイコールのように思えていた。
それが彼を素直な目で評価できない最大にして唯一の理由だった。
「でも、絶対に普通じゃないと思うんだよね~」
由佳里は言った。
鼻歌でも歌い出しそうな軽やかな節回しだった。
「なんでそう思う?」
僕はコーラの缶を口元から離して由佳里を窺った。
彼女は動じることもなく真っ直ぐに僕を見据え、そして微笑した。
「だって……偏屈なお兄ちゃんのトモダチになってくれる人って、ヘンジンかイイヒトかのどっちかしかないじゃん」
僕はそっと目を逸らすと、小さく首を傾げた。
彼女の言うことが「あながち外れていない」というのは動かし難い事実でもあった。
しかし、「同情している」とも「呆れている」ともどちらとも解釈できる由佳里の口調には、ただ苦笑いするしかなかった。




