ルミナの紋章
蒼い紋章が脈打つたびに、床の氷が生き物のように波打った。
冷気が上昇し、二人の影を包み込む。
クロードが静かに目を閉じる。
「……この地は、すべてを映す鏡だ。心の奥に眠る“真実”を――な。」
「真実?」
リュシエルが眉をひそめた瞬間、足元の氷が淡く光りだした。
白い霧が立ち込め、周囲の空間が揺らぐ。
次の瞬間――、世界が変わった。
⸻
目の前に広がったのは、春の祈堂。
白い花が咲き誇る庭、陽の光、そして懐かしい香り。
幼いリュシエルが母の腕に抱かれている。
その視線の先――蒼い外套の男が立っていた。
「……あの夜……!」
リュシエルは思わず呟く。
母は静かに微笑んでいた。
その笑顔は、悲しみと覚悟を抱いた、穏やかな祈りの顔。
『クロード……この子を守って。あなたしか、いない。』
『……だが、代償は――』
『構わない。リュシエルに手が伸びるくらいなら、私が核になる。
――この春を、どうか次へ繋げて。』
クロードは顔を歪め、拳を握りしめた。
『……許してくれ。』
氷の紋章が母の足元に浮かび上がり、光が爆ぜた。
氷の花が咲き、祈堂が静寂に沈む。
――幼いリュシエルの瞳に映ったのは、“父が母に手をかける”その瞬間。
泣きながら見た光景は、いつしか「母を殺した父」という誤解に変わっていた。
⸻
現実が戻る。
リュシエルは息を詰め、膝をついた。
剣が手から滑り落ち、氷の上に音を立てる。
「……違ったのね……あの夜、母は……自ら……」
クロードは静かに頷く。
「私は、止められなかった。
――それが、私の罪だ。
お前を守るために、最も大切なものを失った。」
リュシエルの瞳が潤む。
「どうして、黙ってたの……? 一言でも言ってくれれば……!」
「お前に、その重さを背負わせたくなかった。」
クロードの声が揺れる。
「母を救えなかった父など、お前の記憶に残す価値はないと思った。」
「そんなこと……!」
リュシエルは首を振る。
「私はあなたを憎んで……ずっと間違えてた!」
クロードが微かに笑う。
「それでもいい。お前が強く生きられたなら……それで、良かったんだ。」
その時だった。
空気が裂け、光が消える。
天井から氷の結晶が降り注ぎ、深い影が立ち昇る。
殿堂全体が軋み、圧倒的な冷気が流れ込んできた。
「――貴様らの情に、興味はない。」
低い声が響く。
霧の向こうから現れたのは、巨大な影。
氷冥王。
蒼白の光を宿した瞳が、二人を見下ろしていた。
「クロード。貴様は私の意志を裏切った。器を守るために、私の力を穢した。」
クロードは一歩前に出る。
氷冥王に向け、剣を構えた。
「……この命で贖う。だが――リュシエルには、手を出すな。」
「贖罪など不要だ。」
氷冥王の声が響いた瞬間、氷槍が空間を貫いた。
「父さん!」
リュシエルが叫び、駆け出す。
クロードは彼女の前に立ち、蒼光を纏う。
「――いいか、リュシエル。剣を……掲げろ。
その光が、春を呼ぶ……」
氷の奔流が爆ぜる。
クロードの身体を貫き、蒼い光が弾けた。
氷冥王が冷たく呟く。
「愚かなる人の愛情よ。氷の理には届かぬ。」
クロードは膝をつき、振り返らずに言った。
「届くさ……人の心は、凍らない。」
その言葉を最後に、彼は崩れ落ちた。
淡い光が残り、氷の花となって地に散る。
リュシエルは剣を抱きしめ、嗚咽を漏らした。
刃が微かに光り、やがて柔らかな光が溢れる。
――白銀の光が彼女を包む。
「……母と、父の想いが……」
その瞬間、紋章が再び輝いた。
ルミナの名を宿す聖なる紋が浮かび、剣の奥で光が共鳴する。
ハルトたちは息を呑む。
氷の大地に、春の花が一輪――咲いた。