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#009 失したモノ

 結局、僕は祐二たちのチームになし崩し的・・・・・に加わることになった。

 あの日、祐二たちと別れて辿り着いた駐車場で、僕は愕然とした。

 僕のAA63のリアガラスに、あのセンスのないステッカーが勝手に貼られていた。

 祐二が居酒屋に顔を出す前に駐車場に立ち寄って貼ったのだろうが、大遅刻をしておきながら何を考えているのか……。それにしても「九蓮宝燈」の十四番目のメンバーなんて縁起が悪すぎて寧ろ笑ってしまう。そして祐二に呼び出されるたびにノコノコと顔を出す自分自身にも。

 そう言えば、このあいだの用件は絵里の件ではなかった。

 居酒屋に呼び出されたあの日、僕はてっきり絵里に関する話なんだろうと当たり前のように思いこんでいた。

 しかし絵里の話題は何一つ出てこなかった。というより祐二が彼女の名前を口にすることはなかった。

 僕の予想は見当違い……つまりはそういうことことらしい。


 僕はベッドに仰向けに倒れたまま、ただ意味もなく、ぼんやりと天井を眺めていた。

 眠りが浅いのは相変わらずだった。薬もほとんど効いていないのだろう。

 その短く浅い眠りの間、僕はたくさんの夢を見る。現実感のあるようなないような……そして楽しいような、怖いような。

 ただ、その内容のほとんどを僕は憶えていない。

 目ざめたときには憶えているはずなのだが、次の瞬間にはすべてを忘れてしまっている。

 だから目ざめているときに「既視感を憶える出来事」と出くわすことが多いが、果たしてそれが夢だったのか現実だったのか判断しづらいことがよくある。

「……腹が減った」

 僕はたったいま頭に浮かんだフレーズを、そのまま口にしてみた。

 考えてみれば、昨日の早朝にサンドウィッチを食べて以降、何にも口にしていない。いままで空腹に気付かなかったのが不思議なくらいだ。

 ベッドの上で身体を起こし、大仰に首を回す。同時に首の筋が不快な音を立てた。

 僕は立ち上がって大きくノビをすると、クローゼットを開いてレザージャケットを引っ張り出し、Tシャツの上にそれを羽織った。

 そしてデスクの上に無造作に置いてあったキーとシガーケースと財布を手に取った。

 部屋を出て、リビングにいるはずの里穂さんにばれないよう足音を忍ばせて階段を駆け下り、シューズを引っ掛けたまま、玄関扉に手を掛け……ようとしたら開いた。

「あ」

 そこには由佳里が立っていた。

 ちょうど学校から帰ってきたらしい……間が悪すぎる。

「……ただいま」

 無表情なままの彼女は、僕の目を真っ直ぐに見据えてそう呟いた。

 僕は彼女を刺激しないよう「おかえり」と短く応えた。しかし――

「どこ行くの?」

 上目遣いに僕を見ていた由佳里が細いアゴを僅かに傾けた。

 僕としては彼女に報告する義務はないと思ったが、やはり彼女を刺激するのは得策ではないと考え、「メシ」とひと言だけ呟いた。

 由佳里は怪訝そうな表情を作り、時計に目をやった。

 そして微かに思案に耽るように首を傾げると、やがて口元を弛めた。

「私も行く」

 彼女の一方的な申し出に、僕はあからさまにため息を吐いてみせた。

 しかし、彼女はそれを「YES」と受け取ったかのように微笑んだ。

「すぐに着替えてくるから、絶対に待っててよ!」

 由佳里は短いスカートを翻して玄関に飛び込んでいった。

 彼女と意思の疎通を図ることの難しさ……、僕は今さらながらそれを思い知った。


 

 町田街道を抜け、国道十六号線沿いのガソリンスタンドで給油すると、横浜町田インターから東名高速道路に乗った。

 僕は東名を西へと向かっていた。

 さっき空腹に気付いた瞬間からソコに行こうと決めていた。いま無性に食べたいものがあった。それは僕にとって好物の一つだった。

「――浜名湖でしょ」

 不意に助手席の由佳里が呟いた。まるで僕の心を読み取ったかのように。

「……なんで?」

 僕は尋ねた。

 おそらく適当に言っただけのことなんだろうが……しかし彼女の表情には妙な自信が見え隠れしていた。

「さっきね、お兄ちゃんが"メシ"って言ったときになんとなくわかったの。時間的にちょっと遠くだなって」

 由佳里は悪戯っぽく口元を弛めた。

「で、お兄ちゃんて好き嫌いが多いじゃない? だから選択肢をギュッと絞って……東北道に向かったら喜多方でラーメン、千葉方面だったら魚介類、で東名を下りに向かったら浜名湖でウナギ……そう推理したんだけど、どう?」

 彼女は芝居がかった仕草で腕を組み首を傾げると、得意げに目を細めて僕の方を窺った。

「ま、だいたいは合ってるね……」

 僕は苦し紛れに呟いた。

 五つも年下の妹に思考を完璧に読まれているのかと思ったら少し悲しい気分になった。


 東名高速道路は空いていた。

 渋滞に嵌る気配などまるでないまま、僕のAA63は富士インターチェンジを通過した。

 ふと時計に目をやると、五時を少し回ったところだった。家を出てから既に一時間ほど経っている。

 僕は静かすぎる助手席をそっと窺った。

 しかし由佳里は眠っているわけではなかった。

 彼女はすぐに僕の視線に気付き、それに応えるように微笑を浮かべた。

 僕は何も言わず、彼女から目を逸らした。

 視線が逃れた先には、次のサービスエリアまでの距離を示す案内板があった。


 僕は加速して左車線を走っているバスを追い抜くと、ウインカーを点滅させて左の車線に移った。

 アクセルを踏み込む右足のチカラを緩め、若干速度を落とすと、間もなく更に左側に車線が現れた。

 僕はもう一度ウインカーを出し、左へとクルマを寄せた。スピードが落ちていくのにつれ、徐々に本線から離れていく。

 サービスエリアはガラガラだった。

 二台並んで停まった大型トラックの横をすり抜けると、路面に描かれた走路のラインを一切無視してショートカットし、売店の正面にクルマを停めた。

 イグニッションをオフにし、キーを抜く。同時にターボタイマーの液晶表示がカウントダウンを始める――。

「なにか買うの?」

 由佳里はシートに凭れたまま、目だけをコチラに向けてきた。

「いや、べつに……便所は平気か?」

 僕がそう言うと、彼女は怪訝そうな目で僕の顔を覗き込んできた。そして「大丈夫」と小さな声で言ったが、しばらくして「やっぱり行っておく」と、慌ててクルマのドアを開けた。

 僕は彼女の後ろ姿を見送ると、小さく息を吐いた。

 このサービスエリアに寄ったのは、特に意味があってのことではなかった。

 以前、僕は絵里を連れてよく浜名湖に鰻を食べに行った。そのときには必ずココに立ち寄らされた。つまり、クセというか惰性でなんとなくココに吸い込まれてしまったのだ。


 僕はシートに凭れたまま深くため息を吐き、そして考えた。

 もともと絵里は鰻が好きではなかった。

 寧ろ嫌いだったようで「鰻なんか食べられなくても、生きていくのに困らない」と言っていた。

 そんな絵里に、僕は「鰻の味を知らないなんて、つまらない人生だな」と笑った。そして反論する彼女に「不味い鰻しか食ったことない人は気の毒だ」と哀れむように鼻で笑った。

「じゃあ……美味しい鰻を食べに連れていってよ」

 あのとき彼女は不意にそう言った。

 じゃあそれなら、と言うことで僕はドライブがてら、彼女を連れて浜名湖まで行った。でも……

 いまになって思えば、彼女が本当に鰻が嫌いだったのかどうかはよくわからない。僕は彼女に騙されてた、というより躍らされてるだけだったのかもしれない。だって彼女はいつも本当に美味そうに鰻を頬張っていたから……。


「――なに笑ってんの……?」

 顔を上げると、いつの間にか由佳里が戻ってきていた。

 彼女は運転席の窓越しに立ち、じっと僕を見下ろしていた。

「一人でニヤニヤしてるとアヤシイ人と勘違いされちゃうわよ」

 ま、本当にアヤシイ人間には違いないんだけど――。

 由佳里は嬉しそうに言った。

「べつにニヤニヤなんて――」

「そんなことより、ちょっと」

 由佳里はそう言って僕を手招きした。

 彼女はにこやかな表情で東の方に目を向けている――。


「ああ……富士山だろ」

 僕は無感動な声で言った。

「なんだ。もう気付いてたの?」

 そう言ってクチを尖らす彼女に対して、僕は何も言わず曖昧に頷いた。 

 正確に言えば富士山の存在に気付いていたワケじゃなく、この場所から見える景色を知っていただけだった。


 そう言えば、絵里以外の人とココに来たのは初めてだった。

 彼女と会う前にも付き合ってた女はいるし、絵里より長い期間付き合ってた女だっている。だけどココに来たのは絵里とだけだった。

 彼女と二人で見るココからの景色が僕は密かに気に入っていた。絵里と別れてからも、一度だけ一人でココに立ち寄ったことがある。

 だけど、そのとき一人で見た景色は、それまで見えていた景色より少しだけ色褪せているような気がして――。


 そんなことを考えていたら可笑しくなった。

 妹を連れて鰻を食べに行く途中に、急にセンチメンタルになってしまった自分……馬鹿馬鹿しい。もはやくだらなすぎて笑うしかない。

「だからあ……。さっきから何ニヤニヤしてるの?」

 由佳里は眉を顰めた。

 彼女はいつの間にか助手席に移動していた。

「いや、べつに――」

 そう言いながら僕は吹き出してしまった。

 由佳里はこれ以上ないくらい醒めた視線を僕に向けていたが、意味もなくこみ上げてきた笑いを抑えることはできなかった。


 絵里と別れてからも僕の暮らしはなにも変わっていない。それは僕にとって自然なようでいて、とても不自然なことでもあった。

 特に傷ついたわけでも、酷く寂しい思いをしてるわけでもない。だけど、本当に大事なモノって言うのは、失くしてからじゃないと気付かない――。そんなことにいまさらながら気が付いたような気がしていた。

 考えてみれば、過去には思い当たるフシが数え切れないほどある。数え切れないから敢えて掘り下げる気もないが――。

 ふと僕は考えた。いま、僕にとって「失いたくない、本当に大事なモノ」ってなんなんだ……?


 しばらく考えてはみたが、なにも出てこなかった。

 はじめから大事なモノなんて存在しないからなのか、まだ失くしていないから気付いていないのか。

 どちらにしても、いまの僕にはそれすらわからないみたいだった。




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